才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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クローゼットの認識論

セクシュアリティの20世紀

イヴ・コゾフスキー・セジウィック

青土社 1999

Eve Kosofsky Sedgwick
Epistemology of the Closet 1990
[訳]外岡尚美
編集:石井真理 協力:小野俊太郎・夏目博明・土橋正・巽孝之・山崎俊明
装幀:高麗隆彦

 すぐ近くにモッちゃんの家があり、ときどき上がりこんで遊んだ。日本橋芳町の路地だ。茶の間で塗り絵をしているうちに、モッちゃんがエボナイトの万年筆の黒いキャップを外して指を突っ込み、抜けなくなった。ポンと音がして抜けて笑いころげた。そのうち急におちんちんを引っ張り出すとキャップに入れこみ、むりやりポンと抜き出した。2人はもっと笑った。セイゴオちゃんもしなよと言うので、真似したがうまくポンできなかった。
 のちに稲垣足穂(879夜)の『RちゃんとSの話』を読んで、2人の少年が少しパンツをずらしては青いお尻をちょっとだけ見せあって笑いころげる場面を知った。それがいつのまにかヘッセ(479夜)のデミアンになり、ノヴァーリス(132夜)の日記になった顛末も知った。すべては寄宿舎で始まっていたのだった。セジウィックがホモソーシャルな関係と言うなら、われわれは少年期においてこそホモソーシャルを芽生えさせていたのである。
 その後もタルホを読み続けることになった当方は、『ヴァニラとマニラ』『北洛師門』『A感覚と∨感覚』『少年愛の美学』というふうに、タルホがA感覚を抽象化しつづけていったことに驚嘆し、人体が口腔と肛門によって穿たれた無窮の円筒(AO円筒)であることが何を示唆しているのか、考えこむようになった。

「もしA感覚を包む円だとすれば、この場合は〈雪月花の円周〉が二箇に分離したのであって、能楽、茶の湯、弓矢の道と繁る一環になり、いま一つの円が、V感覚をかこむ小倉百人一首であることは申し述べるまでもありません。」稲垣足穂『A感覚とV感覚』より

プロ・アマ混成チーム(ち組)で、タルホのA感覚を編集した「遊」の特別号「ホモエロス」。右の見開きはそのころ知られていなかったホモセクシャルな男たちに登場してもらったキメキメのページで、着色写真風に構成した。

 ゴシック小説の研究で名を馳せつつあったイヴ・セジウィックは、『男同士の絆』(名古屋大学出版会)でホモソーシャルな背景を読み解いたのにつづいて、満を持して『クローゼットの認識論』(青土社)を発表した。ジェンダー研究やLGBT研究のギョーカイではけっこうな評判のようだ。
 先行の『男同士の絆』はつまらなかった。「イギリス文学とホモソーシャルな欲望」というサブタイトルがついていて、シェイクスピア(600夜)のソネット、ロレンス・スターンの『センチメンタル・ジャーニー』、テニスンの『王女』、ディケンズ(407夜)のいくつかの作品、ホイットマンのイギリスでの読まれ方などを通して、英文学にあらわされたホモソーシャルな男同士の絆は、ミソジニー(女性嫌悪)とホモフォビア(同性愛恐怖)を分かちがたいものとして生み出していたという論旨である。
 作品の中の登場人物の危ういやりとりをずっと追っているのだが、ずいぶん微妙なところばかりを衝いてくるな、それにしてはルネ・ジラール(492夜)の「欲望の三角形」をもち出すなんて、ずいぶん大雑把な図式に依拠するんだなという印象だった。
 たしかに同性愛の兆候を感知した男たちが、さまざまな暗示的な物語によってホモセクシャルな情景を描いていくにつれ、またそれらを互いにこっそり読み合うようになるにつれ、この男同士の言わず語らずのネットワークからは、女たちの嬌声や男同士の嫉妬から逃れたいというような、従来の文学史が見過ごしそうなシュリンクした動向が醸し出されていたのかもしれないが、それがミソジニーやホモフォビアを用意していたというのは、どうも穿(うが)ちすぎている。
 そんな不埒な読後感をもっていたので、では今度の『クローゼットの認識論』はどうかと少し心配しながら一読したものだった。

『男同士の絆』は、マネの《草上の昼食》が表紙になっている。この絵画が、近代絵画史上重要な作品とされるのは、裸体の女性が女神ではなく現実の女性であったことにある。セジウィックは、はじめて描かれた現実の女性の裸体と、服を着ている男性との差に、父権性社会のイメージを重ねた。

情報交換の場所としてロンドンで発展したコーヒーハウスは、1杯分の1ペニー支払えば、身分や階級や、政治的傾向に関係なく、会話に参加できたが、女性のいないホモソーシャル空間だった。図版は1830年の様子。

ニューヨーク・ハミルトン・カレッジで教員になったばかりの28歳のセジウィック。大学院卒業からそれまでの数年間、面接試験で100回以上落ち、定職につくことができていなかった。1991年に乳癌を患い、1995年に再発したことが原因で2009年に58歳で亡くなっている。右の画像は晩年の姿。

 驚いた。百倍濃くなっている。そこには、ホモセクシャルをめぐるエピステモロジーのための重厚多層で稠密なテクストが出現していた。なんだよセジウィック、早く言ってよだった。
 それにしても「クローゼット」を持ち出して、そのクローゼットを開けてみないかぎりは、19世紀から20世紀にかけて男たち(および女たち)が文芸の装いを費って何をしてきたかはわからないとみなしていくだなんて、実にうまい追い込みだった。
 これまでの文学批評はゲイ/レズビアンの正体をたんに引っ張り出すように分析批評をすすめていたのだが、セジウィックはゲイ/レズビアンの尻尾が隠れている場所としてクローゼットを設定し、そうすることによって「見え隠れするホモセクシャリティ」を自在に出入りできるようにした。
 ホモセクシャリティが巧みに隠れているままなら、そのセクシャリティはクローゼットの中にinしているわけで、もしも周囲にその当人のホモセクシャリティが外にいると伝わっているのなら、これは正体そのものがoutなのである。このカードマジックのような判断の仕立て方は、作家たちが自身の性的な好みをカミングアウトするかしないかにとらわれることなく、セジウィックに自在な議論ができるようにしたようだ。これはお見事だ。
 というわけで『クローゼットの認識論』は不束(ふつつか)なぼくの心配に反してすこぶる重厚で、ジェンダー思想史に新たなベーシックテクストを投げ入れるに存分なものであった。失礼いたしました。
 とくにセクシャリティを議論するために、マックス・プランクの黒体輻射ともおぼしい「クローゼットという見え隠れのin/out装置」を想定したのは、西洋の社会文化の日々の盲点を掬うようなところもあって、セクシャリティの議論に効果的な組み立てが継続することを可能にした。
 とくに第3章でニーチェ(1023夜)とワイルドを対比交差させながら、ニーチェが「私自身を私でないものと取り違えること」をもってセンチメンタルと呼んだことに即して、そこからドリアン・グレイの取り違えまで一挙にはこんでみせた解読は、「同性愛、まかりまちがえれば異性愛」という世紀末の風潮の本質を抉っていて、読ませた。
 クローゼットの中にあまりに多くの衣装をしまっておくことは、そのin/outのたびの誤表象(ミス・リプレゼンテーション)が微妙に散らかることでもあるからだ。これは従来のLGBTのなかでもT(トランスジェンダー)の議論をするときのヒントになる。
 

イギリスで同性愛が公に論じられるようになったのは19世紀のヴィクトリア朝に入ってからのことだった。ゲイ男性は、異なる性癖を選んだ変質者、あるいは育った環境や遺伝的な問題を抱える病人とみなされた。医師や心理学者は彼らを「治療」しようと催眠療法や嫌悪療法を試みる。

ヴィクトリア朝を生きたワイルドは、同性愛を症例扱いする性科学に強い抵抗を示す。ワイルド自身、16歳下のダグラス卿と親しい関係を築いていた。1895年、息子を案ずる第9代クイーンズベリー侯爵の告訴により、2人のホモセクシュアルな関係は表沙汰となる。ワイルドは国家発展に貢献すべき年少者を堕落させた罪で投獄され、遂には破産を宣告される。

 序論に「公理風に」という、翻訳版で2段組94ページにわたる【露払い】が付いていたのも驚いた。これはセジウィックが痒いところに手が届くようにセックス/ジェンダーにまつわる複雑性を整理したもので、ただしその整理によってわかりやすい分類や分岐ができあがるのではなく、複雑性を「重なり」や「捩(ねじ)れ」や「逸れ」のままに説明しようとしたものだった。公理は七つ、提示されている。
 脱構築派であるセジウィックのお手並みはさすがに心得たもので、ゲイ/ホモセクシャル、ゲイ/レズビアン、ホモソーシャル/ホモフォビック、ホモセクシャル/ヘテロセクシャルのいずれの微妙なニュアンスにも、多義的に切り込んでいる。『男同士の絆』では証さなかった反ホモフォビアの哲学も少しだけだが、説明を加えてあった。
 念のため7つの公理をあげておく。公理1=人々は互いに異なっている。公理2=セクシュアリティの研究はジェンダーの研究と同一の広がりもつわけでなく、アンチホモフォビックな探求はフェミニストの探求と同一の広がりをもつわけではない。公理3=レズビアンとゲイ男性のアイデンティティを、一緒にあるいは別々に考えるかは決定できない。
 公理4=自然(氏/ネイチャー)と養育(育ち/ナーチャー)についての対比論争は、かなり不安定な背景をもっている。公理5=パラダイムシフトを歴史的に探求することは、性のアイデンティティの状況を曖昧にしかねない。公理6=文学的なカノン(正典)についての論争とゲイ研究の関係は曲折しているが、むろん曲折しているべきだ。公理7=他者との同一化の経路は、奇妙で扱いにくい。自己同一化の経路も同じだ。

ホモソーシャル図鑑①
フラタニティは元々イングランド発祥の「友愛」をかかげて構成される男結社で、北米では大学・大学院の男子学生の社交クラブを指す言葉としても使われている。ザッカーバーグの自伝映画「ソーシャル・ネットワーク」では、ハーバード大のフラタニティの人間模様が事細かく描かれている。女学生のルックスの格付けサイトからはじまった「フェイスブック」は、まさしくホモソーシャルな環境下から誕生した。

ホモソーシャル図鑑②
映画にもなった空飛ぶ要塞こと「メンフィス・ベル」の乗組員たちを撮った写真。セジウィックは父権性を支えているものこそが、ホモソーシャルであると主張したが、航空機や潜水艦といった、戦争における運命共同体には、ホモソーシャルな香りが常につきまとう。

ホモソーシャル図鑑③
ロンドンのサヴィル・ロウで最古の紳士服テーラー「ヘンリー・プール」。元は軍服を扱っていたが、19世紀末に男だけのディナーを楽しむタキシード・クラブのスモーキング・ジャケットを作ったことから広く知られるようになった。元英国首相のウィンストン・チャーチルも白洲次郎も得意客だった。

 ざっとはこんなところだが、この1冊が多くのセクシュアリティ研究者に広大な開墾地を用意しただろうことは想像するに難くない。ジュディス・バトラー(1819夜)が『ジェンダー・トラブル』から『問題=物質となる身体』『自分自身を説明すること』『触発する言葉』というふうにフラッグを自在に変奏させていったのに対して、セジウィックはこの1冊で交響曲に似た複合カノンを用意してみせたのである。評判がたつのは当然だったろう。
 しかし不満も疑問も出てきた。正直言って、なぜか腸(はらわた)に染みわたらない。この人とゆっくり話しこんでみたいと思えない。その理由はうまく言いあてられそうもないのだが、かつての経験でいうと、ジャック・デリダと会ったときの砂を噛むような感じに近いかもしれない。(フーコー(545夜)の家に行ったときは、いかにも何かがおこりそうで愉快だった)。が、こんな感想は何も言っていないので、一応、3つにしぼってみた。

 1つには、ぼくはセクシュアリティの議論にはスタイルが大きな特色になると思っているのだが、そのスタイルが分析対象のワイルド(40夜)からプルースト(935夜)にいたるまで看過されていた。セジウィックその人のスタイルも見えなかった。きっとその思想と行動にはクィアなものがあるだろうに、それが見えない。スタイルが見えないと「面影」は立ち上がらない。
 2つには、男同士とはいいながら、同時代の歴史の葛藤や慟哭が見えない。複雑な説明にはなっているものの、あまりに正論をめざしすぎたからだろう。いいかえれば、この手のリクツでは決起や反乱はありえないだろうということになる。べつだんそれでもかまわないけれど、ただし、このことについては同情の余地もある。ワイルドから三島(1022夜)まで、フォースター(1268夜)からバロウズ(822夜)まで、歌舞伎役者からウォーホル(1122夜)まで、ホモセクシャルな表現者たちは社会的な変革については挫折を余儀なくされることが多かったのだ。
 3つには、こんなこと言っていいのかどうかわからないが、生命や病気の思想が欠けている。セクシュアリティはエピジェネティックなのである。借りぐらしのアリエッティなのである。進化論を背負ったり、心理学や脳科学で武装したりする必要はないにしても、今後のLGBT議論には、このこと、そろそろ欠かせないはずである。

ホモソーシャル図鑑④
白浪五人男。日本駄右衛門、弁天小僧菊之助、忠信 利平、赤星十三郎、南郷力丸の5人の個性的な盗賊たちが活躍する。盗みはすれど非道はしない義賊ともてはやされた5人の男たちの特別な絆は、「ゴレンジャー」などの日本の戦隊ヒーローにも継承されている。

ホモソーシャル図鑑⑤
香港ノワール映画では男同士が排他的な絆を優先し、その強化のために女を利用する。四方田犬彦は『男たちの絆、アジア映画』で、アジアに遍在するホモソーシャルな欲望を、映画を通して分析した。

ホモソーシャル図鑑⑥
映画『地獄に落ちた勇者ども』のナチス突撃隊員たちの酒宴のシーン。この後、ヒトラーのみを信奉する親衛隊によって粛清される衝撃的シーンが続く。男色家であるヴィスコンティ監督による官能が極まった作品で、男たちのホモソーシャルとファシズムとの際どい融合が描き出される。

 稲垣足穂の話にもどる。タルホのA感覚はそうとう勝手なもので、「ジャム臭いカナディアン・スクールの少年」と「鳥めくお尻遊び」と「南方熊楠(1624夜)の稚児好み」に始まり、P(ペニス)とV(ヴァギナ)のあっけない消息の批判を通して、A(アヌス)の無底性に至ろうとするものだった。
 会えば、たいてい他愛もない猥談や艶話を千代紙細工のようにちょいちょいと挟んで、5分後には「存在はペパーミントのように菫色(きんしよく)反応をおこさなあきません」と早口に言うのが口癖だった。かなりオスカー・ベッカーの「美のはかなさ」に片寄った趣向ではあったけれど、ぼくはこのようなタルホのA感覚で青年時代をおくった。
 このタルホ的なるものが、いまのところLGBTQ+議論に混ざってこないのだ。おそらくはTからQに転じるか、Qから+に転じるところで、タルホ的なるものがバシャバシャっと影のような翼を広げるはずだろうに、なかなかそうならないのだ。
 バトラーやセジウィックではなく、パーリアなら応じてくれるのだろうか、それともいっそレディ・ガガやヴィヴィアン佐藤やドリアン・ロロブリジーダと遊んだほうがいいのだろうか。室内のクローゼットのin/outだけでは不満がたまるばかりなのである。やっぱり性は「装ってナンボ」であってほしいものである。

TOPページデザイン:穂積晴明
図版構成:寺平賢司・大泉健太郎・齊藤彬人


⊕『クローゼットの認識論 ― セクシュアリティの20世紀』⊕
∈ 著者:イヴ・コゾフスキー・セジウィック
∈ 訳者:外岡尚美
∈ 装幀:高麗隆彦
∈ 協力:小野俊太郎、夏目博明、土橋正、巽孝之、山崎俊
∈ 発行者:清水一人
∈ 発行所:青土社
∈ 印刷:ディグ
∈ 扉・表紙・カバー印刷:方英社
∈ 製本:小泉製本
∈ 発行:1999年
⊕ 目次情報 ⊕
∈ 序論 公理風に
∈ 第1章 クローゼットの認識論
∈ 第2章 二項対立論(一) 
∈∈ 『ビリー・バット』――ホモセクシュアルのいなくなった後で知識/無知、自然/不自然
∈∈ 都会風/田舎風、純真無垢/集団への加入、成人男性/少年
∈∈ 認識/妄想症、秘密/発覚
∈∈ 規律/テロリズム
∈∈ マジョリティ/マイノリティ、公平/不公平
∈∈ 公的/私的
∈∈ 誠実性/感傷性
∈∈ 健康/病気
∈∈ 健全さ/頽廃、ユートピア/終末論
∈ 第3章 二項対立論(二)
∈∈ ワイルド、ニーチェ、男の身体をめぐるセンチメンタルな関係
∈∈ ギリシア的/キリスト教的
∈∈ センチメンタル/アンチ・センチメンタル
∈∈ 直接性/代理性、芸術/キッチュ
∈∈ 同一の/異なった、ホモ/ヘテロ
∈∈ 抽象化/形象化
∈∈ 創造/識別、健全さ/頽廃
∈∈ 自由意志/中毒、国際的/国民的
∈∈ 健康/病気
∈ 第4章 クローゼットの野獣
∈∈ ヘンリー・ジェイムズとホモセクシュアル・パニックの書
∈∈ 男のホモセクシュアル・パニックを歴史化する
∈∈ ミスター・バチェラーをご紹介
∈∈ ストレートに読むジェイムズ
∈∈ 密林の掟
∈ 第5章 プルーストとクローゼットの見せ物
∈∈ 謝辞
∈∈ 訳者あとがき
∈∈ 新装版への訳者あとがき――情動研究の先駆的な知
∈∈ 索引
⊕ 著者略歴 ⊕
イヴ・コゾフスキー・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick)
専門はジェンダー研究/クィア理論。ボストン大学、アマースト大学、デューク大学、ニューヨーク市立大学大学院センターなどで教鞭をとった。代表作に『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(名古屋大学出版会、2001年)。
⊕ 訳者略歴 ⊕
外岡尚美(とのおか・なおみ)
専門はアメリカ文学/アメリカ演劇。現在(出版当時)、青山学院大学文学部教授。著書に『ギリシア劇と能の再生』(共著、水声社、2009年)、『〈都市〉のアメリカ文化学』(共著、ミネルヴァ書房、2011年)、『戦争・詩的想像力・倫理』(共著、水声社、2016年)他。