才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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ブッダたちの仏教

並川孝儀

ちくま新書 2017

編集:伊藤大五郎
装幀:間村俊一

本書『ブッダたちの仏教』は、「ブッダによる仏教」と「ブッダになる仏教」がどのように議論されてきたかを、さまざまな証拠を並べてまとめた。タイトルがいい。仏教がいくつもの「ブッダたち」、すなわちいくつもの「ブッダ状態」によって成立してきたことを、うまく象徴している。

 ぼくは確信しているが、仏教は21世紀の世界思潮のいくばくかの思考領域や行動領域に食いこんで、何事かを少しずつおもしろくさせていくだろう。きっと、そうなると思う。そうなって、ほしい。
 けれども現状では、その兆候はまだ少ない。隘路を突破できていない。日本にいると、そのことを負担のように感じる。仏教は寺や仏像や坊さんに囲まれている日本人にこそ、肝心なところが理解されていないのだ。
 もともとわかりにくいところが多いからだと思う。むろん宗教にわかりにくいところがあるのは当然で、そういうミスティシズムを含めて宗教の真骨頂があるのだが、現代仏教は世界的にも大きな潮流になっているわりに、仏教関係者による説明不足が目立つのだ。説明の順序もヘタッピーだ。

 うまく説明されていないところはいろいろあるが、仏教の大筋は説明しにくいと思われすぎている。たとえば世の中を「一切皆苦」と捉えるところや「空」を重視するところは、西洋からは過ぎたニヒリズムと感じられるだろうが、これはかまわない。西の連中のほうの認識が甘いのだから、かれらにベンキョーさせればいい。
 ヒンドゥイズムから継承した「輪廻」(サンサーラ)や「縁起」(プラティーティヤ)は、西洋神秘主義でも、最近のネットワーク社会観からでも類推がつく。だから、このへんも自信をもって“東の説明”をすればいい。
 それより、大きくはユダヤ=キリスト=イスラム教が「一神教」で組み立てられてきたのにくらべて、東のヒンドゥ=ブッディズムは徹して「多神多仏」であることが最大のわかりにくさになっている。これがうまく説明できていない。
 ユダヤ=キリスト=イスラム教にも「預言」「約束の地」「処女懐胎」「復活」「啓示」「三位一体」など、ふつうの理解では納得できないところが多々あるのだけれど、それをかれらは一神教的ヒエラルキーとロジックで巧みに充填してきた。どんなふうに充填したのか、千夜千冊でもオリゲネス(345夜)やアウグスティヌス(733夜)などを例にして、角川の「千夜千冊エディション」では『文明の奥と底』(角川ソフィア文庫)で、そこのあたりのことを解説しておいた。

 実は仏教だって、仏教史をみればわかることだが、そうしたわかりにくさをさまざまなヒエラルキーとロジックで乗り越えてきたのである。そう、思ったほうがいい。
 だから経典も厖大にある。旧約、新約、クルアーンどころではない。ただし、そのヒエラルキー(三界や三身説)は仏教独自のものであり、その説明のためのロジック(縁起や般若)もかなり独特になっている。
 独特なのは宗教の教説だから当然だが、日本人にはそれらを読む(理解する)ための大きなブラウザーがちゃんと据えられていないようなのだ。スコープだ。そのスコープをもったブラウザーが示すべきは、ブッダその人が多神多仏ならぬ多身多仏だということなのである。
 ブッダは一人とはかぎらない。ブッダは多身で、多仏なのである。そのことをこのあと説明するが、この、ブッダの捉え方が多身で多仏になっているというスコープがわからないと、仏教の深みは掴みにくいだろうし、そこを前衛的なソフトウェアのアプリのように説明してきた仏教のよさが見えてこない。

 仏教学にはブッダ論という領域がある。仏教を興した宗祖ブッダをどう見るかということ、そこを議論していくのがブッダ論だ。仏教史的には時代ごとにたくさんの議論があった。あまりに議論点が多いから整理をすると、その中身は大きくは二つの見方になってきた。
 ひとつはA「ブッダによる教え」をもたらしたブッダをどう見るか、もうひとつはB「ブッダになる教え」を体現するブッダをどう見るかという議論だ。その話からしてみる。

 Aの「ブッダによる教え」というのは、ブッダその人が覚醒したことを追う。
 歴史上の一時点に北インドで生まれたゴータマ(ガウタマ)・シッダールタという実在者が、修行のすえに菩提樹のふもとでゴータマ・ブッダとして覚醒を遂げたのである。この歴史的な出来事と、そのブッダが説いた教えを探求する。これが、大文字のブッダ(Buddha)自身によって示されたブッダの教えをめぐるブッダ論になる。A「ブッダによる教え」だ。
 Bの「ブッダになる教え」のほうは、そのゴータマ・ブッダによって到達されたブッダ(buddha)という心身状態が、仏教的にどんな様態をとりうるか、修行者や信仰者がどうしたらそこに達することができるかということを広く議論するブッダ論だ。
 この小文字のブッダのほうは「覚醒するもの」「真理を悟ったもの」という意味で、原則的には誰もがなりうる高くて深い精神的な状態をさす。
 仏教成立以前、『ヴェーダ』や『ウパニシャッド』でも、聖者・賢者という意味での「ブッダ」という言い方がされていた。仏教最古の経典『スッタニパータ』や詩集『テーラ・ガーター』では、ゴータマ以前からブッダと呼ばれていた修行者が何人もいたのだということを伝えている。多くの者がブッダへの道をめざしたのだ。
 したがって、こちらのブッダ論はA「ブッダによる教え」というよりも、B「ブッダになる教え」なのである。「よる」と「なる」ではずいぶんいろいろのことが異なってくる。それで、後者Bの「なる」ためのブッダ論がたいへん幅広いのだ。

 本書『ブッダたちの仏教』は、この「ブッダによる仏教」と「ブッダになる仏教」がどのように議論されてきたかを、さまざまな証拠を並べてまとめた。
 タイトルがいい。仏教がいくつもの「ブッダたち」、すなわちいくつもの「ブッダ状態」によって成立してきたことを、うまく象徴している。
 著者の並川孝儀(なみかわたかよし)は京都生まれの佛教大学のセンセーで、「正量部の研究」でデビューした。『ゴータマ・ブッダ考』(大蔵出版)、『ゴータマ・ブッダ:縁起という「苦の生滅システム」の源泉』(佼成出版会)、『スッタニパータ 仏教最古の世界』(岩波書店)などの著作がある。岩波の『スッタニパータ』は若い日本人や一般読者の評判がいい。この問題を展開するにふさわしい研究者だ。

 仏教学では、ブッダが在世中に説いた仏教のことを「原始仏教」という。まだまだ未熟ではあったが、原始仏教教団もできた。サンガ(僧団)である。そこにゴータマとその「教え」を理解した仏弟子(ぶつでし)たちがいた。ゴータマの教えを最初に聞き、最初に実践したのが仏弟子(サーヴァカ)だ。漢訳では「声聞」(しょうもん)と呼ばれる。
 原始仏教期の「ブッダによる教え」はひっくるめて「仏説」(ヴァチャナ)という。仏説(ぶっせつ)はブッダ自身が生存中にさまざまな機会に法(ダンマ)と律(ヴィナヤ)と教え(サーサナ)を説いたことをまとめたもので、当初のものは『大般涅槃経』などに散文的に載っている。
 仏弟子のアーナンダ(阿難)が「法」を暗誦でき、何人かのウパーリ(優婆塞)が「律」を記憶していたので、長老たちはカッサパ(迦葉)を統率者としてこれらをまとめることにしたのだった。ゴータマの語りが、これで少し物語になった。仏教史ではこの最初期の編集作業を第一結集(けつじゅう)と言っている。
 そのなかには修行者たちが聞いた言葉が雑然と集められているものも、少なくない。ほんとうにブッダ自身がそういうことを言ったのかどうか、訝しいものもある。そこで原始仏教教団は、それらの言葉とのちに経典(スッタ/スートラ)としてまとまったものとを照らしあわせ、相互に齟齬がないかどうかをラフにチェックした。このチェックに合格したものが仏説にふさわしいものになる。
 この作業が第二結集で、アーナンダの弟子の8人の長老たちがかかわった。アーナンダは新約聖書の大編集を指導したパウロにあたると思えばいい。

 ブッダが亡くなって100年ほどすると、教団は上座部と大衆部の二つに分かれて「部派仏教」の時代に入った。どんな組織もこういうことはおこる。まして古代信仰集団だ。いっときは説一切有部をはじめ、20グループ前後の部派が林立した。
 部派仏教では「ブッダになる」ことではなく、もっぱら阿羅漢(アルハット/アラハント)になることがめざされた。学ぶべきものがない境地に達した者が阿羅漢だ。
 かれらは熱心な修行者ではあったが、他者の救済よりも、もっぱら自己の探求を極めるほうに関心があったため、のちに大乗仏教がおこってからは、あんたたちはあまりに小さな乗り物にこだわったねという意味で「小乗仏教」の活動者だったともみなされた。そのため、それまでは仏弟子全般を声聞と呼んでいたのだが、大乗仏教側はかれらを声聞と呼び、大乗仏教者を「菩薩」と呼ぶようにした。
 一方、阿羅漢にも徹底した修行や思索をした者たちもいたので、のちにすぐれた阿羅漢を総称して「十六羅漢」などとして称揚した。羅漢さんである。

 部派仏教の各部派は、自分たちの考え方こそが仏説に近いんだということを主張しあっていた。それぞれが理論化を深めていったので、どこの部派の主張が仏説からずれているとは言いがたい。しかし、すべてを同じように認めていっては混乱を呼ぶ。どうするか。
 そこで論師たちは、仏説にはそもそも「了義」と「未了義」があったのだというふうにした。了義というのはブッダの教え通りのもの、未了義はブッダの教えが推測されるものではあるが、真意は完全にはあきらかになっていないものをいう。
 こんな判断をしたのは、当時勢いを増していた仏教ムーブメントの機運を損なわないように、論師たちがやむなく振り分けたせいなのだが、これによって各部派は、かえって、なぜブッダが完全な言葉で真意をあらわさなかったのか、そこにはどんな意図があったのかということに興味をもった。
 こうして部派仏教は未了義の研究に打ちこんでいったのである。これが、若いころにぼくが夢中になった「アビダルマ仏教」というものだ。アビダルマとはブッダの教えの解釈や研究に耽ることをいう。
 やがてそのような解釈研究が論書というかたちになり、そのアーカイブを「論蔵」と名付けるようになると、経典を集積した「経蔵」よりも、むしろ論蔵のほうが仏説の中身を伝えるものだと位置づけるようになった。アビダルマはそうしたテキスト研究に没入していったのである。ぼくは、これはこれでたいへん重要な作業だったと思っている。

 紀元前後に「大乗仏教」が立ち上がってきた。ブッダが説いた救済の思想を重視して、自己の解脱よりも他者の救済をめざすムーブメントが大きなうねりをもちはじめたのである。いわゆる「菩薩道」だった。利他行をめざした。
 この救済型の菩薩道を提唱した大乗仏教が、このあとのブッダ観に大きな転換をもたらしていく。

 大乗仏教は東洋文化史全般のなかでもかなり新しい思潮なので、もちろんその特色は多彩にあるのだが、今夜強調しておきたいのは、まずもって宗祖ゴータマ・ブッダを永遠の存在とみなすべく、複数に見立てたということがとても大きい。これはブッディズムにとっては大転換だった。
 遥かな過去の時空にも未来永劫の時空にもブッダ(ブッダたち)がいらっしゃるとみなしたのだ。この構想は「過去仏」や「未来仏」の想定につながった。
 『相応部経典』の第6章「梵天相応」には次のようにある。「過去に悟ったブッダたち、未来に悟るブッダたち、現在において多くの人々の憂いを取り除くブッダ、これらブッダはすべて正しい教えを重んじて、過去にも現在にも未来にもいるのである。これがブッダと言われる方々の法則である」。
 実際にも、その「ブッダと言われる方々」の名前もあきらかにされた。毘婆尸仏(ヴィパッシン)、尸棄仏(シキン)、毘舎浮仏(ヴェッサブー)、拘留孫仏(カクサンダ)、拘那含牟尼仏(コーナーガマナ)、迦葉仏(カッサパ)という六ブッダが想定されて、これにゴータマ・ブッダを加えたブッダたちが「過去七仏」に認定されたのだ。

 わかりやすくいえば、大過去のブッダ(覚醒者たち)と永遠存在としてのゴータマ・ブッダが時間と空間をこえて概念的に同一視されたのである。
 過去七仏は同一人物ではない。しかし、何かの深い共通性があってしかるべきである。そこで七仏たちは「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」(悪をなさず善を行い、みずからの心を浄めることが諸々の仏の教えである)を共通の教えにして、世界の救済を確信していたのだとみなされた。この共通のコモンセンスを「七仏通戒偈」という。

 インドからセイロン(スリランカ)をへて南方に伝承したパーリ語の聖典系では(南伝仏教=テラワーダ仏教)、過去仏の見方がさらに広がって、過去になんと24ものブッダたちがいて、ゴータマ・ブッダはその25番目だったというような、過去二五仏説が提唱されるまでになった。べらぼうだ。あまり知られていないことかもしれない。
 一方、未来仏についても『転輪王経』で、今後の荒廃した時代にサンカという転輪王が出現して正しい法を求めることになるのだが、そのときゴータマ・ブッダはかねての計画通り、弥勒(メッテッヤ)という世尊を正等覚者として世にさしむけるはずだと説いた。『増一阿含経』も、未来久遠の時代に兜率天にいた弥勒菩薩(菩薩行をしていた弥勒)がこの世に編まれた無上道を悟って弥勒仏になると説いた。
 遠い未来に弥勒仏が想定されたのだ。このような見方はのちに『弥勒下生経』といった偽経にまで発展する。菊地章太『弥勒信仰のアジア』(1313夜)を読まれたい。
 なぜ、こんなアクロバティックな見方を通したのか。過去仏といい未来仏といい、大乗仏教はブッダをなんとかして永遠の存在として絶対化したかったのだ。ぼくはこれも宗教としては当然の編集構想だったと思っている。

 ふえすぎたブッダをめぐっては、さまざまな議論が噴出した。それもやむをえないことだろう。なかで、もともとのゴータマ・ブッダはそんなにも広大な過去・現在・未来をまたぐ時空で、いったいどんなような在り方で君臨しているのかという問題が浮上した。
 ブッダがマルチバースになったことをどう説明するかという問題だ。ここに新たに「仏身論」という見方が登場する。
 仏身(ぶっしん)とはブッダの体のことである。実際の肉体のこともあるが、理想化された身体のこともある。しかし、何人ものマルチバースなブッダがいるとなると、話はややこしい。

 まずはゴータマ・ブッダが涅槃に入ったからには、その身体をどう解釈するかという問題があった。死者なのである。磔刑になったキリストの身体が長らく議論の対象になったように、ブッダの身体も容易には語れない。
 そこで初期経典の『如是語』(イティヴッタカ)では、二種類の涅槃が説かれた。涅槃(ニルヴァーナ)とは「吹き消す」という意味の言葉で、煩悩を吹き消した状態が涅槃なのだが、その涅槃に二種類があるとしたのだ。
 ひとつは「有余依涅槃」(うよえねはん)というものだ。ブッダは修行のうえ煩悩を滅して解脱したけれど、いまだ五種の感官はのこっていて、そのため楽と苦を感じている涅槃の状態にあるとするという見方である。もうひとつは「無余依涅槃」(むよえねはん)というもので、解脱をしたのちはなんらの執着の束縛をうけていない涅槃状態だということにした。

 あまりにも便宜的ではあるが、執着の残余によって涅槃を区分することにしたわけだ。肉体に束縛をうけた涅槃と、その束縛をこえた涅槃的身体とがあるとしたわけだ。
 これは肉体には不完全性があるという見方の強調でもあって、このあとの仏身論にさまざまな影響を与える。この工夫もキリスト教における三位一体論などに匹敵するもので、ぼくはどうしても必要な仮説だったろうと思っている。

 少し解説を加えておくが、ブッダ在世時の原始仏教では、涅槃は死とは関係なく、生存中に体得できると考えられていた。けれどもブッダの現実の死に臨席した仏弟子たちは、その死はたいへん感動的なものだったので、涅槃(ニルヴァーナ)であったとみなすふうになったのである。
 当時は「般涅槃」(はつねはん)とか「大般涅槃」と言っていた。「般」とは完全を意味する接頭辞で、煩悩を完全に滅却させたという意味をもつ。弟子たちはブッダの死(=涅槃)こそがその完成だとみなしたのだ。いいかえれば、ゴータマ・ブッダにあっても、生きているあいだは肉体が煩悩への執着を切り離せなかったとみなしたのだ。
 さあ、そうなると、ここにゴータマ・ブッダの体は最低でも二つあることになる。奇妙なことのようだが、キリスト教でいえばイエスの身体とキリストの霊性を同時に想定したようなものだ。二つあってもおかしくはない。仏教のばあいは「生身の仏身」と「解脱された仏身」の二つである。
 しかし、ゴータマを分断したといえば、分断したのだ。それなら、この二つの分断をどのように説明するか。そこでついでは、生身の仏身を「色身」(しきしん)とみなし、深い真理に到達して涅槃となった仏身のほうを「法身」(ほっしん)とみなすことにした。そう見れば、過去にも未来にもブッダの法身はあまねく広がれる。ということは法身が複数に遍在しているということになる。

 そのうち、そんなふうにあまねく遍在する数々の法身にまったく区別がないままでいいのか。みんな同じ法身なのか。そんなことはあるまいという議論が出てきた。
 大乗仏教に『法華経』や『華厳経』などの大乗経典が生まれ、4~5世紀になると、華厳の巨大なビルシャナ仏(ヴィロチャーナ)などが崇められる信仰が発展していったのだが、その影響も大きかった。では、そういうビルシャナ仏とは誰なのか。仏身だとしたら、どういう変化をおこした仏身なのか。
 こうして仏身には、法身のほかに「報身」(ほうじん)と「応身」(おうじん)があるということになった。
 法身は法性(ほっしょう)ともいうべき真理体そのもので、人格を有しない仏身である。報身はブッダになろうと修行を重ね、それによって完全な功徳を備えた仏身のことだ。応身は衆生(しゅじょう)の救済のためにこの世にあらわれた人格をもった仏身のことをさすというふうにした。このように法身・報身・応身というふうに仏身が変化する見方を「三身説」という。
 苦肉の策のようだが、これがみごとに功を奏した。ほかに「法身・解脱身・化身」に分ける説、「自性身(じしょうしん)・受用身・変化身(へんげしん)」に分ける説も唱えられるに至った。少々レトリカルにもアナロジカルにも見えるだろうが、むしろ、ぼくはこのあたりの説明こそ21世紀にもっと露出するべきだろうと思っている。

 仏教はインドでのみ発展していったのではない。さまざまな土地と時代で信仰され、そのつど編集されていった。南伝して東南アジアで編集され、北伝して西域・中国・朝鮮半島をへて日本でも編集された。
 西域から中国に向かった信仰の中からは浄土教のムーブメントがあらわれた。もともとはインドで編まれた『無量寿経』と『阿弥陀経』にもとづいた信仰なのだが、これに西域あたりで編纂された『観無量寿経』が加わって(浄土三部経と総称される)、新たに阿弥陀仏と西方極楽浄土と往生思想をアピールしたのだ。詳しいことはリチャード・フォルツの『シルクロードの宗教』(1428夜)などで紹介しておいた。
 浄土信仰は、またまたこれまでにない仏教動向だったのだ。仏教はついに「他方仏」と「他方世界」をもったのである。

 浄土信仰や阿弥陀信仰は、のちの密教の出現とともにかなり斬新だ。もともと仏教には「三千大千世界」や「須弥山世界」という世界観があった。ヒンドゥイズムから継承したところもある。
 その三千大千世界のすべてに普遍的に君臨するとみなされたのが華厳のビルシャナ仏である。日本では東大寺の大仏がその姿をあらわしている。大仏(毘盧遮那仏)は蓮弁に坐しているのだが、その蓮弁にはことこまかに三千大千世界や須弥山のディテールが毛彫りされている。
 のちに密教はこのビルシャナ(ヴァイロチャーナ)をさらに普遍巨大化して、さらに普遍的な大日如来(マハー・ヴァイロチャーナ)を登場させた。
 これらは全世界に君臨する仏だが、各方面にいらっしゃる仏もいるのだと考えられたのだ。それが東方の薬師仏や西方の阿弥陀仏になった。それぞれ東方瑠璃光浄土、西方極楽浄土をマネジメントしているとした。これを「他方仏」という。地方仏ではなく、他方仏だ。ブッダたちはついに近所の山の向こうにおはしますことになったのだ。

 浄土教は敦煌などの浄土観とともに中国に入り、さらに日本にやってきた。阿弥陀信仰はとくに日本で重視される。浄土教や浄土真宗だ。千夜千冊では、法然(1239夜)などを通して説明しておいた。
 そこからは「往生」という「向こうへ行って生きる」という見方が普及した。一人一人の衆生(しゅじょう)、すなわち個人が浄土に行けることになったのだ。それも称名念仏を唱えるだけでも約束された。日本仏教にこのような特色があらわれたことも、正真正銘のブッディズムなのである。きわめてソフィスティケートされた仏教だ。
 というわけで、仏教は「たくさんのブッダたち」を、時間と空間をともなって、また数々の仏身をともなって、つくりだしてきたのだった。ぼくは仏教関係者たちがこのことについての説明を、もっとしやすいようにしていったほうがいいと思ってきた。
 日本にはどこにでも仏像がある。そのいちいちの背景をそろそろ愉しむようになったほうがいいのではないか。そのうえで、あらためて言うけれど、21世紀はぜひにも仏教の世紀であってほしいのである。

⊕ ブッダたちの仏教 ⊕
∈ 著者:並川孝儀
∈ 発行者:山野浩一
∈ 発行所:筑摩書房
∈ 装幀者:間村俊一
∈ 印刷・製本:精興舎
∈∈ 発行:2017年12月10日

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ はじめに
∈ 第1章 「ブッダ」とは
∈ 第2章 ゴータマ・ブッダと原始仏教
∈ 第3章 展開する仏教
∈ 第4章 悟りと教え
∈ 終章 日本仏教の今
∈ あとがき
∈∈ 主要な参考文献一覧

⊕ 著者略歴 ⊕
並川孝儀(なみかわ たかよし)
1947年京都府生まれ。佛教大学大学院文学研究科博士課程満期退学。インドのジャワハルラル・ネルー大学客員研究員、同客員教授を経て佛教大学仏教学部教授。博士(文学)。専門はインド仏教、とくに原始仏教、部派仏教。著書に『ゴータマ・ブッダ考』『インド仏教教団正量部の研究』(以上、大蔵出版)、『スッタニパータ 仏教最古の世界』(岩波書店)『ゴータマ・ブッダ―縁起という「苦の生滅システム」の源泉』(佼成出版社)がある。