才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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日本の伝統 発酵の科学

微生物が生み出す「旨さ」の秘密

中島春紫

講談社ブルーバックス

編集:篠木和久
装幀:芦澤泰偉・児崎雅淑 写真:青砥茂樹

発酵文化、21世紀日本の大いなる主題のひとつだろう。ぼくはかつて、「アメリカがシリコン・バレーなら、日本はエンザイム・バレーをこそつくるべきだ」と言ったことがある。エンザイム(enzyme)とは酵素のことだ。

 日本の国花はサクラ、国鳥はキジ、国魚は錦鯉、国蝶はオオムラサキ、意外かもしれないが、国草は大麻である。古来、神々の幣(みてぐら)の印として貴重視されてきた。日本の大麻は幻覚成分のTHCが少なく、吸引はされなかった。
 実はコッキン、国菌もある。国の菌だ。何が国菌だか、おわかりか。麹菌(こうじきん)なのだ。2006年に認定された。麹菌は日本を代表するカビなのである。醤油・味噌・日本酒(清酒)・味醂(みりん)は麹菌でつくる。
 麹菌には黄麹菌・黒麹菌・白麹菌・紅麹菌・醤油麹菌などがあって、たんに麹菌というときは黄麹菌のこと、すなわちアスペルギルス・オリゼー(A・オリゼー)をさす。和名はニホンコウジカビ。これが日本にしかない。列島各地の田圃や稲に棲みつくカビだ。日本にしかないというのは日本にのみ発生したのではなく、おそらく祖先のカビは東アジア産のアスペルギルス・フラバスで、それを日本人が長年をかけて巧みに株を選抜し、育種してきたと推察されている。
 弥生時代に口噛み酒があったことからして、水田耕作と米づくりが始まってまもなく、そのような努力が始まったのだと思われる。『播磨国風土記』には「大神の御粮(みかれい)、沾(ぬ)れてかび生えき。すなわち酒を醸さしめて庭酒(にわき)を献りて宴しき」とある。「蒸した米が湿気で濡れたので醸して酒にして献上し、みんなで宴をした」というのだ。
蒸した米がカビて酒になったわけである。そもそも黄麹菌であるアスペルギルス・オリゼーとは「米に生えるカビ」という意味なのだ。

麹菌(こうじきん)
米、麦、大豆などの穀物にコウジカビなどの食品発酵に有効なカビを中心にした微生物を繁殖させたもの。「こうじ」の名は「かもす(醸す)」の名詞形「かもし」の転訛。

 ニホンコウジカビによってカビが生えた米を、日本人は稀なることとして大切にした。これを種として、蒸した米(蒸米)に植え、それをくりかえしてふやしていくと米麹(こめこうじ)がつくれることを発見した。その米麹から良質のものを選んで酒を醸造するようにした。
 ただしこの方法はたいへん不安定で、他のカビや乳酸菌が混入する度合いが高い。そこで酒造りのためのカビを専門につくる技能集団が出現した。種麹屋(たねこうじや)だ。カシやツバキの木を燃やした木灰を蒸米に加えると、いっせいに胞子をつけるので、この胞子だけを集めて種麹にするのだが、その技能を究めた集団だ。この技は効能バツグンだった。木灰の投入によって蒸米が塩基性になって、雑菌を殺してしまうだけでなく、リン酸やカリウムなどのミネラルが麹菌の胞子の着生を促進していることが、その後の研究であきらかにされた。
 やがて種麹屋は酒造りだけでなく、味噌や醤油の麹も供給するようになった。これが日本の発酵食品文化を著しく豊かなものにしていった。さらに酒造りには杜氏(とうじ、とじ)が加わって、酒部(さかべ)や酒師(さかし)の伝統技能を今日につないでいる。
 ちなみに黄麹菌は日本酒をつくるのだが、黒麹菌や白麹菌は焼酎や泡盛をつくる。泡盛の麹菌はアスペルギルス・リュウキュウエンシスという学名をもつ。琉球に特有だ。しばらく泡盛の麹菌が見つからなくなっていたのだが、東大の坂口謹一郎が全国を捜しまわって採集し、復活させた。

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姫路の灘菊酒造
蒸したコメに麹菌パウダーを撒き、発酵を促す。
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醤油醸造所での「後熟工程」の様子
発酵の程度を確認しつつ、香り・味を熟成させる。

 麹菌が日本独自のものだったように、日本人はこうした微生物をさまざまに活用して独特の発酵食品をつくってきた。
日本の調味料は「さ・し・す・せ・そ」でおぼえる。さ(砂糖)・し(塩)・す(酢)・せ(醤油・せうゆ)・そ(味噌)である。近世のこのかた、日本料理の味付けはこの順にするといいと言われてきた。
まず甘味はなかなか浸透しにくいので、砂糖を入れるのは早いほうがいい。塩は浸透圧が高くて食材から水分を呼び出すので、煮汁の味を決める初期に入れる。酢は早く入れすぎると酸味がとぶので、調理の進み具合を見計らう。手前の塩味が付きすぎないように塩よりあとに使う。醤油は風味をいかすためにも仕上がりに使う。ここで各地の風土的な好みが強調される。味噌は熱を加えすぎないように、最後に溶かしていく。これが「さ・し・す・せ・そ」だ。
 このうちの「す・せ・そ」の3つがまるごと発酵食品なのである。「す・せ・そ」は微妙に加減してつかうと「うまみ」が出てくるので、日本ではここから調「味」料という用語も汎用するようになった。しかし実際のところは「さ」も「し」もそれなりに「うまみ」を支えているので、つまりは「さしすせそ」すべてが調味料的なのである。
 「す・せ・そ」が発酵によっていることは、人類の長い食文化にとってとほうもなく大きなことだった。発酵によって食生活を豊かにするのが日本人の得意技であったことも、日本文化論にとってたいそう大きな意義をもつ。調味料としてだけではない。日本の漬物、納豆、鰹節、清酒などは、すべて発酵のはたらきでつくられてきた。

糠づけ
糠漬けができるメカニズムには発酵と浸透がある。漬け込むことで糠に含まれる豊富な栄養が材料に浸透し、乳酸菌や酵母による発酵で甘みと香りが増す。

ミツカンCM「酢の力」
ミツカンのCM「酢の力」シリーズのクリエイティブディレクターを松岡がつとめた。酢の魅力と酢の効果をあらわすコピー「酢の力」を編集、これまで「血圧篇」「内臓脂肪篇」「血糖値篇」の3本を制作。血糖値篇は交通広告グランプリデジタルメディア部門で優秀作品賞を受賞した。https://www.mizkan.co.jp/company/sunochikara/

 発酵食品を素材別に分けると、穀物系、魚介系、野菜果実系、酪農系、各種飲料系などになる。
穀物系には、大豆による醤油、味噌、納豆、韓国のカンジャンやテンジャン、インドネシアのテンペ、小麦とパン酵母によるパン、小麦と乳酸菌による葛餅(くずもち)、もち米と唐辛子による中国のコチュジャン、ソラマメと唐辛子と麹菌によるトーバンジャンなどがある。日本の穀物系が微妙な味を愉しむのに比べて、他の東アジア諸国はかなりの辛みで勝負する。
魚介系は、鰹節(かつおぶし)、塩辛、チョッカル、なれずし(鮒鮨)、東南アジアや中国の魚醤(ぎょしょう)、くさや、ウスターソース、アンチョビ、エイを自然発酵した韓国のホンオフェ、スウェーデンのシュールストレミング(世界で一番臭い食品)などが並ぶ。なかで鰹節が逸品だ。世界で一番硬い調味料でもある。
野菜果実系は日本の漬物に代表されるだろうが、ほかにキムチ、ザーサイ、メンマ、ドイツのザワークラウト、ピクルス、フィリピンのナタ・デ・ココ、黒にんにく、タバスコ(唐辛子を岩塩と穀物酢で発酵)などがある。ぼくはヨーロッパ系のピクルスもザワークラウトも苦手だ。
 酪農系はいうまでもなく、ユーラシア西部に発祥したヨーグルト、チーズが代表で、その種類からしても他の追随を許さない。ほかにモンゴルの馬乳酒、各種の乳酸品などもある。いまや日本では明治のプロビオヨーグルトR-1などの奮闘でわかるように、乳酸菌飲料が力を増している。
 飲料系は、日本では清酒、味醂(みりん)・焼酎・泡盛、酒粕、そして食酢や黒酢、また甘酒がよく知られるが、なんといってもヨーロッパのビール、ワイン、シードル(りんご酒)、ウイスキー、ロシアのウォッカ、メキシコのテキーラやブルケ、中国の黄酒などが圧倒的な勢力をもっている。日本酒はなかなかワールドワイドには広まらない。金沢の福光屋やサッカー出身の中田英寿の日本酒プロデュースが注目される。
 そのほか見落とせないのが紅茶、ウーロン茶、プーアール茶、カカオ(ココア)などが発酵食品であるということだ。ぼくはこの領域の新たな発酵ティーにも可能性があると思っている。

松岡が監修するイベント「縁座」(ネットワン主催)にゲストとして登壇した中田英寿氏
「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立し、自ら社長に就任。海外の酒の輸入業や、各地の日本酒のプロデュースを勢力的に行っている。(撮影:小森康仁)

 発酵(fermentation)は微生物のはたらきによっている。科学的には「微生物が有機物を嫌気的に分解してエネルギーを得るプロセス」が発酵である。有機物とは炭素を含む化合物のこと、嫌気的とは酸素を使わないことをいう。
つまりは、酸素を使わずに炭水化物などの有機物を分解してエネルギーを生み出しているプロセスの全体が「発酵」だ。酸素を使って有機物を分解するほうは「呼吸」という。
 炭水化物やタンパク質などの有機物を酸化するとエネルギーを得ることができる。最もよく知られている酸化反応は燃焼である。炭水化物は酸素によって二酸化炭素と水に分解され、そのプロセスで大きなエネルギー(熱)を放出して燃焼する。効率がよければ完全燃焼がおこる。グルコースも、酸素が十分にあると二酸化炭素と水に分解され、そのプロセスを通して生体内エネルギー分子であるATPを38分子つくりだす。われわれの酸素呼吸でもだいたい同じようなことがおこっている。
生物は燃焼と呼吸によって生きている。「生きる」ことは「燃える」ことなのだ。
 発酵は酸素をつかわないから完全燃焼はない。同じグルコースでも、発酵では解糖系という嫌気的反応系で2分子のピルビン酸が生じ、ATP2分子を得る。このとき放出される4個の水素がNADという補酵素と結合して、いわゆるNADHの形で生体内を流通する。
 こうした発酵を促進する微生物には、大きく2種類がある。好気性菌と嫌気性菌だ。酸素を好む好気性菌には食酢をつくる酢酸菌、味噌・醤油の醸造する麹菌、納豆をつくる納豆菌などが、酸化が苦手な嫌気性菌には乳酸発酵をする乳酸菌、アルコール発酵をおこす酵母などがある。

発酵の仕組み【セイゴオ・マーキング入り】
『発酵の科学』(講談社ブルーバックス)p32,34より

 微生物は発酵もおこすが、腐敗もおこす。発酵と腐敗という二つの現象は紙一重なのだ。実際にもフランスのリヴァロなどのチーズや近江の鮒鮨(ふなずし)などは、腐っているような匂いがする。ところが、食べてみるとおいしい。「発酵と腐敗を区別するのは、科学ではなく文化である」という言葉は、発酵科学の第一人者である小泉武夫の至言だった。
 腐敗は雑菌(腐敗菌)の繁殖による。だから食品が腐らないようにするには、雑菌が繁殖しないようにすればいい。繁殖には温度と水分と塩分とpH度が関係するので、対策としては冷蔵、乾燥、塩漬け(微生物は塩分濃度が18パーセントを越えると生きていけない)などが有効だ。
 pH(ペーハー)については4・3度まで下がれば、健康被害をもたらす微生物がほとんど生育できないので、それをめざす。このとき乳酸菌が活躍する。
 白菜などの野菜を放置しておくと、たいていドロドロに腐る。壷やタッパーウェアなどに入れて糠(ぬか)に漬けておくと、いつのまにか酸味が出て長持ちする。これは乳酸菌が繁殖して、大量の乳酸によってpHを下げたからである。pH中性程度を好む雑菌を乳酸菌の酸性力によって死滅させ、自分たちに都合のよい環境をつくっている。乳酸菌ワールドだ。
 乳酸菌は漬物やヨーグルトづくりで活躍しているだけではない。清酒、味噌、醤油、チーズ、赤ワインでも重要なはたらきをする。すべて乳酸発酵による。
 乳酸菌は、解糖系で生じたピルビン酸を水素によって還元するとできる。乳酸脱水酵素によって触媒される。漬物やヨーグルトの中でおこっているのが、このプロセスである。
 この反応はわれわれの筋肉でもおこる。運動をしていると疲れが出てきて「いやあ、筋肉に乳酸がたまったよ」と言うけれど、あれは呼吸による酸素供給がまにあわなくなってきて、筋肉で乳酸発酵をしているからだ。

「世界一臭い食べ物」シュールストレミング
主にスウェーデンで生産・消費される、塩漬けのニシンの缶詰。密封状態で発酵させるため、発生したガス(二酸化炭素など)圧によって丸く膨らみ、開封すると充満していたガスによって汁が噴出し、臭いが広範囲に拡散する。

藁納豆
米を刈りとった藁に付着する納豆菌によって、蒸した大豆を発酵させる。納豆菌は枯草菌の一種で、学名は「Bacillus subtilis var. natto(バチルス・サブチリス・ナットー)」。

キャッサバを原料とするタピオカ (tapioca)
キャッサバ芋の葉を発酵させて有毒な成分をとりのぞき、デンプンを丸く固めたもの。日本のように若い女性がこぞってタピオカを食べる文化は、他の国にはないという。

 本書は発酵食品に関する解説書である。著者の中島春紫(なかじま・はるし)は東大出身の農学博士で、応用微生物学を専門とする。いまは明治大学で微生物生態学の研究室をもっていて、麹菌のタンパク質を研究している。『微生物の科学』(日刊工業新聞社)などの著書がある。
 大学での農学は一般人にはわかりにくい。わかりにくいだけでなく、長らくヤボとかダサイと揶揄されてきた。これはとんでもない誤解だ。日本の本来と将来は農学にかかっている。
 学問としての農学は、大きくは農学科、農芸化学科、農業経済学科があって、農学科は作物をつくるための科学、農芸化学は作物を加工したり、土壌や肥料を研究したり、栄養を研究する。農業経済学科は農作物の流通や農村経済を研究する。
中島さんは農芸化学である。いまは明治と高知大学と農大と九大大学院がこの看板を掲げている。少数派だ。少数派ではあるが、食品系と微生物系があって、きわめて重要な役割を担っている。21世紀の生活科学はここに依拠していくだろうという領域の研究だ。中島さんはこの微生物系にいる。
 微生物は農学科や医学では敵として扱うのだが、農芸化学では微生物を味方とみなす。そして、微生物による農芸化学の花形が発酵なのである。
 花形なのに、発酵学を今日の大学ではあまり徹底研究していない。かつては山梨大学に発酵生産学科、阪大に発酵工学科、広島大学に醗酵工学科があったのだが、いまはない。これは問題である。まあ、そのぶん、生物学者たちが微生物の生態を研究するようになったので、いずれはそれが発酵学に結び付くのを期待したい。ポール・フォーコフスキーの『微生物が地球をつくった』(1622夜)、別府輝彦の『見えない巨人―微生物』(1623夜)などを読まれたい。
 それはそれ、2008年、石川雅之の『もやしもん』が手塚治虫文化賞マンガ大賞と講談社漫画賞を受賞したのは、慶ばしい。某農大を舞台に、「菌」を視認でき、対話もできる主人公の物語だ。「かもす」が決めゼリフになっているのも嬉しい。

中島春紫『微生物の科学』(日刊工業新聞社)、ポール・フォーコフスキー『微生物が地球をつくった』(青土社)、別府輝彦『見えない巨人―微生物』(ベレ出版)

石川雅之『もやしもん』
肉眼で菌を見ることができる主人公・沢木を中心に、菌・ウイルスに関わる農業大学の学生生活を描く。

 発酵学派のなかで、ひときわ目立って活躍しておられるのが小泉武夫さんである。福島県小野町の酒造り屋の生まれで、東京農大の醸造学科を出身して酵母の研究によって名を馳せた。文才もあった。1982年の『酒の話』(講談社現代新書)、1984年の『灰の文化誌』(リブロポート)、1989年の『発酵』(中公選書)はかなり新鮮で、ぼくはついに農学者の「粋」が発揮されたと喝采をおくった。「粋」という漢字はパーフェクトな精米のことなのである。
 小泉さんはその後も、『食と日本人の知恵』(岩波現代文庫)、『醤油・味噌・酢はすごい』(中公新書)、『漬け物大全』(講談社学術文庫)、『発酵食品礼讚』『超能力微生物』(文春新書)、『漁師の肉は腐らない』(新潮文庫)、『発酵は錬金術である』(新潮選書)、『発酵食品の魔法の力』(PHP新書)などを著して、疲れ知らずの獅子奮迅の啓蒙力を見せた。

小泉武夫氏はあまたの“発酵本”を世にだしてきた

 しかし、いささか小泉センセイが一人で“発酵もの”を踏破してしまった印象もあった。中島さんの登場は、そういう意味でやっとこさの新人大喜利なのである。
 もっともごく最近になって、知的にすこぶる元気で、ネット社会にふさわしい新たなセンスを発揮している諸兄諸君も出てきた。ぼくとの対談本『謎床』(晶文社)もあるドミニク・チェン(1577夜)が発酵文化をたいへん重視した発言や活動をしているし、なんと“発酵デザイナー”を標榜する愉快な小倉ヒラク君なども登場してきた。小倉君は『発酵文化人類学』(木楽舎)を上梓して、勇躍、「ホモ・ファーメンタム」(発酵するヒト)宣言をした。二人とも「粋」である。
 発酵文化、21世紀日本の大いなる主題のひとつだろう。ぼくはかつて、「アメリカがシリコン・バレーなら、日本はエンザイム・バレーをこそつくるべきだ」と言ったことがある。エンザイム(enzyme)とは酵素のことだ。

小倉ヒラク『発酵文化人類学』とドミニク・チェンと松岡の対談本『謎床』
『謎床』というタイトルは、ドミニク・チェン氏が、会社の共同創業者から50年物の糠床の一部を譲り受けたというエピソードが由来。ドミニク氏は同じく“発酵本”を刊行した小倉ヒラク氏と対談やイベントで共演している。

⊕ 日本の伝統 発酵の科学 ⊕
∈ 著者:中島春紫
∈ 発行者:鈴木 哲
∈ 発行所:講談社
∈ 装幀者:
∈ 印刷所:(本文印刷)慶昌堂印刷
      (カバー表紙印刷)信毎書籍印刷
∈ 製本所:国宝社
∈∈ 発行:2018年1月20日

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ はじめに
∈ 第1章 発酵食品と文化
∈ 第2章 発酵の基礎知識
∈ 第3章 発酵をになう微生物たち
∈ 第4章 納豆・味噌・醤油──大豆発酵食品と調味料
∈ 第5章 乳酸菌発酵食品
∈ 第6章 ひと味加える調味料と小麦生地の発酵
∈∈ おわりに

⊕ 著者略歴 ⊕
中島春紫(なかじま はるし)
1960年東京都羽村市生まれ。1989年、東京大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士。東京工業大学助手、東京大学大学院農学生命科学研究科助教授、明治大学農学部助教授を経て、2007年同教授。パン酵母、有機溶媒耐性細菌などを手がけ、麹菌のタンパク質を研究対象としている。遺伝子組換え実験教育の普及と食品安全行政および国際生物学オリンピックなどにも取り組む。主な著書に『微生物の科学』(日刊工業新聞社)など。発酵食品と酒類をこよなく愛している。