淀川長治
淀川長治自伝
中公文庫 1985
ISBN:4122015375

 ぼくが高校生のころのいつだったか、テレビの人気番組「ローハイド」だか「ララミー牧場」だかの特別番組に、髪をポマードで撫でつけた淀川長治が外国の俳優たちとともに出ているのを初めて見て、なんとも嫌な気分になった。
 ポオからウォーホルまで、エマーソンからジャック・スミスまで、ぼくもアメリカ人の文化や技術にはいくらも感心するものがあったのだが、アメリカにならなんでも手をたたくというのは大嫌いなのである。
 とくに当時は「アメリカの現在」が嫌いだった。この黒縁めがねの男はその「アメリカ」を手放しでふりまく手合いだったのである。
 当時のNET、いまのテレビ朝日の「日曜映画劇場」の解説ぶりをときどき見ていても、およそなじめなかった。これが映画の解説かという気分だった。
 きっとろくな映画をやっていなかったか、ぼくが映画を見る目がなかったためだろう。エイゼンシュタイン、ルネ・クレマン、ルイ・マル、フェリーニ、ルイス・ブニュエル、ヴィスコンティ、ベルイマン、アントニオーニなどに傾倒していた当時のぼくとしては、とうてい淀川長治ではお寒かったのだ。

 ところが、しだいに“淀長節”に感心するようになっていた。
 たとえば場面のつかまえ方、役者のちょっとした仕草の見抜き方である。その口調にときどき引きこまれるようになってきた。
 これは芸談なんだとわかった。
 それがいつのことかわからないし、なぜそのような気になったかもわからない。
 そして、本書である。「キネマ旬報」に連載されていたときはまったく読まなかったが、あとで単行本になったとき、なんだか気になって読んだ。
 淀長の眼がホンモノであることが刻印できた。
 この人は「見る」ということを執念にして生きてきた人だったということがよくわかったのである。もうひとつは人間の業、もっと正確にいえば女の本来の感情を見抜いていた。
 しかも、そのような「見る思想」の大半というものを幼児にしてすでに萌芽させていた。そこが読ませた。

 淀長(敬称略)は明治42年に生まれている。中島敦太宰治と同い歳である。映画関係なら山中貞雄、映画が好きだった連中でいえば、花田清輝埴谷雄高と同年になる。活動写真が登場してから13年たっている。
 家は神戸西柳原の芸者の置屋。昼すぎには必ず三味線が鳴りだす家だった。遊び好きの父親は二号も三号もかこっていた。周辺のすべてが色っぽかった。
 おまけに、このおませな幼児は、異常に感受性が発達していた。おしゃぶりが歯にあたる感触のよしあしさえ憶えている。それだけではなく、店の衆がおぶってくれれば、その背中の感触のよしあしまでを感じた。膝の上にのせられれば、男の「前のもの」の感触すら過度なほどに感じていた。
 両親は子供に何でも見せたがった人だったらしい。子供のほうも芸者といつも遊んでいた。そして彼女らの言葉のはしばしで、はやくも「わいせつ」という感覚がどこにあるかを察知した。自伝の記述から察するに、あきらかにマザコンである。

 淀長は4歳のときに見た連続活劇『名金』をうっすら憶えている。
 しっかり記憶が鮮明なのは大正6年の8歳からだったという。本書には、それ以来の「記憶の中のフィルム」のことが驚くべき再生力で、ことこまかに記されている。最初はパティの連続活劇である(淀長はパテェと書かないでパティとアメリカふうに書いている)。それからは明けても暮れても活動写真を見つづけている。両親はこの少年にいくらでも小遣いをわたしたらしい。
 活動写真ばかりでなく、少年はサーカス、覗きからくり、菊人形、何であれ「見る」ことならすべてうけいれた。また熱中した。あまりに大人の世界を凝視しすぎた少年は、13歳ではすでに「死」を考えている。
 ちょうどそのころに、家が左前になっていく。母親が質屋通いをはじめ、姉が慣れない喫茶店をしはじめる。そんな没落環境を背に、少年は東京へ出て、溜池にあった映画世界社へフィルム冒険にひそむ可能性を確かめに行く。雑誌編集の見習いになったのだ。かたわら、童話雑誌に童謡を投稿してもいた。「赤い鳥」「金の船」の時代である

 実は、本書の映画に関するくだくだしい記述は、つまらない。あれほど傾倒しているチャップリンについての文章も、ひとつも光るものがない。
 けれども、人間に関するちょっとした観察は、まことにおもしろい。そこがこの本の真骨頂になっている。なぜ、おもしろいのかというと、おそらくはその観察の眼に映画が生きている。それこそが淀長の「生きた映画」なのである。
 淀長が世間からはゲイであるとおもわれていることについても、本人が巧みな言いまわしで書いている。むろんほんとうのところはわからないが、本人の弁から憶測するに、彼は嫉妬深い女なのである。

 もうひとつ付け足しを書いておく。読みすすんでいって、最後にギャフンとしたことだ。
 淀長はこの長い自伝の最後の最後になって、多くの人から「淀長さんが見てきた映画のなかでベストテンを選ぶとするとどういうものか」と聞かれるが、とうてい10本など選べないといいながら、ついつい好きな映画を洩らしている。
 順番はない。
 それらは、チャップリンの『黄金狂時代』『巴里の女性』、シュトロハイムの『グリード』、キング・ヴィドアの『シナラ』、エイゼンシュタインの『ストライキ』、フォードの『駅馬車』、スタンバーグの『大いなる幻影』、ジョージ・シートンの『喝采』、マイケル・パウエルの『赤い靴』、デイヴィッド・リーンの『旅情』、ヴィスコンティの『ベニスに死す』『家族の肖像』、フェリーニの『82/1』『アマルコルド』などなのだ。
 つまりは、これらはぼくの好みと、「日曜洋画劇場」の淀長の解説なんか聞いていられないとおもっていた当時のぼくの好みと、実はほとんどぴったりあっていたのである! なんということだろう。
 人を侮ってはいけない。

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