樋口覚
三絃の誘惑
人文書院 1996
ISBN:4409160761

 開扉直後の1頁目を読み始めたとたん、うっうっ、これはいけると唾をのみこむような風味の評論が稀にある。また、読みすすみながら、静かな知的興奮に嬉しくなって落ち着かなくなる本というものもある。それとはまた別に、読みおわって、この本のことをしばらくは人に伏せておきたくなる本がある。
 この3つの条件がそろった評論などまことに少ないのだが、本書はそういう本だった。話は三味線に纏(まつ)わって近代日本の精神史の淵の内側に自在に入りこみ、その音色を文章に生き方に時代に、その価値観を啄(ついば)んで問うてみたものだ。

 序がついている。
 祖母の一周忌に魚藍坂近くに墓参した折り、近くの荻生徂徠の墓に寄ろうとして道を上がっていくと、そこに三味線寺があった。たくさんの墓を見ながら、自分がどうして三味線の音に惹かれてきたのかを考えたくなったという発端である。
 三浦周行の『堺と大阪』を読むうちに、三味線が堺に入ってきた経緯など思い浮かべていると、たとえば折口信夫の三味線芸能史や堺に育った詩人の安西冬衛のことを思い出す。けれども、三味線に陶酔した詩人なら木下杢太郎なのである。
 「日本の憂鬱な十月の夜の彼岸(あなた)に 寂しい三味線がちんちんと鳴り出すまで、なほも善主麿、おおらつしよの祈りをつづけながら‥」というふうに続く、あの『南蛮寺門前』の詩人だ。杢太郎は常磐津をTOCHIUAZと綴ったものだった。そしてこの序は、杢太郎の『食後の唄』の序の引用で切れる。
 ‥誰でもあのいかにも下町の老人らしい歌澤龍美太夫の口から出るいなせな「一こゑ」の中の「女ごころはさうぢやない」の「ぢや」の発音の蔵する神秘不可思議にして百年の痴情をにじましたる蘊蓄を‥。
 このくだりを引いて、本文に引導をわたすのである。これはぼくならずとも、ちょっと他人に伏せておきたくなる冒頭の脈絡であろう。なんといったって「ぢや」の案配だ。けれども、この「ぢや」は序だけではなく、このあとほとんどその綴れ織りぐあいを変えずに連綿草が続いていく。まったくこういう文芸評論ができる者がいたとは、有り難い。

 三島由紀夫ならずとも「近松のいない昭和元禄」や、平岡正明ならずとも「新内を忘れた平成日本語ブーム」など、真っ平御免である。
 そんなものが罷り通るなら、ぼくだって三宅坂の文楽に通って放心し、一息ついたあとは楽屋に坐りこみ、さらにぼうっとしたのちは浅草の古着屋界隈にしけこむ日々を送りたい。ケータイ置いてきて。
 ところが明治の連中は、自身の存在と仕事の総体にぎりぎりの荷重をかけておいて、その荷重に劣らぬ音曲感覚をもって義太夫や常磐津に聴き惚れていた。それがけっこう壮絶なのだ。
 そのことについては、ぼくもすでに第405夜の中江兆民『一年有半』第206夜の二葉亭四迷『浮雲』のところでちょっとは触れておいたのだが、こういう音曲感覚をその連中の意識の襞々の間合いそのままに書き移すことなんて、そんな芸当はできてはいない。樋口覚という人はそれができる人なのである。
 それは、兆民を綴るにあたっては子規を、その子規の痛快を語るには漱石を引き合いに出し、そこに岡井隆が子規の兆民批判についての口吻を交えて、さらには幸徳秋水の兆民観察を加えて、そのうえで兆民の義太夫感覚におもむろに入っていくというような芸当なのである。

 それだけではない。
 いざ兆民に入っては、かつて桑原武夫が中江兆民を解説して音曲になんら言及できなかったような、また『三酔人経綸問答』に出てくる豪傑君をうっかり北一輝のことだと指摘して、そこに宮崎滔天を忘れるような愚の骨頂を犯していることに、ちゃんと文句をつけながら、兆民が都々逸を「卑猥」と言ったのは、あえて義太夫や清元に比してのことであって、洋楽にくらべて卑猥だなどと言ったわけではないといったことを、凛と主張もしなければならない芸当であったのだ。
 この主張は「あとがき」で、小林秀雄が道頓堀でモーツァルトのト短調シンフォニーが鳴り出したのに「感動で慄えた」と書いたのは、それはそれでもいいとして、ではなぜ小林には当時の道頓堀にまだ溢れきっていた義太夫が聞こえなかったのか、そこをさりげなく問うている姿勢にも通じて、この著者の並々ならぬ批評精神を感じさせるのである。

 近代文学の生き方をめぐる批評を、これほど音曲に特化させつつ自在に綴ったものはなかった。しかし、ぼくが本書を伏せたい一冊と思うほど吟味できたのは、著者の文章の進め方にも参ったからである。
 読んでいて、林達夫の歌舞伎批判は歌舞伎の本質を衝いてたいしたものだと思っているうちに、遠くから三絃の一の糸など交えた文章になってきて、ああ、これは地唄の『雪』の調べになってきたなという風情が漂い、これは気持ちよいと思っていると、そのうち文章は行間に一面の雪を散らせての荷風谷崎論なのだ。それでうっかり荷風・谷崎論の広がりなど予想していると、話はいつのまにかふたたび杢太郎になっていて、例の「満州通信」のことになっている。
 ぼくは杉山二郎本人から『木下杢太郎』を贈られ、しかも杢太郎をめぐっては何度か会話をしてきたので、そうか、そうだろうな、樋口覚もまた杉山の杢太郎を追っているうちにきっと歌沢に誘惑されたのだろうと読み進んでいると、おや、いつのまにか杢太郎が奉天の一室で日本の雪を思い出す話になっている。

 こんなぐあいに、本書ではいったん響いた地唄や歌沢はなかなか鳴りやまない。こういう書き方があったものかと、ともかくも感服させられる。
 谷崎の『蓼食ふ虫』を、一方では小出楢重の「温気」(うんき)を軸に関西文化の洗練につなげ、他方では土門拳が撮った文楽がひどく孤独な炯眼で射ぬかれていることに引きこんで、そのうち両者ひっくるめて「温気」にも浄瑠璃の音色にもしてしまっている後半のはこびなど、もはや絶品といってよい。
 だからこんな絶品のそこかしこを、これ以上に引き写して書いたところで、本書のどこにも何も届かないだろうから、案内はこのへんでやめておく。
 ぼくはぼくなりに「三絃の誘惑」ならぬ「三絃への誘惑」を、三味線音楽に疎い幼きイエズスのために仕組んでいきたいと思っている。九鬼周造林芙美子に小唄のレコードを聴かせて、二人でおいおい泣いたように。ねえ、そのほうがいいぢやない?

参考¶ここで、いまさら著者の“業績”を紹介するのは野暮であろうけれど、実は本書以外にも著者の面目はいつもぼくを裏切ってはこなかったので、そのほかの話題の主要書を紹介しておく。『富永太郎』(砂子屋書房)、『アルベルト・ジャコメッテイ』(五柳書院)、『「の」の音幻論』(五柳書院)、『誤解の王国』(人文書院)などである。いつか詳しく案内したい。

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