数学と自然科学の哲学

ヘルマン・ワイル

岩波書店 1969

Hermann Weyl
Philosophy of Mathematics and Natural Science 1927・ 1950
[訳]菅原正夫・下村寅太郎・森繁雄

 ぼくが数学的思考に持続的関心をもてるようになったのは、ヘルマン・ワイルのおかげだ。世田谷三宿のアパート三徳荘に、近所の材木屋でもらった板切れで本棚をつくったとき、手持ちの三百冊ほどの本を五段に配して、その三段目の真ん中にもってきたのが『数学と自然科学の哲学』だった。それから数ヵ月たって、右に『空間・時間・物質』(講談社)を、左に『シンメトリー』(紀伊國屋書店)を並べた。
 オブジェマガジン「遊」の準備にかかっていた二七歳のとき、ぼくの課題は物理学と民俗学を両手で同じような質感をもってハンドリングすることだった。民俗学はたとえば柳田國男や折口信夫に没頭すればよかったのだが、物理学のほうは何から何まで自分で標的を決め、それをひとつずつ読み干していくしかなかった。ポアンカレ、アインシュタイン、マッハ、ドゥ・ブロイ、ハイゼンベルク、ディラック、シュレーディンガー、ボームなどを片っ端から読んでいくなか、ぼくはゲッチンゲン大学というとんでもない数学的資質の牙城にぶつかった。
 最初はフェリックス・クラインである。これについては「遊」創刊号にクラインの多様体論を素材に「エルランゲン・プログラム事件」を書いた。つづいてリーマンにぶつかって、ここで初めてロバチェフスキーやガウスに戻る非ユークリッド思想の洗礼を浴びた。次にはヒルベルトにぶつかった。これはいわゆるヒルベルト問題と第一三三夜にも紹介した直観幾何学とゲーデルの不完全性定理との出会いとなった。
 そして、最後に打ち止めのごとくにヘルマン・ワイルにぶつかって武者ぶるいした。ワイルは画期的な編集的数学者だった。どこが画期的な編集力なのか、うまく説明できないのだが、おそらくはワイルの推論のプロセスに、剛毅で軍事的な統率的思考が中核で唸っていながら、そこを最後に抜け出すときのエレガントな手法が群を抜いているのだと思う。
 
 ワイルはヒルベルトの数学的な弟子にあたる。哲学的にはフッサールの弟子だ。数学の父をヒルベルトに、哲学の母をフッサールにもったワイルの資質は、その思索力と表現力において他の追随を許さないほど抜群なもので、つねに自分の研究領域を拡張し、物理学や生物学にさえ踏みこんだ。
 ぼくが知るかぎり、かつてこういう数学者はいなかった。ガウスもラプラスもポアンカレも天才的数学者であったけれど、数学問題の領域の多くには挑んだものの、科学の全領域の難問にとりくみたいとは考えてはいない。もしホワイトヘッドを数学者に入れるなら、ホワイトヘッドこそがそういう深度と仰角をもっていたけれど、ふつうは数学者列伝からははずされている。
 ワイルは数学基礎論を骨格に、連続体論・群論・数論などの領域で次々に革新的な研究を発表し、そのうえで量子力学に、シンメトリー論に、相対性理論に対して次々に数学的検証を加え、いちいち次世代における展開を予測した。
 なかでも一九一八年にゲージ概念を導入して、今日のゲージ理論(gauge theory)の基礎を提唱し、電磁場と重力場を時空モデルとして語りうるようにした先駆性は比類のないものだった。
 一方、ワイルにはすばらしい哲学的なセンシビリティが満ちていて、フッサールの論理学や現象学をいちはやく捕捉しただけではなく、ついでフィヒテを、さらにはマイスター・エックハルトを掘り下げて、これらの系譜には何か決定的なものが不足していることに気がつくと、最終的にはライプニッツの自然哲学に向かっていくようなところもあった。

 ワイルの思索の特徴は「構成」を重視したことにある。重視どころではなかった。「構成的方法」こそがワイルの数学だった。ワイルはまた、科学の対象は素朴な「実在」なんぞではなく、すべて「志向的対象」(intentional object)であると喝破していた。
 この見方はフッサールの『イデーン』(みすず書房)にすでに提唱されている見方の拡張ではあるが、ワイルが「構成」と「志向」とを串刺しすることによって、数学が向かうべき編集的方法論に注目していたことをあらわしている。
 なぜなら、かつての数学はすでに「志向」が終了してからのちの記号による「操作」から始まると考えられていたのに、ワイルはそうではなくて、数学の発端がすでに志向対象のうちに萌芽しているとみなし、そのような「直前のプロセス」を「直後の数学」のフォーミュレーションが明示化しうることをあきらかにしていたからだった。すなわち、考え始めること、その「直前のプロセス」が「直後の数学」に潜在しているのである。ぼくはこれでやっと数学的思考というものがどこから胚胎しているか、ワイルによっておおよその合点に至ったものだった。
 
 ワイルの著作は本書を最初に読んだ。冒頭の一行目から「哲学について著述する科学者は、全的に無事に脱れ出ることはめったにないような良心の争闘に直面する」とある。これで武者ぶるいしない科学者や数学者はおバカさんだろう。
 構成は第一部「数学」、第二部「自然科学」、「付録」に分かれている。第一部は数学的論理学から公理論へ、数と連続体の問題から直観数学に移っていく。
 調子が高まるのは第三章「幾何学」第一三節で自己同型とは何かを問うたあとに相似性に向かうところで、「すべての知識は直観的記述から出発するが、記号的構成の方へ向かうものである」とあって、しかしながら「次々に呼び出すことができる有限個の点からなる領域を扱っているうちはまだしも、点場が無限なとき、とくにそれが連続体であるときに事態が重大になる」と予告される。ワイルは座標系の選び方を問うたのだ。のちのゲージ理論につながる。
 こうして第一四節「合同と相似、左と右」では、得意の「合同から相似へ」の証明にかかっていく。ここは、最後の著書となった『シンメトリー』に新たな装いをもって披瀝されているところでもあって、すこぶる説得力がある。ぼくはワイルの相似性議論からカイヨワの反対称議論にすすみ、そこで自分なりの「相似律」の展観を試みたものだった。
 第二部は尊い。第一章「空間と時間、超越的外界」なんて涙が出てきた。しかもその直後が第二章「方法論」なのだ。いま思い出したのだが、ぼくが「主題から方法へ」ということを感じ始めたのは、どうもこの第二部第二章を読んだときあたりからだったのかもしれない。しかしそのころ一番の衝撃をうけたのは、むしろ付録Eの「物理学と生物学」の一行目を読んだときだった。そこには、こう宣言されていた。「自然の最も奥深い謎の一つは死んでいるものと生きているものの対立である」!
 なんという指摘であろうか。「死んでいるもの」には物質系がある。「生きているもの」は生命系である。これらはどこかでつながっているにもかかわらず、いつしか対立してしまった。その理由を尋ねていくと、うんと深いところにさしかかる。ぼくはこの指摘をその後、何度もつかわせてもらった。そして、ときどき言い換えたりもした。たとえば「物質が精神を帯びたのか、精神が物質を帯びているのか」と。
 
 さきほど三十年ぶりにこの論文を読んでみて、やはりこれはよほどに図抜けて示唆に富む先駆的論文であったことを再認識させられた。言葉が稠密で加速力に満ちていることはワイルのもともとの資質だとしても、次の「物理学的世界の主要な特徴:形態と進化」を読むともっとラディカルに鮮明なように、ここにはワイルの統知覚的な自然像と生命像の重なりがぎりぎりに省かれて突出する。
 この「省いて突出させる」というところが、ワイルでなければできない科学感性なのである。ワイルはフィヒテの信奉者でもあった。フィヒテについてのエッセイで、自分が追究してきたのは真実らしきものと美らしきものであるが、もしどうしても一つ選ぶとなると美を選ぶと書いていた。「省いて突出させる」とはこのあたりの決断だ。シュレーディンガーの『生命とは何か』(岩波新書)とともに、数学物理的感性がもたらした比類のない二つの生命像であったというべきである。