父の先見
マルタの鷹
創元推理文庫 1961
Dashiell Hammett
The Maltese Falcon 1930
[訳]村上啓夫
ハンフリー・ボガートがサム・スペードで、サム・スペードはハンフリー・ボガートだった。ジョン・ヒューストンが一九四一年につくった白黒映画《マルタの鷹》でサム・スペードに扮したボガートはそれほど板についていた。仮にボガートがグレゴリー・ペックやブラッド・ピットのようなヘボ役者だったとしても、サム・スペードはボガートしかいなかった。この映画は一九五一年に日本で封切りされ、その後も何度も上映されてきたが、これを見る前には、こういうハードボイルドの感覚は日本にはなかった。
サム・スペードに縋ったのはアメリカも同じだ。正確にはサム・スペードとチビで太ったコンチネンタル・オプの“一対”に縋った。ダシール・ハメットが死んだ一九六一年ごろをきっかけに、アメリカの映画とテレビは、一人はスマートな男、もう一人はとろい中年男というコンビをたてつづけに量産する。このコンビ・パターンはその後は《リーサル・ウェポン》や《メン・イン・ブラック》などのハリウッド・アクションにも変じていった。いずれもサムとオプの後釜なのである。
とろい男はともかくとして、スマートな男には典型的なアメリカが、いやというほどに盛られた。それは、価値観が乱れた社会や組織や町で、自分の誇りだけに賭けた掟にしたがって決然と生きる男というものだ。
アメリカ人はこのパターンがひどく好きである。アメリカ人のエンタメに立派な価値観があると思ってはいけない。一方に麻の如く乱れた状況があり、他方にそれをものともせずに生きる男や女がいれば、それで釣り合いがとれる。
主人公たちは難関の事態を突破したところで、周囲にどのように秩序がおとずれるかなんかはどうでもよくて、そのまま好きな町角に、好きな奴を選んで消えていくと相場が決まっている。タフガイはアメリカン・ヒーローになるけれど、そいつは孤独で、かつアメリカ社会の改善には何のかかわりももってはいないのだ。
このプロトタイプをつくったのがサム・スペードで、それを描いたのがダシール・ハメットだった。ただし、その後にさんざん量産されたハリウッド映画よりもずっとずっと渋いキャラクターとして、だ。それは次の場面を読めばすぐわかる。「ハードボイルドのプロトタイプ」がタバコを吸っている。
闇の中で電話のベルが鳴りわたった。三度鳴り響いたとき、ベッドのスプリングがきしって、指が木のテーブルの表面をまさぐり、何か小さな堅いものが絨毯を敷いた床の上に落ちる音がした。そしてそれと同時に、もう一度スプリングがきしる音がして、男の声がした。「もしもし…そう、ぼくだが…なに死んでいる? …そうか…すぐ行く、十五分で。どうもありがとう」。
スイッチがカチッと鳴って、天井の真ん中から三本の金メッキの鎖でつるされている白い鉢形の電灯の光が、パッと部屋じゅうにあふれた。緑と白の格子縞のパジャマを着た、素足のスペードが、ベッドの縁に腰をおろしていた。顔をしかめて卓上の電話機をにらみながら、そのそばから茶色の煙草紙の束とブル・ダラムの袋を取り上げた。あけ放った二つの窓から吹きこんでくる、冷たい湿った空気が、一分間六回の割で、アルカトラズの霧笛のにぶいうなり声をはこんでくる。
ハメットがちょっぴりマルクス主義系だったことは、サム・スペードを渋くさせた要因のひとつだったかもしれないし、そのことは探偵役にコンチネンタル・オプを仕立てた『赤い収穫』(ハヤカワ・ミステリ文庫)にもよくあらわれている。この作品は黒澤明が《用心棒》の下敷きにした元歌だ。
ハードボイルドは探偵を主人公に仕立ててできあがったのだから、むろん推理小説からはいろいろ借りている。けれども、借りたぶんお返しをしたわけではない。そんなことは『マルタの鷹』や次の『ガラスの鍵』(光文社古典新訳文庫)が、それまでの推理小説や探偵小説の定型をズタズタにしてしまっていることでも、すぐわかる。渋い主人公は事件の細部を組み立てて論理的な推理をすることなど、てんで苦手なのである。
かつて江戸川乱歩は『マルタの鷹』は探偵小説になっていない、読んでいて退屈でしょうがなかったと酷評したことがあるのだが、乱歩が気にいるような探偵をハメットはつくりたかったわけではなかったのだ。それに本物の探偵のことなら、乱歩のように部屋に籠っていなかったハメットのほうが、ずっと体の隅まで知りつくしていた。いっときピンカートン社の探偵だったのだし、そこにろくな探偵がいなかったこともよく知っていた。
ピンカートン探偵社は一八五〇年代にできた警護と探索を専門とするノースウェスタン・ポリスエージェンシーが前身で、アラン・ピンカートンが設立した。リンカーン暗殺を未然に防いで名をあげたのだが、しだいに政府や州政府の御用機関のようになって、悪い噂がふえた探偵社だ。エルトン・ジョンに《名高い盗賊の伝説》があって、ピンカートンの奴らが悪さをしたことが揶揄されていた。
サムが女に弱くて、その女に自分が弱いと見られるのはもっと大嫌いなキャラクターだったということも、特筆しておきたい。たんなるマルクス主義者や推理作家なら、こんなめちゃくちゃなヒーローはつくらない。
ハメットがどんな社会生活をおくったかということや、のちにマッカーシズムの嵐に巻きこまれて赤狩りにあったことは、ぼくも最近になってリリアン・ヘルマン(ハメットの恋人でもあった劇作家)の自伝をとろとろ読んで、なるほどそういうことがあったのかと合点してもいるのだが、そのヘルマンとどういう愛の生活をおくったかということも、それこそ何度くらい性病に罹ったかということも、サム・スペードの魅力にはほとんど関係がない。
どっちにしても、『マルタの鷹』はそういうことにはおかまいなく、、そんなことがおこる以前に彫琢されたものだったのだ。
だから、このさい筋書きもどうでもよろしい。『マルタの鷹』という標題が、かつてマルタ島の騎士団がスペイン王カルロス一世に献上した純金像のことで、その純金像をめぐって次々に殺人がおこるというだけで充分だろう。あとは、最後の場面を紹介しておけば存分だ。こんなふうである。
サム・スペードが月曜日の朝の九時ちょっとすぎに探偵事務所に出てきて、帽子を放り投げる。秘書のエフィ・ピラインが読んでいた新聞をおいて、あわてて椅子から立ち上がり、「この新聞に出ていること、ほんとうなの?」と聞く。
スペードは「ほんとうだよ、君の女性的直観もあんなものさ」と言い、腕を彼女の腰にまわす。そして言う、「あの女がマイルズを殺したんだよ、あっさりとね、天使さん」。スペードは指をパチンと鳴らした。
ダシール・ハメットは探偵社だけでなく、陸軍の衛生隊にいたり、広告屋で仕事をしたりもした。ハードボイルドな探偵小説に手を染めはじめたのは一九二二年からパルプマガジン「ブラック・マスク」に短篇を書くようになってからで、それからは専業作家で身をたてることになる。スペイン風邪にかかって、そのときの看護婦さんを妻とし、二人でサンフランシスコに転地療養をしてからのことだ。だから、サム・スペードもサンフランシスコを舞台に、その霧と雨の中で活躍するようになった。
文体は「報告書のように簡潔に書く」を貫いた。一九二九年の『赤い収穫』と『マルタの鷹』が大ヒットするのだが、このときすでに先駆的なハードボイルド・スタイルとして称賛される「手持ちナイフのような文体」が確立されていた。
こうしてわれわれは、ハメットがつくりだしたサム・スペード、ロス・マクドナルドが手がけたリュウ・アーチャー、そしてレイモンド・チャンドラーが仕上げたフィリップ・マーロウという三人のとびきりニヒルでとびきりアメリカンな“事件解決屋”のキャラクターたちと、何十回も遊べるようになったのである。