エドガー・アラン・ポオ
ポオ全集|全6巻
春秋社 1969
[訳]谷崎精二

 7人か11人くらいいたポオのうちの1人は、“vocation”の詩人ポオである。この天稟のポオAは、ボードレールに始まってヴァレリーの絶顛に向かった象徴詩の父となり、イエーツリルケ、エリオットを孫にもった。
 昭和10年に百田宗治が主宰する「椎の木社」からポオの詩集が何冊か出て、これをぼくはいっとき持っていたのに散逸した。阿部保や日夏耿之介の訳だったのではないかと憶う。その後、谷崎精二の春秋社版『ポオ全集』がながらく愛読書になったのち(最初は小説集3巻のみだった)、福永武彦と入沢康夫が困難な訳詩をはたしてからは、これも併せて読んだ。この天稟の詩人ポーの表現界に向けての出発は文政9年(1826)の17歳に始まっている。
 ここでは谷崎訳のポオを下敷きに、翻訳としては多くの訳業の選りすぐりを集めたために谷崎のものより出来のいい東京創元社版『ポオ小説全集』および『ポオ詩と詩論』を随時、参照する。

 1人のポオは“Folio Club”のポオBだった。天保4年(1833)、24歳のポオは“フォリオ・クラブ”を結成して、11人の会員による短い物語をつくりあう構想をたてたのだが、これに失敗して、みずから「フォリオ・クラブ物語」をボルチモア土曜通信に寄稿した。5篇あった。ここに『壜のなかの手記』が入っていた。
 こうしてフォリオ・クラブ作家としてのポオの才能が開花するのだが、その端緒が複数の語り手を内包していたことに注目する必要がある。そこから、のちのボードレールを震撼とさせる『グロテスクでアラベスクな物語』が育つ。こちらのポオは、ぼくのばあいはいま言った谷崎精二のおかげですべてを何度も読むことになって、その血統がその後にどうなったかを正確に知った。
 このポオBはあきらかに、スティーブンソンとブラックウッドとドイルの父であり、リラダンと岩野抱鳴と芥川龍之介の伯父であり、江戸川乱歩とマンディアルグとフェリーニの祖父であって、ブラッドベリカルヴィーノ萩尾望都の曾祖父なのである。

 ポオの秘密の大半は天保年間にある。3、4人のポオがいた。1人は天保六年の『ベレニス』と『モレラ』に蹲踞して、その後のポオCになった。
 『ベレニス』は、いまもって幼児の記憶が居館の図書室にしかない男が、ついに美貌のベレニスに結婚を申し入れたその夜陰、図書室でクリオの『神の国の大いなる喜び』とアウグスティヌスの『神の国』とタタリアンの『キリストの肉について』を積んで読んでいたとき、ベレニスの幻影を見る。その幻影は近づいてくるかのようにして、そして去る。異様なことにその去った幻影には歯だけが光っていた。ふと気がつくと傍らの卓上に小箱があって、なんだか不気味な冷気を発している。そこへ召使が「ただいまベレニス様が亡くなった」と言ってきた。おそるおそる小箱を開くと、そこから32本の象牙色の歯がバラバラと零れ落ちた。そういう話だ。
 『モレラ』は、類い稀な神秘的な知性と冷徹な心の持ち主である妻のモレラが、病気で臥せったまま「私」にこう言ったのである。「これから私は死にますが、あなたは私に一度も愛を注ぎませんでした。私は死ぬ直前に二人のあいだの子を生みますが、あなたはもはや悲しみをしか享受できないでしょう」。
 妻は死に、モレラとそっくりの娘が育ち、私はどんどん不幸になっていった。その娘が早死にすることになったからといって、「私」がすこしでもホッとしたとは言いたくない。なぜなら、娘の死骸を納骨堂に運んでいったとき、第一のモレラの遺骸がなくなっていて、その瞬間に「私」はすべてを凍りつくように悟らされることになったのだから――。

 このポオCは多作である。まずは『リジーア』『エレオノラ』などにも幾度も跳梁して、愛人の死を主題にネクノフォビアとネクロフィリアの両方をおぼえるとともに、さらに不条理と邪悪と夢魔をたっぷり愉しみ、忌まわしい記憶を時空から呼び戻し、余計な人格を本体と入れ替えて、その精神がしとど錯乱するのを恐れなかった。
 しかもこの錯乱の徹底提示こそは、その後の文学史を書き換えるものだった。たとえば『ウィリアム・ウィルソン』は本能的ウィルソンと反省的ウィリアムを同時二重性として扱い、他方が自方に入りこんでこれを自方が他方を殺害すると、自方が解体するという究極の心理モデルを描くことにより、のちの『ジーキル博士とハイド氏』(第155夜参照)その他の先駆となった。
 そんなことは誰もが先刻承知のことだろうから、ぼくはこの錯乱の提示が『タール博士とフェザー教授』のような精神治療パロディにもなっていて、そしてここに、わが夢野久作の『ドグラ・マグラ』(第400夜)から埴谷雄高の『死霊』(第932夜)に及んだ、あの暗闇の構想に、きっとポオCが一服を盛っていただろうということを指摘しておきたい。

 翌々天保8年の29歳のとき、ポオDが『アーサー・ゴードン・ピムの物語』を書き、ここにもうひとつの表現人格が動き出した。
 この物語はほとんど知られていないけれども、ぼくが青年時代からひそかに偏愛している物語で、船長ピムが見知らぬ島に漂着して、そこでさまさまな奇異な現象を目撃するというふうになっている。とりわけ水にナイフを刺すとそこがすうっと切れて、そのまままたすうっと元の水に戻るという川の描写など、抜群のものがある。いまならCGを駆使したすばらしいSF映画になるだろう。
 ポオDはピムの物語についでは、淡々たる『ジュリアス・ロドマンの日記』を書き、ここに、のちに『アルンハイムの地所』や『鋸山奇談』や『妖精の島』や『ランダアの家』で見せる、すぐれてトポグラフィックできわどくシーノグラフィックなポオを出現させた。ぼくは『遊』創刊前後にこのポオにそうとう惚れこんでいて、一人でこれらの“視線図面”とでもいうものをコツコツ作成していた(下にそのころの図を掲げておいた)。

「ランダアも家のある窪地全景」

「ランダアも家のある窪地全景」 『遊 8』より

 ついでながら、このころ工作舎にもちこまれた猫は、あの悍(おぞ)ましい黒猫ではなく白い斑(ぶち)の奇妙な仔猫であったので、ただちにアーサー・ゴード・ピムと名付けた。スタッフはそれは長すぎると言って、ピム、ピムと可愛がった。

 天保11年(1840)、フィラデルフィアで極貧に喘いでいたポオは『貝類学入門』という教科書の執筆に熱中している。
 これはポオEのことで、最終的には宇宙論『ユリイカ』を綴って、その天体的普遍偏執性と天体的事物嗜好症をあらわしているポオである。のちに稲垣足穂がここに出所した。
 ポオEが科学のフロンティアに異常な関心を寄せていたのは、天体の回転音楽とエンデュミオンの存在に異常な憧憬をもっていたからだろうと、ぼくは思っている。
 すでにポオAとして、チコ・ブラーエ発見の星に捧げた傑作長編詩『アル・アーラーフ』(これは一度は読むべきだ)、冒頭の「心の糸は琵琶をなす」で有名な『イズラフェル』、「嘆きの国」に一人棲む孤絶の男を歌ってきっとジュール・ラフォルグにこそ啓示を与えたであろう『ユーラリイ』などの詩で、ぞんぶんに天上美学に酔いしれていたポオEは、それでもこれらに飽き足らず、自身を月女神ディアーナ(ダイアナ)に幽閉される月男エンデュミオンに見立てて、そのエンデュミオンの目でこそ宇宙の神秘を司る原理を語りたいという欲望を抑えきれずにいたはずだ。
 これが最後の最後になって『ユリイカ』として発露した(「精神的ならびに物質的な宇宙論」という副題がある)。そこにはアレクサンダー・フォン・フンボルトからの大半の仮説借用があったとはいえ、ポオEの驚くべき天体回転憧憬癖が語り尽くされていた。かつて『遊学』の片隅に綴っておいたことである。
 こうしてポオEは、これらの科学趣向のもと、かのノルウェー沖にいまも魔海の伝説をもつという『メエルストルムの渦』を書き、その対極に『ハンス・プファアルの無比の冒険』や『軽気球虚報』を書いて、天界にも地界にもそのペンを及ばせたのである。
 こういうポオEを一言で称賛するのは、わけがない。そうなのだ、これは「天涯地涯科学文学者エドガー・アラン・ポオ」なのだ。

 もう一人、天保年間のボストンやフィラデルフィアにポオらしき者が徘徊しはじめていた。これは暗号を研究していたポオFのことで、のちに探偵デュパンを創り出すポオGを養子にとった。
 ポオFの暗号熱は本物である。『暗号術』では古今の暗号をウンベルト・エーコよろしく紹介してみせたのち、いまだ解けないとされる問題を提示してその解読をやってみせている。大正11年8月の「新青年」は小酒井不木がこれを『暗号論』として翻訳を載せ、その解説にとりくんでいた。これに刺激をうけたのが“えどが・わらん・ぽ”こと江戸川乱歩という怪奇好きの青年だった。
 ポオFの暗号熱はさまざまに飛び火する。最も劇的に結実したのが『黄金虫』である。
 物語は南カロライナ州のサリヴァン要塞島を舞台にしている。これはポオBが文政10年(1828)にアメリカ合衆国陸軍に入隊したときにボストン港内のインディペンデンス要塞に配属されたこと、および翌年にはヴァージニア州のモンロー要塞に駐留したときの体験をだぶらせたもので、そこに、若き隠遁者ともいうべきウィリアム・ルグランというスワンメルダムはだしの昆虫研究者とその召使の黒人ジュピターを配して、まことに巧妙に「宝さがし」モデルによる原型小説を創出してみせた。
 ぼくが子供のころに偕成社の児童文学全集の一冊で『黄金虫』を読んだときは、いま思い出してもどうしてそんなになったかと思うほどに、この謎解きにドキドキ興奮したものだった。さっき読みなおしてみてわかったのは、これはミステリーのドキドキのおもしろさなどではなくて、やはりのことエーコ好みの暗号解読のサスペンスにポオFが徹していることのおもしろさであった。

 ポオFの養子ポオGが『モルグ街の殺人』でオーギュスト・デュパンなる探偵を発明したことについては、あまりに知られていることだから、省きたい。ここからシャーロック・ホームズが弾丸のごく飛び出してきたわけだ。
 それよりもここでは、ポオFが『メルツェルの象棋さし』などを書いて、機械と永遠と驚愕に介入してその謎をあばくという性癖を示していたこと、それこそが稲垣足穂が『機械学者としてのポオ及び現世紀に於ける文学の可能性に就いて』で言及したポオのヰタ・マキナリス性であったことに注意を促しておきたいのと、加えて、意外な人物がそのポオFに肖(あやか)ろうとしていたことを、ちょっと述べておきたい。

 日本で『メルツェルの象棋さし』が訳されたのは、例によって「新青年」が最初だった。昭和5年2月号である。調べてみると、たしかに載っているのだが、おかしなことに訳者名が書いてない。それにおそろしく短くなってなっていて、おまけに冒頭には原作にない一文が入っている。その一文というのは、こういうものだ。
 「天才は機械の発明によって、しばしば不可思議な創造をするものである。だが、一見、如何に不可思議らしく見えるにしても、それが純然たる機械であればある程、その内部に伏在しているはずの、たった一つのの原理を発見しさえすれば、それによって容易に不可思議を解決し得るのである」。
 のちに大岡昇平がバラしたのだが、この抄訳者は小林秀雄なのである。おそらく翻訳料を稼ぐためにしたのだろうが、小林はこれをボードレールの仏訳から重訳し、のみならずかなり縮めて、何を思ったのか、勝手な一文をつけていた。
 ここは小林について述べるところではないから、一言だけ感想を言うにとどめるが、このやり方はいかにもその後の小林の批評性を象徴しているのではないかと思われる。そして、それ以上にハッとさせられたのは、小林の文芸精神の方法基礎がポオから盗んだものだとするのなら、これは小林のその後の成功が圧倒的だったのも当然で、しかしながらそのことをついに小林は白状しなかったということだ。これはポオその人の性格にも酷似する。
 ポオはあまりにも想像力があふれているがゆえに、探求心と猜疑心が強く、他人にかまえば必ず相手を凌駕するのでいつも酒に溺れざるをえず、そのため醒めるたびごとに自身の想像力の対象を切り替えつづけたポオA、ポオC、ポオF、ポオJだったのだ。

 さて、ボストンに生まれたポオには、文化12年(1815)の6歳のときにイギリスに渡って11歳までを暗いロンドン近郊の私立学校にいたという体験がある。
 イギリスでの少年ポオは自分でもその暗さに辟易としていて、このこと自体はわが漱石の暗い倫敦体験を思わせて興味深いのであるが、それがポオのばあいはアメリカに戻ってからは異国の魅力をもつ婦人に心を奪われるという病気に発展したようで、そこが見逃せないのである。これがポオHにあたる。
 14歳で年下の友人の母親ジェーンに惑い、16歳で近くの少女セアラに激しい恋情を抱き、20歳でマリア・クレム夫人に魂を奪われるのは、みんなポオHのなせることだった。とくにジェーンが死んだことにはかなりの衝撃を受けている。
 しかし、こういうことは事の大小はともかくも、多感な男児の誰しもを襲うことであるのだから(このことこそポオAの詩情やポオCの愛の死のテーマにつながるのだが)、これはこれでそれ以上のことを追わないでおく。
 それよりイギリス体験がポオ I とポオJとなって、ゴシック趣味を募らせ、そこにグロテスクの決定的開花をもたらしたことを、以下にふれておく。

 すでにヴィクトル・ユゴーのところで書いたように(第962夜)、グロテスクとは凝りに凝った石造性・石像性・石室性のことである。それが外部は遮蔽されているかのように見えるのに、内部に想像のつかない洞窟性を秘めたグロッタ(地下室)と結びつくところに、グロテスクのグロテスクたる異質のルートにつながるゆえんがあった。
 ポオ I はイギリスのゴシック・ロマンに目を見張った読者にすぎない。これは平井呈一や紀田順一郎である。しかしながらポオJはこのゴシックにグロテスクを重ね、その光景と出来事を穿つというのか、そのまま塗りこめるというのか、それをそのまま読者の恐怖として凍結させるというか、そういうことまで仕出かした。
 その方法は手がこんでいた。妻を殺して地下の穴蔵に塗りこめたところ、捜査の手が現場に及んだまさにその瞬間、壁の奥からギャーという猫の声が聞こえ、捜査隊がその壁を崩してみると、そこに真っ赤な口をあけた黒猫がらんらんとその目を光らせて犯人の「私」を見ていたという、御存知『黒猫』は、まだしも恐怖が最後だけにやってくるので、なんとか鳥肌がたつ最後の瞬間をがまんすればすむのだが、ところが、次のようなポオJの構成は、それをこそトマス・クーンツもスティーブン・キングも真似たのであるが、夜中に女子供が読んで平気でいられるというわけにはいかないものになったのだった。

 たとえば『早すぎた埋葬』である。これは題名が恐怖を予告しているのだから、それなりの気構えをしていればぞくぞくすることもなさそうなのに、それがそうではなくなってくるのだ。
 最初に、リスボンの地震や聖バーソロミューの虐殺やカルカッタ牢獄の123人の窒息死などの歴史的事例を持ち出され、生きているあいだの埋葬というのも、この世の人間の運命にとってこれほど恐ろしいものはないと、これから話す出来事を読む準備を促されるのだが、さあ、これで読者も覚悟したつもりなのに、この覚悟が崩される。
 ポオJは、まずボルチモアで最近おこった事件を報告する。著名な弁護士で国会議員でもある名望家の夫人が奇病にかかって苦しんだうえに死に、3日間にわたって死が確認されたのち埋葬された。墓所もその後の3年は開かれなかったのだが、3年目にその国会議員が親族の新たな石棺を入れるために門を開いたところ、おお! そこへなんだか白装束のようなものががらがらと降りかかってきた。それは屍衣が脱げていない妻の骸骨だった。
 詳しく調べたところによると、彼女は埋葬2日後に生き返り、棺の中でもがいているうちに、棺が床に落ちて蓋があき、そこから脱出した彼女が棺の鉄片で門をこじあけようとしているまま、悶えながら絶命したのだということがわかった。

 次に、1810年のフランスでたいへんに美しい容姿の娘の話が持ち出される。彼女には恋人もいたのだが、さまざまな宿命によって銀行家に嫁ぎ、しかも夫に顧みられずに若くして死んだ。墓所は故郷になったのだが、愛慕の念を断ちきれない恋人が墓を暴いてかつての容姿にすがろうとしたとたん、そのミイラは動き出した。
 つづいてこのあとポオJは、砲兵軍人が頭蓋骨を損傷して埋葬されたのに微かに声がしたので、さらに生き返らせるために流電池をかけたところかえって絶息したこと、チフスで死んだ男が死体盗掘にあって病院に解剖用に売られ、医師がそこにメスをふるったとたんに絶叫したことなどの話を次々にあげて、実はこの話をこのようにしている「私」が、以前から奇妙な類癇という病気に罹っていまして、これまでも何度も昏睡状態になって無感覚になってきたのですが、あることでその「私」が‥‥と語り出すあたりで、ちょっと待った、読者はこれ以上は読み進めるのをやめたいと思うのだ。
 結末は伏せておくが、まったくポオJはここでは名うての恐がらせ屋に徹していて、困ったものなのである。
 とくに、これに復讐を決意した男の殺意などを加えてストーリーテリングに徹すると、『アモンティラアドの樽』がそういう一作であるが、もはや容赦のない恐怖が作中の男にのしかかってくる。

 いったいポオがなぜに恐怖小説などを極める気になったかはわからない。だいたい恐怖小説を書く作家そのものが、何を世の中にもたらしたいのかもわからないのだが、ポオJに関してはっきりしていることは、これを書くことによってすべての読者や批評家の優位に立つことを確信していたふうなのである。
 では、そういうことだけがポオが狙ったことなのかというと、そこがゴシックとグロテスクをほとんど哲学にまで高めたポオのこと、ついに恐怖を家屋構造にまで拡張してみせた。それが11人目のポオKが怪奇の絶頂として綴った『アッシャー家の崩壊』だった。
 この作品がポオの詩魂の最高の結晶だとは言わない。が、ポオAから11人目を数えたポオたちが、まさにこの物語の結末のごとく倒壊するように構築されているということには、さすがに戦慄せざるをえないものがある。

 幼な友達だったロデリック・アッシャーの招待をうけた「私」がそこへ行ってみると、ロデリックには、その旧家の末裔としてたった二人きりになった双生児の妹がいたという設定自体が、すでにいっさいのポオの才能の異端的結集なのである。
 化け物屋敷のようなゴシックの居館に、幼な友達とそっくりの妹が音もなく現れるところなど、ダイアン・アーバスの双生児写真やスタンリー・キューブリックの『シャイニング』の瞬間映像の一場面を想わせる。
 しかし、この作品が凄いのは、この顔のそっくりな兄と妹が暴風雨の只中で倒れ死に、「私」は恐怖に窒息しそうになって外へ脱出するのだが、何か背中に異様な気配を感じて振り返ったそのとき、これで血が途絶えたアッシャー家の最後を象徴する居館が、月光のもとにまさに湖の中に崩壊して沈んでいくところだったという、あの結末なのである。いったい何人のポオがあの崩壊から抜け出してきたのかと、そんなことさえ思ってしまうのだ。

 結局、ポオは嘉永2年(1849)に、わずか40歳で意識を失って昏倒したまま死んだ。黒船が浦賀沖にやってくるのは、まだちょっと先のことである。
 ポオには、夥しい謎が残された。ポオ自身も自身を正確に把握はしていない。自身の狂気を疑っていたふしがあるし、自身の才能を天体よりも高く絶叫しようとしていたふしもある。それにしても、ポオの死からは150年がたったのである。それなのに、すでに何十通りものポオ評伝やポオ批評が出ているが、奇妙なことにひとつしてロクなものがない。あのポオの最初にして最高の継承者であったボードレールにして、ポオ論は通りいっぺんなのである。
 もっと言うのなら、誰しももがポオの光線に射貫かれているにもかかわらず、それをはたして痛みととるべきか、恩寵ととらえるのか、もはや文学史に薬毒がまわりきったものとして語るのか、態度を決められないでいて、それをもってポオを語るのをやめてしまったふうなのだ。
 これこそはポオの不幸というものである。ぼくとしては、せめて12人目のポオを呼んで、この夜のポオの放列から去っていきたいと思う。そのポオLとは、生涯にわたって雑誌を出したいと思いつづけたポオである。そのタイトルはポオはそのことをどこにも書き残さなかったのであるが、ぼくには見当がついている。それは“Prose
Poem”というものだ。サブタイトルもある。それはこういうものだろう、――「地上は思い出!」。

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