岡田尊司
うつと気分障害
幻冬舎新書 2010
編集:志儀保博 装幀:鈴木成一デザイン室
ぼくは「心の病気」の病名や症候名をつらつら並べたり、患者に病名を示したりするのは、ずっとどうかと思ってきた。そんなことをするからかえって気分が重くなるのだろうと思ってきた。しかし加藤和彦の自殺があまりに衝撃的で、それからはこの手の「精神病一覧」も眺めるようになったのである。

 誰がいつ、どのように死ぬかはわからない。ヘミングウェイ(1166夜)はアイダホの自宅で猟銃を頭に打ち抜いて自殺した。1961年、61歳だった。
 感傷を排するハードボイルドな叙述力、活動的で陽気な性格、大物の釣や猛獣狩りをたのしめる趣味など、悠々自適の日々に事欠かないはずの文豪ヘミングウェイはなぜ自殺したのか。この驚くべきニュースは世界をかけめぐったが、やがてその原因がうつ病であったことが報知されていった。
 死の間際まで交流のあったホッチナーの『パパ・ヘミングウェイ』(ハヤカワ文庫)によると、40代後半から気分が急激に不安定になっていたらしい。のちに遺作となる『危険な夏』や『移動祝祭日』などの原稿の執筆にも苦しむようになり、そのうち「FBIに付け狙われている」とか「自分はどこかで監視されている」という妄想を譫言(うわごと)のように口にしはじめたという。

 60歳のときにメイヨー・クリニックに入院したのだが、退院後も妄想と極度の憂鬱はいっこうに収まらず、夫人のメアリーが再入院を強行しようとした途中に、飛行機のプロペラに飛び込もうとした。かなり自殺したがっていた。のちに精神性うつ病あるいは妄想性うつ病だと診断された。
 今日では、うつ病患者の約4分の1には妄想の症状が見られると報告されている。罪業妄想、貧困妄想、心気妄想、被害妄想などが拭えない。薬物や薬剤との関係も指摘されている。ヘミングウェイの場合は高血圧の薬レセルピンを服用していたことも、妄想や自殺衝動の発症トリガーになったのではないかとされている。

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晩年のヘミングウェイ(1960年)

 作家や学者とうつ病の関係はいろいろ調べられてきた。文学研究者も精神医学者も、そういうことを調べるのはけっこう好きなのである。
 かくして、昔の時代の病名は確定できていないことも多いだろうが、たとえばスウィフト(324夜)、ゲーテ(970夜)、サド(1134夜)、トルストイ(580夜)、ポー(972夜)、ラブクラフト、ヴァージニア・ウルフ(1710夜)、マックス・ウェーバー、ジャック・ケルアック、シルヴィア・プラス、フィリップ・K・ディック(883夜)などが、なんらかの精神障害や気分障害に苛まれていたことが、表沙汰になった。
 日本の作家のことにもいろいろ調べがついている。『歯車』に壮烈なイメージを綴ってみせた芥川(931夜)をはじめ、有島武郎(650夜)や新渡戸稲造(605夜)のうつ病、北杜夫(1721夜)や開高健(280夜)の躁うつ病などが知られている。
 参考としてあげるだけだが、『うつ病』(ちくま新書)や『自我崩壊』(講談社)などの著書がある岩波明の『文豪はみんな、うつ』(幻冬舎新書)では、夏目漱石(精神性うつ病)、有島武郎(うつ病)、芥川龍之介(うつ病)、宮沢賢治(躁うつ病)、中原中也(統合失調症)、太宰治(うつ病)、谷崎潤一郎(不安神経症・パニック障害)、川端康成(睡眠薬依存症)などという“診断”がされている。

憂鬱な作家たち

 うつ病が進行すると「死にたくなる」と思うことが頻発するというデータは多い。WHOの統計によれば、自殺既遂者の90パーセントが精神疾患をもち、その60パーセントが抑うつ状態だという。日本の場合も自殺者の80パーセントが心因性の疾患をもっている。
 江藤淳(214夜)や中島らもは重度のうつ病で自殺したと報道された。ぼくがその才能に惚れぼれしていた独特のミュージシャン(音楽プロデューサー)の加藤和彦は2009年10月16日、軽井沢で首を吊って自殺した。親しい知人に自分から「最近は鬱なんだ」と言っていたようだ。
 安井かずみと「パパ・ヘミングウェイ」という果敢なソロアルバムにとりくんでいたことが、いまとなっては複雑な気分にさせられる。奥村靫正がアートデザインを担当した。

 うつ病者には病名に由来するまさに「憂鬱」が襲うのだが、名状しがたい「悲しみ」がともなうことも多い。
 フロイト(895夜)はそれを『悲哀とメランコリー』で「何を喪失したのかがわからない悲しみ」と説明し、クルト・シュナイダーはドイツ語で「生気的悲哀」(vitale Trauigkeit)と名付けた。シュナイダーはそこには「思考流出」「思考が打ち消される」「妄想的知覚」がおこっていると考えた。そうだとすると、これはかなりやりきれない悲しみだ。
 フォーク・クルセーダーズの「悲しくてやりきれない」はサトウハチローの詞に加藤和彦が曲をつけたものだった。「悲しくて/とてもやりきれない/このやるせないモヤモヤを/だれかに告げようか」とある。さっき久々に聴いてみたが、二番の「悲しくて悲しくて/とてもやりきれない/この限りないむなしさの/救いはないだろうか」の唄いっぷりが、なんともやるせなかった。
 フォークルは加藤・橋田とともに北山修がメンバーだった。その北山はフォークル解散後は今日を代表する精神医学者になった。『心の消化と排出』(創元社)、『自分と居場所』(岩崎学術出版社)、『幻滅論』(みすず書房)などの興味深い著書がある。ここにも何らかの符牒があったのである。
 同じ精神科医の内海健に『うつ病の心理』(誠信書房)という本があるのだが、そのサブタイトルは「失われた悲しみの場に」となっている。

悲しくてやりきれない ザ・フォーク・クルセダーズ (1968)

 本書は数ある岡田尊司の本の一冊である。岡田は京大高次脳科学の神経生物学出身の精神科医で、東大医学部出身の岩波明らとは少し考え方が異なって、なにもかもをうつ病では括らないという立場をとっている。そのことは多くの著書のタイトルにもあらわれている。
 『人格障害の時代』(平凡社新書)を皮切りに、『パーソナリティ障害』『統合失調症』(PHP新書)、『うつと気分障害』『アスベルガー症候群』『境界性パーソナリティ障害』『ストレスと適応障害』『社会不安障害』『過敏で傷つきやすい人』『きょうだいコンプレックス』(幻冬舎新書)、『回避性愛着障害』『愛着障害』『死に至る病』(光文社新書)、『生きるのが面倒くさい人』(朝日新書)、『カサンドラ症候群』(角川新書)、『対人距離がわからない』(ちくま新書)・・・・・・。
 こんなに新書の場ばかりで精神疾患に関する本を書いている精神医学者はいないのではないかと思うけれど、いくつか読んでみたかぎりは、乱造している印象はない。おそらく執筆構想力があるのだろう。
 実は岡田は、小笠原あむ・小笠原慧などの筆名で、推理小説、SF、ホラーなども書いている作家でもある。『DZ』(角川書店)は横溝正史ミステリ大賞をとった。もちろん岡田クリニックの院長さんでもある。

岡田尊司
京都大学医学部卒。2013(平成25)年から岡田クリニック院長(大阪府枚方市)。『愛着障害』『母という病』『マインド・コントロール』など多くの著作を通じて、人々の悩みや不安に向き合っている。

 日本ではしばしば「うつ」は「心の風邪」などとも呼ばれてきた。みんながかかる心の病気だというのだろうが、これではうつ病は「心の万病の元」ということになる。いくら何でもこれはあたらない。うつ病は風邪とはまったく似ていないし、うつ病が万病の元になるわけでもない。
 最近の精神医学では、といってもアメリカ精神医学会の診断基準マニュアルのDSM4以降の規定にもとづくものだが、うつ病は「気分障害」(mood disorder)という名で診療されている(ときに感情障害とも訳される)。本書のタイトルもこのDSM規定にもとづいた。
 気分障害は鬱状態が継続する「単極性障害」と、躁と鬱がくりかえされる「双極性障害」とに大別され、それぞれに大うつと小うつがある。双極性障害がいわゆる躁うつ病である。
 ぼくは「心の病気」の病名や症候名をつらつら並べたり、患者に病名を示したりするのは、ずっとどうかと思ってきた。そんなことをするからかえって気分が重くなるのだろうと思ってきた。しかし加藤和彦の自殺があまりに衝撃的で、それからはこの手の「精神病一覧」も眺めるようになったのである。とりあえず、おおまかな案内をしておく。

「うつ」と気分障害の種類
『うつと気分障害』p48

 単極性障害の大うつには、大うつ病としてメランコリー型うつ病、精神病型うつ病、非定型うつ病、季節性うつ病などがある。小うつではディスチミア(気分変調症)と適応障害がよく知られている。あとで説明する。
 「メランコリー型うつ病」は昔から憂鬱体質として指摘されてきた疾患で、律義で几帳面、責任感の強い性格の持ち主がかかりやすいとされてきた。がまん強いのだ。そのためストレスがかなりたまっている。そしてある時期から早朝覚醒、食欲不振、体重減少、一日の中での気分変調がおこる。これで家族もびっくりする。重くなってくるとアンヘドニア(無快感症)になる。
 この気分変調に幻覚症状、妄想、混迷感が加わると「精神病型うつ病」と認定される。かつて自分がした行動が妙に気になり、罪業感覚が出入りし、誰かに悪さをされていると思うような被害妄想が出てくる。
 大うつ病では、抗うつ薬が効きにくいということもあって最近注目されているのが「非定型うつ病」(Atypical depression)である。患者もかなりふえているようだ。過眠や過食の傾向があり、体重増加がすすんでいく。そのうち対人感覚が重くなり、自分は誰かに拒絶されているとか責められているのではないかと思う。学校や会社に行くのが辛くなり、生活上の課題処理も億劫になっていく。そうした兆候が秋や冬に濃くなるのが「季節性うつ病」である。

 小うつ病では、雑誌「AERA」がアラサーやアラフォーの女性に多いという特集を組んで話題になった「ディスチミア」(Dysthymia)がある。
 軽症ながら1年、2年にわたって長期化する。なんともいえない抑うつ気分が続く気分変調症である。ぼくの周辺にも数年おきにたいてい何人かのディスチミアがいた。そこに不安障害などが加わると「二重うつ病」(Double depression)となり、かなり複雑な症状を呈する。ディスチミア気味の社員やスタッフは、休ませてあげたほうがいい。この症状は十代の子供にもおこる。
 「適応障害」(Adjustment disorder)は、主にストレスが原因であるが、家族や上司に反発したり、怠惰になったり、ルールを無視したり、喧嘩腰になる。ストレス因子が取り除かれれば治癒するとされているが、容易には因子は見つからない。

 こんな具合で、単極性障害であってもさまざまな兆候や症状をもつので、以上のように症状名を並べたところでなんら理解が深まるわけではないが、これがDSMによるカルテなのである。もう少し、案内を続ける。
 双極性障害(Bipolar disorder)は感情障害である。以前は躁うつ病と呼ばれていた。精神科医たちは「バイポーラー」と言う。躁と鬱が双極的にあらわれるので双極性と名付けられた。
 Ⅰ型とⅡ型があって、Ⅰ型は激しい躁状態がひどい。北杜夫がⅠ型だった。Ⅱ型も躁と鬱がくりかえされるのではあるが、躁状態がⅠ型ほどではなく、軽躁期には病気とは思われないことが多い。また鬱期は単極性のうつ病とされてしまうことも少なくないのだが、そのための抗うつ剤を投じると悪化する。開高健がⅡ型だった。
 Ⅰ型のバイポーラーは、極端な躁になる。軽はずみになり、怒りっぽくなり、脱線が目立つ。浪費や借金が平気になって、高価な買い物に手を出す。もともとは慎み深い性格だったのに、奔放な異性関係に溺れたり、不倫に勢いがついたりする。ついには自分は救世主であるとか、誰かの声がするとか、テレビが特別な暗号を送っているとかと思う。ところが鬱期に入るととたんにおとなしくなり、自分が嫌になっていく。
 双極性障害は妄想や幻聴による錯乱があるので統合失調症(分裂病)と誤診されることがあるらしいのだが、統合失調症とちがうのは躁や鬱がバランスよく薄まっていくと、その後の症状はあらわれなくなってくるところだ。

 Ⅱ型のバイポーラーは軽躁と鬱がくりかえされる。鬱期はメランコリー型になることが多い。
 本書によると、早口でせっかちでアタマの回転がよく、飽くことのない野心があって、たえず目標を高く掲げるタイプに多いという。だから周囲は極端な異常を感じることが少なく、むしろリーダーシップを求めてしまう。だとすると起業家にはふさわしいのだろう。
 けれどもⅡ型の患者は、自分の衝動をコントロールするのが甘くなる。そのため無謀な賭けに出やすくなり、周囲が心配したり反対しても弁舌がたつのでまわりを説得してしまう。ところが何かのきっかけで矛盾する事態に直面すると、急に不安になって鬱期に入っていく。挫折には弱いわけなのだ。Ⅱ型の起業家たちはここを乗り超えなければならない。

 うつ病も双極性障害も、単一の病名にするには問題がある。さまざまな合併症がともなうことが多い。
 アルコール依存・薬物依存・カフェイン依存・ニコチン依存をはじめ、Ⅱ型の場合はパーソナリティ障害、パニック障害、月経前緊張症候群、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などがまじりやすいという。
 なかでもパーソナリティ障害をかかえもっている症例は、Ⅱ型の30パーセントをこえると言われる。
 ぼくはこのパーソナリティ障害という病名には抵抗があって、パーソナリティそのものがもともとペルソナ(仮面性)を内包しているのだから、誰だってコミュニケーションに不安をかかえるパーソナリティ障害者だろう、それでいいじゃないか、そうみなして何か文句があるかと思っていたのだが、境界性パーソナリティ障害(BPD)の自傷行為のことをあれこれ見聞するうちに、なるほどそうとう心を苦しめる障害もあるのかと知るようになった。少女たちのリストカットがその例である。
 BPD(Borderline Personality Disorder)は、自分のボーダーラインをまたいでしまうという症状をもつ。対人関係の破綻、「だめ」と「いい」とがスプリットしてしまう二極思考、持続する空虚感、衝動性にもとづく行為などが目立ってくる。
 もともとは飲酒や浪費やギャンブルに走ったり、性的放縦や薬物嗜好になったりする傾向と区別がつかないものだったらしいのだが、これが自傷行為や自殺衝動に結びつくと、ボーダーラインの向こうに行きすぎることになる。そうなると戻れなくなることがある。
 自傷的(自己破壊的)な行為は自分を壊したくてそうなるのではない。打ち続く不安の波を軽減したくてコーピング(coping)する。リストカットすれば楽になれると思うのである。痛ましいといえばまさに痛ましいが、本人にはそれがソリューションなのである。まことにアンビバレンツで、「ちぐ」と「はぐ」とが交差するごとくに微妙なことだ。

 なぜこんなように精神疾患が複雑多様におこるのだろうか。いったい「心の傷」を明示するような「値」(あたい)のようなものがあるのだろうか。
 われわれの気分や行動をコントロールしているのは、われわれ自身がもっている中枢神経系の活動によっている。そこはコントロールセンターで、140億個のニューロン(神経細胞)が互いに軸索や突起を根っこのように伸ばしあって複雑なネットワークをつくっている。
 ニューロンには興奮性と可塑性がある。基本状態ではマイナス70ミリボルト程度の電位に保たれているが、興奮するとプラス50ミリボルトほどに電位を急上昇させ、また戻る。このアクション・ポテンシャル(活動電位)がニューロン・ネットワークの中を電気信号(インパルス)として伝わっていく。
 軸索や突起を走ってきた電気信号が次のニューロンに伝わると、いったんシナプス間隙でとまり、ニューロンを興奮させて新たな化学信号の選択をする。興奮はニューロンの表面にある受容体に、神経伝達物質(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなど)が結合するとき、細胞表面の小さな孔(イオンチャネル)が開いて、そこからナトリウム・イオンなどのプラスの電荷をもつイオンが細胞内に流れこむことで引きおこされる。
 抑制もおこる。GABA(ギャバ)などの神経伝達物質が受容体に結合すると、別のイオンチャネルが開いて、マイナスの電荷の塩素イオンが流れこんで、ニューロンの放電を抑える。

髄鞘をもつニューロン(神経細胞)の構造図
生物の脳を構成する神経細胞。 核が存在する細胞体、ニューロンの入力である樹状突起、出力部分であるシナプス、 伝送路に当たる軸索がある。 人間の脳の場合にはこの細胞が100億から1000億程度あるといわれている。

 こうして、どんな神経伝達物質(ニューロトランスミッター)が放出されるかということが、われわれの気分や行動に傾向をもたらすトリガーになっていく。しかし、それらは「値」(あたい)というものではない。
 伝達物質は情動にさまざまな調子をもたらすケミカルメッセージなのである。そのメッセージに気分のケミストリーが増幅したり縮退したりする。伝達物質の量がふえればメッセージの力が強くなる。
 受容体の数がふえるのもメッセージの力を強くする。受容体が多ければ伝達物質がくっつきやすくなり、信号が伝わりやすくなる。これがニューロンの可塑性というものだ。
 たとえば何かの理由で伝達物質の放出がへったときには、活動性を維持するために受容体の数がふえるということがおこったり(アップ・レギュレーション)、逆に強すぎる刺激が長時間与えられてニューロンが興奮しっぱなしになって感受性を失っていくようときは(脱感作)、受容体の数をへらすような処置をするようになる(ダウン・レギュレーション)。

 伝達物質(ケミカルメッセージ)の量の大小は、中枢神経系の日常状態を微妙に変化させる。できれば適量が放出されたり抑制されるのが好ましいのだが、ときには脱感作やダウン・レギュレーションで反応が低下する。
 このアンバランスはヤバい。そこでニューロンと樹状突起とシナプスの連合帯は、実に巧妙なしくみをつくった。放出した伝達物質をすみやかに分解してしまうか、取りこんでしまうようにしたのである。トランスポーターやオートレセプターの工夫だった。実は精神疾患の多くはこのしくみの具合や不具合と密接な関係がある。
 たとえば、アセチルコリンという伝達物質にはコリンエステラーゼという分解酵素があって、余分なアセチルコリンを分解してしまう。ドーパミンやノルアドレナリンやセロトニンに対しては、ニューロンの細胞膜の表面にトランスポーターというタンパク質を用意させておいて、放出伝達物質の過剰や過小に応じてこれを取りこみ、リサイクルできるようにした。

 オートレセプター(自己受容体)のはたらきも巧妙にできている。オートレセプターはニューロンの樹状突起についているもので、自分が放出した伝達物質を自分で感知する受容体である。
 たとえば、セロトニンを放出するシナプスのニューロンの表面には、この放出セロトニンのオートレセプターである1A受容体があり、ここにセロトニンがつくと放出にブレーキがかかるようになっている。さらにシナプスの向こう側(後シナプス)には2Aというオートレセプターが配置されていて、こちらでも調整ができる。ニューロンとシナプスと樹状突起のどこかでトランスポーターやオートレセプターが鍵や鍵穴のようになって、伝達物質の量をコントロールしているのである。
 うつ病では、このトランスポーターやオートレセプターのはたらきに問題が生じているらしい。そこで抗うつ剤はこのはたらきを擁護したり鎮圧させるようにした。最も有名な抗うつ剤のひとつであるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は、こうして開発された。

 脳内の神経伝達物質の増量や減少ではなく、受容体の具合によってうつ病が引きおこされているという見方は、以前から「モノアミン受容体仮説」とよばれてきた。
 モノアミンというのは、アミノ基を1個だけ含む神経伝達物質の総称で、アドレナリン、ノルアドレナリン、セロトニン、ヒスタミン、ドーパン、アセチルコリンなどのことをいう。このうちのアドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミンはカテコール基をもつのでカテコールアミンとよばれる。
 ちなみに伝達物質にはモノアミン類のほかに、アミノ酸類(グルタミン酸、γアミノ酪酸、グリシン、アスパラギン酸など)、ペプチド類(エンドルフィン、サブスタンスP、バソプレシン、ソマトスタチン、オキシトシン、ニューロテンシンなど)がある。

 1956年、結核に効くイプロニアジドや分裂病に効くといわれるイミプラミンが、抗うつ作用も発揮するのではないかと提案された。
 発見当初は作用機序はあきらかではなかったのだが、その後イプロニアジドにはモノアミン酸化酵素を阻害する作用が、イミプラミンにはノルアドレナリンやセロトニンの再取り込みを阻害する作用があることが発見されて、これらによって大うつ系のうつ病がモノアミン類、ノルアドレナリン、セロトニンなどの低下によっておこると仮説された。
 これで薬品各社が抗うつ剤の開発をめざし、なかでも選択的にセロトニンの放出にかかわるSSRIが脚光を浴びることになったわけである。セロトニン・トランスポーターにはたらくからだ。

セロトニン神経細胞と自己受容体
『うつと気分障害』p128

 さて、このように脳の中でおこっている現象をあれこれ説明されたところで、また、セロトニンの量やニューロンのトランスポーターのはたらき具合が「心の傷」の原因だと言われたところで、それだけで「ああ、なるほど」と納得する者はほとんどいないだろう。
 仮にモノアミン類の増減になんらかの原因がひそんでいたとしても、そのような現象を引き起こしたもっと別の心理的要因がかかわっているように想定したくなる。
 心が傷つくのは、傷つきやすくなる現象が先行していたからである。この先行するものとして最も候補に上がりそうなのは、おそらくストレス(stress)である。1914年にウォルター・キャノンが何かの不足が精神的な状態を追いつめる作用名として提案し、1930年代にハンス・セリエの研究が生理学的なプレッシャーという意味を与えた。
 ストレスという用語は、苦痛や苦悩を意味するギリシア語由来の“distress”から命名されたのだが、ストレスをおこす要因としてストレッサーを想定したことによって、さまざまなストレッサーの候補群が出てきた。物理的ストレッサー(寒冷、騒音、放射線)、化学的ストレッサー(酸素、薬物)、生物的ストレッサー(炎症、感染)、そして心理的ストレッサー(怒り、不安)などなどだ。

 ストレスは、ふだんはホメオスタシス(生理的な恒常性)を保っている生体に、微妙な生理的なアンバランスをもたらす作用のことである。
 そのつどおこるストレスによるアンバランスは、心拍数、呼吸数、血管拡張、筋収縮、血糖量増加などにあらわれるのが一般的である。脳下垂体から副腎皮質ホルモンにいたる反応経路にも影響を及ぼし、ステロイドホルモンを放出させる。ステロイドホルモンには副腎皮質ホルモン(アルドステロン、糖質コルチコイド、アンドロゲン=男性ホルモン)、性ホルモン(エストロゲン、黄体ホルモン)などがある。
 しかしもっと強いストレスが加わると、急性ストレス障害(ASD=Acute Stress Disorder)がおこる。これは「トラウマ」となって急性の高血圧、消化器官の炎症をおこし、のちのちまで感情鈍磨やフラッシュバックや解離症状をもたらす。
 ステロイドホルモンが長期間にわたって分泌されていると、負の作用がおこり、前頭前野や海馬のはたらきが低下し、萎縮する。ストレッサーの刺激が視床下部から脳下垂体に伝わり、前葉副腎皮質刺激ホルモン(HPA系)が放出される。そうなると、ニューロンの新生にかかわる神経栄養因子(BDNF)の遺伝子のはたらきが抑えられ、それがまた前頭前野や海馬のニューロンにダメージを与えることがわかってきた。
 こうした一連の動きのなかで、セロトニンなどのモノアミン類の神経伝達物質が影響を受けていたストレスこそは、うつ病の遠因だろうということになってきた。当たり前すぎるような推断だが、うつ病はストレスに対する過剰反応から生じることが多いのだ。

seigow-marking
『うつと気分障害』p126-127

 本書には、もっといろいろの話が丁寧に紹介されている。当然、うつ病の治療法や抗うつ剤の紹介もされているのだが、ぼくの今夜の案内はこのくらいにしておきたい。
 書いていて、あらためて感じたことがある。いろいろあるが、五つばかりの思案をメモしておく。
 ひとつは、ぼくも気分障害を複合的にもっているだろうということだ。どの症状にあてはまるかということではない。さまざまな「ちぐ」(治具)と「はぐ」(鎮具)が混じった症状をもっているはずだ。「あべ」(彼辺)と「こべ」(此辺)も混じっている。むろん、それでいい。治すようなものではない。『擬(もどき)』(春秋社)に書いたとおりだ。
 ひとつは、ストレスは取り除けないということ、うまく付き合うしかないということだ。だいたいぼくは50年以上にわたって自分にストレスをかけてきた。それは将棋打ちが長期にわたって盤面展開のストレスに向き合ってきたことと同じで、職人気質の者なら誰だってしてきたことである。
 ぼくの場合は編集ストレスに向き合ってきた。ぼくにとっての編集は矛盾や葛藤をいかす仕事だ。たんなる本づくりではない。編集作業の中にトランスポーターやオートレセプターが出入りしている。編集的な農作業のようなのだ。いくつもの種の具合と土壌の具合とが組み合わさっていく。これに付き合ってきたことが、なんとかここまでやってこられた理由なのである。けれどもだからといって、ストレスを奨めることはできない。そこをどうすればいいのか、ずっと思案してきたことである。

 ひとつは、今夜はまったくふれなかったが「統合失調症」のことだ。かつては精神分裂病とよばれてきた精神疾患だ。芥川やムンクや中原中也(351夜)を襲ったあれである。この疾患が示しているものは「悲しみ」である。中也は愛児の文也を小児結核で喪った悲しみから、「屋根の上に白蛇がいる。文也を食い殺したやつだ」と叫ぶようになった。
 その後、中也は千葉寺療養所に入院するけれど、その中也がいなければ小林秀雄(992夜)も大岡昇平(960夜)もああはなりはしなかったはずである。こういうことをどう考えたらいいか、たいへん迷う。せめて「悲しみ」の研究がうんと深まるのがいいだろうといいうしかない。
 ひとつは、心理学や精神医学はどこに向かっていくのかということだ。DSMに則(のっと)ってばかりいて、どうするのかという心配だ。
 これについては別案があるわけではないので、ジョルジュ・カンギレムの『正常と病理』(法政大学出版会)からクリストファー・レーンの『乱造される心の病』(河出書房新社)あたりまでの、ちょっと考えさせる本を、代わりにお薦めしておきたい。ガストン・バシユラールに学んだカンギレムは「等質」と「異質」のちがい、レーンはDSMを批判して「内気」(shyness)の分析をした。シャイな日本人はとくに読んでみるといい。

 ひとつは、空想と解離の関係のことである。空想(fantasy)は幼児から大人まで、ずうっと付きまとう想像力の自由のようなもので、また創造力の源泉のようなものである。空想がなければ、趣味も仕事もままならない。
 解離(disssociation)は読書や映画に夢中になっているときの心境をいう。かんたんにいえば、空想に耽っていられることである。ところが、その空想からのリリースがうまくできないとき、解離障害がおこる。心の障害になる。空想と解離の2つはあるところで角を突き合わせてしまうのだ。
 ではいったい、どこからファンタジーが「症状」と呼ばれるようになったのか。そこがたいへん難しい。これからは空想と解離を分けないという思想も必要になっているのではないかと、つくづく感じる。

ジョルジュ・カンギレムの『正常と病理』(法政大学出版会)
クリストファー・レーン『乱造される心の病』(河出書房新社)
(図版構成:寺平賢司・西村俊克)

                                        

⊕ うつと気分障害 ⊕

∈ 著者:岡田尊司
∈ 装丁:鈴木成一デザイン室
∈ 編集:志儀保博
∈ 発行人:見城徹
∈ 発行所:株式会社幻冬舎
∈ 印刷・製本所:中央製版印刷株式会社
∈∈ 発行:2010年9月30日

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ はじめに―気分に支配される現代社会
∈  第1章 気づかない「波」が人生を翻弄する
∈  第2章 気分障害はどう理解されてきたか
∈  第3章 気分障害の症状と診断
∈  第4章 気分障害のタイプ
∈  第5章 脳の中で何が起きているのか
∈  第6章 何が原因で気分障害になるのか
∈  第7章 なぜ、うつや気分障害が増えるのか?
∈  第8章 気分障害からの回復
∈∈ おわりに―傷ついた人も、立ち直れる社会を

⊕ 著者略歴 ⊕

岡田尊司(Takashi Okada)

1960年、香川県に生まれる。東京大学文学部哲学科に学ぶも、象牙の塔にこもることに疑問を抱き、医学を志す。ひきこもった時期や多くの迷いを経験する。京都大学医学部で学んだ後、京都大学医学部大学院精神医学教室などで研究に従事するとともに、京都医療少年院、京都府立洛南病院などに勤務。山形大学客員教授として、研究者の社会的スキルの改善やメンタルヘルスの問題にも取り組む。著作家や作家・小笠原慧としても活動している。

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