才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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言語が違えば、
世界も違って見えるわけ

ガイ・ドイッチャー

インターシフト 2012

Guy Deutscher
Through the Language Glass 2010
編集:真柴隆弘 協力:矢沢聖子・千勝泰生・佐々木啓
装幀:織沢綾

本書で主張したことは、言語はすべからく相対的にしか理解できないということである。わざわざその程度のことを主張したのかと思うかもしれないが、言語学の歴史ではこのことを実証的に主張するのは案外に大変なことだった。なぜなら言語学の仮説には長らく「言語起源論」というものが君臨していて……

 ユダヤ人はこう言う。「この世界には使うに値する言葉が4つある。詩歌のためのギリシア語、戦いのためのラテン語、悲嘆のためのシリア語、日常会話のためのヘブライ語だ」。このことは『タルムード』に書いてある。
 神聖ローマ皇帝カール5世は、こう言った。「神にはスペイン語、女にはイタリア語、男にはフランス語、そして馬にはドイツ語だ」。なんとも乱暴で横柄な言い草だが、スペイン王にしてオーストリア大公で、イタリア=ドイツ領土に君臨した神聖ローマ皇帝ならではのジョークだ。
 日本人には、なかなかこういう危うい比較を先行させる歴史的人物がいない。新羅・高句麗・百済の三国人とわたりあい隋の皇帝に譲歩しなかった聖徳太子も、スペイン・ポルトガル・イタリアの宣教師の相手をしたはずの信長も、外国人の捕虜を審問していた新井白石も、日本語と朝鮮語と中国語とヨーロッパ語の特色を比較できたわけではないし、英仏の政商を天秤にかけてあしらった龍馬や日中を横断した宮崎滔天の三兄弟や、ユダヤ宗教やエスペラント語にも通じた大川周明が、日中韓の言語文化の気質を巧みに言い当てたなんてことは、聞いたことがない。
 しかし実際には、日本人の多くは映画やテレビや街頭で朝鮮語と中国語を聞いて、自分たち日本人とは何かがかなり違っているだろうことを実感しているはずなのだ。実感してはいるけれど、では耳に騒ぐその言葉づかいから何かの文化的特質を言い当てられるかというと、そういうことはさっぱり苦手だ。そこは、ヨーロッパや西アジアの地続きの文化を長らく経験してきた言語文化知の歴戦の士たちのほうに、かなりの「歩」や「分」がある。けれども、かれらの「歩」や「分」が言語学的にいつも当たっているかというと、けっこうあやしい。

フェリックス・ガレーによる最古の西欧言語系統樹

世界のさまざまな言葉
現在、6900語ほどの言語が話されている。話者上位は中国語(13億200万人)、スペイン語(4億2700万人)、英語(3億3900万)。
『起源図鑑』(ディスカバー)より

 国民と言語については、昔から諸説紛々だ。フランシス・ベーコンは「民族や国民の特質はかれらが話す言葉から推論できる」と見ていたし、のちの言語学の基礎をつくったコンディヤックやヘルダーも「どんな言葉からもその民族や国民の知力と文化が窺い知れる」とみなしていたが、そういう観察がどこまで当たっているかは、とうてい証明しがたいことだった。
 なぜなら、どの民族や部族も他の集団語にはない語彙や言葉づかいや言いまわしをもっていて、それを別の言語文化が理解できるかどうかということ自体が、けっこうきわどい問題であるからだ。ダンテは『俗語論』のなかでイタリア各地の言葉づかい(いわゆる方言)を比較して、「ローマ人の言葉は崩れきっていて下品なもので、そのことはかれらの醜いふるまいからも推してはかれる」といったことを書いていたけれど、この判定はかのダンテにしてあまりに狭隘だった。

ダンテの『俗語論』
ダンテがフィレンツェを追放された前後の1302年から1305年の間に執筆されたと考えられている。1巻では古典ラテン語と口語(俗語)の関係、文語にふさわしい俗語について論じ、2巻では詩歌を扱っている。

 或る民族言語に或る単語が欠けていることは、いくらでもあることだ。「パパイヤ」や「琥珀」や「図書館」や「娼婦」がその地になければそれに当たる言葉はその地になく、「南十字星」「トナカイ」「コンドル」「クリームソーダ」「携帯電話」を見たことがなければ、そんな言葉を思いつくことはない。日本語の「納豆」「十二単衣」「切腹」「コギャル」「ゆるキャラ」は他のどこの国語にも入っていない。
 しかし、こういうことから何を導き出すかということは、なかなか厄介なのである。キケロはギリシア語にラテン語の「イネプトゥス」(無礼、ぶっきらぼう)に当たる単語がないことを知って、それは古代ギリシアに無礼な態度が蔓延しすぎていたからだと結論づけたのだが、これはムリがある。
 どんな意味のどんな言葉がどこの国語にあるかどうかということは、その国語の自慢にはならない。ヴォルテールはフランス語は明快さと秩序力がとびぬけてすばらしいと自慢していたけれど、だからといって「フランス語はどこにもないほどの言語力に富んでいる」とは言えない。英語には「エスプリ」に当たる言葉はないが、フランス語には「エスクワイア」や「ジェントル」に当たる言葉はなかったのである。
 逆に、アメリカ人が「ヒップ」や「クール」に特別な意味をもたせたからといって、その感覚を言い当てる言葉が他の民族文化や国民文化に育っていないことを、非難はできない。ぼくは「コギャル」という言葉はよくできていると思うけれど、これを「あはれ」と「あっぱれ」をフランス人の前で講演したように説明できるかというと、とても自信がない。「小さいギャル」だと説明しても、そんなチビ少女の何がおもしろいのか、フランス人は理解しない。

エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界の言葉』
「翻訳できない言葉」を世界中から集め、著者の感性豊かな解説と瀟洒なイラストを添えたユニークな単語集。

 本書の著者のガイ・ドイッチャーはこの綴りの名前からは出自がはっきりしないのだが、職能者としてはケンブリッジ大学のれっきとした言語学者である。オランダのライデン大学で古代近東語を研究し、マンチェスター大学で言語文化の表象論をコーチして、ドイツ語圏を母語としながらもヨーロッパの各言語に通じたようだ。国籍はおそらくイギリスなのだろう。
 そういう知的経歴のあるドイッチャーから、たとえば古代バビロニア人はドストエフスキーの『罪と罰』を読んだらしかめっ面になるだろうと言われると、なるほど、そうなんだろうなどと頷ける。バビロニア語では「罪」と「罰」とは1つの単語で言いあらわしているからだ。

ガイ・ドイッチャーと原著『The Unfolding of Language』

 外国人にとって、その土地の母国語(母語=マザリーズ)がどんな特徴をもっているかは、なかなかわからない。たとえばアジア人やスペイン人からはノルウェー語とスウェーデン語とオランダ語の区別はつきにくい。それは北欧人からはモンゴル語と中国語と朝鮮語と日本語の区別がつきにくいのと同じだし、タイ語・ビルマ語・インドネシア語の区別が西欧人や日本人につきにくいのと同じだ。
 もっとも何かに慣れてくると、その区別が“耳の似顔絵”のようにわかる。ドイッチャーによると、ノルウェー語は切り立った岸壁のようで、スウェーデン語はどこまでもつづく平野のようであり、勤勉なプロテスタントである民衆がつくりあげたオランダ語は、海からの風がたくさんの子音を削ってしまったかのようであるらしい。われわれは中国語、韓国語、日本語の“似顔絵”をこんなふうに説述できるだろうか。

 言葉には、気候風土や「なり」「ふり」にもとづくニュアンスや、伝達意志力がしからしめる言いまわしがある。そこには必ずやソージ(相似)とルイジ(類似)の特色がある。
 ずっと前、タモリを伴ってイタリア大使公邸でのパーティに出たとき、タモリにイタリア映画の会話の真似や、中国人・イタリア人・ドイツ人・韓国人のマージャン議論のパロディを即興で演じてもらったことがある。そこにはレオ・レオーニや谷川俊太郎なども招かれていたのだが、イタリア大使のビアンケリもイタリア出身のレオーニも、タモリのいんちきイタリア語がそっくりだと言って大笑いしていた。
 いまどき、こんな余興はできないだろうというような、懐かしいエピソードだが、こんなふうに「言葉の特色」は「聞き耳」のなかでソージやルイジが大いに強調されたり歪曲されたりするものなのだ。けれどもその違いが感じられるからといって、その言葉の意味が理解できることは、ほとんどない。同じ日本語でも津軽弁と茨城弁と名古屋弁の意味がとれないことは、しょっちゅうだ。

『愛の傾向と対策』(工作舎,1980)のち『コトバ・インタフェース』(大和文庫)に解題
「コトバは口からでる糞」からはじまり、笑い渦巻く言語問答は、あいだにイタリア大使館でレオ・レオーニに芸を披露するなどし、10時間にも及んだ。

タモリの7ヶ国語バスガイド

 ドイッチャーが本書で主張したことは、言語はすべて相対的にしか理解できないということである。わざわざその程度のことを主張したのかと思うかもしれないが、言語学の歴史ではこのことを実証的に主張するのは案外に大変なことだった。
 なぜなら言語学の仮説には長らく「言語起源論」というものが君臨していて、レオン・ポリアコフが『アーリア神話』で暴いたと同様の「言語単一起源説」がずっとはびこってきたからだ。その神話を破るのが大変だったのだ。しかし言語の起源なんて、もとより一つじゃなかったのである。民族や部族の言語はその数がわからないほどに複数発生的で、かつ複合発生的だった。
 キリスト教言語圏からすれば、オリゲネスやアウグスティヌスやセビリアの司教イシドールスが主張したように、ヘブライ語がただ一つの起源言語で、上代のあるときに「バベルの塔」が崩壊し人々が四散して、世界各地にさまざまな言葉がばらまかれたというふうになるけれど、決してそんなふうにはならなかったのだ。一部の「アダムの言語」がそうなっただけだ。

ヨース・デ・モンペル『バベルの塔』
旧約聖書の「創世記」の寓話。人間が新技術を用いて天まで届く塔をつくろうとするのを神が防ぐため、人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにした。このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった。

 いやいや、バベル神話だけではなかった。なんらかの普遍言語や世界言語のようなものが、歴史の起源のどこかにあったはずだという逞しい想像は、なかなか潰えなかったのである。
 たとえば、ジョン・ウィルキンズの『マーキュリー、あるいは秘密にして迅速なる使者』(1641)、サイモン・ベリントンの『モザイク状の世界創造、大洪水、バベルの塔建設、そして言語の混乱に関する私論』(1750)、ジェームズ・ハリスの『ヘルメス、あるいは普遍文法についての哲学的探求』(1751)といった謎のような本が次々に登場して、どこかに起源言語があるという万余の想像力をかきたてたのだった。
 そうしたなか、言語文化を洞察したコンディヤック、モーペルテュイ、ルソーをへて、本書も注目したヴィルヘルム・フォン・フンボルトが議論を深めていくようになると、やっとインド=ヨーロッパ語族の全貌や言語系統樹の青写真が見えてきて(これもあくまでヨーロッパ語からの比較推論だったが)、そこからソシュールの『インド=ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書』(一八七八)のような、今日の言語学の基盤が用意されるようになったのだった。

ジョン・ウィルキンズ『マーキュリー、あるいは秘密にして迅速なる使者』(1641)

ジェイムズ・ハリスの『ヘルメス、あるいは普遍文法についての哲学的探求』(1751)

世界の語族
西アジアからヨーロッパ、南アジア、東アジア、アフリカ、アメリカ大陸と、それぞれの情報文化を支える言語の系譜が見えてくる。

 しかし、それでも、まだ言語には「共通する普遍性」があるという見方は強い仮説力をもっていた。その代表的な仮説がノーム・チョムスキーの生成文法論という言語理論である。
 チョムスキーは、すべての言語がその深いところで普遍文法と基本的概念とを共通させていて、それゆえ体系としての複雑さがどんな言語にもあらわれたのだと見て、譲らなかった。人類の心身に言葉の原型がひそんでいたというのだ。ただし、その延長の研究に勤しんだスティーブン・ピンカーの『言語を生みだす本能』(NHK出版)などをもってしても、このことはいまだに実証されてはいない。
 まあ、言語学史の話は本書の主題ではないので、今夜は追いかけないことにするが、ガイ・ドイッチャーの言語相対説はどこから来たかといえば、エドワード・サピアとベンジャミン・ウォーフの仮説にもとづいたのである(言語学ではサピア=ウォーフ仮説とよばれる)。それが蓋然性に一番富む言語理論であるかどうかは、まだはっきりしない。

ノーム・チョムスキー
「現代言語学の父」と評され、また分析哲学の第一人者と見なされる。コンピュータサイエンスや数学、心理学の分野などにも影響を与えた。2005年、唯一生存する学者として「世界最高の論客」に選ばれた。

エドワード・サピアとベンジャミン・ウォーフ
サピアが「言語は人の考え方に影響を与える」とする説をウォーフが発展させ、「サピア=ウォーフ」仮説が体系化した。言語学界に大きな衝撃を与えた。

 ところで本書の後半には、今日の言語社会が乗り上げつつある暗礁についての議論が展開されている。それは「なぜ言葉は差別感をもつのか」ということだ。とくにジェンダー語の事情に分け入った。少し、とりあげておく。
 日本には新聞禁止用語や放送禁止用語がある。ここで例を出すこと自体が憚られるほどなので例を書きづらいのだが、たとえばわかりやすいところでも「おまわり」「運ちゃん」「お給仕」「芸人」「百姓」「人夫」「線路工夫」「郵便屋」「興信所」「名門校」「未亡人」は自粛されている。ぼくはいつのまにか「婦人」という言葉が差別語扱いされるようになっていて、びっくりしたこともある。「婦人科」はともかく、「婦人警官」とか「看護婦さん」と言えなくなっただけでなく、明治以来の「婦人社会運動」も語りにくくなってしまった。
 ぼくにはいまもって何がどう差別されているのか、そのリクツがよくわからないままなのだけれど、「婦人」や「OL」がダメで、「オヤジ」「おっさん」「女」「ガキ」はいいらしいと聞くと(いずれもテレビ番組のタイトルにも使われる)、いささか困惑させられる。

『記者ハンドブック』に記載されている差別語・不快語
『記者ハンドブック』(共同通信社)

 こうした風潮はアメリカのPC運動から広がった。PCとは「ポリティカル・コレクトネス」(political correctness)によってコミュニケーション用法を制御しようという運動のことで、初期には人種差別(アパルトヘイトなど)からの脱却をめざして大きな成果をあげたのだが、それが差別用語の粛正やジェンダー語にまで広がって、いつのまにか「言葉狩り」にもなった。けれどもジェンダー語によって差別の度合いをはかるのは、歴史的にはかなり乱暴なことなのである。

 だいたい「ジェンダー」(gender)という言葉は、もともとは「タイプ」「種類」「種」のことだ。genus(種類)や genre(ジャンル)と同じ語源なのだ。古代ギリシアの哲人たちが「ゲノス」(種族・類型)の基準を、①男性=人間・動物、②女性、③無生物という三つに分けたのが、ジェンダーの始まりだった。
 このジェンダーが各地で別々の分類価値観で使われるようになったのである。アフリカのマリ地方のスピレ語には「人間、大きなもの、小さなもの、集合体、液体」という5つのジェンダーがあり、スワヒリ語には10のジェンダーがある。オーストラリアのガンギテメリ語にいたっては「男、女、犬、犬以外の動物、植物、飲みもの、槍のあれこれ」など、15のジェンダーを数えた。

ジェンダー語に関するページ
上記のハイネの詩では、松の木(der Fichtenbaum)が男性名詞、椰子(die Palme)は女性名詞に対比させることで、詩全体の心象に性的側面を与えると解釈されている。

 民族や国語や方言によっては、男性名詞と女性名詞の使い方もまちまちである。男性名詞や女性名詞や中性名詞が生ずることを、言語学では「文法的ジェンダー」とか「性文法」というのだが、その分類は各国語・各民族の歴史や習俗やマナーによってかなりの違いが出る。
 たとえば、ロシア語では「雑誌」が男性名詞で、「新聞」が女性名詞、「家」が男性名詞で「学校」が女性名詞になる。「紅茶」が男、「水」が女、「ワイン」は中性名詞なのだ。この感覚はよほどロシア語やスラブ文化に詳しくないとわからない。
 パプアニューギニアの各言語では、おおむね「大きくて長いもの」が男性で、「小さくてまるいもの」が女性とみなされる。これはなんとなく納得できそうであるけれど、ジェンダーがまったく逆になることもある。ドイツ語ではスプーンが男性、フォークが女性、ナイフが中性なのに、スペイン語ではフォークが男性で、スプーンが女性名詞になる(フランス語はフォークが女性名詞)。統一ルールなんて、あるわけがない。
 おまけにトルコ語、フィンランド語、エストニア語、ハンガリー語、インドネシア語、ベトナム語、日本語には、そもそもジェンダー名詞の区別がほとんどない(日本語は一人称を「俺」や「あたし」に変化させる)。その理由も研究できていない。けれどもそこにジェンダー語が割り込んだ。しかも「ジェンダー」という言葉が「性」(sex)の婉曲表現となったのはやっと20世紀になってからのことで、性別や性差別の意味として使われるようになったのは20世紀半ばからのことなのである。
 ドイッチャーはこうしたジェンダー語があらわす意味の違いは、各民族の言葉が「青」や「緑」などの色について、どの色をどのように呼んできたかということにも似て、一概には確定できないはずだと主張する。

 最近はジェンダー・マーカーについてもいろいろ喧しくなっている。ジェンダー・マーカーは、接尾辞や接頭語の変化でジェンダーを示す言葉上の形態素のことをいう。
 ところが、これもまちまちなのである。「男らしさ」や「女らしさ」ははっきりしない。デンマーク語では dag(日)と hus(家)は名詞としてはジェンダーをもたないのに、冠詞をつけるとジェンダー・マーカーが作動する。それにもかかわらず、ジェンダー・マーカーはしだいに肩で風を切るようになった。トルコ語から日本語まで、ジェンダー名詞の区別がほとんどない国でも、どんな言葉づかいが女性蔑視になるのかだけはどんどんリストアップされているのだ。

金水敏『〈役割語〉小辞典』
特定の人物像が浮かぶ「役割語」を収集したもの。「ごめんあそばせ」や「よくってよ」といった〈お嬢様ことば〉のフレーズがとりあげられている。

 英語が“he”や“she”などの代名詞にしかジェンダーをあらわさないのはよく知られている。それなのに(いや、そうであろうから)、そういう英語圏のアメリカからこそ性差別をする言葉に対してのポリティカル・コレクトな「言葉狩り」が始まったのだった。けれども、自分たちの国語はジェンダー区別をしない言葉になっているからといって、他の言語にも性差別をしないように奨めるのは、無理強いに近いものだった。
 かくて本書は、各国語がどのように色彩語やジェンダー語を決めてきたかという研究を通して、そもそも言語は文化背景によって異なる複雑性に達するものであって、その点からするとどんな言語も相対的であるということを主張した。
 しかし、以上のことは、言葉の秘密のまだまだごく一部の問題だった。ぼくが思うに、言葉は「漬物」のようなところがある。糠床と塩加減と食べ方の関係を問題にしなければ、柴漬けも千枚漬けも野沢菜も、ない。言語の糠床はまだまだ探求しきれていない。

言語によって世界が違って見える具体例
【右ページ】上写真はヨーロッパ人が見える光景で、下写真は古代人が見たはずだという光景。
【左ページ】各言語による虹の色の切り分け方。

映画《メッセージ》
世界各地に突如あらわれた宇宙人の信号を解読する女性言語学者の物語。主人公は異性生物“ヘプタポッド”が使用する言葉が、時制にとらわれない非線形言語(ノンリニア・ヴァーヴァル)であることを突き止めるが、解読していくにつれ自分の過去・現在・未来の感覚が混交する。テッド・チャンによる短編小説『あなたの人生の物語』が原作。映像化不可能と言われていた非線形言語文字を独特の映像美で表現した。監督は同年に『ブレードランナー2049』を制作し、世界から高い評価を集めたドゥ二・ヴィルヌーヴ。

⊕ 言語が違えば、世界も違って見えるわけ ⊕

∈ 著者:ガイ・ドイッチャー
∈ 訳者:椋田直子
∈ 装丁:織沢綾
∈ カバー・扉・表紙:人物シルエット shutterstock.com
∈ 発行者:宮野尾充晴
∈ 発行所:インターシフト
∈ 発売:合同出版
∈ 印刷・製本:シナノ印刷
∈∈ 発行:2012年12月5日

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ プロローグ 言語と文化、思考
∈ 第Ⅰ部 言語は鏡
∈ 第1章 虹の名前
  ホメロスの描く空が青くないわけ
∈ 第2章 真っ赤なニシンを追いかけて
  自然と文化の戦い
∈ 第3章 異境に住む未開の人々
  未開社会の色の認知からわかること
∈ 第4章 われらの事どもをわれらよりまえに語った者
  なぜ「黒・白、赤…」の順に色名が生まれるのか
∈ 第5章 プラトンとマケドニアの豚飼い
  単純な社会ほど複雑な語構造を持つ
∈ 第Ⅱ部 言語はレンズ
∈ 第6章 ウォーフからヤーコブソンへ
  言語の限界は世界の限界か
∈ 第7章 日が東から昇らないところ
  前後左右ではなく東西南北で伝えるひとびとの心
∈ 第8章 女性名詞の「スプーン」は女らしい?
  言語の性別は思考にどう影響するか
∈ 第9章 ロシア語の青
  言語が変われば、見る空の色も変わるわけ
∈ エピローグ われらが無知を許したまえ
∈ 謝辞
∈ 原注
∈ 参考文献
∈ 補遺
∈∈ 解説

⊕ 著者略歴 ⊕

ガイ・ドイッチャー(Guy Deutscher)
言語学者。ケンブリッジ大学(セント・ジョンズ・カレッジ)の特別研究員、ライデン大学の古代近東言語学科の教授を経て、マンチェスター大学の言語・言語学・文化学部の主任研究員。本書を含め、3冊の著作がある。本書は、多数の年間ベストブックを獲得している(エコノミスト誌、フィナンシャルタイムズ誌、ライブラリージャーナル誌:いずれも2010年度)。英国ロイヤルソサエティによる年間ベスト科学本・最終選考賞(2011年度)、ニューヨーク・タイムズ紙のエディターズ・チョイスも獲得。