才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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世界の読解可能性

ハンス・ブルーメンベルク

法政大学出版局 2005

[訳]山本尤・伊藤秀一
編集:稲義人・平川俊彦

ハンス・ブルーメンベルクという、
とんでもない知の巨人がいる。
ドイツで沈思黙考しつづけて、17年前に亡くなった。
メタファー学の秀れた提唱者にして、
知の読みに画期的な方法をもたらした思想史家だ。
世界がどんな読解可能性をもってきたのか、
その可能性を広汎縦横に世界読書と重ねてみせた。
実は、ぼくにも世界読書のための試みがある。
イシス編集学校「離」のインターテキスト「文巻」で
9年間にわたって未公開に試みてきたことだ。
今夜は、その世界読書の一端の開示を
ブルーメンベルクに託しつつ、洩すことにした。

 今夜はハンス・ブルーメンベルクの『世界の読解可能性』という、世界書物と世界読書をめぐる不惑の一冊を提示しようと思うのだが、その前に、ぼくが初めて当事者以外にリークする話を洩しておきたい。ずっと伏せておこうと決めていたのだが、いささか思うところあって、以下のこと、少々ばらすことにした。
 ぼくには、ぼくが死ぬか、それに匹敵する事情があるまでは公開したくない格別の文書がある。べつだんウィキリークスにすっぱ抜かれるような秘録でもなく、ペリカン文書ふうのものでもない。個人史的なものではなく、誰かに関するものでもない。ぼくが十五年前に書いたテキストで、世界観とその見方に関する十二章だてになっている。ただけっこう長い。「四〇〇字×約一二〇〇枚=約五〇万字」ほどがある。中身を絶対の秘密にしているわけではないが、一般公開しているわけでもない。
 非公開なのに、このテキストは閉じていない。いまなお成長しつづけていて、そのテキストを読んだ者たちによって相互編集され、加筆され、膨らみつづけている。すでに一〇〇〇万字以上になっていると思う。
 これは「文巻」とぼくが名付けたテキストで、イシス編集学校「離」のネット上でのみ提示されてきた。指導陣にあたる火元組と、生徒にあたる離学衆だけが読むことができるテキストなのである。
 ふつうにいえば「離」というコースウェア・プログラムの教科書なのだが、世の中にあるどんな教科書を想像してもらったとしても、それらとはそうとうに違うものだと自負できる。どんなものなのか、いろいろ勝手な想像をしてもらっていいけれど、おそらくまったく見当はつかないだろう。
 内容が特異なだけではなく、テキストそのものが全篇にわたって「有機的な空白性」と「編集的な充当性」をもっているからだ。ぼくが書いたのに、すこぶる可変的なのだ。なぜ、このようなテキストを限定された離学衆のために書いたかということを説明するには、イシス編集学校の「離」の狙いを少しだけ知ってもらわなければならない。

イシス編集学校は、基本コース「守」、応用コース「破」、松岡正剛直伝「離」、コーチングプログラム「ISIS花伝所」、専門コース「遊」など、様々なコースが用意されている。
(外部リンク:イシス編集学校) 

 「離」を受講することを「離学衆になる」という。離学衆になるにはまず四カ月間の入門コース「守」を卒門し、さらに応用コース「破」を突破して、それなりの応募資格を得なければならない。すでによく知られているように、「守」も「破」もインターネット上でラーニングするようになっている。「離」もそうなのだが、「守」「破」とはいろいろ異なる。
 離学衆になるには、然るべき申し込みをして、ある課題文を提出すると「離」の受講が認められる。離学衆になると二院に分かれ、そのどちらかの所属になる。二院は、たとえば「玄黒院」「悠窓院」「連條院」「放恋院」「観尋院」「構肖院」などというような名がついていて、各期、原則三〇人(一院一五人)だけが〝入院〟を許される。
 院では、火元組の方師・別当・別番・右筆・半東・総匠らが指南にあたる。毎年、約十二〜十五週間だけが開講時期だ。これまでの九年間で九期が実施され、一八院が設けられ、約三〇〇人が〝退院〟してきた(二〇一九年現在で一三期)。

第八季「離」の退院式の様子
2013年9月21日には第九季の退院式が実施される。

 このような「離」において、文巻は開講日から数回ずつに分けて次々にネット配信される。離学衆はこれを各自の端末上で読むのだが、その量が膨大であるだけでなく、文巻が配信されるたびに、のべつ問題や課題が出るので、これに次々に応じていかなければならない。文巻のテキストの随所に多種多様な〝お題〟型の指示がアンカリングされていて、離学衆たちはこれに従いつつ文巻を読まなければならないのだ。
 〝お題〟は約五〇〇種にのぼる。この〝お題〟のところがテキスト空白部であってテキスト充当部なのだ。〝お題〟はかなり予想外のものが多い。これまで〝退院〟した離学衆のほぼ全員がまったく予想がつかないものばかりだったと感想をのべている。その中には明治大学・京都大学・横浜国立大学・筑波大学・法政大学・東京工業大学の教授や、東大や早稲田や慶應や藝大の学生や大学院生がいた。

 「離」にはむろんプログラムの正式名称がついている。松岡正剛直伝「世界読書奥義伝」という。怖ろしい名称だが、独特の多重多岐なプログラムによって世界読書(!)を通過してもらおうというものなのだ。このプログラム名で、今夜の千夜千冊がブルーメンベルクの世界読書と世界書物をめぐる『世界の読解可能性』を提示しようとしていることに、ちょっとは合点がいったかもしれない。
 そうなのである、このプログラム名には「世界を読書すること」「世界読書についての本を読書すること」「世界を書物とみなして解読すること」「どんなことも世界の〝読み方〟とみなすように思考すること」「文巻を読むことが世界読書になること」といった意図がこめられている。

イシス編集学校 世界読書奥義伝「離」

 ぼくがブルーメンベルクのいう「世界の読解可能性」にあたるものを方法的に先取りできたかもしれないことについては、いくつもの理由があるが、手短かにいえば次のようなことだ。
 テキストを書くだけなら空海やダンテのような、あるいはオックスフォードやハーバードふうの教科書を書けばいいのだが、そうはしたくなかった。テキストを「読む」ということがどういうことなのかを、読んだあとではなく、読んでいる渦中で確認したり、調査したり、合点したり、飛躍したり、迷ったり、留まったり、抉ったりできるようにしたかった。また、リテラルな〝読み〟が、ときに触知的になったり、深い記憶の想起となったり、視覚連想の束になれるように、したかった。
 それには、文巻はテキストが多重多層多岐になっているだけでなく、そこを辿る者がテキストに入ったり出たりしながら、世界読書者としての内属性と外包性を自分なりに入れ替えできるようになっていなければならなかった。

 つまり文巻は、多重なインターテキストであってハイパーテキストであり、かつ外の世界書物と鍵と鍵穴のように組み合わさっていなければならなかったのである。外の世界書物には、自然科学・社会科学・人文科学・文芸作品・芸術・芸能・社会現象などを含む。それゆえ文巻を読む者は、このように外部世界と連動するテキストの重層的展開にしたがって、世界はこのように織り成されたり、開示されたり、閉じたりするということを〝実感〟できるようになるわけである。
 もともとどんなテキストも「一文には多文が殺到している」というものだけれど、一般的な読者というもの、なかなかそのようには実感できない。その一文を読んでいると、他の一文が思い出せなくなってしまうのだ。そこで、文巻の各所にはあらかじめ何十冊・何百冊もの書物が隠れん坊のごとくインストールされていることを、明示あるいは暗示した。また、その多くを千夜千冊に連動できるようにした。

「離」の指導陣
左上から、太田香保、太田眞千代、方師の倉田慎一、
別当の田母神顯二郎、塩田克博。

 さて、お待たせした。今夜の千夜千冊である。
 ハンス・ブルーメンベルクは二十世紀後半のドイツの深遠な哲学者にして高度な神学者であって、類いまれな「メタファー学」(metaphorogie)の提唱者であった。たんにメタファーの効用を提唱したのではなく、メタフォリカル・アプローチでしか世界読書はできないと見た。そこには、「空白の中にとびこんで、理論的には満たされないもののタブラ・ラサに自らの輪郭を描く」という基本姿勢が貫かれていた。
 ブルーメンベルクが前提にしたことは、端的にいえば「世界は本である」ということと、「世界は読まれることを待っている書物の群である」ということだ。世界は書物をめざすようにできていて、書物は世界のようにできてきたものなのだ。
 そうだとしたら、世界を〝書く〟こととその世界を〝読む〟ことのあいだには、それなりのエクリチュールの幅広い連環領域があるはずで、それをメタフォリカルな時空が埋めているのである。そうであるのなら、世界を〝読む〟ことは世界を新たに〝書く〟ことでもあったわけである。
 このような世界読書あるいは世界書物についての見方は、ブルーメンベルクのいう「読解可能性」をきわめて高くて深い水準にしている。ただ、ブルーメンベルクはこの水準を比類のない読解力をもって一人で構築してしまった。ぼくは、そこを文巻によって「離」を受講した誰もが相互複合的に編集できるようにした。いいかえれば、ブルーメンベルクが一人で立ち向かった「タブラ・ラサ」を、世界が読まれることを待っている多くの書物の「文中」と、それを文巻に独自に並べなおした「文脈」というふうに捉えなおすことによって、離学衆それぞれにメタフォリカルな世界読書が出入りできるように仕組んだのだ。
 このようなことをぼくが思い付けたのは、そもそも編集工学が「伏せて、開ける」ということを方法の根幹においてきたからだった。ブルーメンベルクのように世界読書をして、そこに読解可能性を感じられるようにすることは、もともと編集工学の根本的な方法であったのだ。

 ブルーメンベルクのほうは、そのような方法を「メタファー学」の組み立てから入っていった。この哲人がそのような構想と計画を実行に移したのは一九七八年からだったようだが、その二十年ほど前にドイツ学術協会の会長ゲオルク・ガダマーに勧められ、その研究部会で最初のメタファー学の概要を提示していたようだ。
 そのようにブルーメンベルクがなっていったのは、独自の編集的百科全書の構想をもっていたエーリッヒ・ロータッカーの考え方に刺激をうけたからだった。とくに主著『人間と歴史』(一九四四)の影響だ。ロータッカーは「意義律」を唱え、読書というものには認知心理学でいうゲシュタルトに近い「意義の読みとり」が動いていると見抜いたのである。ロータッカーについては『人格の成層論』(法政大学出版局)を読まれるといい。ブルーメンベルクはこれにヒントを得て、世界読書がメタファー上に進むということに確信をもった。

 ブルーメンベルクが「意義律」をもってヨーロッパにおける世界読書に分け入ってみると(東洋思想についてはまったく触れられていない)、そこには「その書物を神が書いたとみるのか、そうではない何者かによって書かれたとみるのか」という分岐点ばかりが何度も議論され、絡みながら錯綜していた。
 それは、ヨーロッパの世界読書の歴史の多くは「聖書を読むか、アリストテレスに従うか」ということを執拗に考えてきた歴史だったということだ。ヨーロッパの主要な知性の歴史は、煎せんじつめればこの二つの書物のあいだを逡巡してきた。
 こんな主題論理的な二分法だけで書物と世界の関係を固定するのは、ばかげたことである。書物が世界をあらわしているのなら、そして世界がたえず書物になってきたというのなら、その書物世界=世界書物にはいくらだって「読解可能性」の隙間があっていいはずなのだ。聖書とアリストテレスはそのうちのひとつの読解系譜にすぎない。

15世紀にグーテンベルクによって、世界で初めて印刷された聖書。

 ならば、もっと広範囲にわたる世界読書における読解可能性とはどういうものであるべきなのか。ブルーメンベルクは、ここにメタフォリカル・リーディングの可能性を差し挟んでいった。
 言葉というものは、言語や国語の共役力という下敷きの上にのっている。ソネットや和歌はオラリティーとリテラシーを結ぶシラブルの上にのっている。グーテンベルク以降の活版本はそれ以前の音声言語の上にのっている。コンピュータの情報はOSというプログラムの上にのっている。ちょうどそのように、書物の世界には古代このかた「読解可能性」というメタプロトコルあるいはハイパープロトコルがありつづけたはずなのである。〝書物世界=世界書物〟にとっては、パソコンのメタファーがデスクトップ・メタファーであるように、読解可能性という世界メタファーが作動しつづけていたはずなのだ。

 こうしてブルーメンベルクはメタフォリカル・リーディングあるいはメタフォリカル・シンキングには、三つの様態や方法があると見ることになる。
 第一には、発言や文意の装飾あるいは暗示のためのメタファーの駆動だ。これは古代ギリシアが「アナロギア・ミメーシス・パロディア」と呼んだものや、古代ローマのキケロの時代に確立されたレトリック(修辞感覚)に近いものである。一般的には「比喩的な解釈と表現」というものにあたる。しかし、たんに比喩的に世界や世間や現象や心理を解釈するというだけでは、へたをすると「わかりやすさ」のほうへ理性や感性を押し込めることになる。
 第二には、概念を形成する手前でおこる「言語の先取り」として、あえて不正確な思考を進めていくときのメタファーの駆動である。このメタファーの駆動はたいへん重要なもので、とくに芸術や芸能では最大の効果をもたらすものではあるのだが、またときには科学上のヒューリスティックス(発見的な判断)においても効果を発揮することも少なくないのだが、ひとつ、欠陥がある。
 それは、このような独自な「言語の先取り」はやがて研究や学問によってほとんど新たな定義規定を与えられて訂正されてしまうため、当初の「先取り」の意図が忘れられてしまうということだ。たとえば熱力学で「でたらめさかげん」という現象がやがて「エントロピー」という定義規定で取り扱われてしまうと、当初の「ぐちゃぐちゃ」感が希薄になってしまうのだ。日本文化を支えてきた「見立て」は、こうした概念規制を巧みに免れてきた。
 第三のメタファー作用は本書で最も重視した読解可能性に向かっている。こう説明している。「これは絶対的なメタファーとでもいうべきもので、その発言に含まれる独自の意味は既存の概念性によっては解くことができず、論理性に連れ戻すことができない本来的なものに向かっていくものである」。「論理性に連れ戻すことができない本来的なもの」が、いい。
 ブルーメンベルクは、これこそが「答えることができないかもしれない問いへの答え」として、世界の読解可能性をつないでいくものだろうとみなしたのである。まさに文巻が狙ったものだった。ただし、ぼくはこれが「絶対的なメタファー」だとは思わない。もっと柔らかいものを使ってきた。

 ブルーメンベルクの世界書物と世界読書をめぐる読解可能性は、必ずしも初々しいものではない。歴史上、これまでも何度か指摘されかかってきたものに近似する。プラトンもプロティノスも、ダンテもハイネも、うすうす感じてきたものだった。
 二十世紀以降にも、読解可能性に近いものを探求しようとした思想者たちはたくさんいた。たとえば、ヴァルター・ベンヤミンの「伝達の不可能性を超えていくパサージュを辿ること」、スーザン・ソンタグの言う「ときに沈黙や逸脱がもたらす反解釈性による通達感」、ロラン・バルトの「言語の前記号的状態がもたらす解釈力」、ジュリア・クリステヴァの「異なるテキストにまたがるインターテクスチュアリティの相互性」、ジャック・デリダの「非場所や非知識が様態によって変化していくだろうときの脱構築性」などなどだ。
 これらはすべて、ぼくが編集工学的思考性として親近感をもってきたものだった。そうではあるけれど、ぼくはこれらから卓抜して、やっぱりブルーメンベルクこそが決定打を放ったと思っている。

 世界をどのように読むかという世界読書法には相互編集力が必要なのである。このことを暗示してきた文章や文意をもつテキストも、古代からさまざまな才能によって試みられてきた。
 アウグスティヌスはギリシア語の写本とラテン語訳の聖書とが一致している箇所に「各人にとって」という語句を加えていた。トマス・アクィナスはメタファーの行く先を「神の国」にとりあえずぶちこんでおくことにした。ジャン・ジャック・ルソーは『告白』の冒頭で「書く神」に対して「分かる社会」が対応できることを挙げ、そこに一般意志というOSめいたものを想定した。
 また、複数の地球を想定したジョルダーノ・ブルーノや複数の異神を想定したバールーフ・スピノザは、書物が一文字ずつ読まれるのではなく、その世界観が位相をもって観相的にとびとびに読解されてきたことに気がついていたし、フランシス・ベーコンにおいては、世界はそれが表出された当初から「二つ以上の書物」の並行処理によって語られてきたと考えられていた。こうした相互編集的世界読書法を最も象徴的にまとめようとしたのは、何といってもウィルヘルム・ライプニッツの「アルス・コンビナトリア」という方法だった。
 他方、神秘主義者たちが、未知な想像性と既知の文章や論理をもっとメタフォリカルに(アレゴリカルに)重ね合わそうとしたことも、よく知られていよう。そこでは論証よりもはるかに〝暗合〟が特筆されたのだ。
 しかし本書においてブルーメンベルクが多くのページをさいてメタフォリカルな読解可能性を駆使しただろうとみなしたのは、時代順でいうのなら、まずはノヴァーリスやシュレーゲル兄弟に代表されるロマン主義者たちと、その総合化としてのゲーテであり、ついではアレクサンダー・フォン・フンボルトやエドガー・ポオによる万物照応力であって、そしてポール・ヴァレリーとステファヌ・マラルメが見せた〝書物=世界〟の知的方程式だったのである。
 まさにその通りだと思う。ブルーメンベルクの指摘する通りで付け加えることはないけれど、ま、このへんのことは千夜千冊にもさんざん案内してきたことなので、とくに説明することもないだろう。

 それにしても、よくぞブルーメンベルクは本書を書き上げたものである。なかでも最後のページ近くになって、シュレディンガーの生命科学観が正解を求めるのではなく、あえて読解可能性の〝周辺連打〟に徹していたことに言及していること、ゲノムの解析がこれまでの文化学を超える共同読解可能性にならないかぎりは生命科学の可能性が社会的に挫折するだろうと述べていることには敬意を表したい。
 このようなことを、これまで語れる〝知学者〟はいなかった。多くの思想者は「知」そのもののコンテンツの検証性に向かいすぎてしまうからだ。ブルーメンベルクはそうしなかった。メタフォロロギー(隠喩学)を駆使して、つねに「方法による相似性」に関心を向けたのだ。その相似性が世界に読解可能性をもたらしていると喝破したのだった。安易な概念に倚りかからなかったのだ。
 こんなところで今夜のぼくの意図が伝わっただろうか。「離」のしくみの一端をばらす気になった意図が伝わっただろうか。もっとブルーメンベルクの知的総合力をサービス案内してもよかったが、それは諸君が直接に当たるか、もしくは「離」に入ってきてからのことにしたいと思う。
 それでもブルーメンベルクに急いで迷いこみたいという世界読書派がいるのなら、神話派の諸君は大著『神話の変奏』(法政大学出版局)を、歴史派の諸君はさらなる大著『近代の正統性』全三冊(法政大学出版局)を、読むというよりむしろハイパーゲシュタルト的にスキップすることをお勧めする。きっと目が眩むような読書となるだろう。

 

⊕ 世界の読解可能性 ⊕

∃ 著者:ハンス・ブルーメンベルク
∃ 訳者:山本尤/伊藤秀一
∃ 発行所:財団法人 法政大学出版局
∃ 製版・印刷:三和印刷/鈴木製本所
⊂ 2005年11月30日 第1刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ 本書について
∈∈ 経験可能な全体のためのメタファー
∈∈ 書物世界と世界書物
∈∈ 書物としての天上、天上の書物
∈∈ 字母の比喩
∈∈ 啓示の書物と自然という書物、後者の台頭と遅滞
∈∈ 世界という書物の読者としての文盲の俗人
∈∈ 神の二つの書物は一致する
∈∈ 読解可能性の不均衡
∈∈ 人間世界の暗号化と解読
∈∈ 世界の年代記、あるいは世界の公式
∈∈ ロビンソン世界対ニュートン世界
∈∈ 十九世紀への接近における諸傾向
∈∈ ハンブルクの自然という書物と
   ケーニヒスベルクでのその反映
∈∈ 額のしるし、天上のしるし
∈∈ 「どのようにして自然という書物が
   私にとって読解可能になるのか・・・」
∈∈ 「世界はロマン化されなければならない」
∈∈ 絶対的書物の理念
∈∈ 自然という書物のような自然についての書物
∈∈ 空虚な世界書物
∈∈ 夢解釈の準備
∈∈ 夢を読解可能にする
∈∈ 遺伝子コードとその読者
∈ 訳者あとがき
∈ 原注
∈ 人名索引

⊗ 著者略歴 ⊗

ハンス・ブルーメンベルク(Hans Blumenberg)
1920年ドイツのリューベックに生まれる(母はユダヤ人)。パダボルンとフランクフルトで哲学と神学を学ぶ。1950年キール大学で教授資格を取得。60年ギーセン大学正教授、この頃ロータッカーの推薦でマインツのアカデミー会員となり、独自の〈メタファー学〉の構想を発表、63年〈詩学と解釈学〉の設立メンバー、65年ボッフム大学に移り、70年から85年に退官するまでミュンスター大学教授を務めた。クーノ・フィッシャー賞やドイツ言語文芸アカデミーのジークムント・フロイト賞を受賞。96年死去。『近代の正統性・全三冊』『コペルニクス的宇宙の生成』(以上は法政大学出版局)、『難破船』(哲学書房)、『真理のメタファーとしての光』(朝日出版社)などが邦訳されている。