才事記

恐怖の権力

ジュリア・クリステヴァ

法政大学出版局 1984

Jilia Kristeva
Pouvoir del' horreur 1980
[訳]枝川昌男

 ジュリア・クリステヴァはこの本を書くあいだずっと2つの書物を念頭においていたらしい。フロイトの遺作となる『モーセと一神教』とセリーヌの小説『夜の果てへの旅』だ。いずれも20世紀の超問題作であるが、「父性」と「負性の反作用」を描いていて、共通していた。
 クリステヴァはこの超問題作を「浄め」と「穢れ」が両義的にあらわれているテクスト、あるいは「魅力」と「嫌悪」が両義的にあらわれているテクストととらえ、そこから人間にひそむ裏腹な関係を問いただしていく。
 問いただしは本書の副題の「アブジェクシオン試論」という言い方に集約される。本書は一行目から最終行まで、アブジェクシオンを徹底的に問題にして、それ以外の問題は扱わない。
 アブジェクシオンが何を意味するかはこのあとすぐ説明するが、そこで検証されるのは、たとえば穢れの儀式、よそよそしい言葉、内部と外部の境目、脃さ、汚物に対する嫌悪感、セリーヌの文学、男根の意味、エディプス・コンプレックスのこと、男女の性的関係、ドストエフスキー(950夜)『悪霊』の登場人物の心理、ナルシシズムの本質といったことで、クリステヴァはこれらがいずれもジェンダーとセクシュアリティの本質にかかわるアブジェクシオンだとみなしたのである。
 そして、このアブジェクシオンを問いただすことが「恐怖の権力」の正体をあきらかにする有効な方法になると考えた。
 
 アブジェクシオンとは「おぞましさ」という意味だ。「おぞましさ」には多くの具合があるし、さまざまなおぞましい候補がある。
 ごく素朴な「おぞましさ」は、嫌いな食物、汚物、はきだめ、死体などに対する嫌悪感としてあらわれる。生理的な経験にもとづく「おぞましさ」だ。幼児に共通しているものもあれば、ヘビに対する恐れのように人類共通らしいものもある。しかし、なぜそれらがおぞましいかはわからないときも多い。大嫌いな人物はおぞましいが、その嫌悪の理由がつきとめにくいときもある。写真や映像として見せられたものがおぞましいことも少なくないが、なぜそのように感じたのか、いつもすぐに目をそむけたためによく見ていなかったということもある。その目のそむけかたはまことに速い。それとともに、少女の多くに経験があるように、父親がおぞましいと感じることもあるし、室生犀星(870夜)の『杏っ子』のように自分の娘がおぞましいこともあれば、自分こそがおぞましいと感じるときもある。
 おぞましさとはまことに広い心情あるいは心性なのだ。けれども、その理由を明確にすることは、案外むずかしい。クリステヴァはこのような「おぞましさ」の根底にある作用をまとめてアブジェクシオン(abjection)と名付けた。たんなる嫌悪感ではなく、嫌悪しているにもかかわらず、その嫌悪が当人の感情や心に入ってくるぎりぎりのところで弾きとばされたり隠されたりしてしまうような、そういう「おぞましさ」がアブジェクシオンだ。この命名にはちょっと仕掛けがあった。

 アブジェクシオンはフランス語の“abject”から派生した言葉で、「分離するためにそこに投げ出した」という原義をもっている。そこから一般的には「放擲」とか「棄却」という意味となった。
 クリステヴァはここに、あえて“abjet”という一字ちがいの造語を孕ませた。これは“abject”からクリステヴァが勝手に派生させた概念で、察するとおり、“objet”とは微妙に裏腹の関係をもつ。すなわち“objet”(オブジェ)が「対象」をあらわすのに対して、“abjet”(アブジェ)は「いまだ対象になっていない」というニュアンスをもった。そうすると、このような“abjet”を含むアブジェクシオンは、2つの意味が相反して絡みあう。ひとつは「禁忌しつつも魅惑される」という意味へ、もうひとつは「棄却する」という意味へ。これらが2つながら孕む。
 こうすることで、アブジェクシオンとは、身に迫るおぞましいものを棄却しようとしている一方で、その棄却されたものが自分にとって実は身近なものであったという意味作用をもつとともに、それに関して自分の中身をさらけだすこと自体をおぞましく思えているというニュアンスもつきまとうというような、そんな状態や作用をあらわすことになったのだった。
 クリステヴァは、禁忌していたのに魅かれる作用が秘められている問題に注目したわけである。避けたり棄却したりしようとしているのに惹きつけられるもの、「浄め―穢れ」や「魅力―嫌悪」といった対比的で裏腹な関係がアンビバレントに襲ってくるようなもの、それをアブジェクシオンとよんだのである。
 さて、そのように見てみると、アブジェクシオンは必ずしも個人の生理的な基準によって対象化されたものだけでなく、そこには社会や歴史や民族や家庭が“abject”していたものもありうることになる。話は俄然、類的な様相をおびてくる。また女性に根ざした何かを暗示するように思われてくる。
 
 895夜にやや詳しく書いておいたように、フロイトが『モーセと一神教』で悪戦苦闘したのは、ユダヤ人がモーセを捏造したかもしれないことと、フロイト自身にひそむ父親像とのあいだに、なんらかのつながりがあるかどうかということだった。そこには、ユダヤ人という民族の起源にまつわるアブジェクシオンが、フロイトという個人の父親とのあいだに生じたかもしれないアブジェクシオンと強くつながりうる可能性(あるいは危険性)が暗示されていた。
 フロイトは『トーテムとタブー』で、原初の社会では女性を独占し、生まれた子供を次々に追い払ってしまう暴力的で嫉妬深い父親をとりあげていた。
 バハオーフェン(1026夜)ふうにいうなら、母権制が解体して父権制が確立する移行期にあたる。このとき、追放された兄弟たちは力をあわせて父親を殺害し、次の共同体をつくろうとする。けれどもそのままでは兄弟たちはふたたび権力を争うことになり、また女性を取りあうことになるので、兄弟同盟のルールと近親性交を戒めるタブーをつくり、そこに父親に代わる動物などのトーテムをつくって、これによって新たな社会組織に向かっていくとした。
 原初の父殺しがその後の社会の道徳や宗教をつくったという説である。フロイトはこの一連の動きに、はからずも父をめぐるアブジェクシオンを組みこんでいた。

 セリーヌの『夜の果てへの旅』(1932)は千夜千冊にはまだとりあげていないが、セリーヌ自身をモデルとした青年バルダミュの遍歴をあつかった衝撃的な作品だ。
 デビュー作でありながら、既存の文学価値を「負」の領域からゆるがすとともに、俗語を露悪的に、かつ縦横無尽に駆使した文体によって、都会的な現代人の意識にひそむ多様でアンビバレントな感情を引き出して、多くの読者を震撼とさせた。はなはだペシミスティックで、かつかなりアナーキーな作風で、ぼくは342夜で紹介した間章に薦められて読んだ。
 その次の、さらに自伝的な『なしくずしの死』(1936)では、主人公フェルディナンの少年期がやりきれないほどに暴露され、それをあらわす破格の文体と隠語卑語の乱打によって、自己暴露されたセリーヌがテクストそれ自体のテクスチャーとさえなった。
 
 クリステヴァがセリーヌに注目した理由には、セリーヌが反ユダヤ主義者であって、強大な父とアブジェクトな母をもっていたこと、つねに文体が恐怖と汚辱と死と追放を滲出させていることが出入りしている。クリステヴァもブルガリア生まれのユダヤ人だったのである。セリーヌがフーコー(545夜)と同様にもともと医者だったということにも親近感があったようだ。
 セリーヌは、パリの商業地区の貧しい家に育ち、見習い店員をはじめ職業を変え、軍隊に入れば入ったで負傷して、アフリカのカメルーンへ赴任するとそこで風土病にかかったりしていた。やがて大衆科学雑誌の編集体験などをへて、30歳で医学博士となってからは、終生、開業医として暮らした。セリーヌは医者でありながら(いや、医者であるがゆえ)、自身と社会のあいだに蟠る「おぞましさ」を文学にすることを決意する。文体が生体そのものとなって「おぞましさ」を生むように綴ってみせる。医者セリーヌは医者フロイトと一脈通じる立場にいて、自身の内なる嫌悪を社会と人間のあいだを波打つ「おぞましさ」に混濁させていったのである。
 クリステヴァはこうしたフロイトやセリーヌの問題意識や文体感覚を例にしつつ、実はアブジェクシオンには「恐怖の権力」の正体があるのではないかと喝破する。フロイトもセリーヌも得体の知れぬアブジェクシオンの侵犯によって医学や文学を成立させていた。クリステヴァはそこにピンときたのだ。

 クリステヴァはなぜ「恐怖の権力」としてのアブジェクシオンの特色などということを追究したのか。ここにクリステヴァの女性性や原郷体験のようなものが浮上する。
 それを掴むには、多少ともクリステヴァの生い立ちの履歴と彼女が提起しつづけた問題の遍歴を知っておいたほうがいい。クリステヴァの思想遍歴そのものにアブジェクシオンの秘密が痛打されている。ちょっとだけフランス現代思想の流れをまぜておく。彼女が颯爽とパリの思想の舞台に登場してきたときは、ポスト構造主義が最後の爛熟を迎えていた時期だったのである。
 
 ジュリア・クリステヴァは1941年にブルガリアに生まれたユダヤ人だ。幼少時からフランス人の修道女のもとでフランス語とフランス文化にふれた。
 1966年に給費留学生としてパリに留学して、ルシアン・ゴルドマンやロラン・バルト(714夜)のセミネールに学んだ。フーコーの『言葉と物』、ラカン(911夜)の『エクリ』が出版された年だ。翌年、バルトのセミネールで知り合ったジェラール・ジュネット(のちのナラトロジスト、1302夜)の紹介でフィリップ・ソレルス主宰の「テル・ケル」の活動に加わり、ソレルスと結婚した。のちに子も産んだ。ソレルスはポスト・ヌーヴォーロマンの旗手で、ダンテ(913夜)やサド(1136夜)やアルトーやバタイユ(145夜)の文学のまったく新しい解読者でもあった。バルトが『モードの体系』を、ジャック・デリダが『エクリチュールと差異』を発表した年にあたる。
 こんなスリリングな知的環境のなか、クリステヴァはテクスト理論の研究に着手する。ミハイル・バフチンの対話原理やポリフォニー理論にとりくみ、われわれの知を埋め尽くしてきたテクストの正体に関心をもった。
 テクスト理論(テクスト批評)というのは、もともとは聖書や公文書の本文校訂の作業に始まったもので、手稿・印刷指定原稿・校正・書き込み・訂正などをへて「理想のテクスト」がめざされているとき、どの立場にもとづいてテクストを正当化するかということが問われるのだが、そのテクストの前に立ったときの一種の立場の相互性を研究することをいう。
 たとえば、作者や執筆者の制作意図にそってテクストを理想化しようとすれば作者や執筆者の制作意図の定義が必要となり、現存するいくつかのテクストのうちのどれを正当化するかという判定をしようとすると、それらのテクスト間の関係を説明しなくてはならなくなる。現代思想におけるテクスト理論は、こうした書誌学的な問題からスタートしたのだが、そこに構造主義以前と以降における決定的な相違が生まれた。

 構造主義以前、テクストは作者が完結させた自立的なものであるという見方がゆるがなかった。作者と読者は画然と仕切られて、混同されることはなかった。それが構造主義以降には、そんな前提が崩されていった。
 ロラン・バルトの説明を聞くのがわかりやすいだろう。「テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが結びつき、異議を唱えあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは無数にある文化の中心からやってきた引用の織物である」。
 学問とか思想とか小説といっても、結局はそこにはテクストという言語群があるわけで、そうだとしたら、われわれはつねに「テクストの前に立たされた意識」にすぎないか、「そのテクストと意識のあいだに立たされている存在意識」ということになるわけなのだ。
 若きクリステヴァはこの見方を鋭く強調し、積極的に拡張していった。そのうえで、われわれ自身の存在にまつわる「間テクスト性」(intertextualité)という状態に注目した。英語ならインターテクスチュアリティである。
 これは自立したテクスト相互間の関係のみならず、一連のテクストの内部で生み出される副次的なテクストの動向に留意したもので、たとえば、あるテクストが歴史を記述しているとき、そのテクストには「歴史をそのように読んだ」という潜在的なテクスト性も浮上しているとも考えられるのだが、クリステヴァはこのような可能性があることをバフチンの研究から取り出し、この主テクストと副テクストともいうべきテクスト間に一種の構造が生成されてくるのではないかと考えた。
 このとき、一方のテクストを「ジェノテクスト」(生成するテクスト゠ジェノタイプ=遺伝型)、他方のテクストを「フェノテクスト」(現象するテクスト゠フェノタイプ=表現型)と名付けることにした。また、この2つのテクストは相互に密談をしているのではないかと見た。クリステヴァ自身はこう書いている、「いかなるテクストもさまざまな引用のモザイクとして形成され、テクストはすべてもうひとつのテクストの吸収と変形になっていく」。
 当時、この見方はかなり冒険的な見方だとうけとられたのだが、いまでは「テクストにおける相互編集性の発見」だったということになる。クリステヴァが「引用のモザイク」と言っているのはまさしく編集作用のことなのである。

 ついでクリステヴァはこうしたテクスト理論を深めるとともに、記号学と心理学に深入りし、「サンボリック」と「セミオティック」ということを考えつづけ、そこからジェンダーの背後にある「母なるもの」とは何かということを突きとめようとした。「サンボリック」は生産物としての秩序のことを、「セミオティック」は生産物を生みだす生産そのものの秩序のことをいう。テクスト相互の背景にジェンダーの海を見たのだった。
 クリステヴァ以前の記号学や言語学や心理学では、記号や意味を生みだす秩序については、サンボリックなプロセスばかりが重視されていた。しかしこの見方は狭く、生まれていくものばかりが強調されすぎている。いっさいの象徴がそこに集中して、生んだものへの注目がない。さきほどのフロイト理論でいえば、暴虐な父を殺して子が成長していくプロセスばかりに光が当たっている。これでは、そこでの「負の父」と「大いなる母」とが描けない。
 クリステヴァはプラトン(799夜)の『ティマイオス』を読みこんでいるうちに、生成には3つの仕組みが作用していることに気がついた。三つの仕組みとは、次のことをいう。
 
①生成するもの(=生産物)
②生成するものを受けいれているもの(=コーラ)
③生成するものに似せて生じてきたもの(=モデル)
 
 これがヒントになった。この見方こそは何かを保存しているのではないか。このうちサンボリックなのは③であり、セミオティックなのは、おそらく②であろう。プラトンおよびティマイオスは、②の作用を「コーラ」(場)とよんでいた。それならこれはきっと「母」ではないか。コーラは生成する場を用意する母なるものではないか。そうだとすると、これは次のように配当できるのではないか。

①生成するもの(=生産物)=子
②生成するものを受けいれているもの(=コーラ)=母
③生成するものに似せて生じたもの(=モデル)=父

 あまりに図式めいてはいるが、これはフロイトの理論の読み替えである。脱構築だ。フロイトがサンボリックな父プロセス(生産物としての秩序)に加担しすぎたことに対する母セミオティック(生産物を生みだす生産そのものの秩序)のほうからの逆襲である。かくして、クリステヴァはまったく独自の思想に入っていく。
 クリステヴァは1969年に『ことば、この未知なるもの』や『セメイオチケ』を書き、1970年には『テクストとしての小説』をまとめて、もっぱら記号学あるいはテクスト理論研究者としての姿をとっていた。しかし1975年に出産を体験すると、自身の思想を新たな胚胎に向けて大きく組み直していった。それが『ポリローグ』(1977)であって、本書『恐怖の権力』(1980)だった。
 この組み直しの中核となったのはあきらかに「母」である。それとともに「負の父」の役割をアブジェクシオンとして描出しきることだった。
 これでだいたいのことが見当ついたと思うのだが、クリステヴァは「いまだ主体ならざる父」が「いまだ対象ならざる母」を棄却していったプロセスを明示化することによって、母なるものの奪還を画したのだった。以降、「想像的な父」というアブジェクシオンを伴わない父親像を想定しつつ(ソレルスのことかもしれない)、さらに深層意識の底辺を邁進して「母なる起源」の解明に向かっていく。クリステヴァはジェノテクストそのものの発露に生きることを決意したようなのである。多くのフェミニストたちがギョッとした。