父の先見
ペーパーバック大全
晶文社 1992
Piet Schreuders
Paperbacks,USA - A Graphic History, 1939-1959 1992
[訳]渡辺洋一
日本ではあいかわらず文庫ブームや新書ブームが続いている。活字を読まなくなった、インターネットで本が駆逐される、漢字が書けない、などと脅かしているわりに、出版物はけっこう根強い力を示している。アマゾン・ドットコムの登場以来はネットで本を買うという習慣も生まれた。
最近は新書がふえた。平凡社につづいて文春新書と集英社新書が参入したからである。
ぼくも新書はよく読む。いちばんよく読んだのは、数えてみないのでわからないが、おそらく中公新書だろう。ここ20年ほどの岩波新書には当たり外れが激しいのだが、中公新書にはミドル級の力が用意されている。一口にいえば粒が揃っている。そこが気にいったのだろう。クセジュ文庫は文庫の名前になっているが、新書判である。翻訳に難があるきらいはあるものの、これにもずいぶんお世話になった。学生時代やその直後はブルーバックスの科学ものをずいぶん読んだ。
しかし、新書にはそれぞれ特徴があって、どこのものがいいとはいちがいに言えない。
たとえば有隣新書は横浜の近代史を知るにはもってこいで、メルメ・カションや横浜キリスト教の事情などはここの新書でしか得られないし、教育社の歴史新書には中世や武家社会の限定したテーマが細かく扱われていて、連続して隣接する4~5冊を読むと、ほとんどその領域がくまなく浮き上がってきてくれる。
塙新書などもなかなか好きな新書で、田村圓澄『藤原鎌足』、芳賀登『草莽の精神』、西田正好『無常の文学』はこの新書らしいものだった。『わび』『さび』という標題の本を二つ揃えているのも塙新書だけである。カッパブックスも渡辺一夫や澁澤龍彦が書いていたころは、哲学や文学がセーター的なカジュアルウェアになったようで着心地がよかった。そこから派生したカッパサイエンスも編み上げセーターの感触でサイエンスをとりあげていて、奥井一満の動物学が光っていた。
新書はまた、そのデザインもものを言う。そもそも岩波新書がそうだったのであるが、日本の新書の意匠は、最初はやはりのことヨーロッパの影響に誕生したものだった。むこうではそれをペーパーバックといった。
ヨーロッパでペーパーバックが登場したのは1809年のドイツのことである。ギリシア・ラテン古典シリーズだった。
次にライプチッヒで有名な「タウヒニッツ版」が出はじめた。タウヒニッツ男爵の発想である。ペーパーバックはオリエント急行の寝台車で読むのにぴったりというのでブームとなった。1930年までの百年間で5000点を数えているから、実に週に1冊ずつ出た計算になる。
これに対抗したのが、ぼくの好きな「アルバトロス・モダン・コンチネンタル・ライブラリー」だった。ADのジョヴァンニ・マルダースタイグの斬新な線のデザインがすばらしいもので、判型も大胆に18×11.1センチという規格外が選ばれた。つまり縦長なのだ。これは上着のポケットに入るというので、たちまち新たな知的ファッションとなった。この判型があまりにうけたので、先行ライバルのタウヒニッツもこれに切り替えている。このサイズが日本でいう新書判にあたる。むこうではポケットサイズという。
ついで1939年のイギリスにアレン・レインによる「ペンギンブックス」が登場する。アルバトロスの廉価版といったところで、わずか6ペンスで発売された。
けれどもめっぽう当たった。当時6ペンスの商品しか扱っていなかったウルワース・チェーンが店内に大量に置いたせいもあった。ようするにユニクロ、マツモトキヨシに置いてもぴったりするようなペーパーバックを狙ったのである。
かくて時代は「月と6ペンス」の時代に入る。ペンギンブックスはしだいに売上を伸ばし、そこから科学ものだけを対象にしたペリカンブックスが枝分かれする。光文社のカッパブックスがカッパサイエンスをつくったのは、この真似である。
ドイツとイギリスに発祥したペーパーバックがアメリカに出現したのは1939年のことである。ポケットブックスが最初で、これにペンギンブックス、バンタムブックス、バランタインブックスが続いた。本書はこのアメリカのペーパーバックの歴史を詳細に追っていて、カラー図版も多くて堪能させてくれる。
書籍文化史では、この時代にアメリカのペーパーバックが出現したことは、このマーケットにとっては幸運だったということになっている。なぜなら、このあとアメリカは第二次世界大戦に参戦するのだが、戦地に赴く兵士たちの大半がペーパーバックを買いこんで出征するか、家族がかれらにペーパーバックを次々に送ったからである。当時の裏表紙には臆面もなく「この本を兵士と分かちあいましょう」「この本を兵士に送りましょう」などという文句が刷られていた。こういうところがアメリカン・メディアのしゃあしゃあとしたところなのである。
ポケットブックスで特筆すべきはレオ・マンソとソル・インマーマンが手掛けたカバーデザインだろう。表2を2色にしたり、カバーデザイナーのアーティスト名を刷りこんだ。最初はパルプ・マガジンの延長物のようだったペーパーバックはこれでクリエイターの注目するところとなった。そうした準備を背景にエイヴォン・ブックスが登場し、たとえばレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』が大ヒットをとばすのである。
ペーパーバックのデザインはもっと議論されてよい。日本の新書についてもあまりにも議論がなさすぎる。白井晟一や杉浦康平の感覚は知の領域の仕事なのである。
そのうえで言うのだが、アメリカではペーパーバックのカバーは知の領域でなく、ポップカルチャーの窓である。そこがヨーロッパとも日本ともちがっている。徹底的な大衆路線、煽り立てるイラストレーション、絶妙の売り文句。それがアメリカン・ペーパーバックスの真骨頂だった。競争も激しかった。とりわけペンギンブックス・アメリカ版にロバート・ジョナスが登場すると、各社のペーパーバックの表紙はアメリカの大衆の好みのストレートシンボルとさえなっていった。それは“読むハリウッド”なのである。
本書を読んでびっくりしたが、こうしたセンセーショナルなカバーデザインをつくりだすにあたっては、各社ともに全冊にわたるカバー会議を開いて喧々諤々の議論をしていたということだ。この会議のメンバーはAD、アーティスト(イラストレーター)、数人のエディター、営業部長、それに社長さえもが顔を出している。総力戦なのだ。ペーパーバックがコンテンツでありながら、ジャンクフードのような商品であって、マーケット戦略そのものであることがよくわかる。
ともかく本書はパルプ・フィクション以外の「もうひとつのアメリカ」を知るにはもってこいだった。知識と欲望と娯楽。これらはアメリカのペーパーバックにおいては同義語なのである。