中谷宇吉郎
岩波文庫 1940
ISBN:4003112423

 岩波新書だった。
 床屋に行ったあとに頭をスウスウさせながら書店の片隅で岩波新書の新刊を手にとり、高校生だからさんざん迷ったすえにやっと一冊を手にするくらいなのだが、それでもその一冊を紙の爆弾のようにもち抱えて部屋に戻ってページを開くまでの出会いの緊張というものは、いまでも思い出せるほどにどぎまぎするものだった。
 そのころの青版赤版の岩波新書は一冊ずつが予期せぬ魔法のようなものだった。装幀が同じ表情をしているだけに、ページを繰るまではその魔法がどんな効能なのかはわからない。ぼくはドゥ・ブロイの『物質と光』やウェルズの『世界文化史概観』などとともに中谷宇吉郎の『雪』に耽った。
 赤鉛筆でラインを引いた当時の、すっかり変色した岩波新書をいまおそるおそる開いてみると、まるで雪が降った跡が雪花化石になっているかのような錯覚がする。一頁一頁が霞んだプレパラートなのである。それが記憶の粉塵のなかを歩むようで、いとおしい。ただし、この日本を代表する科学の名著は、なぜか数年前に岩波新書から岩波文庫に移った。
 
 中谷宇吉郎は師匠の寺田寅彦にくらべると名文家でもないし、俳諧に遊ぶでもなく、関心も多様ではない。文章に機知を飛ばせるわけでもない。どちらかといえば理科一辺倒だ。けれどもこの理科感覚には、日本人にはどこかぴったりするものがある。なにしろ日本人の雪は「しんしん」「こんこん」という音が聞こえる雪なのだ。だから中谷のロマンが一途な「雪の理科」に昇華したのだろう。
 ながらくそう思っていたのだが、ごく最近になってこの印象を少しあらためる気になった。中谷が生まれた石川県片山津の一隅に数年前に完成した「雪の科学館」を訪れたからだ。磯崎新が設計した小さなミュージアムである。建物も構想もなかなか、いい。ぼくはここで、中谷宇吉郎がいかにダンディズムに富んだ生涯をおくったのか、初めて知ることになった。研究遺品や生活用品などもいろいろ展示されていて、それらのひとつひとつが粋なのだ。ほう、粋な人じゃないか。そう、感じた。
 その粋は全体の粋ではない。部分の粋の集まりなのだ。それなのに部分に息づく変数が相互に共振しあっている粋なのである。知的な粋といってもいいだろう。実は三〇人ほどの未詳俱楽部の老若男女を引き連れてここを訪れたのだが、そのメンバーの大半がぼくと似たような一種の上品共振に包まれていた。
 中谷宇吉郎は一生を通じてまさに結晶的ともいうべき知的な趣向に懸けていた。雪だけが結晶ではなかったのだ。それは中谷が身につけていたネクタイ一本から扇子一本の先にまでおよんでいた。眼鏡入れもダテな黒曜石で、色紙の文章も書もオツな片麻岩だった。旅行鞄もシャレた電気石だったのだ。そうか、クリスタリゼーションは中谷の人生全般の細部に舞い散っていたのだったか。

 そこでもう一度、『雪』を読む気になった。今度は岩波文庫である。旧仮名遣いでなくなったのが残念だが、それはがまんする。いまは名古屋市科学館の館長をしている樋口敬二さんの解説もついている。樋口さんは宇吉郎の直系の弟子で、日本雪氷学の第一人者である。やはり岩波新書に『雪と氷の世界から』の一冊が入っている。
 はたして昔の読後感とはそうとうに変わっていた。科学的な見方に徹しつつも、わかりやすく叙述している「言葉の態度」が美しいのに気がついた。そういうことは高校生のころにはわからなかった。次に雪を愛している中谷の心が、そのような心情についての心理的な記述がまったくないにもかかわらず、深々と伝わってきた。科学者はなかなかそのようには書けるものではない。ファラデーやファーブルを想わせる。科学者ならではの知の粋なのだ。
 ついで、雪を漠然とさせないための視線が澄みきっている。雪はその組成や機能だけでは雪にはならない。われわれは雪は水の凍ったものだと見ているのだが、そして事実そう見てだいたい正しいのだが、では池の水が凍ったからといってそれを雪とは名指さない。雪は空気中で水が氷の結晶になったものなのである。
 雪は何かの途中の産物なのだ。この僅かなちがいをもとに、中谷の記述は天地の裂け目をめざして膨らんでいく。
 この本はそこを読んでいくのが粋なのだ。自分自身が大空を舞いながら、途中に雪氷化していくべき読書なのである。そう思ってあらためて振り返ってみると、中谷は地上の雪にはほとんどふれないで、天から降ってくる途中の雪だけを凝視しつづけていたことに気がついた。
 
 ぼくはシモーヌ・ヴェイユが『重力と恩寵』のなかで「メタクシュ」というきらきらとしたギリシア語を何度もつかっていたのを思い出した。メタクシュとは「中間だけにあるもの」という意味である。
 きっと雪にもメタクシュな重力と恩寵が関与しているのであろう。雪は重力とともに地上に落ちてくるが、その前にはいっとき重力に逆らって天の恩寵とともに空中で中間結晶化という天体サーカスをやってのけているはずなのだ。中谷はその「いっとき」を追いつづけた人だったのだ。
 ああ、とてもいい気分だった。読みおわるとそんな気にさせる。こういう読書を一年に二、三度はしたいものである。例の有名な「雪は天から送られた手紙である」というメッセージは本書の最後の最後にやっと顔をのぞかせる。

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