レイモンド・チャンドラーは高校二年生から大学生にかけて、いつもドキドキしながら読み漁った作家である。
チャンドラーを勧めてくれたのは、いまは『宝島』などを発行している出版社のトップになっている石井慎二である。高校時代の先輩だった彼は、すでに当時からミステリー読みの天才だった。早口でどんなミステリーについても解説してくれた。が、ぼくはなんとなく勘でチャンドラーに目をつけた。おかげで、フィリップ・マーロウものはほとんど読むことになる。そのうち何本が映画化されたのかは知らないが、おそらくそれらも全部見た。
それはぼくの最初のアメリカ体験だった。
貧乏だが、やたらにダンディで、女と友情に弱い私立探偵フィリップ・マーロウの歩く先、届く眼が、ぼくの最初の衝撃的なアメリカになったのだ。
それ以外のアメリカ文学など、ポオとヘミングウェイとカポーティを除くと、たとえばフィッツジェラルドやスタインベックやサリンジャーなどは、当時はまったく読めた代物ではなかった。やっと別のアメリカもけっこうおもしろいと思い、ふたたびアメリカ人の作品を読む気になったのは、のちにドス・パソスの『マンハッタン乗換駅』に遭遇できてからのことである。
こんなぐあいだったから、いったいレイモンド・チャンドラーの文体が好きなのか、ただひたすらにフィリップ・マーロウが好きだったのかは、わからない。おそらくごっちゃにしていたのだろう。
ぼくはとにもかくにも、短い会話しか喋らないマーロウにぞっこんだった。そのマーロウがチャンドラーの作品に初めて登場してきたのは『大いなる眠り』だった。控えめだが大胆なマーロウは、億万長者の将軍の娘を救う依頼をうけ、雨の降りしきる夕刻に依頼主のところを訪れるのだが、すでに将軍は麻薬を打たれて全裸の死体になっていた。その唐突な場面の直後から、マーロウの周辺は急速に奇怪な事情で埋まっていく。これは楽しめた。しかもタイトルがいい。
その次に、大鹿マロイという魅力的な犯罪者と、それよりさらに蠱惑的な悪女の見本のようなヴェルマをふんだんに登場させた本書『さらば愛しき女よ』が発表された。その二人にマーロウが絡む小気味のよい加速感と倦怠感と切れ味は、それはそれは絶品だった。これを読めば誰でもマーロウニアンになること、まさに請け合いなのである。たとえば、まあ、こんな調子だ。
彼女が乱れたスカートをなおしながら、言った。「すぐ、まくれてしまうので」
私は彼女の隣りに席を占めた。「あなた手が早いんでしょう?」と彼女は言った。私は返事をしなかった。
「いつもこんなふうになさるの?」と、彼女はとろけるような眼で私を見ながら言った。
「とんでもない。暇があるときは、ぼくはチベットの僧ですよ」
「ただ暇がないんでしょ」
この程度の会話は、だいたい全編の半分くらいを占めている地の味である。が、けっしてこれ以上は濃くならない。そして、ここからふいにキラリと「マロイはフランスパンのように眉毛がなくなっていた」といったジャブが効いてくる。これがチャンドラーのハードボイルドというものだった。
が、第六作の『長いお別れ』で、フィリップ・マーロウは荒々しい優しさをもった、もっともっといい男だったことがわかる。消息を断った孤独なテリー・ノックスを、まるで真夜中になると探す気になるようなマーロウの友情は、男の読者の胸を熱くさせたものだ。この作品が頂上なのである。ファンの連中には申し訳ないが、とうてい日活の裕次郎ではまねられない。
チャンドラーはアイルランド系のアメリカ人で、1888年にシカゴに生まれている。離婚した母親とともに7歳でイギリスに渡り、パリとドイツに留学した。その後は海軍省を皮切りにビシネスに転じて、ついに石油シンジケートのバイス・プレジデントにまでなっている。このあたりの体験がマーロウをしてハードボイルドな男にしている背景である。
ところが、44歳で突如として首になる。会社のタイピストをものにしてしまったせいだったらしい。すでにその前に18歳年上を妻としていたチャンドラーが、いよいよフィリップ・マーロウその人になるのはこのときからである。チャンドラーは書きまくっていった。
この時代を、世に「パルプ・フィクション」の時代とアメリカは呼ぶ。のちにクウェンティン・タランティーノが死ぬほど憧れた時代だった。日活ではフィリップ・マーロウには届かない。