才事記

野獣死すべし

大薮春彦

角川文庫 1979

 カーマニア・ガンマニアの大薮春彦が『野獣死すべし』を書いたのは早稲田大学在学中だった。
 早熟な内容と文体、それに、鼻持ちならない若気の至り。そうではあるけれど、鮮烈な印象には消えないものがある。だから、ときどき読んだ。『汚れた英雄』は二、三度ほど読んだのではないかとおもう。シリーズ型の長編である。そのニヒルで孤立した主人公のスピードレーサー北野晶夫の名は、しばらくぼくの体を揺らしていたのではないか。北野がいつも熱いシャワーと珈琲で朝食をとるのを何度も見せつけられて、シャワーというものにずいぶん憧れたものだった。
 25歳まで、ぼくはシャワーのついている空間とは縁のない生活をしていたからだ。そのかわり珈琲をがぶがぶ飲んだ。
 えっ、松岡さんってオーヤブハルヒコ、読むんですか。『遊』に興味をもって手伝いにきた20代の連中から、何かのきっかけでそんな話になって驚かれた。えっ、おかしいか? 松岡さんがオーヤブハルヒコなんておかしいすよ。そうかなあ。だってハードボイルドはハメットもチャンドラーもみんな好きだよ。オーヤブハルヒコはそういうんじゃないっすよ。もっと変じゃないすか。

 大薮春彦が変だというのは、よくわからない。ハメットやチャンドラーには濡れ場がないという意味だろうとおもうのだが、大薮のセックス描写だってやたらに乾いていて、やはりハードボイルドなのである。
 セックスだけではなく、殺人も乾いている。大薮アンチヒーローたちはセックスも殺人も、その行為の直前にいたるまでの凶器や会話や速度を仕上げていくための、いわば“おつり”のようなもの、だからどんな欲情溢れるセックスも、どんなに狂暴きわまりない殺害も、だいたいあっというまにおわる。そのくせ自動車にのりこんでイグニッション・キーをまわし、スピードをあげて都会の夜を抜けきっていく描写は、うんざりするほど長い。銃器についての描写はおそらく日本一だろう。
 のちに松田優作が演じて話題になった『蘇える金狼』の例でいえば、トライアンフに乗ろうとする朝倉哲也はこんなふうにクルマにかかわっている。

 「ハードトップの屋根が暗灰色をした漆黒のトライアンフTR4は、猛魚のそれのようなヘッドライトの眼を剥いて、マンションの駐車場の中央に蹲っていた。二個のSUキャブレターをおおうボンネット上のコブのようなふくらみが精悍だ」。
 ボンネットのコブまで精悍なのである。つづいては、「深く彎曲して体をすっぽり包むバケットシートの位置と背もたれの角度を調節して安全ベルトを締めた。傾斜した短いシフト・レヴァーに左手を落とし、小型航空機のそれのように計器の並んだダッシュ・ボードを睨む。垂直に近く立った三本のスポークのステアリング・ハンドルの奥に、二百キロまで目盛ったスピード・メーターと六千回転までのタコメーターが見える」。ダッシュボードを見るまでにこんなに意気込んでいる。
 そして、「朝倉は、各種スウィッチのあいだにある点火スウィッチにキーを突っこんで捩った。生き物のように回転計の針が跳ねあがり、エンジンは吠えた。すぐにエンジンはラフなアイドリング音を響かせ、タコメーターの針は八百から九百回転のあたりで小刻みに揺れる」。
 こういう凝りようだ。

 作家の本質はデビュー作にすべてあらわれているというような言い方は、つまらない。ところが、大薮春彦のばあいはこの常套句がびっくりするほど当たっている。
 迂闊なことに、きのう『野獣死すべし』を三十数年ぶりにサッと読んで、この作品には大薮春彦がほとんど赤裸々というか、隠しようもなくあからさまにさらけ出されていたのを初めて知った。車フェチ・銃器フェチであること、主人公が気取ったローン・ウルフであることが露出しているだけでなく、早大生だった大薮のペダンティックで典型的に早熟な観念が、ほぼ包み隠さず噴き出ていた。ぼくはそのへんを読まずにオーヤブハルヒコを読んでいたようだ。青春期の読者なんて、そういうものである。

 伊達邦彦は四国が故郷だが(大薮春彦も1935年の香川県生まれ)、ハルピンに生まれている。
 ギリシア正教寺院の尖塔が大陸の黄金の夕日に映える雑多な民族が行き交う夢の町。伊達の父親は会社を乗っ取られ、北京・奉天・新京を転々とし、アジアに戦争が始まったころは北の平壌にまで動いていた。
何をしてでも食わなければならなかった少年伊達は、戦争が終わると家畜輸送車で釜山へ送りこまれ、リバティ船で佐世保に着く。そこでやっと人並みの日々に包まれて四国の中学へ通う(大薮春彦とまったく同い歳の四国出身作家がいる。誰だかおわかりか。大江健三郎である。二人はまったくの対極に進んだ)。
 伊達は大陸でおぼえたロシア語感覚が忘れられず、ツルゲーネフの『猟人日記』からロシア文学に入り、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の大審問官に人間の意識の極致を見た。そこからニーチェに進んでニヒリズムは思想ではなく実践するものだと覚悟した(大審問官とニーチェのツァラトゥストラは早大生にはたいてい人気があった。ちなみに大薮春彦より3歳上に、早稲田でロシア文学を学んでいた五木寛之がいた)。
 しかし伊達が好きだったのはニコライ・オストロフスキーの『鋼鉄はいかにして鍛えられたか』なのである。宗教といえども、こんなに美しい人間をつくりあげたことはない。

 やがて高校に進んで新聞部に入り(これはぼくと一緒)、図書館でマルクス・エンゲルス選集を漁っては、ときおり大阪に抜け出してヒロポンを買った(ぼくがマルクスを読んだのは早稲田に入ってからで、さすがにヒロポンはもう禁止されていた)。
 そういうなかで父親が死ぬ。金庫には土建屋がまきあげたらしい株券が入っていた。伊達はレールモントフの悪魔主義とスタニスラフスキーの計算つくされた演技論に駆られていく。演劇部にも出入りして、眞船豊『たつのおとしご』や三島由紀夫『近代能楽集』の「卒都婆小町」、福田恆存の『龍を撫でた男』を演出(この3つを選んだところが大薮春彦の矜持なのである)、ついでに役者の女子校生を次々に誘惑するも、まったく満足感がない。
 受験勉強は面倒なのでキリストの評伝を書き、神学校に入って美術部をつくり、死臭の漂うようなキリスト教絵画を習作する。試験で割礼を科学的に説明した答案を書いて放校、そこでレイモンド・チャンドラーを知った(というふうに、なんだ、ちゃんとチャンドラーとの出会いを説明していたんだ)。
 翌年、東京の私立大学(これが早稲田)に編入、留学生たちにポーカーのいかさまの手ほどきをうけ、金を巻き上げ、ハードボイルド探偵小説を読み耽り、余った時間を拳闘ジム通いと大学射撃クラブで過ごした。卒論は「ハメット=チヤンドラー=マクドナルド派におけるストイシズムの研究」(これもあからさまなアンチヒーロー宣言である)。大学院にも進んでアメリカ文学を専攻したが、関心はノーマン・メイラーと殺人だけになっていた。

 だいたいこういう前歴が書いてある。これをぼくはすっかり忘れていたらしい。
 あきらかに大薮春彦の青春自画像であり、しかも当時の、腹に一物あるペダンティックな大学生が精いっぱいに考えそうなことが、すべて出ている。大薮春彦はぼくより一回り上の世代だが、その後の時勢の変化と照らしあわせてみると、こういうオーヤブ的学生はぼくの学生時代まで辛うじて続いていたようにおもう。とくにノーマン・メイラーの『裸者と死者』が流行っていたのが懐かしい。
 しかも、こうしたオーヤブ的学生のコンセプトは、「復讐」なのである。野坂昭如・野末陳平・五木寛之、みんなそうだった。

 『野獣死すべし』は1958年に早稲田の同人雑誌「青炎」に発表されたのち、すぐに「宝石」に転載された。
 しかし、本書に収められている『野獣死すべし』の復讐篇をはじめ、その後の傑作『汚れた英雄』にも、『蘇える金狼』にも、このような自画像はいっさい顔を出さなくなった。そればかりか、デビュー作『野獣死すべし』の文体から小説構成まで、大薮はこれらをほとんど改めてしまった。そのかわり、ハードボイルドでストイックな感覚をどんな作品にもちりばめる処方を獲得していった。
 オーヤブハルヒコは、デビュー作にこそすべてが語られている。その後のオーヤブは流行作家になりすぎた。だとすれば、車にも銃にもまったく関心のないぼくが、その後もオーヤブハルヒコを読んでいたというのは、たしかに変なことだったのだろう。

参考¶大薮春彦の作品ベスト10をかつて森村誠一が選んだことがある。参考になるだろうか。『汚れた英雄』『野獣死すべし』『みな殺しの歌』『ウィンチェスターM70』『蘇える金狼』『凶銃ルーガーP08』『絶望の挑戦者』『復讐の弾道』『血の来訪者』『諜報局破壊班員』。多くが角川文庫に入っている。