才事記

ホメオスタシスの謎

加藤勝

講談社ブルーバックス 1987

 講談社のブルーバックスにはずいぶんお世話になった。最初はたしか北川敏男の『数理科学入門』あたりで、そのうちペーター・ベルグマンの『重力の謎』に読み震えた。
 この本は、当時、日本で入手できる重力波問題の唯一のガイドラインをスリリングに提供してくれたもので、これはあとで知ったのだが、カオス研究の津田一郎君も京大生時代に『重力の謎』で同じような体験をしたらしい。
 それからどれくらいブルーバックスを読んだかわからないが、おそらくは50冊をはるかにこえている。なかにはどうしようもないものもあったけれど、岡田節人『細胞の社会』やスティーブン・ローズ『生命の化学』から芋阪良二『地平の月はなぜ大きいか』や溝口文雄『知識工学入門』などまで、そのつど、「この1冊がちょうど知りたいそのことを告げてくれたという1冊だった」という機縁には恵まれてきた。

 通俗科学書というものは、だいたいにおいては科学者が嫌うものである。バカにもする。
 けれどもファラデーの『ローソクの科学』やエルンスト・ヘッケルの『宇宙の謎』からジョージ・ガモフの『不思議の国のトムキンス』をへてマーティン・ガードナーの『自然界における左と右』やワインバーグの『宇宙最初の三分間』にいたるまで、どれほど秀れた科学解説書をものすることができるかということが、ある意味ではその国の科学水準や科学普及力をあらわしてきたともいうべきなのだ。
 むろん日本にもそういうことが書ける科学者はいた。寺田寅彦がそうだったし、湯川秀樹朝永振一郎もうまかった。また中央公論社の「自然」を飾りつづけたロゲルギスト・エッセイのお手並みもピカピカに光っていた。ぼくはそのロゲルギストの一人である高橋秀俊さんにコンピュータのイロハを教わったようなものである。けれども、すぐれた科学者がすぐれたエッセイを綴ったというのではなく、科学という畑から雨後のフキノトウのように次々に目のさめる会話が飛び出してくるという活況は、そこには見られなかったといってよい。
 そういう意味では、日本の通俗科学書の水準が上がったキッカケになったのは、雑誌「自然」「科学朝日」と東京図書の数学選書シリーズ(これは翻訳シリーズに近いもの)と、このブルーバックスのせいではないかとさえおもわれる。

 ここまで言っておいていまさら弁解するのも変なのだが、本書は科学書としての水準がすぐれて高いという1冊ではない。
 ぼくがクロード・ベルナールに始まってウォルター・キャンベルやコンラッド・ウォディントンの議論このかた関心をもってきたホメオスタシス現象が、実のところは大陸レベルでも植物の成長のレベルでも遺伝子レベルでもはたらいていて、それらを一貫して理解するにはどうしたらいいか、本書はそんな悩みを、その悩みが薨じたちょうどそのときに解消してもらった1冊だった、そういうことなのだ。
 いまあらためてざっと目を通してみたら、赤線を引っぱってあるところはさすがに幼い印象がある。しかしながら、今度あらためて気がついたのだが、本書は当時としてははやくも免疫科学カオス理論やゆらぎ理論を生物研究にくいこませ、当時読んだときには見過ごしていたのだが、すでに富田和久のカオス寄りの統計物理学や川那部浩哉の多様性の生物行動研究にも踏みこんでいた。ホメオスタシスを案内しているようでいて、科学の最善性に新たな変化がおこりつつあることを告げてもいたのだった。ぼくが読み落としていたことである。

 ホメオスタシスの研究とは、生物はどのようにして「一定」というセットポイントを維持するのかという研究のことである。
 ところが、この「一定」には実に多様な現象がある。キュウリが自分の葉っぱを一定にするために蒸散と光合成を調整しているという現象もある。その葉っぱを食べるカイコの「一定」も、カイコに与える飼料によってホメオスタシス機能が変化する。サカナの体形などホメオスタシスに関係がなさそうだが、そのサカナが水圧をもつ環境の中でどの速度で泳ぐかということが、意外なカギを握っているという例もある。
 ということは、北極ギツネの耳が小さいこと、カイコの休眠期が決まっていること、サナダムシがぷつぷつ切れる環節性をもっていること、一方ミミズには液性骨格ともいうべき体液を骨格代わりにする機能があること、ハエの小眼で増減する化学物質が温度との密接な関連をもっていること、ナマズやフナの鰓が大きいのも(酸素の少ない環境で非活動な生活をしているのがナマズやフナ)、いずれもホメオスタシスのためだということになる。
 のみならず、ひいては地球がずるずると大陸の表面を移動させていることも、わわわれが太り過ぎると動きがにぶくなることも、実はホメオスタシスのためだったということにもなりかねない。
 実際にも、いまでは遺伝子にはホメオスタシス遺伝子というものもあり、遺伝子のレベルにおいて動的な再構成をはかって遺伝的ホメオスタシスをつかさどっていることもわかってきた。
 こういうことを見ていくと、進化論にもホメオスタシスを使った説明が可能になってくる。たとえば、環境に対するホメオスタシスが強くてセットポイントの維持ができている生物ほど進化が緩慢であり、変化に対するホメオスタシスに幅がある生物ほど次々に進化してきたというふうにも、言えることになるからだ。

 ホメオスタシス研究は安定性と多様性とのあいだに横たわる意外な関係を浮上させ、これを究明する。そこではきっとホメオスタシスの本質は、低いレベルの安定性がよりレベルが複雑な安定性に吸収されていく姿として観察できるはずである。これはいまをはやりの複雑系というものの本質にもあたる。
 しかしホメオスタシスによる複雑系の科学は、初期値のちょっとした狂いから始まるのではない。地球や生物がいま採用している現象をホメオスタシスとみなすかどうかに、かかっている。そのような科学は、実はまだ確立しているとはいいがたい。ブルーバックスの1冊は、そんなことまで提案していたのであった。
 本書は、インド哲学の因明律の話でおわっている。これは因果律が原因から結果を求めるロジックであるのに対して、現在から過去をもとめるロジックのことをいう。著者はこれからの「生きている科学」には、この因明律こそが大活躍するだろうと結んでいる。

参考¶著者の加藤勝さんは光生物学のリーダーで、無菌環境のもとで動植物を飼育できる「ノートバイオトロン」の発明者でもある。クワを離れたカイコの人工飼育にも成功していて、そのお弟子さんたちのネットワークは日本中に広がっている。出身は京都工業繊維大学。この大学はかつて京都高等蚕糸学校といったものだった。