才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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数学を哲学する

スチュワート・シャピロ

筑摩書房 2012

Stewart Shapiro
Thinking about Mathematics―The Philosophy of Mathematics 2000
[訳]金子洋之
編集:海老原勇士
装幀:小倉利光

 花が好きな子と虫が好きな子は仲が悪かった。どちらが花でどちらが虫とは言わないが、数学好きと哲学好きにもそんなところがある。数学派は問題を解けるのが嬉しくて、その領分をうろつくようになり、哲学派は問題を作るのが好きになって、その界隈で蹲るようになった。
 哲学にとって数学の何が魅力的に見えるのかという問題は、あまり本気で考えられてこなかった。哲学研究に数学が介入し、数学者たちが哲学からヒントを得ることは多々あったけれど、この二つががっぷり四ツに組んで、大向こうを唸らせる大相撲や格闘技を見せたということは、ゲーデル(1058夜)の登場前後の土俵やリングを除いて、あまりない。
 そのため数学的哲学と哲学的数学による取っ組み合いの「組み手」を説明する手立ても、ほとんど準備されてこなかった。アントニオ猪木もいなければ、レフェリーもいない。耳目を集める異種格闘技がおこっていないからだ。本書はその想像に値いするだろう「組み手」を、数学者の立場からあえて提案しようとしたものだった。

 これまでは、もっぱら哲学者たちのほうが組み手に言及してきた。デカルト(1241夜)、ライプニッツ(994夜)、パスカル(762夜)を筆頭に、ボルツァーノ、ラッセル、ホワイトヘッド(995夜1267夜)、ヒルベルト(133夜)、フレーゲ、チャーチ、ゲーデル、タルスキらがその任を見せた。
 けれども、数学側がこの手の議論に夢中になり、大向こうの観客が固唾をのんできたという事例は、あまりなかったのである。これは数学者の怠慢と矜持の度が過ぎていたせいだった。また哲学者や科学者が数学の恩恵にどのように浴してきたか、そのことを正直に白状してこなかったからだ。
 著者のスチュワート・シャピロはオハイオ州立大学の哲学教授で、主に構造主義による数学についての研究を重ねてきた。構造主義数学はポール・ベナセラフ、ジェフリー・ヘルマン、マイケル・レズニックらとシャピロが中心になって形成されてきた。数学は「構造の科学」であって、どんな自然数にも特別な役割がないという立場から、数学的対象と数学的存在との相対性を重視する。構造主義数学ではチェスのどの駒も黒いクイーンの役割をはたしているとみなし、バスケットボールではどんなメンバーもポイントゲッターになっているとみなすのである。
 もっとも本書は構造主義を優位において議論をするのではなく、比較的公平に数学各派の議論を扱っている。シャピロには多くの著書があるが、翻訳されたのは本書が初めてだ。

著者スチュアート・シャピロ
シャピロは数学哲学の第一人者であり、数学の構造主義哲学、論理の歴史的発展、数学におけるモダリティと存在論の関係を探求している。右図は『数学を哲学する』の原書。シャピロは論理多元主義を擁護する立場をとり、2014年の著書『論理の多様性』で論理多元主義とが数学的実践とどのように関係するのか説明している。一元論者にとっては、真の論理は1つであっても、論理多元主義者には、同等に優れた、真の、正しい、最良の論理が複数存在するのだ。

 数学が型にはまった学問であるという誹(そし)りは、ずっと以前からのものなので、その見方からすれば哲学と数学は同衾にはなりにくい(同じベッドに入りたがらない)。しかし哲学のほうだって同衾を拒んだ歴史を累々と積み重ねてきたはずで、プラトンまでさかのぼる合理主義はデカルト、ライプニッツ、スピノザ(842夜)のところで、アリストテレス(291夜)までさかのぼるであろうロック、バークリー、ヒューム、ミルといった経験主義者から同衾を嫌われたのである。
 当然の顛末だった。古代ギリシアこのかた、数学は経験や観察にもとづいて発達してきたわけではない。経験に先立つアプリオリな知識を公理化しておいて、ひたすら「証明」の錬磨に向かってきた。そんなことばかりしていれば、経験主義の哲学からケチをつけられるのは当然なのである。けれどもどちらにも言い分があるとしたら、どうするか。
 この葛藤をブレークスルーしようとしたのは、ひとつにはシュリック、カルナップ、エアー、ヴィトゲンシュタイン(833夜)らの論理実証主義者やウィーン学団の面々だった。この試みはフラーセンやクワインに受け継がれた。
 もうひとつには、論理学がブール代数からチューリング・マシンをへてコンピュータに向かっていった潮流がめざましく、あれよあれよといううちに認知科学の様相をとって、知覚と認識と計算とを同じ理論モデルで語りはじめたことだった。この流れはいまやたいそう利発で雄弁ではあるが(すべての経緯をコンピュータが憶えてくれているので相互参照もしやすかった)、とはいうものの本書のシャピロが言うように、これは数学の側からのブレークスルーではない。
 こうして、哲学と数学の捩れた取っ組みあいを数学の側から語るには(カタルトシメスにするは)、かなり抜本的な対策を練らなければならないということになる。どんな対策が想定されるのか。
 思うに、第1には数学は世界をどうしたいのかを問いなおすことである。第2に哲学がながらく得意としてきた存在論と意味論の橋渡しを、しかし哲学はこの問題にケリをつけられていないのだから、数学として書き直せるかどうかに挑むことである。そして第3には数学が相手にしてきたのはどんな知識であったのかを組み立てなおして説明するか、ないしは新たに提示してみること、これらに着手することだろう。
 けれども、これがけっこうな難問だ。その理由は、ユークリッドが「任意の2点間には1本の直線を引くことができる」と書いたことにある。

 肝心なことだけ書いておくが、こういうことである。
 プラトンやヒルベルトからすれば、2点間には1本の直線が「ある」のであって、「引ける」かどうかは前提にならないはずだった。それにもかかわらず、数学は「引ける」を前提にして、「この直線に新たなABという直線が交わったとき、この2本の直線は・・・」というように、どんどん進み始めてしまった。証明のための問題を次々につくりあげ、これの解決に向かった。そしてその後の数学は「存在する」を「構成される」にしてしまったのである。
 「存在する」が「構成される」になるのは、必ずしも詰(なじ)られることではない。どんな世界もかつてから宇宙ないしは地球上に存在し、その後にさまざまな変容を受けてきたのだから、これらの出来事をその後の「構成する」という作業に組み入れるのは、べつだんおかしなことではない。すべての思想は世界制作の方法として、存在と構成をつなげてきたものだ。 
 しかしとはいえ、これは「構成できる存在のありかた」が公理として無答になってよいということとは、結びつかない。ところが数学はそこを大括弧に入れた。つまり不問にした。そのうえで数学を発展させてきた。
 では大括弧を取っぱらったら、どう考えればいいのか。ユークリッドに従わないようにするというのではなく、ユークリッドの大括弧がない数学はどういうものになりうるのかを考えるということが、こうして新たに浮上する。岡潔(947夜)もそこを考えたかったのだろうと思う。悩みぬいて「情緒」を持ち出した。

 このことを考え抜いたのは、残念ながら岡潔ではなかった。おそらくポアンカレ(18夜)が長らくただ一人の思索者だったように思う。
 ポアンカレは、数学的対象は数学者とは独立に存在しないということを、かなり早くから知っていたし、しかもそう考えると数学がへそまがりになることの避け方も考えていた。へそまがりになるとは、たとえばカルナップがそうだったのだが、哲学的な問いを数学的な言語圏の「外」におき、そういう問いは数学的論理からすると擬似的なニセ論理だと謗るのである。余談ながらついでに言っておくと、最近のカンタン・メイヤスーの思弁的実在論が有限性に矛先を向けている議論や、マルクス・ガブリエルの「世界はない」とか「私は脳ではない」といった議論なども、この手のチャチな操作ばかりにかまけているようだ。
 せっかくのポアンカレの卓見がその後どう活かされていったかということについては、やや心許ないところがある。その心許なさについては、かつてオットー・ノイラートがこんなふうに書いていた。「われわれは、自分たちの船をいったんドックに入れて解体し、最上の部品を用いて新たに建造することができずに、大海上でそれを改造しなければならない船乗りのようなものである」。
 いかにも、その通り。立派な船で航海しているのだが、その途中で船の構造に疑問をもっても如何ともしがたいのである。「存在する」と「構成される」を一緒に考えようとすると、こういう感想になる。もっともこれはノイラートにあっての正直な感想であって、数学者からの懺悔ではない。

 なぜ「存在する」と「構成される」のちがいを携えたまま思考することができにくいのだろうか。話はここから少しこみいってくる。そのことを語るには、数学史を覆ってきた科学や哲学とのかかわりと、数学者たちの多くがかまけている誇り高い悪癖について、少しスケッチしておくのがいい。
 数学者が懺悔しないというのは、数学の将来からするといささか困ったことである。少なくとも科学者たちの多くは、科学的命題が観測や実験によって確認できない場合や、数学的に論証できなかった場合は、慎み深くなる。
 数学者は自分たちがやっている技法に酔いつづけるクセがあるので、その数学が世界に対してどんな提言をしたのか(あるいはしていないのか)、また新たな解法がそれまでの数学史の積み重ねに対して反旗をひるがえしたのか、あるいはその流れから逸脱して自立をめざしたのか、正直には陳述しないのだ。横柄なのではない。数学者には多少の変人じみたところがあるけれど、たいていは害がない、数学というセカイの内側の住人であるからだ。ただ、そこに出入りするむずむずするような官能をなかなか洩らさない。
 これでは数学の進展や現状を誰もウォッチングできないということになる。医療や薬学なら、そのイノベーションや技法が患者の症状を改善したのか悪化させたのかはおっつけ白日のもとに晒されるのだが、数学はそういう筵(むしろ)には坐っていない。

 哲学にも似たようなところがある。どんなに勝手な世界観を述べようとも、人間存在の意味はかくかくしかじかであると主張しようとも、幸福の実態はどこそこにあると言明しようとも、その見解が及ぼすところの是非はめったに点検されないままなのである。哲学者は知ったかぶりをするのが得意なので、どんなフリをしたのかをめったに報告しないし、そのためどんなシラを切ってもシラの正体を明かさない。
 これでは「懺悔をしない数学」と「知ったかぶりの哲学」が道で出会っても、挨拶などしないということになる。仮に酒を酌み交わすことになったとしても、二人は居酒屋でムニャムニャと相手を煙にまくだけだ。まして同衾などするはずがない。この、互いを突き合わせようとすると地団駄を踏んだようなことがたいていおこるのは、カントが知識をアプリオリな知識とアポステリオリな知識に分けて以来のことだと、シャピロはみなした。

 アプリオリ(a priori)とは「より先立って」とか「経験による認知にもとづくわけではなく」という意味、アポステリオリ(a posteriori)は「より後のもので」とか「あとからわかったのだが」といった意味のラテン語であるが、カントはこれを知識には先天的に措定できるアプリオリなものと、あとから経験的にわかるアポステリオリなものがあると区別した。
 律儀なカントは若いころから、数学(算術と幾何学)のように哲学を組み立てたいと思っていたので、こんな区別に踏み込んで、哲学者が命題を立てて理性や感性を議論するにはアプリオリなものを総合的に扱う覚悟が必要であると説いたのである。
 説いたのだけれど、これはのちのち「カント的直観」と言われたように、多分にカント特有の直観的な判定であって、まして数学がアプリオリなものの上に成立していいという免罪符を保証したわけではなかったのだが、その後の多くの数学者たちはまるでカントのおかげであるかのように、この免罪符を暗につかいまわすようになったのだった。
 しかしはたして、このような進捗は数学にとって僥倖であったのかどうか。「カントのおかげ」で数学的アプリオリを大括弧に入れたままで進捗するようになったのだけれど、それでよかったのか。
 たとえばスチュアート・ミルはカントを批判して、アポステリオリなことこそ哲学の底辺になるべきだとみなし、経験主義の哲学を標榜した。そのためミルは数詞も「犬」や「赤」のように一般名詞のように扱うべきだと主張した。またフレーゲはそのようなミルの見方は近似的なものを数学にとりこむことになって、数学の論理性を保てなくなると『算術の基礎』に書いた。「カントのおかげ」の是非をめぐるのはそこそこきわどい問題なのである。
 だったら、そこが検討されなければならない。シャピロはこの要訣を基点に本書を縷々展開していった。こうして、論理主義(ラッセル)、論理実証主義(カルナップ)、形式主義(フレーゲ)、演繹主義(ヒルベルト)、直観主義(ブラウワー、ハイティンク、ダメット)、ゲーデル、有限主義、構造主義がひとつずつ俎上に呼ばれて議論の対象になっていく。このあたり、全体を読み切るには少し数学の知識がいるが、感じるべきこともある。そちらのほうが大事だろうが、ただ今夜はこれらをカバーして案内するのは話が長くなりすぎるので、省かせてもらう。

 花と虫とは白亜紀以前から共存してきたものたちである。顕花植物が地上に出現しなかったなら、昆虫も登場してこなかった。両者は同時に地上にあらわれたはずなのである。数学と哲学にもそういうところがあったはずで、いつまでも仲間割れをしているのは如何なものか。
 おそらくわれわれの思索や行為が数学化する前、あるいは哲学化する前に、意識や心がそれぞれ(花と虫)に向かわざるをえなかった事情があったにちがいない。その事情をわれわれの営みに突きとめるのは、脳科学や認知科学を総動員させる必要があるほど微妙な事情なので、容易には「数学と哲学が分化する前」を言い当てるのは難しいだろうけれど、それでも、そろそろそこへ向かうべきだろう。二つの先駆例を紹介しておく。
 ひとつはイアン・ハッキング(1334夜)の『表現と介入』(産業図書→ちくま学芸文庫)が参考になる。これはわれわれが科学的な実在をどのように確認しようとしてきたのかをフランシス・ベーコンの時代と論理実証主義の時代を例に辿ったもので、そのときにおこしている表現(representing)と介入(intervening)のかかわりあいを浮上させている本だ。『存在する』と「構成される」がどんなふうに折り合いをつけていったのか、そこをハッキング独得のセンスで書いていた。数学にはほとんど触れていないものの、科学が表現と介入の操作にあったことを、巧みに解読していた。 
 もうひとつは津田一郎(107夜)の『心はすべて数学である』(文藝春秋)だ。こちらはまさに数学の考え方の根底に触れながら、意識や心が数学的になっていくプロセスを鮮やかに語ったもので、目からウロコが落ちるのではないかと思う。ついでながら、津田さんとは最近になって『科学と生命と言語の秘密』(文春新書)という対談本を上梓したばかりなので、できれは目を通してもらうといい。こちらはデーモン津田が科学的なデーモンとの闘い方を証し、ゴースト松岡が文化的なゴーストとの戦い方を見せるというもの、けっこうな異種格闘技になっているのではないかと思う。

数学と哲学の分化以前にむかうヒント① イアン・ハッキング『表現と介入』
電子、電磁場、クォークといった直接見ることも触ることもできない物質を、なぜ「存在する」といえるのか。ハッキングは『表現と介入』において、実験という営みのなかで操作・介入できる対象は「存在する」といえるという観点を打ち出し、科学の存在論をめぐる論争を新しいステージに引き上げた。ハッキングは〈数学の哲学〉の問題を扱った『数学はなぜ哲学の問題になるのか』(森北出版)も執筆している。
「あなたが電子を吹きかけるならば、それは実在する」(『表現と介入』p.64)
「実験活動はそれ自身の生活をもっている」(『表現と介入』p.295)

数学と哲学の分化以前にむかうヒント② 津田一郎との対談本『科学と生命と言語の秘密』(文春新書)
数学を物差しに科学的思考を刷新するデーモン津田と、言葉を媒介にして情報を生む世界観を編集し続けるゴースト松岡のあいだで、密かに愉しんできた対話が公開された。理科系・文科系が融合した世界観の先に幽かに現れる、科学と生命と言語の秘密をめぐる。
「津田さんはずうっとデーモンと戦ってきた。だからデーモンのことをよく知っている。科学にひそむデーモンだ。私は長らくゴーストを相手に戦ってきた。だからゴーストの癖や好みや意匠がよくわかる。本書は2人がデーモンとゴーストのお出ましを愉しみながら、21世紀の残りに向けて、”みなさんもっと斬りこんでみたらどうですか”と問うてみた問答集である」(松岡のあとがきより)

数学する哲学者① ルネ・デカルト
デカルトは解析幾何学を創始した。空間上にX,Y座標を規定する方法はデカルト以前より存在していたが、平面上の点を直交座標で表す方法を導入し、それまでは扱いにくかった幾何学の問題を、代数の問題に変換することで、解けるようにした。著書『方法序説』は、哲学書というよりも数学書あるいは科学論といってもよく、「屈折光学」「気象学」「幾何学」について記している。

数学する哲学者② ゴットフリート・ライプニッツ
ライプニッツはこの世には絶対不変なモノが2つ存在しており、それは「神と無」であると考えた。この「神と無」という二元論を数学に応用した2進法計算は、200年の時をへてコンピュータ開発に活かされることとなる。

数学する哲学者③ ベルナルト・ボルツァーノ
ボルツァーノは解析学における「ボルツァーノ=ワイエルシュトラスの定理」、19世紀半ばには哲学的な概念であった「無限」を数学に取り入れた『無限の逆説』を著したことで知られる。近代集合論を確立したカントールは、実無限概念の「決定的な擁護者」と評した。
ボルツァーノの哲学的ルーツはライプニッツにある。プラハ大学でカトリック神学や数学を学び、客観主義的な哲学を標榜した。当時のドイツで隆盛したカント哲学やドイツ観念論に反対する立場を表明した。没後の20世紀初頭にブレンターノやフッサールによって功績が認められ、現象学の礎となった。

数学する哲学者④ ゴットロープ・フレーゲ
19世紀に革命期を迎えた数学は、虚数や複素数の演算操作問題から、数の存在論といった哲学的問題に至るまで論争が絶えなかった。フレーゲは最も初歩的な自然数についてさえ、数学者は説得力をもつ説明を与えていないと考えていた。数学の緊急課題が認識源泉の究明にあると確信し、その探究をライフワークに定めた。「概念記法」は、その過程の中で生み出された言語の論理的不十分さを除去するためのツールだった。「こうして私は数学から論理学に至った」と手記の中で主旨を説明している。

数学する哲学者⑤ アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
有機体哲学の名を冠するホワイトヘッドのコスモロジーが展開されたのは、アメリカに渡った壮年期以降。イギリス在住時にはむしろ数学者として知られ、自らも認めるところだった。19歳からケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで数学を専攻し、純粋数学にも応用数学にも傾倒した。フェロー時代はハミルトン方程式とブール代数に熱中し、やがてライプニッツの『普遍的記号論』を意識した『普遍代数論』を書き上げた。序文には「哲学と帰納的推論と想像的な文学を除外して、すべての真剣な思索は演算体系によって展開された数学となるべきである」と記されている。

数学する哲学者⑥ バートランド・ラッセル
核廃絶を訴えるラッセル=アインシュタイン宣言を読み上げるラッセル。哲学者であり政治的活動にも熱心なキャリアは数学者として始まった。ケンブリッジ大学の講師を務めるころ、数学を論理に帰着したフレーゲの『算術の基本法則』のうちに欠陥を発見する。後の「ラッセルのパラドックス」は、数学の基盤を揺るがした。解決をめぐって、ヒルベルトの「形式主義」が興る一方で、自身もホワイトヘッドとともに構想を進めていた『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』の停滞を余儀なくされる。しかし「型理論」(タイプ・セオリー)の提唱によって活路を拓き、数学の論理学への還元を決定づけた。

数学する哲学者⑦ ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
ウィトゲンシュタインは航空工学に関心を持っていた。大学では機械工学を学び、ジェット機のプロペラ設計に打ち込んだ。この間に機械工学と不可分の数学の基礎に興味が向かう。数理論理学の祖であるフレーゲやラッセルを訪ね、ケンブリッジ大学への入学が認められた。
中期以降の論考で数学にまつわるものが半分以上を占めたことはあまり知られていない。伝記の執筆者に「ウィトゲンシュタインの主要な貢献は数学の哲学におけるものであった」と記述するよう、自ら指示するほどの入れ込みようだった。しかし、現在に至るまで評価されてきたのは言語哲学にまつわる業績に留まった。その数学の哲学は大勢の理解を得られないままでいる。

数学する哲学者(あるいは哲学する数学者)⑧ クルト・ゲーデル
ゲーデルは数学の証明の式を計算可能な数字=ゲーデル数へと変換することを思いつく。これによって数学を形式的体系として表現し、計算可能にすることで、数学の世界そのものを数学することが可能となった。
もともとゲーデル数を導入する目的は数学の無矛盾性を証明することにあったのだが、数学世界を数学することを繰り返す中で<自己言及のパラドックス>という伝統的な哲学の難問が吹き出してきた。ゲーデルは数学の無矛盾性が証明できないことを突き止め、その成果は<ゲーデルの不完全性定理>と呼ばれるようになった。
十九世紀末から続く数学の発見によって、「そもそも定理や証明とはなにか」という哲学的問いが数学の根本を揺るがしていた。そんな中、ゲーデルの証明はこの問いを数学の手法で解いてみせた。おかげで、数学は哲学を拝借せずに数学ができるようになった。一方哲学の方は、ゲーデルの厳密性を飛び越して「自己言及」や「不完全性」の概念を使うことも少なくない。数学と哲学のあいだは、もっとおもしろく語られなければならない。両者が未分化だったころのように。

TOPページデザイン:富山庄太郎
図版構成:寺平賢司・梅澤光由・大泉健太郎
桑田惇平・齊藤彬人


⊕『数学を哲学する』⊕
∈ 著者:スチュワート・シャピロ
∈ 訳者:金子洋之
∈ 編集:海老原勇士
∈ 装幀:小倉利光
∈ 発行者:熊沢敏之
∈ 発行所:株式会社筑摩書房
∈ 印刷:大日本法令印刷株式会社
∈ 製本:牧製本印刷株式会社
∈ 発行:2012年

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ 日本語版への序文
∈∈ はじめに——数学の哲学
∈ 第1部 展望
∈∈ 第1章 数学の何が(哲学者にとって)そんなに興味深いのか
∈∈ 第2章 問いと答えの雑多な寄せ集め
∈ 第2部 歴史
∈∈ 第3章 プラトンの合理主義、そしてアリストテレス
∈∈ 第4章 ほぼ正反対の二人:カントとミル
∈ 第3部 ビッグ・スリー
∈∈ 第5章 論理主義:数学は(単なる)論理学なのか
∈∈ 第6章 形式主義:数学的言明は何かを意味するのだろうか
∈∈ 第7章 直感主義:われわれの論理はどこか誤っているのだろうか
∈ 第4部 現在の状況
∈∈ 第8章 数は存在する
∈∈ 第9章 いや、それらは存在しない
∈∈ 第10章 構造主義
∈∈ 訳者あとがき
∈∈ 参考文献
∈∈ 索引

⊕ 著者略歴 ⊕
スチュワート・シャピロ(Stewart Shapiro)
1951年生まれ、オハイオ州立大学教授。専門は数学の哲学、著書に『Philosophy of Mathematics: Structure and Ontology』(Oxford University Press、1997)、『Foundations without Foundationalism: A Case for Second-Order Logic』(Oxford University Press、1991)、『Vagueness in Context』(Oxford University Press、2006)などがある。
⊕ 訳者略歴 ⊕
金子洋之(かねこ・ひろし)
1956年、北海道生まれ。北海道大学大学院博士課程単位修得退学。専修大学教授(出版当時)。専門は論理学、数学の哲学、言語哲学。著書に『記号論理入門』(産業図書、1994)、『ダメットにたどりつくまで』(勁草書房、2006)など、訳書に『フレーゲ著作集』(共訳、勁草書房)、ダメット『思想と実在』(春秋社、2010)などがある。