才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

> アーカイブ

閉じる

日本とはどういう国か

鷲田小彌太

五月書房 2002

日本という国家が気になるなら、
議論の仕方をおぼえなさい。
国家に縛られたくないのなら、
「日本という方法」を学びなさい。
どちらも嫌なら、えらそうな話をしなさんな。
勝手に給料もらってるか、フリーターしているか、
家族と一緒にロハスしてなさい。
今夜は、あえて「国家の条件」をめぐって
正面切りたい者のための一書からのご案内。

 藤原正彦の『国家の品格』(新潮新書)が売れて、そのあとそれが横にすべって坂東真理子の『女性の品格』(PHP新書)になったけれど、北京オリンピックの女子ソフトボールが金メダルで、星野ジャパンが韓国にもアメリカにも完敗し、なでしこジャパンが4位で、反町ジャパンは全敗しているのを見ていると、これは現在日本というもの、むしろ斎藤茂太(803夜)の「女は鼻息、男は溜息」なんである。

北京オリンピックから帰国後、記者会見をする星野仙一監督
(写真右から2人目)

 ぼくは5、6年前からの上野由岐子のファンだったから、個人的にはたいへん嬉しい。あのピッチングは心に残る。ついでにいえばもう一人、柔道52キロ級の中村美里がよかった。銅メダルだったが、19歳にして「いや、金以外はみんな同じです」と吐き捨てた。
 それはともかくとして藤原の本についてだが、これは「欧米の論理と日本とは合わない」「英語で日本は語れない」「祖国愛をもつといい」「武士道を復活したい」「美意識は戦争を超える」といったことを平坦に書いていて(語っていて?)、それが愛国の心情の発露の本として受けたらしい。心情は心情でそれで結構だが、「国家」についての説明は、誤解を招きやすい安易な説明ばかりに終始していて、何が国家の品格かがわからないだけでなく、何をもって国を愛する精神としているのかさえ説明できていなかった。とくに日本文化の説明は表面を撫でてすらいない。
 著者は数学者で、新田次郎の子息。ぼくはこの人の数学エッセイを3冊ほど読んでいるけれど、そっちはそれなりにおもしろかった。だから、この本も武士の惻隠の情とでもいうものを発揮したかったのだろうと思ってあげたいのだが、そのわりには武士道についての解説がひどかった。新渡戸稲造(605夜)の真意になんら接近していないし、近世の武士道(実際には士道とか武芸論)にも及んでいない。山本常朝の『葉隠』(823夜)など、ちゃんと読みなさい。
 とはいえ、いまどき日本という国家を論ずることは、オリンピックについてすらすこぶる厄介なことになっていて、読者の多くがこの手の本を読みたくなることには、バカバカしいほど同情したくもなる。が、こういう本を読んで「日本がわかった」などとは決して思わないほうがいい。

 ぼくはふだんは、日本という国家を議論しはしない。国家という主題を論(あげつら)わない。ぼくの関心はあくまで「日本という方法」にある。
 世界史上の国家の相互関係についてならば、大いに議論する。かつて70年代の終わりに「遊」誌上にその名もずばりの『国家論インデックス』というものを発表したことがあるのだが、そのときは世界のさまざまなステートを歴史をまたいで25ステートに及ばせてとりあげ、しかも「生命の国家」や「情報の国家」や「無名の国家」などを相互にダイナミックに動かした。国家を論ずるのに、日本だけを議論したいとは思わなかったのだ。それがぼくのラディカル・スタンスだ。今夜は言挙げしないけれど、「日本という方法」は日本という国境には決して縛られないのである。
 が、今夜は今夜、ずいぶん前に読んだ鷲田小彌太の『日本とはどういう国か』をあえてとりあげて、これを下敷きにした国家日本の議論案内を試みることにした。視点はできるだけぶれないようにするが、以下は議論の仕方の案内であって、議論を深めるつもりも、議論をふっかけるつもりでもない。では、適当なところから話を始めよう。
 その前に、本書をとりあげたもうひとつの理由について一言。この本は五月書房の橋本有司君の編集で、橋本君はぼくを網野善彦(87夜)さんと出会わせてくれた恩人でもあり、かつぼくの『山水思想』(いまはちくま学芸文庫)の熱心な担当編集者でもあった。しかし、この2冊を最後にガンで亡くなってしまった。だから哀悼を兼ねたいのでもある。

 国家とは何か、とくに日本という国家はどういうものなのかという問題は、一筋縄の議論では語り尽くせない。
 たとえば、一国の首相の靖国参拝は国家の意志なのか。北朝鮮を経済封鎖しないのは国益なのか。憲法改正や女帝の設定は国家の国事行為なのか。株主主権と新自由主義のために日本という国家も必要な制度をつくらなければならないのか。今日の政治家が、こういう問題を日本という国家の問題としてちゃんと説明できるのかといえば、おそらくお手上げだろう。
 政治家だけでなく、知識人の多くもマスメディアも「国家」を主語とした議論は避けている。政治家は「是々非々」といい、知識人は「枠組」を取り出し、マスメディアは「失態」と「結果」ばかりを窺う。『国家の品格』もそうだが、「国家の正義」や「国家の信条」などを持ち出すのは、いまどきそうとうにおかしな議論のやりかただと、日本では思われている(中国はあいかわらず「国家としての中国」だが)。
 とくに日本の来し方行く末を睨んで国家を議論することには、多くの者にひどい躊躇揺動がある。できればみんな「市民」とか「この国」とか「県民」とか「われわれ」「私たち」とか、そうでないばあいはなるべく「地球」とか「環境」とかと言っていたいのだ。
 が、本書の著者はそういう多くが躊らう問題にやや野蛮なほどにとりくんだ。「国家とは何か」「日本とは何か」という二つの壁に同時登攀を挑んだ。ただし、きっと一気に書いたのだろう。そのためか展開はかなりラフで、いくつもの曲折もあるのでいちがいに批評しにくいのだが、とりあえず日本が国家でありつづけるための条件、また日本が国家でありそうでそうなりえない事情をあげることには、けっこう徹していた。
 もっとも、この本は小泉時代前半の執筆だったので、情況認識が当時のものに影響されている。そこは差し引きしておいたほうがいい。また、本書の見方は「歴史教科書を考える会」の連中とも微妙に共鳴しているので、そのあたりは納得しがたいところも少なくない。そのことをアタマに入れておいてもらったうえで、今夜は著者の議論の仕方に沿いながら、ぼくの見方も多少は交えつつ、議論の視点を整理して並べてみる。


① 国家とは歴史的な存在である。

 歴史から切り離された国家はありえない。日本は敗戦したが、国家は存続した。ドイツも敗戦したが、連合国に無条件降伏したのではない。敗戦にともなう政府交渉は許されず、征服されて国家は崩壊した。したがって、戦前のナチス・ドイツと戦後に東西分裂したドイツとは、国家としての連続性はない。
 日本ではその連続性がいまだ問題として残されたままになっている。そのことをアジア諸国に指摘されると(その後はアメリカの下院からも言い出された)、目くじらをたてて怒る連中が少なくないのだが、もし分断したいなら「戦後憲法による日本」と「大日本帝国憲法による日本」とを完全無欠に切り離すしかない。この二つの間にポツダム宣言受諾と東京裁判という、ドイツとは異なる事情が介在したからだ(東京裁判については1150夜参照)。戦前と戦後の分断は容易ではないのだ。
 それなのに日本人は万世一系はともかくも、明治以来の200年ほどの日本というナショナル・ステートあるいはネーション・ステート(国民国家)の継続を、国民的に感じすぎている。もしどうしてもそうしたいのならその歴史観のままに戦前・前後をつなぐ見方を新たに確立しなければならないのだが、それがまったくうまく繋がらないままになっている。そうならばむしろ、その前の徳川社会や北条社会や藤原社会と繋げてみたほうがいいのだ。


② 国家は国民である。国民は共通言語を話す国土にいる。

 日本語と日本の関係はきわめて国家的で、かつ国民的である。『世界と日本のまちがい』(春秋社)にも少し語っておいたことだが、たとえばイギリスは11世紀にフランスのノルマンディ王に抗戦して征服され、宮廷も共通言語もいったんフランス化された。300年後、百年戦争を勝ち抜いて、14世紀にやっと英語を取り戻した。けれども11世紀以前の英語と14世紀以降の英語には断絶と相違が生じた。イギリスには“二つの英語”があるわけだ。
 これは日本に古文と現代文があることでも理解できるだろうが、しかし日本にも、この二つのあいだには極端な断絶があり、イギリスのようには共存していない。もしもつなげたいなら、リービ英雄(408夜)よろしく古語(よく大和語とか倭語といわれる)を現代生活にもっと採りこんでいくしかない。そこは白川静(987夜)さんが、つねに「日本の漢字は国字である」とあえて強調してきたところなのである。
 またイギリスには、これも『世界と日本のまちがい』に書いておいたことだけれど、ヘンリー8世以降はイギリス国教会というローマ・カトリックとも、むろんプロテスタンティズムとも異なる宗教がずっと大きな下敷きになってきた。それが揺らいできたのは1960年代からで、それを心配したのが、かつて紹介したジョン・ヘリックの『神は多くの名前をもつ』(1227夜)だったのである。
 こうして日本という国家を論じるには、まずもって日本語あるいは国語を議論できなければならないということになる。


③ 国家とは国家権力のことである。

 日本国家と日本社会は異なっている。これをごっちゃにしてはいけない。国家は社会そのものではないし、社会を超越することもある。国民に財産の一部を拠出させる納税の義務を負わせ、他国の侵略に備えるために兵役の義務を負わせるとき、国家は社会の上に立つ。
 このように国家が「権力」(パワー)をもつのは、軍事力・経済力・教育力を保持しているためである。この権力には、必ずいくつもの「権威」(オーソリティ)と、国民の「義務」がつきまとう。一般的なネーション・ステートの場合は、権力は軍事力・警察力・司法力に象徴され、義務は「納税の義務」「兵役の義務」に代表される。このことは国家があきらかに社会より超越したものだということをあらわしている。
 そもそも権力はいくつかの国家装置によって支えられている。直接的な国家装置は軍隊・警察・刑務所などの「暴力」にかかわっている。間接的な装置は立法府(議会)、行政府(内閣)、司法府(検察庁・裁判所)、地方行政体が管理する。これに、最近はやたらに問題になっているさまざまな特殊法人がくっついている。
 もうひとつある。国家装置は公立学校とつながっている。義務教育も国家装置だし、国立大学も国家装置になっている。これは国家がいまでもイデオロギー構造に深くかかわっていることを示す。とくに義務教育をコントロールして、教科書検定に文部科学省が100パーセント介入しているのは、日本の教育が国家装置であることを証左する。それを、かつての教育勅語の時代にくらべてずっと民主的になっているではないかなどとは、思うべきじゃない。


④ 国家は国益をめざしている。

 トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』(944夜)以来、国家にとっての最大の国益は国民の生命と財産を守ることである。これがなければ他の国益は何の意味もない。つまり戦後憲法ふうにいえば基本的人権を保証すること、これが国益の大前提になる。そのうえでさまざまなことが国益に適うかどうかを判断していく。
 国益とはそういうものだ。地球温暖化を防止するための京都議定書にアメリカが批准を拒否しているのは、アメリカの国益(国内産業のトータルな利益)にそぐわないからであり、イランが核保有を撤回しないのもイランの国益にそぐわないからなのだ。
 いま、日本は国益を見失っているのか、国益の何を守っているのか、わからなくなっている。証券化されたサブプライムには手を出し、国内の家畜飼料の高騰には手をこまねいた。そうなってしまっている理由には、ひとつはグローバル・キャピタリズムと新自由主義に政府の方針が埋没したということがある。これについても『世界と日本のまちがい』に説明したことなので、ここでは省くが、このことをどのように議論したらいいかということは、まだほとんど確立されていない。反グローバリズムでもナショナリズムでも国益についての勝ち目はないだろう。


⑤ 国家は自立する。自存する。その自立自存のための道義をもっている。

 道義とはモラル・プリシプルのことをいう。日米開戦は敗北必死だった。アメリカは日本を戦争に引きこむことを国益とした。イギリスも同意した。日本はこの包囲網の前で戦争回避も努力した。が、ハル・ノートの前後、開戦に踏み切った。包囲網の前で屈服して戦争を回避することは不可能ではなかったが、戦争を選択した。
 これが道義である。その道義によって日本は無謀な戦争に突入してしまった。真珠湾を急襲した山本五十六は日本がアメリカと戦っても勝ち目がないことを知っていたが、最終的には道義を選択した。
 戦争をするかどうかという場合であれ、国家においてはこうした道義が動くときもあると覚悟していなければならない。いかに惨敗しようと、星野ジャパンにもこの道義はあった。これは福沢諭吉(412夜)西郷隆盛(1167夜)を例に持ち出した大義名分がどこにあったかという問題であって、はっきりいえば「痩我慢」をするかどうかなのである。が、そうやって通した道義が何をもたらすかといえば、戦争に勝利しようと敗北しようと、自立自存の心を残すだけである。それを星野仙一は「みんなオレの責任だ」と言い、福沢諭吉は「一身立って、一国立つ」と言った。それでよければ、国家は道義を立てるべきである。


⑥ 国家は道義でもあるが、意志ももつ。国家意志は目的をもつ。目的のない意志は無意志だ。

 アメリカが朝鮮戦争の勃発にそなえて日本に再軍備を迫ったとき、吉田茂は憲法9条とソ連の介入を盾にとって、これに強硬に反対した。結果は自衛隊(最初は警察予備隊)の設置となったものの、この吉田ドクトリンの発動によって、アメリカは日本の軍事力を予想以上に肩代わりせざるをえなかった。
 わかりやすくいうのなら、これが軍事費の負担を軽減させ、日本を国内の安定と高度成長に導いた。このことはひとつの国家意志の発動であるとみなせる。一方、石橋湛山(629夜)は早くから「小国主義」を唱えて、病気のため実際の首相時代は短かったが、日本は拡張主義を戒めた方針をもつべきだと考えた。ところがそれは「一国主義」でもあって、実際には国際関係の緊張から逃れられなくなってしまった。が、これもまた国家意志のあらわれのひとつなのである。
 国家意志には自己判断と自己決定と、そして自己責任がともなう。かつての東欧諸国はどんな決定にもクレムリンり承諾を得なければならなかった。そこには国家意志はない。いま日本は自衛隊のインド洋派遣についても、北朝鮮に経済封鎖をしつづけるかどうかについても、牛肉の輸入の仕方についても、あいかわらずアメリカの承諾をもらおうとしている。これは日本に国家意志が欠如していることを物語る。もっとも、日本は対米従属であるというのがいまや一部の連中の国家意志になっているというなら、何をか言わんや。


⑦ 国家の意志の発動や目的の遂行には責任がともなう。この責任をはたすには「力」がいる。

 国家における最大の責任は国民の生存を守るという国益を保持することであるが、そのためには地震の被害を早急に回復させ、外国の脅威から自国を防衛する責任をはたさなければならない。だから軍事力も必要になる。
 日本は戦後憲法で「交戦力としての軍事力」を放棄したが、国を守る軍事力を放棄したわけではない。しかも国防力においては、現在の日本は軍事大国である。しかし、それは日本の単一軍事力で成立しているのではない。10をこえるアメリカの軍事基地との組み合わせによって、キマイラのごとくに成立しているにすぎない。しかもアメリカの駐留軍は、沖縄問題やその地での暴行事件で顕著なように、ほとんど日本政府や地方自治体の意志には決して従わない。アメリカが日本に基地を置いているのは、日本の国防のためではなく世界戦略上の軍事上の必要性のためであるからだ。
 他方、国家の責任は、国家が国民に何を強いるかということと裏腹になる。すなわち国民にどのような義務を生じさせるかということが、国家の責任になる。日本は兵役義務を国民に強いていないが、納税の義務は強いている。ここに日本が日米安保同盟を破棄できない理由と、その結果、経済大国をめざすしかなくなった理由があった。


⑧ 国家は国際関係である。

 かつてはインターナショナリズムが、いまはグローバリズムが流行している。インターナショナリズムはソ連によって指導されたコミンテルンが提案実行し、これにわずかにウィルソンの提案の国際連盟が別案を出した。
 インターナショナルなシステムは、ナショナルな単位をインターさせるわけであって、その単位は一国ずつの国家にある。一方、グローバリズムは一国ずつから発しないシステムのことで、それゆえ自由市場による金融資本主義が最も典型的なグローバリズムだということになる。しかし、今日のグローバリズムはいまなおグローバル・ワンによるグローバリズムで、本来の、たとえばバックスミンスター・フラー(354夜)が提唱したような、宇宙船地球号的なグローバリズムなどではない。二酸化炭素の排出量を取引の材料にするためのグローバリズムなのである。
 それゆえ今日のグローバリズムは、どこかの国家がグローバル・ワンであることを標榜し、それが各国に国家の壁をこえて波及していくことをいう。アントニオ・ネグリ(1029夜)らはそれを「帝国」と名付けているが、この帝国は20世紀のアメリカ型グローバル・ワンの帝国で、かつての帝国ではない。

 まだいろいろ規定しうるけれど、とりあえずざっとあげた。むろん、このような国家の条件は単立しているわけではない。当然、組み合わさっている。したがって、国益の決定にもさまざまな問題が複合的に絡む。けれどもその前に、やはり国家とは何かということを問いつめておく意識がないかぎり、その組み合わせはちっともおこらない。
 そこで、以上の条件をもう少し詳しく見ることにする。すべてを俎上にあげられないが、いくつかをとりあげたい。
 たとえば、②の国民と日本語の関係だが、これは国家と国民と国語という問題とみなせる。3つははたして完全に重なっているのかというと、そうはなりえない。そこが議論の難しいところなのだ。
 国語については、第1080夜にイ・ヨンスクの『「国語」という問題』を、第955夜に柄谷行人の『日本精神分析』を、さらに第992夜の『本居宣長』でも多少のことを論じておいたので、ここでは本書の著者があげている視点だけを検討するが、このばあい、日本語が中国語や朝鮮語などの近隣諸国の国語とまったく異なる特色をもっていることが大前提になる。それを国語学では孤立語ともいうのだが、言語学では日本語は膠着語とみなされている。
 そのほかいろいろの特色はあるが、結論をいえば日本の言語は変遷してきたと見たほうがいい。少なくとも「国語」は明治中期以降に確立したもので、それ以前は国語ではなく、また国民生活上のフォーマットでもなかったといったほうがいい。そのことを早くに議論したのが契沖から富士谷成章をへて宣長におよんだ国学的国語論とでもいうべきものだったが、これは明治近代ではほとんど無視された。
 ということは日本の「国語」は近代国家とともにできたということで、これは認めたほうがいい。さきほど引いた例でいえば、イギリスの国語だって14世紀以降の英語が国語なのである。それ以前は、日本もそうなのだが、地域言語の複合体だったのだ。
 ところが近代国語はこれらを統合する。ルールもつくる。1963年にマレーシアが国語をつくったときは、マレー語のしくみの上に英語の語彙を直訳して移植した。日本語のばあいはヘボン式でローマ字対応させ、その発音で国語を取り決めていった。当用漢字や仮名遣いも近代国語ゆえに決まったことである。
 が、しかし、こういうふうに国語が確立したことと、それが日本にふさわしいかどうかということは、別問題なのである。ウォルフレンは日本の「システム」が曖昧だということを問題にしたが(1131夜)、それはシステムの問題ではなく、国語の問題でもあったのである。だから日本語が曖昧だからといって、また逆に単純だからといって、それで日本語や日本人の思考がおかしいということにはならない。今日の国語で源氏や西行や近松は読めないし、説明できないからといって、それで日本語がおかしいということにはならないわけなのだ。
 近代国家や現代国家が規定している国語は、そういう日本語本来の特色とは別のものなのである。もし国民の歴史というものが百年単位で続いているとするなら(むろんそうであるが)、日本人と日本語の本来と、国民と国語のフォーマットとは、必ずしも重ならないのだ。それでいいのである。日本語は変遷しているし、実は国民意識だって変遷している。そういうことを無視して、国民や国語を論じてもダメである。ということは、それをちゃんとやらないで日本という国家を論じても何も方針は出てこないということになる。

 次に、④の国益についてだが、日本の国益については、しばしば議論されるのが鎖国であろう。これまで何度も鎖国は是か非か、新たな鎖国はありうるのか、部分的鎖国は可能なのかといった議論がされてきた。
 なぜそんなふうに鎖国が気になるかといえば、日本の歴史のなかで鎖国ほど国益を確保したものとみなせるものがなかったからだった。しかし、日本人の多くは徳川幕府が選択した「国策としての鎖国」の意味をあまり考えない。
 1038夜の『秀吉の野望と誤算』のときにも、『日本という方法』(NHKブックス)にも書いたように、そもそも鎖国対策は、秀吉がまきちらした戦後処理から出たものである。秀吉は“日明戦争”をおこそうとして朝鮮半島に攻めのぼったのだが、連戦連勝のあげく海戦で敗退した。これは道義から出た戦争ではない。1590年に関東の豊饒が滅んで信長が天下一統をはたすと、国内戦争がなくなった。これで万々歳かというと、そうはいかない。正規軍だけでも100万人といわれる膨大な戦闘要員が残った。いわば戦争エネルギーである。秀吉はこれを海外に向けたのである。ルソン討伐も計画した。それが秀吉のシナリオだった。むろん無謀な侵略戦争であった。
 家康はこの秀吉がまきちらした戦後処理に徹した。軍備を縮小し、あれほど開発され、技術も磨いてきた鉄砲隊を解消し、「武家諸法度」によって武力縮退を実現した。交易はオランダと組んで有効な作戦を展開し、あとはアウタルキー(自給自足)に徹した。これが徳川日本における「国益としての鎖国」なのである。家康は戦費の封印もはたしたわけである。
 これに対して、1990年の湾岸戦争で日本は110億ドルにのぼる戦費を支出した。戦闘員の出兵の代わりに支払ったのだが、これが国益にならなかったことは、いまや自明になっている。

 ⑦の国家の責任という問題も厄介だ。戦後社会にとって、日本が問われた最大の責任は「戦争責任」だった。日本は戦争責任をとっただろうか。
 日本は開戦をして、敗北した。国際法では、勝っていれば国家の責任は問われない。勝利国に問われることがあるとすれば、戦争中の相手国での犯罪であるが、その責任は国家はとらない、その犯罪行為をおこした個人や機関の責任当事者がとる。
 これに対して敗戦国は責任を国家が負う。賠償金の支払いもそのひとつである。しかし、そのときは国家の最高責任者も敗戦の責任を負う。大日本帝国憲法では天皇が最高責任者である。それなら天皇が戦争責任を負う。天皇は責任をとっただろうか。とらなかった。とろうとしたかもしれないが、とれなかったというべきかもしれない。天皇は黙して語らなかったということにおいて責任をはたしたという見方もあるが、実際には、戦勝国が天皇の責任を免除したのである。
 天皇の戦争責任を免除したのはGHQのもとに開かれた東京裁判(極東国際軍事裁判)である。ここで別の被告たちが決定された。その被告を裁くことによって、連合国側は国際法によって日本の国家としての戦争責任を断罪することにした。その被告に天皇は入らなかった。天皇だけでなく戦時内閣の首相や大臣で入らなかった者も多くいた。そして被告が裁かれた。これがいわゆるA級戦犯である。戦争犯罪者である。
 1150夜の『東京裁判』にも書いたように、ここまでが事実経過だった。しかし、この事実経過の結論の解釈をめぐって、日本のその後の国家の責任や国益や道義がたえずゆらぐことになった。たとえば靖国参拝問題である。

 靖国神社にはA級戦犯が合祀されている。それを一国の首相が参拝するのは、戦争責任をごまかすものだと非難されるわけである。戦争責任とは侵略戦争をしたということだから、靖国参拝は侵略戦争を認めようとするのかということになる。一国の首相は、戦没者を慰霊しているだけだと言う。これではまったく議論は噛み合わない。
 いや、噛み合っていないのは議論ではなく、東京裁判で日本という国家が受けとめた結果についての問題なのてある。そうだとすると、東京裁判で日本は国家として何を問われ、何の責任をはたしたのかということを理解しておかなくてはいけない。
 東京裁判以前、国際法は戦争遂行のプロセスで生じる戦時法規から逸脱した行為を戦争責任と規定していた。ところが東京裁判では「平和に対する犯罪」と「人道に対する犯罪」が加わった。これはポツダム宣言後に加わった法規だった。これはきわめて異例のことである。戦争犯罪のみならずどんな犯罪の責任も、あらかじめ規定された法規以外でこれを裁くことはできないはずなのだが、ところが東京裁判ではその慣例が破られた。パル判事がそのことを指摘して裁判の無効を訴えたことは有名だが、すでに採決は下されたのだ。日本はいまだこの異例の中にいるままなのである。

 もうひとつだけ、ふれておく。⑧の「国家は国際関係」だが、これはいまやインターナショナリズムに代わってグローバリズムの問題ということになっている。
 グローバリズムとは、グローバル・キャピタリズムのことである。なぜこんなものを日本がまるごと受容することになってしまったのかというと、1970年代に日本は高度成長を終えて、低成長時代に入った。それまでの日本は「下請け制・終身雇用制・年功序列・親方日の丸主義」の4本柱で“日本的経営”を拡張し、工夫して、やっとこさっとこ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とよばれる日本的経済構造をつくりあげていた。ところが、これが「二重構造」だと批判されていった。現代資本主義と前近代的な家内制ふう産業構造が溶接されていて、こんなものはやがて日本の発展を阻害するだろうというのだ。
 日本はいまでも中小企業や零細企業が支えている。それがかつては大企業に組みこまれて機能していた。それを中小企業は大企業に従属しているとか搾取されてるとかと見ることもできるのだが、実際にはそれでうまく機能していた。そこで日本的経営だっていいじゃないかと思われてもいたのだが、それが破棄されてしまったのだ。けれどもここに注意しなければならないことがある。

 この日本的経営による日本的資本主義は、そもそもは戦時中の「戦時経済」(国家総力戦体制)が産み落としたものだった。1940年に発足した第2次近衛内閣が「新経済政策」を掲げ、株主の権利を制限するために商法を改正し、所有と経営を分離した。
 実は「下請け・終身雇用・年功序列・親方日の丸」の4本柱は、この商法のもとにこそ発展してきたものだった。これがいわゆる「日本株式会社」の実態なのである。一言でいえば「民有国営」の国家社会主義に近い。これを下敷きに1960年に池田内閣が「国民所得倍増計画」に踏み切った。立案者は下村治だった。実質GDPを2・7倍に、工業生産を3・8倍に、輸出を2・6倍にしようというものだ。これは「戦時経済」の延長なのである。日本は戦時型で高度成長をやってのけたのだ(いまの中国と同じである)。
 しかしながら、この日本株式会社の成就は軍事面をアメリカが肩代わりするという日米安保同盟が片方にあって成立するものでもあった。そのアメリカが日米株式会社のやりかたに文句をつければ、たちまち変更を迫られるものでもあった。
 アメリカは世界経済を支配するためには、アメリカによるドルを中軸においたグローバル・スタンダードを押し付ける。これを日本は受容した。ジャパン・バッシングがおこったのは、そのときだった。日本のバブル景気はあえなく潰え、「失われた10年」が始まった。そこへ日米構造協議がくまなく作用して、いつのまにか日本はグローバル・キャピタリズムの一翼として会計監査をうけるコンプライアンスの奴隷になっていったのである。そこにさて、どのように「新自由主義」というとんでもないイデオロギーがはたらいていたかということは、『世界と日本のまちがい』を読んでいただきたい。
 ちなみに、池田内閣が打った手で国益に反することがあった。農業就業人口6割減少という計画をたてたのだ。これはのちのちまで禍根をのこすことになる。

 本書を素材に議論したいことはまだまだあるが、北京オリンピックの聖火が消えた名残りの話としては、このくらいにしておく。本書そのものはもっと多くの論点をラフに提供しているのだが、ただ、それらを総合すると、なんだか「強い矛」と「強い盾」とが組み合わさっているようで、よくわからないところもあるので、あとは読者の判断にまかせたい。
 たとえば著者は本書でどんな日本国家を提案しているかというと、日米同盟を維持し、「脱亜入米」をまっとうし(アジアとは組むなというのである)、そのうえで憲法第9条を破棄しなさい。自衛隊を国軍に編成しなさい。つまり「平和はタダじゃない」というのだが、これでは国軍の確立だけが新規の提案で、あとは大半が現状維持なのだ。日本を洗濯したということにはならないだろう。
 ちなみに星野ジャパンは“国軍”ではあったが、それで負けたのである。日本が国の勝負に出るにはまだ早すぎるということだろう。そうでなければ上野由岐子のように、手のマメを潰しても剛球を投げつづける主戦級が国家の先頭を走るしかない。

フトボール北京オリンピック日本代表
エースの上野由岐子選手

附記:著者の鷲田小彌太は1942年の札幌生まれで、大阪大学の哲学科の出身。1983年からは山口昌男(907夜)さんに招かれて札幌大学教授になっていた。主著に『日本資本主義の生命力』(青弓社)、『天皇論』『昭和思想史』『スピノザの方へ』(いずれも三一書房)、『日本人のための歴史を考える技術』(PHP研究所)、『欲望の哲学』(講談社)などがある。ぼくはちゃんと読んでいないけれど、著書は100冊をこえるらしい。