才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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青い狐

ドゴンの宇宙哲学

マルセル・グリオール&ジュルメーヌ・ディテルラン

せりか書房 1986

Marcel Griaule & Germaine Dieterlen
Le Renard Pãle 1965
[訳]坂井信三
編集:船橋純一郎・池上善彦
装幀:工藤強勝

過日、フランス機がマリの山中に墜落した。
そのマリ共和国の別の断崖地帯にドゴン族がいる。
ドゴンの神話は驚くべきものだ。
アンマとノンモの物語には、
われわれの「想像力の基態」がみんな入っている。
そこには対比しあい、最大と最小の現象を行き来する
「始源の双極性」の夢が宿っている。
トング(記号)とトンイ(絵)もおもしろい。
かつ、ドゴンにはシリウス系をめぐる
妙に説得力に富んだ宇宙論がくっついている。
シリウス・ミステリーと呼ばれてきた。
こうしたドゴン族の物語編集力を覗き見ることは、
アフリカにひそむ「記憶の奥の曲率」を知ることである。
今夜は、真夏の夜の夢を垣間みてもらいたい。

 ぼくのアフリカは子供時代のリヴィングストン探検記の絵本の中から始まっている。次が映画『砂漠は生きている』だ。修徳小学校の4年生のときだったと思うが(5年生?)、みんなで午前中の映画館に行って見た。
 子供にとっては、アフリカが猛獣たちやキングコングの原郷であることは空恐しい愛嬌だったけれど、そのうち、暗黒大陸アフリカはその名を裏切るほどの想像力と造形力の宝庫に見えてきた。ピカソよりもアフリカの彫塑そのもののほうが、どう見ても一枚上だった。
 高2・高3は男子クラスだった。そこにジャズ・フリークのヤマダ君という友人がいて、たちまちその世界に引きずりこまれた。ところがあるとき、ふだんは寡黙なヤマダ君が「おまえなあ、ジャズはアフリカだぞ。アメリカは二番煎じだぞ。ブルースもアフリカだぞ。グリオ(文化職業集団)がつくった楽器でアフロアフリカン・リズムを浴びてみろよ」と耳打ちするように言ってきた。グリオの楽器というのはコラやバラフォンである。

左:講談社の絵本『リビングストン アフリカ探検』
右:ウォルト・ディズニー『砂漠は生きている』

左:コラ 右:バラフォン

 そんなことを浴びていた矢先の1960年、日本は安保に揺れたが、ブラックアフリカでは17カ国の独立が連打され、新聞がさかんに「アフリカの年、来たる」と騒いだ。なるほど、ガーナの初代大統領になったクワメ・エンクルマの誇らしげな演説が印象的だった。
 しかし、やがてナイジェリアの内戦から「ビアフラの悲劇」などが伝わってくると、ぼくのアフリカ観はかなりぐらぐらするようになった。ついではジョーゼフ・コンラッド(1070夜)の謎めいた『闇の奥』を読んで以来というもの、そしてリチャード・リーキー(622夜)のアフリカ原考古学のルーツと出会って以来というもの、ぼくにとってのアフリカは「想像力が及ぶ現存一番の奥」の世界になった。とうてい敵わない相手だ。理解の範疇そのものが壊れていく。

 とぼとぼと幾つかのアフリカ本は読んでいた。レーモン・ルーセルの『アフリカの印象』(平凡社ライブラリー)からピーター・マシーセンの『ひとの生まれた木』(講談社)まで、ユゴンの『アフリカ大陸探検史』(創元社)からシュレ=カナールの『黒アフリカ史』(理論社)まで、いろいろだ。岡倉登志のアフリカ史をハンドブック代わりにした。
 宮本正興と松田素二が凝縮した『新書アフリカ史』(講談社現代新書)は「河」を浮上させていてありがたかった。そうか、砂漠ではないよな、アフリカは水だよなと思った。残念ながら山口昌男(907夜)のトリックスター型のアフリカ神話論は、山口さんには申し訳ないが、あまり興味をもてなかった。むしろ川田順造の『マグレブ紀行』(中公新書)や『アフリカの心とかたち』(岩崎美術社)に親しんだ。
 川田さんはアフリカ文化を、「物品機械依存型のヨーロッパ文化」、「人間依存型の日本文化」と比較して、「状況活用型のアフリカ文化」とみなしていた。なるほど、状況活用型か。そういう見方でいいのかと、それを機会にアフリカが少し肌に浸透してきた感じがした。
 が、それでもぐらぐら感は続いていた。そんななか最も動揺させられたのが阿部年晴の『アフリカの創世神話』(紀伊国屋書店・1965)だった。牛と河のディンカ族、混沌と秩序のルグバラ族、天体と呼応するドゴン族、万神殿のようなフォン族、草原神話のロジ族‥‥。
 ともかくアフリカの天地の力が圧倒的なイメージをもって多様に襲ってくる。まさに目眩めく。とりわけ、まるで別格のようにドゴン族のことが伝わってきたのである。

 80年代に入って、中沢新一(979夜)君からもドゴン族のことを聞いていた。聞くだけで興奮するものがある。ちょうどピーター・ガブリエルやトーキング・ヘッズにアフリカの郷愁を感じていた時期だった。
 それでようやくマルセル・グリオールの『水の神』(せりか書房)を読んだのである。小さな松岡正剛事務所を元麻布に開いて、少しのんびりしていたころだ。ぼうっとしていたせいか、とても大きなものに圧倒された。

 グリオールが『水の神』を書いたのは戦後の1948年だった。このフランスの民族学者は1928年からエチオピアに入り、その後にアフリカの東西横断をはたした。この横断はフィールドワーク民族学の業界では「ミッション・ダカール=ジブチ」と呼ばれている有名な横断だ。ミシェル・レリスやアンドレ・シェフネールらがその跡を追った。
 ニジェール川流域のドゴン文化に追突したグリオールは、ここに腰をすえた。賢人狩人オゴテメリの話を十全に採取して、これを宇宙創世神話の1日目から32日目までの語りものにした。それが『水の神』である。
 オゴテメリは事故で盲人となったゆえの比類ない知恵にめぐまれた語り部の長老で、グリオールにとっての、いわば佐々木喜善だった。グリオールは夢中になってこの老人の精緻でスペクタクルな話を採録した。
 グリオールは1943年から1956年に亡くなるまで、パリ大学ソルボンヌの民族学筆頭を務めた文化人類学者である。レヴィ=ストロース(317夜)のようなオールラウンド・プレイヤーではないが、「入りこむ」という独特の方針をもっていた。ヌーベルバーグの旗手の一人ジャン・ルーシュはグリオールの弟子で、ドゴンの記録をいくつも撮った。
 こうして、ぼくは工藤強勝君がブックデザインをした『青い狐』も読むことになる。引きこまれた。

 ドゴン族(Dogon)はアフリカの、いまはマリ共和国に属するニジェール川の流域に住んでいる民族(部族)である。
 流域とはいってもその一帯を占めているのではなく、なぜか険しいバンディアガラの断崖(バンディアガラ山)にだけ棲息する。きっと天然の要害だったのだろう。それでも人口は約25万人がいる(北アフリカ一帯には1000万人がいる)。バンディアガラはいまでは世界遺産になっている。
 マリ(Mali)はフランス植民地時代はスーダンと呼ばれていたところで、1960年の独立時にかつてのマリ帝国に肖(あやか)ってマリ共和国になった。

ドゴン族 老賢者オゴテメリ

ドゴン族の居住地域

 この地の古代史は4世紀のソニンケ族によるガーナ王国が先行している。8世紀にはサハラとの交易(北方の塩と南方の金や象牙の交換)で繁栄していた。11世紀にベルベル人のムラービト朝の攻撃をうけて滅亡した。ベルベル人はマグレブの誇り高い知的野性派だ。フランスにワールドカップをもたらしたジダンがベルベル出身だった。
 13世紀半ば、スースー王国にいたマンティカ族が自立して興したのがマリ帝国である。そのあと、マリは岩塩をめぐっての交易戦争に敗れて、フラニ族のマシーナ王国、バンバラ族のバンバラ王国などの小国が乱立した。さらには19世紀の半ばではトゥクロール帝国、サモリ帝国などをつくっていたのだが、ヨーロッパ列強のアフリカ分割が始まると、ひとたまりもなく潰えていった(マンディンゴ戦争)。

 アフリカに列強が目をつけた歴史ほど、醜くて、苛いものはない。『世界と日本のまちがい』(春秋社)にその概略を書いておいたが、最初はレオポルド2世のベルギーがコンゴを獲り、焦ったビスマルクが14カ国を集めて、暗黒大陸を“買い物”するための100日会議(ベルリン会議)を仕切り、そのあとはヨーロッパのたった7カ国が、リベリアとエチオピアを除くアフリカ全土を分割してしまったのだ。
 むろんマリ一帯もこのシナリオに巻きこまれた。1892年にこの地の全域がフランスの植民地となって、フランス領スーダンとして統合されたのだ(英領スーダンは別)。植民地時代は長く続いたが、あのアフリカ現代史にとっては最も象徴的な1960年に、隣国のセネガルとマリ連邦を結成すると、やっとフランスから独立し、翌年にマリ共和国になった。

 マリは国の65パーセントが砂漠か半砂漠である。南部は低地、北部は1000メートル級の高地で、西がモーリタニア、北がアルジェリア、東がニジェール、南がサッカーも強いコートジボワールになっている。共和国の中の宗教はいまでは90パーセント近くがイスラム、5パーセントがキリスト教、残りが土着の信仰をもつ。
 そのマリの北部のニジェール川流域のバンディアガラにドゴン族がいる。いったいいつから居住しているのかははっきりしないのだが、その創世神話は驚くほど古い物語(古そうにみえる物語)を伝える。それこそノアの洪水時代の物語なのである。
 むろん少数民族だ。言葉はニジェール・コンゴ語族に属して、マンデ系・フルフルデ系・ドゴン系に分かれる。マリにはそのほかナイル・サハラ語族、アフロ・アジア語族などもいる。

 ドゴン社会は父系のリネージからなる大家族的な集団をつくり、そのなかに仮面結社や年齢集団をもつ。これらは厳密なマツリゴト(政事・祭事)の組織で、「オゴン」(ホゴン)という首長が管轄する。
 祭事の多くは乾季におこなわれる。アフリカ特有の仮面文化にもとづくものが多く、先祖を称える祭り、氏族のトーテムを祀る祭り、男子結社の絆を強める祭りなどがある。なかでも60年に一度の「シギの祭り」は有名で、祖先の霊力を秘めた蛇の大仮面を奉納する。
 作物はコムギやアワやコウリャンを主として焼畑で農耕しているものの、断崖斜面が多いから耕地面積は少ない。縄梯子がなければ行き来もできない。全員がいわば鳶職なのだ。それでもそんな土地に執着したのは、そこに神話の裏付けがあるからだった。

イビの近くのアル村にあるオゴンの家とブル祭りのときに描かれた3色彩画[本書より:P015]
オゴンは壇の上にすわっている。

シギ祭りの様子

 ドゴン族には「国」がない。村々が集合した「地方」があるだけで、その首長のオゴンたちは、神話上の祖先から受け継ぐ父系の血縁なのである。
 現在は大きな4組の血縁集団で構成されているらしいのだが、そのなかには神話の中をたどらないと説明がつかない役割をもった人物たちがいる。つまりドゴンはいまなお神話の中にいる者たちなのだ。

 グリオールによって伝えられたオゴテメリの語る神話は、驚くほど宇宙的で、天文的な知に依っている。それはどこか旧約聖書やビッグバン仮説をすら想わせる。それでいてドゴンの神話は豊饒な言葉に満ちている。複雑な物語を説明するための必要なカテゴリーも、ずらりと揃っている。そこには世界各地のさまざまな創世神話がもっている分母のようなものがあると、ぼくには思われた。
 だから30年近く前、『水の神』や『青い狐』を読んだときの驚嘆は尋常なものではなかった。こんな部族神話があったのかと、ぞくぞくした。まさに待ち遠しかったコスモロジーであり、神話の物語構造の図示というコスモグラムの冒険がここにあるじゃないかと思えた。
 ただし、そのような創世神話がいったいいつごろできあがったのか、いつどのように編集されたのかは(案外、新しいのかもしれない)、いまだにわかっていない。それでも、ここまで細部の文脈が整っているのは、よほどの知恵なのである。

 大筋、こんな物語だ。かなりはしょってある。
 はじまりの世界には宇宙すらなかった。そこにいたのはアンマだけである。だから、アンマは神話上の創造神にあたる。4つの鎖骨をもっていた。
 アンマは言葉から宇宙を生んだ。それはブンモンという記号で示された。次にアンマは二つの白熱する壷を作った。大きい壷には赤い銅を螺旋的に巻きつけて太陽とし、小さな壷には真鍮を巻きつけて月にした。太陽のほうは一部が砕けて、その破片が星になった。
 

<世界の記号の胎>あるいは<アンマの図表> [本書より:P075/図2]
アンマの卵は楕円形の図表で示され、記号(ブンモン)が書き込まれている。これは<世界の一切の記号の胎>とよばれる。その中心は臍である。2本の軸の交点からは二等分線にあたる交叉した記号が出ていて、これが4つの方角を印していた。こうしてできた4つの区画は、最初の8つの記号を含んでおり、その各々がまた8つの記号を生み出した。かくして卵は4×8×8、つまり256のしるしを含んでいた。それに軸を半分に区切って1本に2本ずつとして8つ、中央の分として2つを加えた226の<アンマの記号>があった。各々の区画にはひとつの元素が割りふられている。右下の区画から左へ向かって、それぞれ土、火、水、気である。中央の軸の交点にある2つの記号は<先導-記号>、4つの区画に置かれた4対の記号は<主-記号>といわれ、あと256の記号は<世界の完全な記号>という。またこれらの記号の全体は<目に見えないアンマ>ともいわれる。

4対の<主-記号> [本書より:P078/図4]
4つの区画のひとつひとつに割りふられた<主-記号>の対は、対応する元素と結びついていて、それぞれの元素の2つの基本的な状態を示している。Aは斜めになった弧で、下部は真直な鉤の形になった部分で終わっている。これは不完全な状態での土の記号である。後に狐が鉤形の部分を切り取り、その先端を盗む。aはやはり下部が鉤になっていて、Aとほぼ同じ記号だが、鉤の部分は狐が盗む一塊の土であり、狐は垂直の軸に沿って降下していく。盗みの結果は、Aにおけるよりも小さく示されていて、ここでは盗みという違反は多少軽く見られている。Bは曲がった柄のついた鉤の形で、柄の先はまっすぐに伸びている。これは儀礼的な盗人の杖を表している。天上の火はこの杖を使って盗まれ、その火を、後に鍛冶屋が利用する。bでは、右の方が持ち上がっている太いカーブによって鍛冶場の炉と薪が表わされ、先端の細い突起が炎を表している。Cは、左に向かって湾曲する弧が斜めに引き下されたまっすぐな線とつながっていて、天に穴が開いて水が流れ出すのを象徴している。2本の線がつながったところで、弧の方の線の端が細くなっているのは、2つの水流が流れ出した源を示している。cでは、穴は大きくなって<世界の箱舟>が降りていけるほどになっている。cの線は下から上へ末広がりに太くなっていて、水流が大きくなっていくのを表している。Dは大きく開いた細長い三日月形で、いたるところに広がっていく気である。空間の中央部では密だが、上部と下部では稀薄になっている。dは細い柄のついた幅広の大きく開いた鎌のような形で、強く熱い気を象徴し、柄の部分は清々しい気を表している。

 こうして天空ができあがると、アンマは粘土で女の姿をした大地を作り、それを妻とした。その大地は、生殖器としての蟻塚と陰核としての白蟻の巣を身に宿していた。
 アンマは大地と交わって世界創造を続行しようとしたのだが、白蟻の巣が交わりを拒んだ。アンマは白蟻の巣(つまり陰核)を切り落としたものの、このとき不十分な交わりによってユルグが産み落とされた。ユルグは金狼の姿をした子だった。男の魂だけをもっていた。
 アンマは次に大地に雨を降らせて、その水から双子の精霊のノンモを生み出した。ノンモは水でできた子で、緑色の毛をまとい、植物の未来にかかわっていた。ノンモは自分をつくった母なる大地に布で織った衣を着せた。
 成長したユルグはその衣を脱がして母と交わった。近親相姦である。このため大地には「月経の血」が流れ、不浄なものとなって地上から宇宙の秩序が失われた。けれどもユルグはこのことによって言葉を得て、「夜、乾燥、不毛、無秩序、死」の領域を支配することになった。これに対して、ノンモは「昼、湿気、豊饒、秩序、生」を司り、水と言葉を得て、アンマに代わって天地をマネージするようになった。

天上の二人のノンモ、右が大ノンモ、左がノンモ・ティティヤイネ [本書より:P026]

左:ノンモ・ティティヤイネのトンイ [本書より:P161/図45]
このトンイには、歯が描かれていて、これで彼は活躍する。尾が斜めに伸びている点は、あとで彼が双児の兄弟の中のひとりの邪悪な行為に対して、その胎盤を<足で>踏みつぶすことによって示すことになる根本的な敵対関係を印している。
右:大ノンモのトンイ [本書より:P159/図43]
この図は、4本の4色の線からなる頭と体を示しているが、これは虹と四元素を意味している外側から内側に向かって、それぞれ水(黒)、火(赤)、気(白)、土(黄土色)である。これと並行して、社会的次元ではこの4色は人間の4人の始祖の証拠であり、その血をひく4つの「人種」(つまりリネジ)の証拠である。図がうねうねとした形をしているのは、雨(体の内側に黒い点々で予示されている)の降ってくる様と地面を水が流れる様子を証している。このノンモの全体としての形は蛇に似ている。大地の上にあっては、蛇は原初にノンモ・アナゴンノに授けられた不死性のシンボルである。

 不浄となった大地からアンマは遠ざかって、粘土から人間を作ることにした。その最初の人間は雌雄を分かたぬ両性具有であったが、アンマは割礼によって性の識別をこしらえた。こうして男女4人ずつから8人が生まれ、それぞれ10人の子を得て、80人にした。
 かれらにはまだ死の観念がなく、老いた者は大地の子宮である蟻塚に戻されて、ノンモの力によって精霊となり天に昇った。
 こうして天界に8つの精霊と人間から構成される8家族が暮らすパンテオンができた。かれらは神から与えられた8種類の穀物で暮らしていたのだが、やがてすべての穀物を食べ尽くしてしまうと、ついに与えられていなかった生命の胚種「フォニオ」(最も小さな種子という意味)まで口にした。
 天界のルールを破った8家族はアンマとノンモを恐れ、相談のうえ天界からの逃亡を企てた。最初に長子の一族が行動をおこした。ドゴン神話におけるノアである。長子は巨大な駕篭に天上の土を厚く塗りかためて方舟(はこぶね)をつくり、そこに8つの穀物の種子、魚・家畜・鳥・野獣・植物・虫を詰めこんだ。これらを方舟に積みこむと、長子は屋根に糸巻き棒を立て、矢に糸を結んで天蓋に放った。これで糸を伝って方舟が地上へ降り立つ準備が整った。
 しかし長子はそれだけでは満足せずに、天井の鍛冶職人が集まっていたノンモの作業場に忍びこみ、鍛冶道具一式とそれらを動かす熱源たる「太陽のかけら」を盗んだ。まさにプロメテウスの火を盗んだのだ。
 こうして長子とその家族は「虹の曲線」に沿って、ついに降下していった。

右:白いフォニオの体の中に世界を創るアンマ [本書より:P117/図18]
フォニオをこねあげるときに、アンマは手の中にあった記号を入れた。それは<フォニオの体をつくるものであるアンマの絵>とか<フォニオの体の中に世界をつくるアンマ>とかよばれるこの図に示される。この図ではアンマは人の姿で表されている。彼が物質を<手>で創ったからである。アンマの下にある絵は、最初のフォニオが形成されるところを表している。真中の3つの図は、陰茎(環状の図)と睾丸(塗りつぶした図)である。これらを螺旋状に取りまく点々は精液である。こういうかたちで、種子の創造が、生命の伝達の源である性器の創造によって開始されたことが強調されているのである。この図は、卵の内部でおこった螺旋運動を表すヤラの、はじめの6つ分にされたことが強調されているのである。その6つのヤラは、物質が次第に実現されていく過程の開始の時点において、<フォニオの性器>を表していた部分である。そのうち最後の点には2つの線がついている。これは、将来発芽のときに2つに割れて開く殻のあいだから芽が出てくるのを表している。
左:女性の白いフォニオのトング [本書より:P376/図138]
ジョン部族のオゴンの祭壇の下には、建立のときにこの図が描かれた。種子の中にフォニオの螺旋が描かれていて、7つになった<ことば>の分節である7本の分枝をとりかこんでいる。この図は、アンマがこの種子に授けた役目を示している。<内側のレベの図、アンマがフォニオの中に7つのことばを置いたのだ>といわれる。というのも<ことば>が内部で作用して、そのおかげでフォニオは、アンマが託したものをひとつひとつ包みこみ、そしてまた後で、形成途上の宇宙の中に解き放つことができたからである。祭壇を建てるときには、白いフォニオのかゆで図を描きながら、こう唱えられた。<フォニオはアンマの体の中から彼の似姿として出てきた>。それからアンマに向かってこう呼びかけた。<フォニオが世界を弾けさせたように、この村を弾けさせて下さい>。これはつまり、<家族を増やし、発展させて下さい>ということなのである。なぜなら村は、横になった種子の形をしていることになっているからである。

ノンモの箱舟:ギンナの儀礼用器 [本書より:P027]

箱舟の降下の回転のトング [本書より:P419/図159]
この図は、箱舟のグルグル回る回転運動を表している。2つの円が、箱舟の行ってはもどる回転を意味する。外側の線は回転しながら箱舟がまきおこした風のイメージであり、また箱舟の着地のときの衝撃でまきあがることになるほこりのイメージでもある。このほこりはあとでひとつの場所にたまる。ぐるぐる回転する運動は、箱舟が全体として表現していた空間の将来の方位を含意していた。この観点からすると、箱舟の降下の螺旋は牛飼いのもつ槍の柄をかざる、真鍮と銅の交互に並んだ22の輪で表わされる。これらの輪は、大地において、牛の群れが歩いていく〈方向〉に相当する。

 ノンモは長子たちが天界をこっそり脱出したのに気がついた。すかさず天界から雷鳴をもって方舟に落とした。その衝撃はすさまじく人間たちはことごとく手足を曲げられた。
 それでも方舟は降下を続けて大地に到達した。けれども着陸の衝撃によって、乗っていた者と積み荷となった動植物は、ありとあらゆる方角に投げ飛ばされてしまった。
 やむなく人間たちは折り曲がった手足を関節として使うことにして、農作業や鍛冶にとりくんだ。こうして残る7家族も次々に降下して、8家族が地上での生活を始めるようになったのである。このとき最後に降りたレーベ・セル(ジョング・セル)は自らの死をもってユルグに穢された大地を浄化した。これが人間の最初の「死」の体験となったようだ。
 その後、レーベ(ジョング)は地上でヘビの姿となり、ノンモとして再生した。レーベの死と転生はやがて植物の死と再生、とりわけ小麦の象徴となった。

アナゴンノ・サラの7つ節のトング  [本書より:P358/図133]
この図はトーテムの祭屋内部の中央の地面に、頭を北にして描かれる。これは〈アナゴンノ・サラの7つの節のトング〉といわれ、アンマの一連の行為を意味する順序で描かれた7つの図からなる。1と2:男性(右)と女性(左)の鎖骨、3:〈扁桃腺〉〔魚の喉の増殖肥大部〕、4:頭、5:節(または肋骨)、6:背骨(または脊椎)、7:尾(または足)。
この図については、次のようにいわれる。〈アンマは人を創るとき、まず鎖骨を創り、それからアナゴンノを創り、3番目に人を創った。これは相次ぐ同じものの創造だ(すなわち、同じ存在にかかわっているということ)。アナゴンノの7つの部分の図は、人間の(体の)7つの部分の図と同じだ。アンマによる人間の創造、アンマは右の鎖骨を創り、左の鎖骨を創り、首を創り、頭を創った。下の方に向かっては胸を創り、足を創って、完了した〉。人類の〈祖先〉としてのノンモ・アナゴンノについては、〈昔、アンマが人間を創ったとき、アナゴンノだった人間は鎖骨で呼吸していた〉といわれる。普通のアナゴンノ、すなわち胎児については、〈母の胎の中の子供は鰓で呼吸している魚と同じだ。(しかし)アナゴンノのときの子供は、扁桃腺で呼吸する〉。そのため〈扁桃腺〉には〈息を息するアナゴンノ〉という名もあり、その図に与えられた形も、魚の頭と目とひげのようになっているのである。ノンモ・アナゴンノとの関係でいうと、この図は、人間が母体の水の中から出て、空気を呼吸できるようにする呼吸器の変化を証している。この図はまた、7つの部分からなる胎児の形成に割りあてられた数を示してもいる。〈祭屋の中の地面に描かれたアナゴンノ・サラの7つの節の絵は、7つの節が子供に変化するのと同じだ〉。この数は、〈ことば〉の節の数を思いおこさせ、人間をノンモに結びつける絆の証拠でもある。〈秘密の名前〉とか〈ビヌの名前〉とかいわれる第一の名前を子供に命名するとき、司祭はこう唱える。〈アンマよ朝の礼を受けて下さい。すべてものはその胎から出ました。父なるビヌよあなたの子がやってきました。ノンモの体はアンマから出、私たちの体はノンモから出ました。ノンモは7つ節をもつ。子供の名前が彼に7つのことばを与えてくれますように〉。しかし、母体内での子供の発達に並行して、子供に割りあてられる数も変化していく。成熟したアナゴンノは、再生したノンモと同様10の部分からなると考えられている。すなわち、頭、首、2つの胸びれ、胸、腹、開いた尾(2つに数える)、2つの腹びれである。

 方舟が降りてくる前、実は地上はユルグの支配するところとなっていた。そのため地上は穢れ、闇が覆い、乾きが広がっていた。そこへ精霊と家族が降りてきて、地上はしだいに8つの穀物を育む大地になった。
 それでもユルグの支配力はなお強大である。そこで7番目の子孫のとき、ノンモの一人が蟻を通じて「第二の言葉」を授け、人間たちがユルグの力を破れるような工夫をした。「第二の言葉」というところが、おもしろい。かくてユルグに残された力は「世界の秘密を暴露する力」のみになっていった。
 このような神話的事情から、ドゴン族の世界ではつねにユルグに「問いかけの占い」をして、ノンモの守護のもとに答えを受け取るという儀式を欠かさないようになっていったらしい。不完全で無秩序なユルグはノンモの制約を受けて人々に恵みをもたらすという儀式であった‥‥。

左:占いの図表、中央に狐の足跡が見える [本書より:P019]
右:占いの図表  [本書より:P020]

左:教育用の二重の図表(例) [本書より:P278/図97]
いろいろの絵が、太陽の12の〈位置〉の図式にしたがって、枠の中に配置されている。同じ図が、かつては灰色とかげのふんで、割礼の場に描かれるものだった。まらこれらの図は、ドゴン族がこの地に住みついたとき、カの洞穴郡の中の、(ジョング・セルとヤシギのといわれる)洞穴の前に描かれたものである。東の6つの枠の図表は〈狐の座〉といわれ、西の6つの枠の図表は〈ヤシギとジョング・セルの座〉という。枠1:〈アンマの家〉。図はアンマの開いた鎖骨を表わす。すなわち、アンマが宇宙の実現をはじめたところである。枠2:〈狐の家〉。オゴ(左の図)はノンモ・ティティヤイネ(右の図)に割礼される。枠3:〈天〉。4の枠の方向に向かって開いた半円は、太陽とオゴの包皮をナイの形で含んでいる。枠4:〈ノンモ・ティティヤイネが踏みつぶした狐の胎盤〉。碁盤目の模様は盗まれた胎盤の全体、すなわち狐の60のうねと大地。枠5:〈狐の葬儀の被い布の家〉。枠6:〈狐の墓の場所〉。枠7:〈アンマの鎖骨〉。長い毛の生えたノンモ・ティティヤイネが供犠のナイフを持つ。その上が供犠されるノンモ。枠8:〈ヤシギの畑〉。ヤシギの陰核切除とくわ。枠9:〈ジョング・セルの胎盤の場所〉。格子模様は狐の第二の畑も表わす。枠10:〈天の星々の座〉。シリウス(右)とヤシギの陰核の化身であるさそり。枠11:〈(繊維でできた)葬儀の被い布と、人間の姿と、後に(蛇に)変身したジョング・セルとの場所〉。枠12:〈狐の墓とヤシギの墓の場所〉。
右:教育用の占いの図表に描かれたオゴの割礼を表わす図 [本書より:P252/図87]
この図は神話の出来事の経過を表わしている。Aがアンマと、オゴの胎盤の残りが変化した太陽で、大ノンモ(B)はノンモ・ティティヤイネ(C)にアンマの命令を伝え、供犠されるノンモ(D)を去勢する(性器と臍、つまり臍の緒が印されている)。割礼されたオゴは狐に変わって(E)、盗まれた胎盤の第一のかけら(大地T)と、盗んだ男のフォニオの上にかぶせた第二のかけら(P)という2つの箱舟の間に置かれる。Fはシリウスと、ナイが中にいる太陽。これらの図はまた、ギンナの創設のときに4つの元素に結びつく4種の穀物のかゆで、玄関に描かれる。その場合図は建築中の住居の部屋を意味する。

 ふーっ。だいたい以上がドゴン族全般に共有されている神話的な物語なのである。どこか旧約聖書っぽくもあり、どこか強烈にアフリカ独特でもある。溜息が出る。
 神々の君臨が絶対的ではなく、人間界からの逆襲の言語が生まれているのも、すこぶる興味深い。そのリバース・エンジンの中心にいるのが、どうやらノンモなのである。ノンモは天体からやってきた双極の者で、「緑の犬狼」とも「青い狐」ともおぼしい性貌をもっている。のちのちドゴン神話が天体シリウスに結び付けられて話題になっていったのも、このノンモの性格による。
 もっとも当初のぼくが感心したのは、このような物語が「アンマの記号」ともいうべき22のカテゴリーに分類される266の母記号によって示されていることで、また、それらを駆使した図像呈示によって神話が再生しつづけられるようになっていることだった。調査研究当初のマルセル・グリオールも、トング(記号)とトンイ(絵)とがかれらのアタマの中で自由に動きまわっていることに驚いたようだ。

アル部族のオゴンの彫刻を施した扉の模式図 [本書より:P095/図10]
左:原初の266の記号
右:左の図の上に彫られた〈水の主〉のカテゴリーの22の記号

この図は、かつてアル部族の長の家の玄関の扉に彫りこまれていた。その扉は鍛冶師の一族の中から選ばれた鍛冶師の長たちの共同制作になるものだった。それは2枚の板をつなぎ合わせたもので、その各々に12の記号からなる11の列があり、合計264になる。板上の〈水の主〉のカテゴリーに属する、11の組に分かれた22の記号を線で結んでいくと、全部の記号を取り囲むというか、取りまとめるような網の目ができあがる。これらの22の記号は一定の順序に従って彫られていて、中央から発し、周囲を回って閉じるギクシャクした螺旋を描くようになっていた。

〈祖先の畑〉の地面に描かれる266の記号の模式図 [本書より:P096/図11]
この図は、毎年〈帰ってきた父〉バドの季節の種子播きのまえに、次のような儀礼をとおして思いおこされる。家長は朝早く〈祖先の畑〉に行って、その中央に記号を描くための場所をきれいにこしらえる。それからタズというかごを伏せてその場所に円形の跡をつける。この円が畑の祭壇ということになる、それから小石の塚をつくる。次に彼は東を向いて、先程の円の中に直径12センチほどの小さい円を描き、中心の点を入れる。それから昼になると、内側の円のまわりにジグザグの線を描く。このジグザグは、円が入りくんだ線でいっぱいになるように何度も描く。これが考えられる限りのすべての記号を表わす。この行為については〈266(の記号)が祖先の畑のまん中に描かれる〉といわれる。これを行いながら家長は、〈アンマよ、雨を与えて下さい。実ったひえを与えて下さい。ひえが東の方から戻って来ますように〉と唱える。

左:アカシアの樹の上でのくもの仕事 [本書より:P218/図73]
これは4つの点がくっついた円である。左の点と下の点は根で、他の2つはとげである。東のとげから出発して木の生長していくあいだそのまわりを巡ったくもの動きは狐の祭壇の上に供犠獣の血を流すときのやり方でも表わされる。供犠を捧げる人は、喉から流れ出る血のはじめの3滴を、北、西、南にしたたらせ、そして東から螺旋を描きはじめて、祭壇の上で供犠獣を回すのである。
右:じゃまの入った結婚 [本書より:P253/図88]
フォニオの星の軌道である40センチほどの卵形の円の中に、両端が逆方向に巻いた曲線があってこれが魚の姿のノンモ・ティティヤイネを象徴し、楕円の周辺にある太陽(a)と中心にあるシリウス(b)をとりかこんでいる。aの円は3筋しか光線がなく、4筋目が欠けているのは魚があごと歯で喰いちぎり、太陽に捨てた包皮の切除を表わしている。bの円は光線が4筋あって、この数は女性数であるが、太陽の3筋の光線は、それが男性であることを示している。このようにして、(後にヤシギになる)女性性のまわりをめぐる男性性(オゴ)の決して到達することのない追求が示される。しかしオゴの生殖力は実質的に魚に移ってしまい、その尾の先はふくらんで、性器の塊を取りもどしたことを示している。

ノンモの供犠のトング [本書より:P298/図101]
この図は供養されたノンモと、その分割された体を、供養を執行したノンモ・ティティヤイネの体の中に描いている。ノンモ・ティティヤイネは一回り大きく、供養に用いた歯を備えた魚の形で示されている。切った頭が上の方にあり、中央にあらかじめ切り取ってあった性器があって、魚は<仰向け>に描かれている。体は4つの部分に分けられていて、(60の小部分に切り分ける前に)ノンモの体が4つに分割されることを予示している。頭、胸、腹、尾というこの4部分は、再生を表わし、大地の上で最初の池のまわりに生えることになるサ、カリテ、バオバブ、火焔木の4種の樹木とそれぞれが結びついている。鎖骨の中には女のもろこしの種子が描かれており、フォニオの種子はノンモ・ティティヤイネの鎖骨の中に置かれている。4つのひれが分けてあるのは、供養されたノンモが祖先となる人間の手と足を表わしている。また右側のひれは、なまず(右腕)、水棲の大とかげ(左足)である。ひれを表わす4本の線は、アンマの胎の中で最初につくられた4匹のノンモ・アナゴンノを暗示するものであり、人間に関係する次元では、最初のリネジの4人の男の祖先を暗示している。

 一方、このような創世神話とはべつに幾つかの異伝も語られてきた。これらもおおむね採録されている。その異伝のちがいはオゴン(首長)によるらしい。
 そのひとつが「世界の卵」神話だ。グリオールが盲目のオゴテメリから聞いた物語にもこの異伝が入っていた。こちらは、大筋、こんなふうになっている。

左:〈アンマの卵〉の最初のヤラ [本書より:P105/図15]
右:〈アンマの卵〉の第二のヤラ [本書より:P111/図17]

 アンマは宇宙を作り出したあと、キゼ・ウジ(最小のもの)を創造した。キゼ・ウジは最初の生命であり、ポー(ポ)という穀物の種子に当たっていた。
 アンマはキゼ・ウジを揺さぶった。だんだん大きく揺さぶるにつれ、その揺れが大きくなって7度目の揺さぶりになったとき、キゼ・ウジは「世界の卵」を生んだ。それは原初の子宮となって、アンマ以外では初めての人格をもつ2組のノンモを宿した。片方ずつが男の魂と女の魂をもった双子だ。だから同時に生まれてそれぞれが両性バランスを保つはずだった。
 ところが男の魂をもつユルグという名のノンモが、アンマの意思に反した。神の穀物種子ポーとそれが生み出す7種の穀物を盗んだのだ。さらには胎盤を千切り取って、それを方舟にして宇宙に旅立ってしまった。
 しかしユルグは不完全な単性の存在なのである。孤独に苛まれ、もう片方の魂である双子の妹ヤシギを求めて「世界の卵」に戻らざるをえなかった。だが、アンマはそんなユルグを許さない。ヤシギを隠して別の一組の双子としてあてがい、ユルグを永遠に自分の半身を求める満たされぬ存在として刻印することにした。ユルグはヤシギを得られぬまま「世界の卵」を去るしかなかった。
 やむなくユルグは胎盤を大地に変え、自分を生み出した胎盤からなる大地と交わった。こうして大地が穢れた。

6つの部分に分かれた胎盤の図 あるいは最初の丸い占いの図表 [本書より:P138/図31]
これは昔の占いの図表を再現したもので、占いを学ぶ修行者はみな、まずこの図表の手ほどきを受ける。<丸い形の引き裂かれたもの>といわれるこの図表は、6つの区画あるいは<家>からなり、その各々は次のように名づけられる。⑴アンマの上の手、⑵アンマの下の手、⑶上の中央の家、⑷下の中央の家、⑸上の死者の家、⑹下の死者の家。

 アンマは穢れた大地を浄化するため、いまだ胎盤に眠るもう一組のノンモをばらばらに切り落として、大地の四方にまいた。ノンモの体は清浄な水からできていたので、その破片には穀物の種子が宿って、大地の各所に植物を繁らせた。このあたり、どこかオシリスとイシスの物語を想わせる(1081夜参照)。
 この顛末を見届けたアンマはばらまいたノンモの破片を巧みに集めなおして(まさにオシリスとイシスだ)、そこに天の土と木を加えてノンモを復活させた。さらに残された胎盤を使って方舟を作ると、復活させた1組のノンモと、新たに創造した4組の人間と8種類の穀物を一緒にして、方舟に積んだ。
 方舟は地上に向かった。大地に着いた方舟から新たに人間たちが日々の暮らしをつくりあげた‥‥。

 いかにも異伝らしい。どの民族にもこのようなヴァージョンがある。
 しかしとりわけて、これらのドゴン神話に顕著に特有されているのは「存在の双極性」ということだ。ノンモを筆頭にすべての存在が自身の内にリバース・エンジンとしての双極性や双極力をもっていて、しかもこの二つのあいだには、永遠ともいえる往復活動が見通されている。
 こういう特色は、ドゴン神話がわれわれに名状しがたい強い憧憬を抱かせる要因になっている。ユング(830夜)の男女におけるアニマとアニムスの両換性や、白洲正子(893夜)の両性具有に対する憧れは、もとよりドゴンにとっては当たり前だったのだ。ぼくには、それがべらぼうによくできたダブル・コンティンジェント・システムのラフスケッチのようにさえ思われた。
 ところがドゴンには、もっと大胆な異伝もあった。それはいまではまとめて「シリウス系」神話とか「シリウス・ミステリー」と呼ばれているもので、なんと天体シリウスとの具体的な関係を物語っている。実はドゴン神話を天下に知らしめたのはこの「シリウス系」神話だった。「青い狐」はシリウス(犬狼星)との関係をもっていたのだった。
 このシリウス・ミステリー、かなりオカルティックでもあり、かなり天文学的でもある。

双児の分離のトング [本書より:P249/図86]
この図は、オゴに切断が課せられた場所である<アンマの胎>に対するシリウスと太陽の各々の位置を表している。<アンマの胎>はここでは<フォニオの星>で表されている。この星は、アンマが実現した創造全体の証拠として後に作られることになるものである。<フォニオの星>(a)とシリウス(b)の2つの円は、縦の線で結ばれている。上の円は、下に向いた3筋の光を2組、それ自体長く伸びた光線である軸の両側に配している。これは<フォニオの星>と8種の種子(7本の光線とフォニオの星自体)を象る。軸になった光線のdより上の部分は、原初の種子の内部におこった振動によって示された人間像の性器であり、この場合はオゴの性器を写したものである。他の光線は盗まれた種子でもあり、割礼を受けようとする子供たちの性器でもある。下の円はシリススで、直交する2本の径で区切られているが、その交点は描かれていない。これら2つの星の図の形態は、先述した出来事であった時代を証拠立てている。つまり、将来フォニオの星になるフォニオ(a)の光線は、それが自らの中に創造された生きた世界を宿しているが、まだ<外に出ていない>つまり実現されていないということを表している。なぜならそれはまだ(aとbを結びつける)臍の緒で胎盤(b)につながっているからである。また、シリウスの光はまだ内側にある。というのは、この星はまだできていず、胎盤の状態にとどまっているからである。aの円は鎌の形の曲線にかこまれていて、その先端がdの位置でオゴの性器をつかまえている。柄にあたる部分には2本の横棒が引いてあるが、これがとかげ(ナイ)に変化した包皮で、太陽(ナイ)を表わす円でかこまれている。こういう形で、ナイとかげは他の星からすでに分離されていた太陽(c)の中に投影されている。この対応関係は<魚の性器は鎌で、それからナイになる>という婉曲表現で暗に示されている。ノンモ・ティティヤイネがオゴの性器を切ったことを思いおこさせる。この鎌の刃は、昔の刃物を表わしている。図の中ではこの刃物は描かれていないが、dの部分から出てaの円と重なるように湾曲する曲線の位置にあるものと想定されている。この図で表わされる運動は、したがって次のように読み解ける。魚=刃物がオゴの性器をつかまえて尾=刃にあてdの位置で割礼をし、包皮をナイとかげの形で太陽に投げる、という具合である。この図については、<狐(オゴ)は胎盤の残りを取ろうとした。アンマは胎盤を太陽に変え、むこうに押しやって、フォニオの星から出した。アンマはアナゴンノを遣り、アナゴンノが狐を割礼し、妻をめとり、彼の包皮を追い出すと、それは太陽の中に入った>といわれる。

パラ・レベ祭壇の下に建立のときに描かれたシリウスと太陽の図 [本書より:P320/図109]
中央に置かれたシリウスの4つの分枝は次のとおり四元素を意味している。北東-水、北西-気、南東-土、南西-火。この配分は、つねに浄く、生きているノンモの胎盤の完全性の証拠である。それは人間の胎盤についても同じことである。<女は子を産み、胎盤は母子が体を洗う場所に7(週間)残る。胎盤は(そこでは)水の中にあって生きているのと同じだ。それは水の中でノンモと一緒に生きているのと同じだ>といわれる。事際は胎盤とそれにくっついた臍の緒は壷に入れられて、中庭のひえの茎を積んだ堆肥の下に入れられて腐るにまかされる。壷には平らな石で蓋をする。そして産婦はその石の上に立って朝の水浴びをし、新生児を洗う。これが7週間続くのである。空間という点からいうと、ノンモの胎盤の象徴であるシリウスは、天の空間の<4つの方角>つまり4つの中間方位を意味し、狐の胎盤の象徴である太陽は地上の空間の四方位を含意する。そこから、ドゴンの永い周期の暦の組織の中に出てくるシリウスと太陽の同時出現に結びつけられた象徴的な価値が出てくるのである。

 ロバート・テンプルの『知の起源』(角川春樹事務所)という本がある。英国国立天文学協会の著者が「古代文明はシリウスからやってきた」という仮説を強調するために書いた本だ。ドゴンのシリウス神話を天文学的に裏付けようとしたものだった。
 テンプルはアーサー・ヤングの書生のような仕事をしているときに、ドゴン神話にはシリウスの周囲をまわる「ディジタリアの星」にまつわる話がいくつも伝えられていることを教えられた。色めきたった。

 よく知られるように、シリウスはおおいぬ座α星である。地球から見える恒星としては太陽についで明るい。オリオン座のペテルギウス、こいぬ座のプロキオンとともに「冬の大三角」の一つになっている。
 しかしシリウスはもともと連星で、主星のシリウスAはやたらに大きいが、伴星のシリウスBはほとんど目に見えない。実際にもシリウスBが観測されたのは、1862年にアルヴァン・グラハム・クラークが特別の望遠鏡で天体をしらみつぶししていたときだった。
 ヤングもテンプルも、ドゴン族の言う「ディジタリアの星」が天文学でいうシリウスBにあたることをすぐ察知した。ごくちっぽけな白色矮星だ。では、肉眼では見えないはずなのに、なぜドゴンはシリウスBを「ディジタリアの星」のひとつとみなせのだろうか。おまけにかれらは、この星にすべての天体運行の起源を認めたのだ。なぜなのか。
 ちなみにヤングは『意識と現実』(1972)や『われに還る宇宙』(1976・日本教文社)の著者である。後者は意識の進化のプロセスに関する仮説を述べたもので、プラブッダ(星川淳)が翻訳し、ぼくも大いに堪能させてもらった。

 

〈大きなアンマの畑〉という畑を囲むオリオン座の四角を表わす石の模式図 中央がアンマの〈記号〉アンマ・ナ・コンモという洞穴は西に向かって口を開け、畑の南東の端の上に庇を張り出している [本書より:P452/図179]

天体図 オリオン座(中央) A-3つ星 S-シリウス E-山羊飼いの星(小犬座γ星) T-ハイエナの星(プロキオン) D-すばる [本書より:P450/図178]

 ドゴン族はシリウスを「ディジタリアの星」とみなしただけではなかった。シリウスAを「シギ・トロ」と呼び(60年に1度のシギの祭礼はこれにもとづく)、シリウスBのことは「ポー・トロ」(ポ・トロ)と名付けていた。トロは星のことで、ポーは上にも述べたように、万物のもとになる穀物フォニオのことである。そのポー・トロが「全天で最も小さく最も濃密な性質」をもっていると考えた。
 なんとドゴンたちは、シリウスの連星的運動性の中に全天の運動の起源を読みとったらしいのだ。まさに双極性の起源のおこりとして「ディジタリアの星」を想定していたわけである。そのうえで、ポー・トロの運動が楕円的であること、それが濃密な質量をもっているとみなしていた。
 なぜそんなことをドゴンたちが語れるのかといえば、答えはあっけない。ノンモがシリウスからやってきて、地上にその仕組みを伝えたからだというのだった。

 テンプルの大胆きわまりない『知の起源』は「文明はシリウスからやってきた」というET仮説になっている。それを実証するために、ドゴン族が異様なまでに天文学的知識があったことを持ち出したのだ。
 言うまでもないけれど、この方面の話はいささか眉唾だと思ったほうがいい。のちの調査研究では、マルセル・グリオールが話を聞いたオゴテメリのほかには、ドゴン族の長老たちの中にシリウスの伝説や「ディジタリアの星」についての話をする者が誰一人としていなかった(らしい)のである。
 とはいえ、アンマ、ノンモ、ユルグ、シリウス、犬狼、ジャッカル、青い狐‥‥といった連鎖には、どうにも古代ミステリーや宇宙ミステリーを駆り立てるものがある。オゴテメリにどのようにしてそういう想像力や作話力が宿ったのかはわからないが、きっとオゴテメリこそがドゴンのホメロス(999夜)であり、稗田阿礼であり、ドゴンの澁澤龍彦(968夜)であり、ドゴンの藤原カムイであったのだろう。

青い狐 Vulpes pallidus [本書より:p19]

 さて、ここから先は「真夏の夜の夢」のためのちょっとした付け足しだ。ドゴン神話から派生したトンデモ仮説がそうとう多いので、そのうちの二、三をナイトメア用にピックアップしておくことにする。

 ◎ドゴン神話は、エジプト神話とつながっているのではないかという説が少なくない。古代エジプトでは7月の半ばの日の出直前に東の地平線に昇ってくるシリウスが重視された。ナイル川の氾濫の始まりと重なっていたからだ。この「ヘリアカル・ライジング」(太陽と同時の上昇)にもとづいてエジプト暦「ソティス暦」もつくられた。それならこのソティスは実はイシスのことで、それはシリウスAのことであったのではないか。そうだとすると、オシリスこそシリウスBなのではないか‥‥。

 ◎スフィンクスは人間の顔とライオンの胴をもつ“砂に埋もれてきた怪物”とされているが、実はあれは犬なのだ。エジプトには水没の犬神アヌビスが語られてきた。だとしたらスフィンクスは“砂”ではなく、古代このかた“水”にまつわる者の象徴だったのではないか。だったらそれはドゴン族の語る水の神ともシリウス神とも似たもので、そこには共通した知識によるつながりがあるのではないか‥‥。

 ◎シュメール神話では最高神アヌの長男がエンキ、次男がエンリルで、娘がバウである。バウは犬の頭をもっている。このシュメールの神々の関係とドゴン神話の神々の関係はどこか似ている。ドゴンのシリウス犬神や「青い狐」はこれらの話を説明するものではないか‥‥。

 ◎オゴテメリの話によれば、ドゴン族はシリウス以外の天体知識ももっているとおぼしい。地球が太陽を周回していること、土星にリングがあること、木星の4つの衛星のこと、月には水がなく乾ききった血のように死に絶えていること等々。こんなことを知っているなんて、きっとドゴンは「天体の民」だったからなのではないか‥‥。

 ◎実はドゴンはシリウスAの「シギ・トロ」、シリウスBの「ポー・トロ」のみならず、第3の星「エンメ・ヤ」についても語っている。その星はディジタリアの4分の1の重さで、大きな軌道をまわり、惑星「ニャン・トロ」(女の星)を伴っているという。なんということだ。むろん現在の天文学ではこんな星のことを“発見”していない。しかし現代天文学も“発見”していないことをドゴン族が“知っている”のは、かれらは神話を捏造したり借用したのではなく、やはり古代以来の「隠れた知」の保有者だったせいなのではないか‥‥。

 ◎ドゴンの語り部はこうした数々の奇妙な知識をどのようにして得たのか。すべてはノンモがもたらしたのだろうか。では、そのノンモはなぜそんな知識をもっていたのか。もちろん、シリウス星からやってきたシリウス星人だったからだ。なんともずいぶんなオカルト説だ。さっそくカール・セイガンらは馬鹿げたことだと批判したものだったが、ロバート・テンプルはそのほうがずっと真実味があるとした。諸君はどう思うだろうか‥‥。

 ◎「シリウス・ミステリー」の結論は、シリウス(ディジタリアの星)から「水の神」であって「青い狐」であるようなノンモが地球にやってきて、われわれに文明の知を教えたというものである。俄かに信じがたい話ではあろうけれど、「真夏の夜の夢」としてはたいへん結構ではないか‥‥。 

⊕ 青い狐 ⊕

∃ 著者: マルセル・グリオール、ジュルメーヌ・ディテルラン
∃ 発行者:佐伯治
∃ 発行所:株式会社 せりか書房
∃ 印刷所:信毎書籍印刷株式会社
∃ 装幀: 工藤強勝
⊂ 1986年9月22日 第一刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ 序論
∈∈ 第一章  アンマ
∈∈ 第二章  オゴ
∈∈ 第三章  ノンモの供犠と再生
∈∈ 第四章  白いフォニオの仕事
∈∈ 第五章  ノンモの箱舟
∈∈ 第六章 アンマの鎖骨の閉鎖

⊗ 著者略歴 ⊗

マルセル・グリオール(Marcel  Griaule)
1898年生まれ。1931年以来ドゴン族の研究に従事する。1942年、パリ大学民族学担当正教授。フランス第一世代の代表的民族学者で西アフリカ諸民族を対象とし、神話を現地人の観点から記述する独自の研究方法を確立する。1954年没。

ジュルメーヌ・ディテルラン(Germaine Dieterlen)
グリオールの弟子で1939年以降ドゴン族の調査にたずさわった女性民族学者。1950年。国立科学研究所、高等研究院に所属する。本書の他にバンバラ族、マリンケ族、フルベ族などに関するモノグラフが多数ある。