父の先見
非常民の性民俗
明石書店 1991
あの人はどういうスジの人かね、という言い方がある。筋金入りとかスジ者という言い方もある。大半の学問はこんなスジを追わない。
明治の日本が富国強兵と殖産興業にあけくれていた時期、日本の村落社会は最悪の時期を通過しつつあった。赤松啓介はその食い散らかされた残骸列島になお息吹いている「常民」ならぬ「非常民」の動向を追って、調査研究活動と社会運動の大半を東播地域に向けた。兵庫県の旧播磨の東部の加古川流域である。そこが赤松の故郷であって、非常民の原郷だったのだ。
柳田國男は「常民」を民俗学の対象にした。その柳田の目が届かなかったか、あえて軽視した日本がある。それが非常民の日本である。そこにはさまざまのスジが交差していた。赤松がそのような非常民の日本を重視するのは、「常」には「貴」も「賎」も含まれないのだから、そこに「非常」がなさすぎるというのだ。もし常民が非常を含むなら、あえて常民といわずに「平民」でよかったのだ。
こうして喜田貞吉や中山太郎によって掘削が開始された非常民の民俗と文化が赤松の手と足によってしだいに浮かび上がってきた。スジの日々である。本書はそれをさらに性風俗に踏みこんで語り尽くしていったもので、読んでいてこんなに痛快な民俗学があったかというほど、堪能させられた。スジを理解しないと何もわからない。しかし、すこぶる納得のできる本なのである。
世の中にはいろいろな呼称がある。「こちら」から見るか「むこう」から名付けるかで呼称は異なり、「あいだ」で呼び名をまぜると、また別の呼称が生まれる。
部落から見れば大半の常民はハクやシロである。ちょっと思想に染まっていればアカスジに、どこか犯罪の匂いがすればケガレスジ、ヨゴレスジになる。近代社会では難病に苦しむ者も容赦なく呼び捨てられた。ロウガイスジ、キチガイスジ、カッタイスジ。農村社会では本家や分家で分けるだけではすまないのである。
たとえば、本家スジ、庄屋スジ、役スジ、草分けスジ、分家スジ、アルキスジ、被官スジがある。たとえ上流を装っても、見るところから見れば、セケヤ、ホシカヤ、アブラヤ、ハタヤは屋号というより階層の呼称なのである。
たとえばクズヤであるが、ここにもたいそうな多様性がある。クズ買い、ボロ買い、イロモノ買いはまったく一緒にならないし、クズヤとテンヤとハライヤはまたちがう。家をまわってクズとゴミを分けられない女に出会えば、その女が馬鹿なのである。クズヤが貧乏とも決まらない。儲かることもある。ただ儲けすぎたのはクズヤではなくカネヤなのだ。こういうクズヤがいっときバタヤと呼ばれたこともあった。
そのようなクズヤの目線で見ると、村の性風俗が学問ではわからないところまで見えてくる。いまではあまり考えられなくなってしまっているが、かつてはセックスだって家の中でやるとはかぎらなかった。アオカンも多かった。しかもちゃんと合意していることのほうが多い。クズヤの目はお宮、お寺、川、池、木立に詳しいから、どこで女とやるかはそれだけで文化地理学なのである。昔は女も腰巻ひとつだから、それをタチ、オタチ、マワリ、セオイのどれでやるかは、その周辺の木立や石組によるわけで、それが会得できればそこからアゲ、スクイ、スダチ、ミンミンなんていう体位が使い分けられた。
ざっとこんな調子で赤松は、まことに深い問題を暗示しつづける。いや、どこが深いかなどと止まってはいられない。ずんずん読んでいくと、こっちの世の中を見るところがずんずん、ぐんぐん摺鉢のように深くなっていく。
ともかく赤松はどんなことも見逃さない。たんなる縁側、たんなる蒲団、たんなる風呂、たんなる工場というものがない。
風呂なら、たとえば五右衛門風呂とマワリ風呂では階級意識も性意識も美意識さえちがうのだという。だいたいマワリ風呂ができるというのは、風呂の持ち回りができるということだから、そこにはカイトやクミの同水準ネットワークというものが動いているらしい。それでもそこにはモライブロかフロカリかカリブロかで、ちょっとした差が感じられるようになっている。そのグロッサリーたるや、まるで厳密な同義語異義語辞典なのである。
何人で入るかでもすべての社会意識が変化する。五右衛門風呂は一人か二人しか入れない。では、その単位のコミュニケーションが五右衛門風呂という社会スキーマなのかというと、そんなことはない。待っている者たちとの関係がある。五右衛門風呂の平均入浴を10分とすれば、10人なら1時間半、15人なら2時間、25人なら4時間かかる。ここからその村落に適切な風呂コミュニティの大きさが決まってくる。しかもソトブロとウチブロでは、主客の重みが断然に変化する。
そういう風呂に黙って入るわけでもない。キャーキャー言ったりギャーギャー言ったりする。そこで猥談も出て、混浴もおこり、風呂がマラムキ風呂になったり、ムケマラ風呂になったりする。これも突然にそうなるのではなく、ちゃんと準備段階がある。冬ならコタツでいろいろのことが少しずつ暗示されているわけで、夏なら川泳ぎで何かの組み合わせが示唆されているわけだ。そのうえでカリブロかフロカリになる。連れ込み宿やラブホテルへぱぱっと入ってすんすんやるというのとワケがちがうのだ。
こうなると男も女もすべてが記号で信号で民俗学なのである。記号論などという甘っちょろいものでは追いつかない。
男はいつフンドシを見せるかで、すべてが決まる。フンドシを締めれば若衆だが、そのフンドシも初フンと赤フンと鬱金染めのフンドシではちがう。むろんフンドシばかりですべては決まらないから、帯も言葉をもってくる。ヘコオビ、カクオビはむろんだが、その帯を祝いでもらったか、祭りで締めたかが重要になる。フンドシも帯もただ長い布切れだが、おとこにとってはたいへんな言語活動なのである。
女だって、まずは見えないところで万事のスジを決めておく。初潮前なら子守や小女(こおんな)だが、初潮があればオナゴシになる。何をしているかで針子や筆子や番子になるし、そこへもってきてどんなベベを着るかである。
ともかくこういうことが相互に理解されていて、ここに夜這いというものが堂々と成立する。薬師さんや阿弥陀さんのお堂でも、ゴケサンやオイエサンのところでもある。御籠りといえば夜這いはつきものなのである。それをあえて系類学ふうにいえば、まず若衆系と総当たり系に分かれる。相手もヨメ型とカカア型とゴケ型に分かれる。これだけでも結構なものだが、そこに女たちのパフォーマンスによるルールが加わる。開放型、防衛型、交換型、放任型、許諾型、通報型などがあり、その順列組み合わせのあげくの出来事が、のちのち語られていくわけなのである。赤松は村落の物語といったって、このくらいディープなところから発生しているのだということを訴えた。
本書はどこを読んでもおもしろかったが、とくに"ウタ喧嘩"には圧倒された。近代社会は女工をたくさんつくったが、工場ひとつでも村々の近所や町にあるだけで、女たちは男を受け入れる前にいろいろの"ウタ喧嘩"で鍛えたものらしい。
基本は送り歌と連れ歌らしいのだが、どこから切磋琢磨されるかというところが読めば読むほど実に高度なのである。歌をだしなされ、だしたらつける竹のフシほど揃わねどなどと言って、さあ始まるぞという予感をつける。そのうち、うたえうたえとせめかけられて、歌は出ないで汗が出る、唄いなされよ、お唄いなされ、歌で器量がさがりゃせぬというふうになると、もう始まっている。
ここからはウタカズもさることながら、セリアイウタ、カケウタ、イサカイウタとヴァージョンが控えている。この女のウタの錬磨に男が入るのだから、たまらない。
たとえば、わしのたもとにゃ千もある、これで一の矢。お前たもとにゃ千ほかないか、わしのたもとにゃ二銭(二千)ある、これで一の返しになる。今宵おいでなら、高塀越えて、せんざい椿折らんよに。これが二の矢。せんざい椿が折れよとままよ、とかくあなたの身が大事。これが二の返し。そこからウタ喧嘩になって、二度こそかえせ、三度かえすは、いなものよ。二へんかえして、三度目には、義理と人情の、板ばさみとやられる。ここから色っぽくもなり、ひとの男とだいたん女、山の大木、気が太い。男が太いがどうか見もせぬくせにと詰っても、男とるのは女のかいしょ、なんでそのとき気をつけなんだとやられる。
実はこれらに節回しがつき、地域や地区によって、そのスピードやスコアが異なっていく。
いやいや本書には、初床に謡曲のアシライもあったりして、これは非常民の文化こそその他のすべての日本文化の編集センターであったことにガツンとやられるのである。いまは、すべて失われたのだろうか。いや、そうではなく、これらのスジのすべてがまったく別の様相となって二十一世紀の日々になだれこんでいるというべきなのである。