大手拓次詩集
岩波文庫 1991
[訳]原子朗
◎こゑをのんでは日あたりに、たよりない懶惰を流し、
こゑをのんでは ふかふかと りんずのきれの夢をだく。
◎陶器製のあをい鴉、
なめらかな母韻をつつんでおそひくるあをがらす、
うまれたままの暖かさでお前はよろよろする。
◎わたしは足をみがく男である。
誰のともしれない、しろいやはらかな足をみがいてゐる。
◎まるい、まるい たよりなく物を掘ってゆくやうな
我ままの こころの幼児。
◎小雨をふらす老樹のうつろのなかに
たましひをぬらすともしびうまれ、
野のくらがりにゐざかりゆく昆虫の羽音をつちかふ。
◎わたしの好きな五月の姉さん、せうせうお待ちください、
あなたのおみやげをよろこんで拝見いたしますから。
◎わたしは しろい幽霊のむれを ゆふぐれごとに さそひよせ、
わたしの顔も わたしの足も 浮動する気体に とりまかれる。
◎ながいあひだ私は寝てゐる。
何事もせず、何物も思はない、
心の無為の世界は、
生き生きとして花のさかりの如く静かであった。
これらは大手拓次の詩の冒頭の数行を並べたものである。いわば発句といったところだが、よくできている。よくできているだけではなく、詩想の方向が独得の仰角のようなもので放射されていることがよく伝わってくる。
大手拓次は萩原朔太郎に先立って詩の言葉を創り、これを最初に思想した孤立者である。何度読んでも影響される。「ひとつの言葉を抱くといふことは、ものの頂を走りながら、ものの底をあゆみゆくことである」と、大手拓次自身は書いた。その意味をもっと精査にすれば、これも拓次自身が「ひとつの言葉に、もえあがる全存在を髣髴とさせることは、はるかな神の呼吸にかよふ刹那である」と解説している。
大手拓次はフラジャイルである。そのこともまた拓次自身がみごとに宣言をしている。たとえば「一切を超えようとするものの力弱さに、わたしは遥に梢をのぼる月しろのやうな、おぼろにひろがりゆく世界の消息をおぼえる」。「力強さ」ではなく「力弱さ」なのである。
大手拓次。生前には一冊の詩集もなかった。ボードレールの『悪の華』一冊が拓次に詩作をもたらした。早稲田を出るときに白秋の『朱攣』(ざんぼあ)に「藍色の蟇」「慰安」を書いて、すでに鮮烈だった。
ライオン歯磨本舗の広告部に入った拓次は、日本の最初の本格的なコピーライターでもあったし、また詩人こそが広告をつくれるという実験を最初に確立できた詩人でもあった。けれどもその耳は早くに半分を失聴し、その目は30代に疾病に罹っていた。
大手拓次。朔太郎に先立って「壊れやすさ」を思索した詩人だった。ぼくは20歳のときに、汽車をふと磯部で降りて鳳来館をさがした。磯部の温泉は拓次の故郷である。
ぼくの大手拓次に関する気分的な言及は1980年のプラネタリーブックス『詩を読む』(工作舎)に入っている。