才事記

日本は俳句の国か

加藤郁乎

角川書店 1996

 永井荷風は「白魚や発句よみたき心かな」といった絶妙の俳諧味をもっていた。日野草城には「うぐひすのこゑのさはりし寝顔かな」がある。
 こういう一句を抜け目なく拾う眼力は、よくよく俳句に親しむか、ないしは書や陶磁器を一発で選べる性来の趣味をもっているか、そのどちらかによる。加藤郁乎にはその両方があった。

 本書は厖大に出回っている俳句に関する本の中でも白眉の一冊といってよい。
 それが加藤郁乎の初のエッセイ集であったなどとは、まったく信じられない。ぼくはまた、郁乎さんならもうとっくに何冊も俳諧論をはじめとする含蓄の書を出しているとばかりおもっていた。
 ところが、そうではなかった。そのことをあらためて知ってみると、そうか、浩翰な本というものは、やはりむやみに執筆をしている連中にはとうてい書けないのかなどともおもえてくる。郁乎さんの親友でもある松山俊太郎がやはり、なかなか本を書かないインド哲学者なのである。

 本書を読む愉楽は、選びぬかれた俳句を次々に見る醍醐味にある。そのうえで加藤郁乎が言葉を凝結して織りなす評釈に心を奪われる快感がやってくる。
 ただし、この本はよほどの俳句好きか、さもなくば、よほどの江戸趣味、それも野郎歌舞伎くらいまでの時期の前期江戸趣味の持ち主ではないかぎり、また現代の俳句でいうなら、富沢赤黄男や永田耕衣ばかりがやけに好きな者でないかぎり、あまり遊べないかもしれない。けれども、そこが極上なのである。
 では、加藤郁乎が本書に紹介した俳句から、ぼくが気にいった句を何句かあげておく。本書に出てくる順である。

 雪とけや八十年のつくりもの  竹島正朔

 西行も未だ見ぬ花の郭かな  山東京伝

 何の木の花とはしらずにほひかな  松尾芭蕉

 散花に南無阿弥陀仏とゆふべ哉  荒木田守武

 紅梅やここにも少し残る雪  中村吉右衛門

 しらぬまにつもりし雪のふかさかな 久保田万太郎

 雪の日の世界定めや三櫓  細木香以

 竹の葉のさしちがひ居る涅槃かな  永田耕衣

 沈丁もみだるるはなのたぐひかな  永田耕衣

 しばらくは雀まじへぬ冬の山  永田耕衣

 いづかたも水行く途中春の暮  永田耕衣

 この道を向き直りくる鬼やんま  三橋敏雄

 柏手を打てば雪降る男坂  角川春樹

 露草のつゆの言葉を思うかな  橋間石

 憤然と山の香の付く揚羽かな  永田耕衣

 淋しさに二通りあり秋の暮  三橋敏雄

 猫の恋老松町も更けにけり  三橋敏雄

 何か盗まれたる弥勒菩薩かな  火渡周平

 襲名は熟柿のごとく団十郎  筑紫磐井

 むめのはなきそのゆめみしゑひもせず 角川春樹

 秋天に表裏山河の文字かなし  加藤楸邨

 白扇のゆゑの翳りをひろげたり  上田五千石

 おとろへてあぢさゐ色の齢かな  草間時彦

 この国の言葉によりて花ぐもり  阿部青蛙

 一ぴきの言葉が蜜を吸ふつばき  阿部青蛙

  ろはにほへの字形なる薄哉  西山宗因

 日本語はうれしやいろはにほへとち  阿部青蛙

 或るときは洗ひざらしの蝶がとぶ  阿部青蛙

 うかんむりの空を見ながら散歩する  阿部青蛙

 炎天をゆく一のわれまた二のわれ  阿部青蛙

 尾を上げて尾のした暗し春雀  永田耕衣

 むさし野のさこそあるらめ馬場の月  大田南畝

 五月雨やただ名はかりの菖蒲河岸  永井荷風