オスカー・ワイルド
ドリアン・グレイの肖像
旺文社文庫 1968 新潮文庫 1994
ISBN:4102081011
Oscar Wilde
The Picture of Dorian Gray 1891
[訳]福田恆存

 この本を読んだときの感慨をまざまざと思い出せるには、あまりにも時が過ぎてしまっている。
 もう一度、読もうかと思ったが、それでは当時の感慨が薄れてしまう気もする。ワイルド文学を批評するというならともかくも、ドリアン・グレイを思い出すために『ドリアン・グレイの肖像』を読み替える必要はないように思われる。その程度にはドリアン・グレイはずっとぼくのなかで生きている。
 しかし、あらためて思い出してみると、ぼくがこの本を読んだ学生時代で惑溺したのはドリアン・グレイではなくて、ヘンリー・ウォットン卿だった。その、青年をたぶらかす快楽主義と悪魔主義と耽美主義に、おおいに惑溺したものだった。

 学生時代、サド裁判というものがあった。
 ぼくが初めて公判という場に行ってみた裁判である。サドの『悪徳の栄え』の翻訳が猥褻罪であるということで開かれた裁判だった。まだ若かった澁澤龍彦が裁かれるのである。
 マルキ・ド・サドが裁かれるという、当時の思想者たちがやたらに興奮していた“思想的話題”にはそれほど関心がなかったぼくは、ただ澁澤龍彦を見るために公聴券を手に入れた。当時の澁澤龍彦が、ぼくの当面のヘンリー・ウォットン卿だったからだ。
 その後、澁澤龍彦とは土方巽のアスベスト館や神田の美学校で出会い、さらに鎌倉の書斎で何度も話しあうことになった。
 ところが、その澁澤さんと最初に話してみたかったことはヘンリー・ウォットン卿のことだったのに、ぼくはついに一度もその話題を交わせなかった。
 その話題を持ち出せなかったというより、持ち出さないほうがずっといいように思えたからだったろう。それに澁澤さんはちっとも悪魔主義的ではなかったのだ。ちなみに、ぼくが澁澤さんと交わした話題は、澁澤さんとよく話しこんだのが亡くなる十年前ほどの時期が多かったせいもあるのだが、むしろ中世日本の神仏習合についてのことだった。

 ヘンリー・ウォットン卿を描くことが、オスカー・ワイルドの真骨頂なのである。
 ところが、その後の文学の多くはドリアン・グレイを描くほうに走っていった。日本の少女コミックがとくにドリアン・グレイをたくさんつくった。それはそれでおもしろい現象だったが、いささか偏った好みというものでもあった。まるでジャニーズ事務所の美形の青少年を好きなように変貌させるばかりで、その仕掛けをつくっている連中の顔が見えないからである。
 ワイルドはドリアン・グレイを変貌させる仕掛けをこそ書きこんだ。その美学と哲学をこそ誇りたかった。さすがのワイルドも、ここでは男色趣味をあらわにはしていない。いっさいを「芸術がつくる美の変貌の魔法」にゆだねてみせている。
 『ドリアン・グレイの肖像』には意外な序文がついている。小説の冒頭としてはちょっと奇妙なものだが、ワイルドの弁明とも宣言とも見える。
 その序文にワイルドが書きつけたことは、「すべて芸術は無用である」ということだ。もうすこし説明するなら、「すべて芸術は表面的であり、しかも象徴的である」「芸術家たるものは道徳的な共感をしない」ということで、ワイルドはそのことに批評家たちの注意をむけさせようとした。
 そして警告をした。「象徴を読みとろうとするものは危険を覚悟すべきである」と。
 ぼくが澁澤龍彦にヘンリー・ウォットン卿のことを尋ねなかったのは、いまおもえば“正解”だったのかもしれない。

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