父の先見
衣裳術
リトルモア 2008
編集:菅付雅信・藤原百合子・加藤基 写真:高柳悟
装幀:中島英樹
マルタン・マンジェラ以降の「服」をどうすればいいか、
よくよく知り抜いているスタイリストで、
デヴィッド・リンチやガス・ヴァン・サントや
ギャスパー・ノエがつくる映画に匹敵する映画の
格別な衣裳どもを民族魔術のようにつくれる
ぶっちぎりのコスチュームデザイナーだ。
あまり世間の体たらくに見切りをつけないで、
いましばらくニッポンをよろしく!
十文字美信(1109夜)がずっと前にそう呼んでいたので勝手にそう書かせてもらうけれどね、ミッちゃん、この人はね、速くて深くて、凄い。ミッちゃんこと北村道子は胆(はら)があって、文化が切れる。絵がすぐに浮かんで、地球に居候ができる。死ぬかもしれないと咄嗟に思えるし、乱暴ができる。
ぼくには日立のCMに出させられたときミッちゃんがスーツと帽子をスタイリングしてくれたという、まことに僅かなちょっぴり交流体験しかないのだが、あっというまに何かを見抜かれた気がした。そういう眼力をもっている人だ。亀ちゃん(亀井武彦)が演出のCMだった。
ま、そんなぼくの擦過感覚的なことはともかくとして、この『衣裳術』はありがたかった。広告やCMから映画に飛び込んでいった北村道子のべらぼうな根性が、やっと本になったのですからね。
高柳悟の役者衣裳のばっちり写真が100ページほど続き、ミッちゃんは「服の力」というインタビューを受けていて、おそらくテープ収録を何度かに分けたうえで再構成しているだろうけれど、いろいろ思いの丈を50ページぶんほど話している。
大好きな鉄道技師のお父さんが38歳で亡くなったこと、図画工作の特講センセイに「桜がきれいだったら、ずっと見ていなさい」と言われたこと、18歳でネイティブ・アメリカンと二人三脚でシアトルから入って南北アメリカ大陸を3年かけて歩きまわったこと、パリで「ヴォーグ」や「エル」のモード撮影を手伝って服にめざめ、ついでにその期間にパリで観た黒澤・成瀬・川島雄三に衝撃的なほどにぞっこんになったこと(それまで日本映画なんて観ていなかった)、「服」は「裸」と一対であるべきだということ、役者に服を着させる仕事はマルタン・マンジェラ風を仕切り線にしたいということ、男はすべからくスピノザ(842夜)やランボー(690夜)やゲバラ(202夜)であってほしいこと、肺癌にかかって肺を一個とってしまったこと、日本人は身体論にもっと突っ込んでいるべきだということ、そのほかいろいろ、たいへんおもしろかった。
そうか、そうだよね、やっぱりそうだろうねという合点と含意もずいぶん伝わってきました。
ほんとうはもっと突っ込んでほしいところもあったけれど、喋りはそこそこ上手に編集されていた。ただ、インタビューが映画作品ずつの役者単位になっていて、作品ごとに誰に何を着させたかというエピソディックでフリークな話が継ぎ接ぎになっているのが多く、ちょっと残念だったかな。
それでも、『それから』の松田優作を降参させた話(優作が着たがったラストの白のスリーピースを変えてしまった話)、台本が届いてアタマの中で映像が浮かばない映画の仕事は引き受けないという話、ギャラが50万円だったらアシスタントに30万円渡してしまうという話(アシスタントがいてくれるから仕事ができる)、ミッちゃんがつくる衣裳はだいたい白・黒がベースで、赤は必須で、あとは水色と黄色の5色が基本になっているという話、女のアタマの髪はできるだけ大きいほうがいいので藤谷美和子をヘアメイクの柘植伊佐夫にそれをやってもらい、『乱歩地獄』の緒川たまきもそうしたという話、役者はつねに日常をゼロに近いものにしていないとまずいんじゃないかという話(松田優作や橋爪功はそうなっていたらしい)、季節によって留袖の柄が変わっていくような衣裳に挑戦してみたいという話など、やはり堪能できた。
そんななか、石井聰亙の『DEAD END RUN』はミッちゃんが実際経験したアルカロイドで観た映像にもとづいてたというのには、驚いた。
永瀬正敏には色が近づけば近づくほどに過去の自分がモノクロームに襲ってくるという衣裳をつくった。伊勢谷友介には相手の女が一滴の涙だったらそれともビョークだったらどうなるかというつもりの衣裳でマッキントッシュのコートを着せた。浅野忠信にはまるごとブッダの絵を衣裳にして用意した。そうか、そうなっていたんだね。
全編を通じて出入りする指輪もミッちゃんがイスラエルのアーティストのものをちょっといじって使ったらしい。すべてはインカーネーションなのである。凄い、凄い。
広告業界でスタイリストとして脚光を浴びていたミッちゃんを映画に引きこんだのは松田優作で、それを引き受けたのは森田芳光だった。森田監督はぼくを『ときめきに死す』で俄役者にしようとしてそれには失敗したけれど(ぼくが蒙昧な輩だったからだが)、ミッちゃんは『それから』(1985)でみごとに映画衣裳界にデビューした。
感心したのは、ミッちゃんは漱石(583夜)が苦手らしく、『それから』をあえて芥川(931夜)でやってのけたということだ。これ、なかなかできないことだ。だいたい日本人は漱石に甘すぎて、みんな姜尚中(956夜)になっていく。そこを踏みとどまって芥川でいくというのは、これはデカダンとピュリスムの両方が必要で、ちょっと男にはできない芸当だ。
このとき、優作がラストのシーンに白い三つ揃えに帽子で決めようとしたので、ミッちゃんはそれは鈴木清順になるからダメと言って喧嘩腰になり、だったらお前が本気のもので決めろよと言って優作を引き下がらせ、ついにミッちゃん用意のコスチュームで降参させたのだ。
ちなみに『それから』は、木幡和枝の発案でちょうどロードショー中に来日していたスーザン・ソンタグ(695夜)にも見せたのだが、うんうん唸って感服していた。
その後のミッちゃんの仕事は、すべて映画を通して見ていたことだけれど、まさに破竹の勢いでした。是枝裕和の『幻の光』(1995)では闇に溶ける衣裳を手掛けたんだね。このときの舞台はミッちゃんの生まれ育った石川県だったから、「加賀の冬の光」を衣裳にしたようだ。
竹中直人が自身で監督する『東京日和』(1997)をやってほしいと言ってきた。ちょっと悩ましかったので友達の相米慎二に相談したら、数日後に『あ、春』(1998)の衣裳を頼まれた。相米が仕掛けてくる意地悪なお題が小気味よかったようだ。この『あ、春』で美術の小川富美夫のアシスタントをしていたのが佐々木尚だった。
塚本晋也の『双生児』(1999)ではその佐々木尚というすばらしいコラボレーターと仕事ができたので、本木雅弘の着物やスーツを様式美にまで高めることにした。羽織にベルベットをつけてマットに見えるように仕立てた。うん、うん、やりそうなことだ。でもこんなこと、ミッちゃんにはお茶の子さいさいだったろう。もっと凝りたいんだよね。
そこで三池崇史の『殺し屋1』(2001)では、赤いタータンチェックのセットアップで椅子に座する浅野忠信をヴィジョンの中核においた。佐々木尚に若冲や北斎や蕭白をケンキューしておいてねと注文を出し、浅野が演じる垣原をシルクベルベットで白孔雀のようにした。阿片を吸っている白孔雀だったんだね。加えて、浅野は金髪の役だったので、ミッちゃんは「腋毛も胸毛も下の毛も金色にしてくれなきゃイヤだ」ときわどい注文を出した。言うとおりにしてくれた。他の役者にはオズワルド・ボーテングの服を着させた。ボーテングのスタイルはもはやぼくには着られないが、サヴィル・ロウに登場したとき、ほうほう、これは抜けてる奴だと思ったものだ。
ミッちゃんは役者がふだん気取っているのが大嫌いなのである。役者と付き合いがないぼくには想像がつかないが、役者じゃなくても気取っているのはどうしょうもないのは、わかる。とくに打ち合わせは普段着で来てほしいのだと言う。そのてん黒沢清の『アカルイミライ』(2003)や犬童一心の『メゾン・ド・ヒミコ』(2005)で仕事をしたオダギリジョーは、いいようだ。
きっとミッちゃんにとって衣裳は道具なのである。もっとちゃんと言うと、まさしく「道の具」なのだ。「道」(どう)は道子の道で、TAOの道であり、武道や茶道の道だ。
この哲学は、いい。大前提にタオイズムがある。ぼくはカトリーヌ・デスプ(1445夜)の『女のタオイスム』というめずらしい本を千夜千冊したことがあるけれど、そこには「性・命・心・気」が道一気でつながっていた。全真教の孫不二がそういうタオイストだったし、そもそも始原の老子(1278夜)が「水」と「母」なのだ。デスブのフランス語でいえば、「性」はナチュール・イネ、「命」はフォルス・ヴィタル、「心」はエスプリ、「気」がアンプロシアなのだ。
この本のインタビューには出てこないけれど、そういえばミッちゃんはどんな旅先(チベットからアンデスまでともかく世界中に行っている)にも茶道具のセットを必ず持っていくそうで、そのときどきの土地の葉っぱを煎れてみんなで喫茶するらしい。さらに「柘植の櫛」を何本も持っていって、現地のみんなにあげるらしい。こういうところもすばらしい。
ついでに言うと、『アカルイミライ』で藤竜也が「許す」という一言のセリフにこだわって衣裳をつくったというのも、真のヤクザのタオイズムだったのである。
アンゼルム・キーファーという画家がいる。ほぼぼくと同い歳のドイツの画家で、60年代からナチスと刺し違えるような作品をつくっていて、1969年にはヨーロッパ各地でナチス式の敬礼をする自分自身を撮影した写真作品集『占領』を発表して、物議を呼んでいた。
ヨーゼフ・ボイスの影響も受けていて、80年代は草や葉や藁のようなフラジャイルな(傷つきやすい)素材を大量に集めて表現するようになり、そのうえで、その作品の「意味」を文字にして画面に堂々と書きこむようになった。
キーファーは、つまり「ショック」と向き合っている画家なのだ。「真実」なんていくらでもひっくりかえるが、「ショック」は時を超える。『地を開かせよ』や『焼け焦げたひまわり』は戦慄させられる。
ミッちゃんがそのアンゼルム・キーファーに傾倒していることを、この本の一言で知った。
理由を知りたかったので、もっとインタビュアーがそこを聞いてほしかったが、想像するしかなく、でもキーファーをちゃんと見ている映像系アーティストは日本には少ないだろうから、嬉しかった。
2014年のロンドンのキーファー展では、雪原の空に女の顔が浮かんでいたり、ナチスの建造物のような廃墟にひまわりが逆さにぶらさがっていたり、焼け焦げた本がずらりと埋まっていたり、美術館のパティオには巨大なガラス容器の中に何体もの鉛の戦艦が宙づりになっていた。
こういうイメージは、ミッちゃんなら押井守やアレハンドロ・イニャリトゥあたりのマジック・リアリズムの映画にしたいと思うにちがいない。
でもミッちゃん、しばらく映画の現場を離れるようですね。もっともっと映画界を震撼とさせてもらいたいけれど、広告をしていたとき「もうテレビはおもしろくない」と言って離れたミッちゃんだから、きっと映画界にも何かを感じてそうしたのでしょう。
となると、ひょっとしたらアンゼルム・キーファーや、シャルル・ローゼンタールを架空の主人公にしたイリヤ・カバコフ(1261夜)や、何でも箱に入れてしまったジョセフ・コーネルのように、北村道子ふうの「アート」でもするのかな。それもどきどきするけれど、でも次の次を見据えた映画美術も期待しています。いつか、濃ゆい話をしたいね。でも、また何か見抜かれたりして。
⊕ 『衣裳術』 ⊕
∈ 著者:北村道子
∈ アート・ディレクション:中島英樹(中島デザイン)
∈ 発行者:孫 家邦
∈ 発行所:株式会社リトルモア
∈ 装丁:竹中 尚史
∈ 印刷・製本:図書印刷株式会社
⊂ 2008年2月29日発行
⊗ 著者略歴 ⊗
北村道子
1949年、石川県生まれ。映画衣裳のデビューは1985年、森田芳光監督作『それから』。以後、数々の映画で衣裳を務める。1995年に作品集『tribe』(朝日出版社)、1999年には写真集『cocue』(コキュ)を発表。『スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ』の衣裳で、第62回(07年)毎日映画コンクール技術賞を受賞した。