才事記

井上井月伝説

江宮隆之

河出書房新社 2001

   世の塵を降りかくしけり今朝の雪

 芥川龍之介の担当医に下島勲がいた。信州伊那谷の出身で上京して田端に開業した。芥川は『田端人~わが交遊録』をこの下島の紹介から始めている。「下島先生はお医者なり。僕の一家は常に先生の御厄介になる。又空谷山人と号し、乞食俳人井月の句を集めたる井月句集の編者なり」と。
 本書は、その下島が句集を編んだ井上井月についての"伝説"をまとめたもので、妙に温かい。

 井月をしばしば放浪俳人という。しかし、どうもこれはあたらない。もともとは武士だったし、旅はよくしているが、放浪はしていない。ただいっさいの栄達を捨て、赤貧を厭わず、侘び住まいに近い日々を伊那谷に送った。どちらかといえば、一茶良寛に並べて議論したほうがふさわしい。時代も近い。
 仮に放浪俳人だとしても、よく並び称される山頭火や放哉ほどに知られていないのは研究書も一般書も少ないからにすぎず、その俳句を知ればむしろ山頭火や放哉を凌ぐ深みのある句風に驚かされるにちがいない。
 たしかに魂は放浪者である。
 が、自由律の俳句ではない。正統の蕉風だ。実際にも芭蕉を慕った。慕ったというよりも、蕪村についで芭蕉を"再発見"した一人といってよい。それかあらぬか、写生が効いている。よく凝視し、よく耳をそばだてている。こんな句である。

   染め急ぐ小紋返しや飛ぶ小蝶
   のぼり立つ家から続く緑かな
   若鮎や背すじゆるさぬ身のひねり
   およびなき星の光りや天の川
   折ふしは人にもかざす日傘かな
   鶏頭やおのれひとりの秋ならず
   霧晴れや実りを急ぐ風の冷え

 そうとうに、うまい。「のぼり立つ家からつづく緑かな」とか、「霧晴れや実りを急ぐ風の冷え」とか。鮮やかでもある。「染め急ぐ小紋返しや飛ぶ小蝶」とか、「若鮎や背すじゆるさぬ身のひねり」とか。芥川が惚れたというのもよくわかる。

 井上井月は文政5年に越後高田藩に生まれた。7歳で養子に出されて長岡藩に移った。良寛と時代も生まれも近いようだが、良寛は井月が10歳のときに死んでいる。
 18歳で江戸に出る。昌平黌に入って首席、さらに古賀茶渓の塾に学んだ。ここまではどこが放浪俳人なのかとおもうが、やがて芭蕉を知ってから少しずつ変わっていく。そこへ弘化4年に上信越に大地震がおきて妻と娘と叔父叔母を一挙に失った。知らせとともに江戸に土くれ二塊が届けられる。娘に買い与えた土雛だった。井月は慟哭し、このときに武士を捨てた。俳諧にのめりこむのはこの直後からである。桜井梅室の門に入った。
 同じ長岡から前後して江戸に出てきていた後輩の河井継之助は井月の将来を惜しんだが、井月の意志は堅かったようだ。継之助はその後は山田方谷に学んで異例の出世をとげた。方谷は今日の日本が読むべき陽明学をもっている。
 しかし井月はひたすら芭蕉に憧れた。とりわけ『七部集』を偏愛し、かつての蕪村がそうであったように『野ざらし紀行』に没入していった。「野ざらしを心に風のしむ身かな」である。

 井月は旅に出ることにする。まず、京都に移っていた梅室を訪ねたが、あいにく梅室は死んでいた。
 そこで芭蕉を追って奥の細道を逆に辿ることにした。まず芭蕉が生まれた伊賀である。それから日本海に向かっていった。さらには『更科紀行』の足跡を辿る。そして、その行く先々で芭蕉の句に合わせた句を詠んでみる。こんな合わせ技の妙である。

   象潟や雨に西施が合歓の花(芭蕉)
     象潟の雨なはらしそ合歓の花(井月)
   俤(おもかげ)や姥ひとり泣く月の友(芭蕉)
     山姥も打か月夜の遠きぬた(井月)
   不性さやかき起されし春の雨(芭蕉)
     転寝した腕のしびれや春の雨(井月)
   けふばかり人も年よれ初時雨(芭蕉)
     今日ばかり花も時雨れよ西行忌(井月)

 俳号の井月とは井戸に映る月ともいう意味だが、また四角い月でもある。井月がみずから矛盾と葛藤を背負う気になったことをよく象徴している。
 結局、井月は信州の伊那谷に入って、ここが気にいる。伊那谷は井月を温かく迎えたようだ。井月にはこの村の人々は福寿草のように見えた。幕末が近づいて、その伊那谷にも尊王攘夷の足音が聞こえてきた。ちょうど『夜明け前』の時代に重なっている。が、井月は青山半蔵とはちがって、ひたすら俳諧と、そして堪能な書にあけくれようとした。井月は書も名人級だった。これは想像だが、おそらく剣の心得もあったかとおもう。
 しかし、生き方はあくまで春風に身を任せ、秋雨に心を委ねるところに徹した。その気分は句によくあらわれている。

   菜の花のこみちを行くや旅役者
   山雀や愚は人に多かりき
   山笑ふ日や放れ家の小酒盛
   葉桜となっても山の名所かな

 時代は明治に入る。けれども時代の価値観の転倒は井月を動揺させてない。よし女という女にも惚れた。
 伊那谷に芭蕉庵をつくろうともした。そうした井月の執着に共感したのが医者の下島勲なのである。芥川に井月を教えた医者だ。下島は井月の句集も編んだ。
 いま、井上井月を読むということは、かなり時代錯誤をすることになるだろうとおもう。けれども、では井月よりもましな生き方をして、井月よりも味のある句をつくり、井月よりおもしろい字を書いている者がどこかにいるのかというと、すぐには見つからない。
本書をヒントに井月を知ってもらいたかった。

   松よりも杉に影ある冬の月

参考¶『井月全集』『井上井月全句集』が伊那毎日新聞社から刊行されている。そのほか春日愚良子に『井上井月』(蝸牛俳句文庫)、(『何処やらに』(ほおずき書籍)、清水昭三に『俳人・石牙井月の客死』(新読書社)、宮脇昌三に『井月の俳境』(踏青社)があるが、まったくメジャーの出版社ではとりあげられてこなかった。本書が最初であろう。著者はぼくより若い歴史作家。