父の先見
きもの
新潮文庫 1993
どんな作品にもつねに未完成がつきまとう。
レオナルド・ダ・ヴィンチやアマデウス・モーツァルトのように、あえて未完成を標榜するものもあるが、そうではなくとも、どんな作品にも未完成というものが忍びこんでいる。
幸田文のこの作品は、生前には発表されなかったものである。短編ではない。長編小説といってよい長さがある、幸田文の最も自伝性が濃い作品といってよい。それなのに作者はこれをまるで反故にするかのようにほったらかしにしていたようだ。
実は幸田文には、いつしか小説という様式に対して期待をもてなくなっていたふしがある。『流れる』のような、あんなにすごい小説を書けた作者があっさり小説を離れるのを訝しむむきもあるだろうが、そこが幸田文の比類ない気性というものなのだ。持ち前の「気っぷ」というものなのかもしれない。
幸田文が小説を書くのは幸田露伴が死んでからのことである。それまでずっと抑制されてきた創造力の香気が一挙に吹き出した。ぼくは、ぼくの父が文さんと交流があったことも手伝って、幸田文という人にたいへん粋な親しみをもってきた。
実際に、文さんが父のやっていた呉服屋で着物を買ったことがあるかどうかは、知らない。文さんの趣味からいうと、うちの呉服ではまにあわなかっただろうとも思われる。それでも、文さんは京都にくると、ときどきは父を呼び出していた。ぼくも二度ほどくっついていったことがあるが、まさに「気っぷ」のいい、声も笑顔もすばらしいおばさんだった。
そんなわけで、青年のぼくが読むには好尚がよすぎる文芸ではあったのに、ぼくはしばしば幸田文の小説や随筆を読んできた。それはなんというのか、母の鏡台の匂いをこっそり嗅ぐようなものだった。
この作品は明治が終わるころに生まれた主人公のるつ子が、「お母さん」に着せられた着物の一枚一枚と、るつ子の相談役でもあった「おばあさん」の目を通して、時代とともにしだいにめざめていく物語である。女性の心身が育まれる物語というふうにもうけとれる。
そういえば、この本が単行本として死後刊行されて話題になっていたころ、ぼくは堤清二さんや下河辺淳さんと話す機会があり、当時は“旬の話題”だったこの作品のことを持ち出したところ、堤さんが「うん、あれは女性の本格的な教養小説ですよね」と言ったものだった。のちに辻井喬として堤さんが本書の解説を書いているときも、この作品がビルドゥングス・ロマン(精神の修成をたどる物語)であることを強調していた。
たしかに着物は女性の心身なのである。それは、今日のファッションが女性の関心の大きな部分を占めていることでもわかる。
しかし、着物は洋服よりもずっと心身を感じさせてくれる動機に満ちている。着物にはいくらでも妖精や魔物が、想像力や出来事が棲みこんでいる。いや、染みこんでいる。
そもそも「着換えがはじまった」という一行だけを書いて、そのあとたっぷりと着換えのことを綴っていて、それで存分な小説になることが貴重なのである。それはたとえばジョルル・カルル・ユイスマンスやヴィクトル・ユゴーが大聖堂やノートルダム寺院の大伽藍の一部始終を観察して、それをもって小説にしたことに匹敵することなのだ。
幸田文は、それができることを身をもって伝えてくれた希有の「日本のおばさん」であった。
そのやりかたは、泉鏡花が着物の柄や形を乱舞させて艶やかな女の妍を表現するという方法ではなく、また森田たまの『もめん随筆』や志村ふくみの『一色一生』のような、着物や染物が文化の腑に落ちるというための方法でもなく、いわば腑に落ちるも腑に落ちないも、そのすべてを引き取って人生を着て、人生に帯をしめていくという方法だったのである。