吉本ばなな
TUGUMI
中公文庫 1989
ISBN:4122018838

 白河まりあは女子大生で、父の離婚が成立するまでは海辺の町で旅館を営む伯母のところで母と暮らしている。旅館はそばに大きなホテルが立ち、ペンションに転業しようとしている。
 母が旅館を手伝い、父がたまにそこに通うという不安定な日々がつづくが、やっと離婚が成立し、まりあは最後の夏を旅館で過ごすことにする。そこには陽子とつぐみという姉妹がいた。つぐみは病弱で、周囲が甘やかすものだからわがままに育っていた。可憐な容貌なのにぶっきらぼうな言葉づかいだし、「人のいちばんいやがることを絶妙のタイミングと的確な描写でずけずけ言う時の勝ち誇った様は、まるで悪魔のようだった」。
 が、そのうちまりあはつぐみの心の屈折が見えてくる。ここから吉本ばななが始まる。

 ばななの小説、とくに『TUGUMI』はジュニア小説のフォーマットに近いと言われる。ところがそのフォーマットはどんどん破れていく。ばなな研究家たちに言わせると、それがばななだというのだ。
 ぼくはその手のものを読んでいないのでわからないのだが、ジュニア小説では主人公は心は変化するが、外見が異様にはなっていないし、物語の途中でもそうはならないらしい。それを破る。ジュニア小説を破ったところで、たいしたことはないとおもうのだが、実はそこがばななの人気であり、あの時代に登場したばななの文学としての意味だった。
 が、こんな説明では、ばななはおもしろくない。ばななにはもともと「不安というもののわだかまり」と「共有意識のルートへの憧れ」と、そしてそのうえに「神話作用」(ロラン・バルト)といったものがある。

 たとえば、つぐみは内部に死をかかえた少女なのである。それがボーイフレンドの恭一には、「あの目を見ていると、何とはなしに厳粛な気分になってくる」ようにさせる。そこから、ふいに「とてつもない世界とつながっているんだ」というふうに、ばななの感覚は進んでいく。
 この飛躍というか、平行移動とでもいうことが、ばななには平気なのだ。「不安」から「とてつもない世界」との関係はほんの1秒でおこりうることなのである。
 物語のほうは、そこへ、地元の不良たちによって犬の権五郎の紐が切られ、権五郎が行方不明になるという事件がおこる。つぐみは怒って「あいつらを殺す」と言う。まりあは「つぐみは今、生まれて初めて自分以外のもののために怒っていて、それは、どこか神々しい姿だった」とおもう。

 こんなことで「神々しい」と思えるのがばなななのである。
 そのようにばななが思えるのは、おそらくは彼女の下敷に、竹宮恵子・萩尾望都・大島弓子らの少女マンガの伝統スティーブン・キングらのホラー小説の文脈があるからで、それらはちょっとしたことで「神々しいもの」や「宇宙感覚」へ入れる装置をくりかえし提示してきた。
 ばななはそのような神話作用的な平行移動の感覚が、どんな人間にもありうることを確信している。少なくともかのじょの小説の登場人物たちには。
 それは、ばななの作品には夢がよく出ているのだが、その夢はたいていは言葉によって説明されるものではなく、意識と意識がそのままダイレクト・コンタクトしているかたちで描かれていたことでも説明がつく。

 700枚を越える長編小説『アムリタ』について、ばななは親友の岡崎京子からの質問に答えて、「アナザーワールドでのだらだらした日常を描きたかった」と言っている。
 「アナザーワールドでの」というところがばななの得意で、『アムリタ』でも、朔美という主人公の夢には弟がひゅうと入りこんできたりする。それで大きな事件がおこるわけではないが、そここそがアナザーワールドで、そこにも日常があることは小説を読んでいくとすぐわかってくる。
 こういうことを『アムリタ』では、朔美に「自分の限界を知る、ということは新しいレベルの真実の領域を見つけることだって、ユーミンもセナもジョン・C・リリーも言ってるよ」という説明にしたりする。まことにストレートだ。かつては、こういうことはたとえ知っていても口に出して言わなかったし、まして文学作品がこのことを会話させるというようなこともしなかった。そこをばななは平気でやってのけたのだ(ただし少女マンガはずっと以前からこういうセリフをふんだんに吹き出しの中に入れてきた)。
 そういえば、もともと吉本ばななの名を知らしめた『キッチン』がそのことを予告していたのでもあった。桜井みかげは台所をアナザーワールドの入口にしたかったのである。

 アナザーワールドが日常で、日常はいつもアナザーワールドの入口をどこかに隠しもっているというのは、吉本ばななの、そして少女マンガの専売特許である。
 もうひとつ、死と再生のリズムに人はしばしば迷いこむというのも、吉本ばななの主題である。
 しかし、どうもそれだけでばななを説明したような気分にはなれない。読みおわるたびに、そういう気分にさせるのが妙でもあったのだが、どうも吉本ばななには吉本ばななの本質を言いあてたくなるような気分にさせるものが漂流しているようだ。
 これは、思い出してみると、ぼくが中高生時代に芥川梶井牧野信一三島やらを読んだころに、その作者の何かを言いあてたくなったときの気分に似ている。そこで、ついつい次を読む。
 ばななに関しては、ぼくはごく最近に『N・P』を読んだ。題名はマイク・オールドフィールドの「ノース・ポイント」から採った略号である。そして、またまたばななのことを考えた。

 かなり変わった小説で、アメリカ在住の作家・高瀬皿男が書いた97篇のショートストーリーを戸田庄司が翻訳していたのだが、その戸田と学生時代に同棲していたこの作品の語り手の加納風美は、高瀬が48歳で自殺していたことを知る。
 戸田は98篇目の未発表作品を入手して翻訳をはじめるものの、睡眠薬で自殺してしまう。その下訳をしていた者も自殺した。
 高瀬の遺児には双子の姉と弟がいた。咲と乙彦という。加納風美はある日、このうちの乙彦と会う。聞けば咲は、加納が勤めている大学の大学院で心理学を研究しているという。
 こうして、一冊の書物が数奇な人間の運命のようなものを手繰り寄せていく。加納風美は『N・P』について、こう言う。「私もあれを何度も読んだひとりだ。読んでいるといつも、胸の奥底にある濃くて熱い液体が泡立つ。ひとつの宇宙が、体に入ってくる。体内で命を持ってしまう」。
 やがて未翻訳の98篇目の筋書が見えてくる。父と娘の近親相姦を綴っていた。かくてそうとうに濃い神話作用が登場人物たちに胸騒ぎをおこさせるのだが、そこへ萃という女性が出現してきて、彼女を中心に物語がまわる。萃は死のうとし、加納はそれを止めようとする。そして‥‥。

 まあ、筋書を書いてもしかたがないが、こういう物語である。一冊の書物に秘められた呪いが漂流して、また何かにしだいに戻っていく。
 ばななはこの作品になにもかもを投入したかったらしいが、なかなかうまく書けなかったと言う。たしかにそんなきらいはある。けれども、ぼくはこの作品こそ、吉本ばななだと思った。
 あれっ、待てよ。『キッチン』以来、読みおわるたびにいつもそう思ってきたんだっけ?『TUGUMI』については何も説明しなかったっけ?

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