デヴィッド・ストーク編集
HAL伝説
早川書房 1997
ISBN:4152080957
David Stork
HAL's Legacy
[監]日暮雅道

 うまい編集である。うまい編集の本はうまい料理のように、うまい。
 御存知スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』の主人公のコンピュータHALをめぐって、プロローグと16章によるウィットにとんだ構成を、あたかも映画の筋書が進行するように、そのプロットごとに“それらの理論的検証”の展開をあわせて組み立て、その各章に各界の専門的な執筆者をたくみに配した。トップの執筆者は原作者のアーサー・C・クラーク、アンカーは「志向性の認知科学」をもってなるダニエル・デネットである。題辞には「スタンリー・キューブリックへ」とあって、「想像は理論をえて意味をもつ」としているのも、にくい。
 編集屋というものは、すぐれた編集成果にはただちに脱帽できる。「敵ながら、あっぱれ」と褒めるのが、いかに悔しくても編集屋のせめてもの矜持というものなのだ。

 もっとも、あまりにうまい料理に出会うと、諸姉諸兄もきっと経験があることだろうが、その感想がなくなるか、もしくはそのレシピを知ったかぶりで解説するか、そのどちらかに追いこまれる。
 ここでは後者の追いこまれた者の立場をとることにして、まったく「兜を脱いだ」という証拠をお目にかけることにする。

 プロローグのアーサー・C・クラークにして、すでに編集意図にあわせて綴っている。
 たとえば、HALというネーミングは、巷間でうわさされているような、I・B・Mそれぞれをアルファベット順に一字ずつずらして生まれたネーミングではなく、実際には“Heuristic ALgorythmic”の略なんだという説を強調してみせている。原作のクラーク御大がこんなふうに話を始めるものだから、読者はまんまとこの編集ノリで本書に入っていけるようになる。

 第1章「よく考えぬかれた夢」は編集構成者のストークが全体の視野を設定し、各執筆者がどのようなアプローチで書くのか、その見取図を提出する。
 第2章「セットに立った科学者」はマーヴィン・ミンスキーに対するインタビューでできている。これで当時のAIがもたらそうとした目標があらかたわかるようになっている。ミンスキーは『2001年宇宙の旅』の制作アドバイザーでもあった。
 第3章「HALは製造可能か」では、MITとイリノイ大学のスーパーコンピュータ開発所長だったデヴィッド・カックが、HALの設計思想を検討する。
 第4章は「完全無欠でエラーもない?」とヘッドライニングされている。イリノイ大学コンピュータ工学教授でNASA航空宇宙コンピューティングセンター所長のラヴィシャンカール・アイアーの担当である。
 ここでは、コンピュータにおける「フォールト・トレランス」(どんな小さなエラーでも運転を持続できる能力)と「エラー・リカバリー」の関係が議論される。つまり、なぜHALは壊れたのかという問題だ。これはなかなか興味津々で、ハードウェア冗長性、故障発生をマスクするヴォーティング(投票機構)、グレースフル・デグラレーション(緩慢な劣化)、テスト容易化設計などの、いわゆるロールバック技術が次々に検討される。ぼくはこれを読んで、コンピュータが「フル」のチェックと、「インクリメンタル」のチェック(現在の状態とひとつ前の状態の相違だけのチェック)に分けられていることを知った。

 第5章「とても楽しいゲームでした」は、HALの産みの親でもあったIBMのワトソン研究所の研究員で、最強のチェス・コンピュータとして知られる「ディープ・ブルー」の開発者のマレイ・キャンベルが、『2001年宇宙の旅』で宇宙飛行士フランク・プールがチェスをする30秒程度の画面をたっぷり分析してくれる。
 「ディープ・ブルー」は当時のチェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフとの6番勝負の最初のゲームで勝ったことで一躍有名になった。当時の「タイム」の記者は「これは新しい種が誕生したことを告げた事件なのだ」とおおげさに報道したものである。
 最近の「ディープ・ブルー」は1秒につき2億通りの配置をサーチする。それもそのはずで、このお化けシステムは、32システムの別々のコンピュータ(ノード)をもつIBMのSP2スーパーコンピュータ上で作動しているもので、つねに6手先・8手先・10手先・20手先を「選択的拡張」とよばれるアルゴリズムで読んでいた。
 マレイ・キャンベルがHALの手にも誤りがあったことを指摘しているところが白眉。
 次の第6章「話すコンピュータ」では、ベル研音声研究部長のジョセフ・オリーブが、“喋りまくるHAL”の能力が現在の技術でも可能かどうかを調べる。この人はマシンオペラの“作家”でもあって、ぼくもCNNで彼がつくった「マ・リ・ア」を見たことがある。
 第7章「いつHALはわれわれの話を理解するようになるか」は静かな口調でコンピュータと音声認識の関係を案内してくれる。執筆担当者のレイモンド・カーツワイルは、たいへんな発明家である。世界初のオムニフォントOCR、世界初の盲人用印刷物読上げシステム、世界初のCCDフラットベッド・イメージスキャナ、世界初のテキスト=音声合成装置などは、すべてカーツワイルの発明品だった。
 第8章「もうしわけありませんが、デイヴ、それはできません」には、いよいよロジャー・シャンクが起用される。第12章は人工知能の大御所ドナルド・ノーマンである。

 こういうぐあいに編集構成は進んでいく。まったくうまい手順であって、フィクションが次々にリアルなテクノロジーによって蘇るようになっている。
 後半では、HALの作り方、HALの視力と認知能力の関係の問題、コンピュータは読唇術をもてるかということ、コンピュータは感情をもてるのかという問題、宇宙船や宇宙での動きの問題、地球外生命の可能性、そしてダニエル・デネットによる「HALが殺人を犯したら、誰がとめられるか」というコンピュータ倫理の問題が、順番に検証されていく。
 よくもまあ、これだけ水際立ったエディトリアル・プランに適切な回答者を用意したものだ。
 しかし、こんなにデキのよい編集構成案の本でも、この案を理解して出版に踏み切ったのは、MITプレスのボブ・ブライアーただ一人だったというのだから、編集の醍醐味から書物のファイナルイメージを想定できる能力の持ち主というものが、世にいかに少ないかということなのである。

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