才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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〆切本(1・2)

左右社編集部編

左右社 2016・2017

編集:小柳学+編集部
装幀:鈴木千佳子

『〆切本』については、そもそもこの企画を思いついたこと、〆切に脅える作家たちの告白コンテンツをここまで集めたこと、『〆切本』というそのことズバリのタイトル、組み立てルール一式、豪華絢爛の著者群の顔ぶれ、色違いの紙配り、チャプターの分配とその見出しの付け方、全体での編集の手のかけぐあい、適度の分量(結局2冊になった)、著者紹介の書きっぷり、明朝多用のブックデザイン、挟み込みの栞(しおり)、マンガも入れたこと等々、すべてがうまかった。

 世に「日本企画編集賞」とでもいう賞があるとしたら、ついでにぼくがその選考委員長だったとしたら、2016~17年の大賞は左右社の『〆切本』1・2の二冊である。
 ついでながら「日本編集著作賞」というような賞があれば、神田桂一・菊地良の『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)に、文句なしに栄誉あるグランプリを贈りたい。こちらはレイモン・クノー(138夜)の『文体練習』を存分に意識しての、ミメーシス編集術を駆使したミミクリー文芸の傑作集だった。

『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)
たとえば、スーザン・ソンタグがカップ焼きそばの作り方を書いたら、「反カップ焼きそば」になる。

 『〆切本』については、そもそもこの企画を思いついたこと、〆切に脅える作家たちの告白コンテンツをここまで集めたこと、『〆切本』というそのことズバリのタイトル、組み立てルール一式、豪華絢爛の著者群の顔ぶれ、色違いの紙配り、チャプターの分配とその見出しの付け方、全体での編集の手のかけぐあい、適度の分量(結局2冊になった)、著者紹介の書きっぷり、明朝多用のブックデザイン、挟み込みの栞(しおり)、マンガも入れたこと等々、すべてがうまかった。
 栞というのは、1が「原稿性発熱しおり」というもので、表に「先生、まだお原稿を頂けないのでしょうか」、裏に「ただいま、大宮でカンヅメになり仕事中です」とあって太宰治の似顔がついているというもの。2が「責任解除しおり」で、表の「先生、そろそろお原稿を書いて下さいませんか」に、裏で「眠るべからざる時に、眠りをむさぼる。坂口安吾」というふうになっている。「紙配り」というのは、途中に色上質ページが別丁で入っていることをいう。「著者紹介の書きっぷり」は、掲載文章の著者と出典をまとめた巻末記事のことだが、まことに絶妙に紹介文を書いていた。

『〆切本』(1・2)

付録の栞

 とはいえ本書は、〆切り(締切り)に苦しむ作家や文士たちの文章を、次から次へと集めて並べただけの本なのである。並べ方に工夫があるものの、出版物としてはたんなる再録アンソロジーにすぎない。
 それだけなのだが、さすがに収録された文章が名うてのセンセイがたのものなので、倦きさせないし、笑わせるし、ヒヤヒヤするし、感心もさせられる。森鴎外(758夜)・山本周五郎(28夜)から川上弘美(523夜)・町田康(725夜)まで、深沢七郎(393夜)・手塚治虫(971夜)から井上ひさし(975夜)・米原万里(197夜)まで、ずらり揃っている。この顔ぶれに惑わされる。これはずるい。
 ずるいけれど、上に述べたように本づくりが過剰でなく不満でなく、息が詰まらず間のびがなく、たいへんに具合がよい。きっと左右社を主宰する小柳学さんの采配だろう。出来の悪いのは自画自賛めいた帯のコピーくらいだ。むりやり掲載したなと思われる文章もある。選考委員長の辛口でいうと、2~3割はイマイチだった。

左右社から松岡正剛への献本一式
左右社代表の小柳学氏より「気ばらしに読んでいただけますと幸いです」というメッセージをもらった。

巻末の著者紹介ページ
寺田寅彦の紹介では「〆切が近づくと胃が痛くなることを、我儘病と名づけている」のように、〆切エピソードが添えられている。

 で、どんな中身なのか。
 ぜひともセンセイがたの「きわどい愉快」を伝えたいのだが、あまりに雑多で紹介不能である。アンソロジーの紹介というものは、実はなかなか難しい。それにあまり詳しいと、刷り部数を驚異的に伸ばしたい左右社としても、あまりネタバレもしてほしくもないだろう。
 そこで、ごく少々ながら、作家センセイたちの苦肉の弁解のおいしいところをお目にかけるため、以下の調子のようにしてみた。適当にはしょったり、言葉を詰めたり、漢字を補ってある。松岡流のピクニック・アンソロジーだ。

巻頭に掲載された白川静による漢字解説

 ◆‥けふは一日小説を考へてゐた、どうも難しいので弱つてゐる、もうあと十日ほどしかないのに、まだこんな折に愚図々々していゐるのかと思ふと情けなくる(堀辰雄)◆‥書斎の机に坐ってみる。筆を執って原稿用紙を並べて、さていよいよ書き出そうとする。どうも気にいらない。題材も面白くなければ、気乗りもしていない。もう日限は迫って来ているのだが、折角書く支度をした机の傍(そば)を離れて茶の間の方へと立って来た。「また駄目ですか」、こう妻が言う。「駄目、駄目」「困りますね」「今夜、やる。今夜こそやる」(田山花袋)。
 ◆‥今夜と云ふ今夜は、自分のしかけてきたこの仕事のくだならさで、私のあたまは一杯になつて来た(里見弴)。◆‥一体、原稿を書くということを、小生は好まないのである。自分の文章をひさいで、お金を儲けるとは、なんという浅間しい料簡だろう。おまけに、こうして幾日も幾日も一室に閉じ籠り、まるで留置場にでも入れられたような日々を送りながら、なんだか当てもないことを考え出そうとして膨れている(内田百閒)。
 ◆‥ともかく引き受けて、第一回分四十枚ばかりを書いた。結末がどうなるかという見通しは全然ついていないのである。むろん大いに考えてはいたのだが、考えがまとまるまでに、第一回原稿の締切りが来てしまい、ともかくも発端を書かなければならなかった。実に無責任な話である(江戸川乱歩)。◆‥こんなことなら、書くことによって貰えるはずの原稿料を、そのままこっちが出してもいいからかんにんして貰えないだろうかとも思う(源氏鶏太)。

 ◆‥はつきり言ふと、私は、いま五枚の随筆を書くのは、非常な苦痛なのである。十日も前から、何を書いたらいいのか考へてゐた。なぜ断らないのか。たのまれたからである(太宰治)。◆‥たった二枚か三枚の随筆のために、書くべきテーマが見つからないで、二日も三日も、うんうんいって原稿用紙をにらんでいるのは、まことにばかばかしいような気がしないでもないが、そういうことが私にはしばしば起こるので、つくづく閉口している次第だ(澁澤龍彦)。◆‥たかだか五枚六枚の随筆の中にも、私の思ふことを全部叩き込みたいと力むのである。それは、できない事らしい。私はいつも失敗する(太宰治)。

印象的な引用文がレイアウトされた裏表紙と見返し

 ◆‥原稿用紙に向つても、煙草を吸ふとか、湯茶を飲むとか、小用に立つとか、十分二十分置きぐらゐにいろいろな合いの手が這入る。さう云ふ風にして一息入れては気を変へないと、思考を集注することが出来ない(谷崎潤一郎)。◆‥私の酒は眠る薬の代用品で、たまらない不味を覚悟で飲んでいるのだから、休養とか愉しみというものではない。私にとっては眠る方が酒よりも愉しいのである。しかし、仕事の〆切に間があって、まだ睡眠をとってもかまわぬという時に、かえって眠れない。ところが、忙しい時には、ねむい(坂口安吾)。
 ◆‥そもそも作家なんてものは、かっこいい日常をすごしてはいないのだ。出版パーティなんかの写真を見て、うらやましいような気分になる人もあろうが、あれはわずかな時間の仮の姿。ぐだぐだなんて形容詞があるかどうかは知らないが、大部分はそんな感じで日をすごしている(星新一)。◆‥小説というものは、締切日を迎えて、ストーリィがすらすらと脳裡にうかぶというのは、まず二、三割の確立だと考えて頂きたい(柴田錬三郎)。

 ◆‥「地獄だな」。何度も自分でつぶやいて、また歩きはじめる。小説という仕事は、だれに相談するわけにもいかないのである(源氏鶏太)。◆‥締切から逃げるわけではないけれど、つい、引き受けて手に余る原稿をなんとかこなすために、また、書かねばならぬとわかっていながら、ひょこっと飲み、飲んだが最後どうでもよくなる酒を断ったため、怪我することを潜在的にのぞんでいるのではないか(野坂昭如)。
 ◆‥原稿のかけない心配がじりじりとつめよせて来た。約束をしても無理に創作を生み出さうとするのはいやなものだ(武者小路実篤)。◆‥正直な話、私は毎日イヤイヤながら仕事をしているのである。三日も書かぬと体がうずうずしてくるといった友人がいた。そのような感じを今日まで自分が持ったろうかと、胸に手を当てて考えてみるが、あまりないようだ。ずい分長い間、毎日、イヤイヤながら仕事をする状態が続いてきたように思える。そのくせ、仕事のことは朝から晩まで重苦しく頭にひっかかっていて、ふっ切れたことがない。正月の餅が腹の中で消化しきれず、重苦しいあの感じである(遠藤周作)。

色付きの紙に印刷された漫画ページ
岡崎京子(左上)水木しげる(右上)藤子不二雄A(左下)江口寿史(右下)

 ◆‥吉行淳之介「締切に追っかけられる突飛な夢は見たことないですか」、筒井康隆「そりゃもう、いっぱいです」。◆‥この道に入ってからの私は、めったに「約束」ができなくなった。いや、しなくなった(池波正太郎)。
 ◆‥もの書きくらいエネルギーの費消の少ない職業はないようだけれども、実際にはこれほど執拗かつ淫靡な肉体的苦痛を伴う仕事も珍しいのではないだろうか(宮尾登美子)。◆‥睡眠不足でさっぱり能率が上がりません。ほんとうに申し訳ありません。ここで数時間、仮眠をとらせていただけませんでしょうか。あと六枚、なんとか本日の夜まで仕上げます(井上ひさし)。◆‥多分に精神的な問題であろうけれども、どうしてもここ二三日徹夜しなければ雑誌社が困るという最後の瀬戸際へきて、眠たさが目立って自覚されるのである(坂口安吾)。
 ◆読者諸君! 実はまことに申しわけないことながら、ここまで、第1章を書きおわったところで、私(作者)の頭脳は、完全にカラッポになってしまったのです。二十余年間の作家生活で、こういう具合に大きな壁にぶつかり、脳裡が痴呆のごとくなって、どんなにのたうっても、全くなんのイマジネーションも生まれて来ないことは、これまで無数にありました。そうした場合、ペンを投げすてて銀座へ出かけて、酒場で無駄な時間をつぶしたり、ゴルフへ出かけたり、ホテルを転々として気分を変えて、なんとか締切ギリギリで原稿を間に合せていたのですが、こんどばかりはニッチもサッチもいかなくなり、ついに、こんなぶざまな弁解をしなくてはならなくなったのです(柴田錬三郎)。

本に収録されている付録(番付表と締切意識度チェック)

 ◆‥小説、どうしても書けない。君の多年に亙(わた)る誠意と、個人的なぼくへの鞭撻やら何やら、あらゆる好意に対しては、おわびすべき辞(ことば)がないけれど、かんにんしてくれ給へ(吉川英治)。◆‥‥金が無い。書けない。童話を書き始めたがだめ。明日やる。昼麦酒を呑んだ。もう呑まぬ。本当に呑まぬ。明日からやる(山本周五郎)。◆‥どうしても書けぬ。あやまりに文芸春秋社に行く(高見順)。
 ◆‥昨日東京へ帰つて参りました。新潮の作は書けませんでした。〆切が五日のところを、十五日迄延ばしたのですが、とうてい書く気が出ず上京して断りました。大へん心苦しいことだつたです。そのため大阪でもなにも出来ずあなたにも会いそびれてしまひました(梶井基次郎)。◆‥書くことはいろいろあるはずなのに、あいにくなことに、ぽくは今軽い病気にかかってゐる。失語症といいふやつだよ。ぼくはときどきこいつに見舞はれる。げんに、雑誌の締切を明日にひかへて、連載小説の原稿がたつた九枚しか書けてゐない。書くこと一般がどうもめんどうだね(石川淳)。
 ◆‥小説を書きだしてから、ずいぶん長い歳月があったような気がするが、進歩したという自信はない(遠藤周作)。◆‥私のペンは真実な出来事でなければ書けなくなったのではないでしょうか。心にもない作り事を書きまわすのが、ほんとうにイヤになったのではないでしょうか(夢野久作)。

原稿が書けないことを詫びる吉川英治の手紙
原稿を依頼した河上という人物に向けて謝罪が綴られている。また、老いた作家の弱音が綴られた文章も。

高見順の日記

 ◆‥書くのが商売なのだから仕方がないようなものの、余り書かされているばかりいると、時々何のために自分がそんな目に会わなければならないのか、解らなくなることがある(吉田健一)。◆‥私は今までもあまり書かなかったほうであるが、これからも書けるとは思えない。それに今まで頼まれた文債が、かなりたまっている。このうえ頼まれることは、償還できない負債をいよいよ多く背負い込むようなもので、私にとってはますます苦労の種を増すことになるばかりでなく、第一、依頼者に対してまことに申し訳ないしだいであるから、ここらで一つくぎりをつけて、未済の文債をいくらかすこしずつでも、小口からなしくずしてゆこうと思っているのである(山本有三)。
 ◆‥締切りというのは一体何だろうか。私はこの締切りという言葉が嫌いだ。私は出来るだけ締切りという言葉をつかわないようにしている。締切りという言葉にいまいましさを感じるためだろうか(野間宏)。◆‥「そうですか。字が少々乱暴なぐらいはけっこうです。じゃ、これからもらいに行きますから」「まってくれ、やっぱり書きなおした方がいいと思うんですよ」。こんなときには、もう電話口でしゃへりながら、カッと頭に血が上って髪の毛が二、三十本、いちどに脱けそうな感じである。そして自分はどうしてもっと早く仕事にとりかからなかったのだろう、などとしきりに後悔する(安岡章太郎)。
 ◆‥まことに世は〆切である(山本夏彦)。◆‥義務として、書くのである(太宰治)。◆‥片手に原稿、心に締切り、唇に大便、背中にピーター(筒井康隆)。◆‥もう二度と〆切には追われたくないと考えている(池波正太郎)。

締切に間に合わなかったことへの謝罪文

 編集者についての文章も痛快だ。切々たる訴えがある。とことん編集者を信用していないことがよくわかる。
 ◆‥深沢七郎「編集者ってのは、何も用はないです、てなこと言って、来るでしょう。それでいつのまにか、締め切りですって言われるからね。あの手にのらないように、最初に何のご用ですかって訊くんだよ」。色川武大「締め切りは本当に心臓に悪いものなあ」。深沢七郎「編集者が、いいですねえ、こんどのはっていうのは、あれはみんな嘘っぱちね」。色川武大「文芸誌は不定期でいいんじやないかと思うね」。深沢七郎「締め切りは止めたらどうでしょうね。締め切りは作者に任してもらえばいい」。
 ◆‥そんな屁リクツをこねている間に、ますます仕事をするための時間はへって行くわけで、おまけに多少とも立派なくちを編集者に向かってきいただけに、自分みずから妥協点の水準をムリヤリにでも引き上げざるを得なくなる(安岡章太郎)。◆‥朝。文春の山本君来宅。その案内で築地の「清水」へ行く。カンヅメである。カンヅメなるものを非難拒否していたが、やむにやまれずカンヅメされることを受諾した(高見順)。◆‥この年になっても、まだカンヅメになっている。そろそろ正業にもどってもいい頃ではないのか(五木寛之)。
 ◆‥なぜ作家は好きこのんで「缶詰」になるのか。それは作家が仕事をしたがらない動物だからである(高橋源一郎)。◆‥編集者仲間では、ぼくのことを陰で、手塚おそ虫、手塚うそ虫とか呼んだ。本郷の旅館にカンヅメになったときなど、他社の編集者が、刑事の真似をしたことがある。編集者どうしの、ぼくをめぐっての喧嘩などザラで、みんな手塚担当と聞くと、女房子供と水盃をして来るという噂が飛ぶくらい悪評が高かった(手塚治虫)。◆‥ホテルに缶詰にしても書かないのだから、「名前だけ貸してくれればぼくが書きます」と言ってしまう。◆‥私においては、かんづめは心身ともに猛烈な苦痛を伴い、耐え切れなくなってひそかに脱走すること、たびたびである(宮尾登美子)。

野坂昭如の手書き原稿

松尾豊(AI研究者)の締切に関する論文
「なぜ私たちはいつも締切に追われるのか」という永遠の課題を、数式を交えながら大真面目に分析している

 ◆‥〆切が迫っても捗(はか)の行かない時には、作家の頭はのぼせ上がり、編集者の顔は歪むのである(上林暁)。◆‥締切日がくると自信喪失の極に達し、たいてい編集者に「次号まわしにしてください」「殺してください」などと申し出る。編集者のほとんどがこの場合「どうぞ」とか「では殺ってあげますか」とか言わない。これは賢明なことである。この病気はとにかく書かなければ治らないからだ(井上ひさし)。◆‥とにかく作家の言うことは信じられない。わたしが保証する(高橋源一郎)。
 ◆‥編集者の経済生活までおびやかす権利は著者にない(高田宏)。◆‥高田宏は若いときある高圧的な態度をする筆者に怒りを覚えた。その日の口惜しさがわすれられなかった。そして彼は、後年、その筆者が死んだというニュースをテレビで見たとき思わず「ザマアミロ」と言ったという。私も死んだらどこかの編集者に「ザマアミロ」と言われるのだろうか(川本三郎)。◆‥我慢は、ずいぶんした。小さな我慢を数え上げたらキリがない。編集者は我慢をするのが商売のようなものだ(高田宏)。◆‥多くの編集者の友が死んだ。ほとんどロクな死に方ではない。ムリして死んでいる。他の業界なら死ななくてすむのに死んでいる。殉職といえばそれまでだが、編集者は同業の死のなかに見ずからを投影してこの稼業の無常を知る。いまどき因果な商売ではないか(嵐山光三郎)。
 ◆‥酒が入ると、編集者は「締切り過ぎてやっと小説をとった時の醍醐味は、何にも換えられないな」と、私が傍らにいるのも忘れて感きわまったように言う。その言葉のひびきには、締切りが過ぎてようやく小説を渡す作家に対する深い畏敬の念がこめられている。そのようにして書き上げた作品は傑作という趣きがある。となると、締切り日前に書いたものを渡す私などは、編集者の喜びを取り上げ、さらに作品の質が低いと判断されていることになる(吉村昭)。

特徴的なチャプター・レイアウトの見出し

 ◆‥文芸春秋社が、およそ編集者らしくない人材を、ことさら採用しはじめたのはいつ頃からだろう。私の感じに間違いがなければ、多分「週刊文春」の創刊をみた翌年あたりではなかったかと思う(五味康祐)。◆‥編集長さまがたの子分は、大学を卒業されても、幼稚園を卒業されても同じくらいのオツムではございますまいか。学校を卒業されて次の日には一人前になれるなら、まったくうらやましいご職業で、それでは素人衆と同じではないかと思いますが、いかがなものでございましょう(深沢七郎)。
 ◆‥野坂昭如は「逃亡」の常習犯だった。担当編集者なら、だれもがいくつかはエピソードを持っているはずだ。ある編集者は、カンヅメにしている施設の入り口に野坂が履いてきた下駄が並んでいたので、安心して部屋を覗きにいったところ、その姿は煙のように消えていたと話す。野坂は下駄を置いたまま、つまり裸足で逃亡したのだ(校條剛)。
 ◆‥「遅れるときでも、正直に状況だけでも教えてもらえると、こちらは安心するんです」。編集者たちはよくそう云うけれど、本当なのか。「全然手をつけていなく、書ける気がしなく、何からやっていいかわからなく、吐きそうなんです」なんてメールを貰っても困るんじゃないか(穂村弘)。◆‥なお、この原稿は大幅に締切を遅れて編集部に送られた。来週はもっと遅れるだろうが、私も魚釣りに行ったり、自宅で踊りながら屁をこいたりしなければならないという自己都合がある点を、編集の人は御理解ください。よろしくお願いします(町田康)。

『〆切本2』の奥付
当初予定していた刊行日を大幅にズレたことへの自戒を込めて、上下反転させている

⊕ 〆切本 ⊕

∈ 編者:左右編集部
∈ 発行者:小柳学
∈ 発行所:株式会社左右社
∈ 装幀:鈴木千佳子
∈ 印刷・製本:創栄図書印刷株式会社
⊂ 2016年9月20日発行

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ 目次
∈ I章 書けぬ、どうしても書けぬ
∈ II章 敵か、味方か? 編集者
∈ III章 〆切りなんかこわくない
∈ IV章 〆切の効能・効果
∈ V章 人生とは、〆切である
∈∈ 著者紹介・出典
∈∈『文章読本』発売遅延に就いて 谷崎潤一郎

⊕ 〆切本 2 ⊕

∈ 編者:左右編集部
∈ 発行者:小柳学
∈ 発行所:株式会社左右社
∈ 装幀:鈴木千佳子
∈ 印刷・製本:創栄図書印刷株式会社
⊂ 2017年10月30日発行

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ 目次
∈ I章 今に死ぬ、どうしても書けぬ
∈ II章 編集者はつらいよ
∈ III章 〆切タイムスリップ
∈ IV章 助けておくれよ、家族
∈ V章 〆切幻覚作用
∈ VI章 それでも〆切はやってくる
∈ X章 〆切の刑
∈∈ 著者紹介・出典
∈∈ 〆切のない世界 堀道広