才事記

魔女の1ダース

米原万里

読売新聞社 1996

 この人の第1エッセイ『不実な美女か貞淑な醜女か』がいかにすぐれものであるかは、ぼくが『知の編集術』の冒頭にとりあげて誉めそやしたので、知っている人も少なくないだろう。ぼくのこの本が売れたとすれば(ありがたいことに売れつつあるが)、米原万里を引用したおかげなのである。
 それほどこの人の本は、旨い。料理が旨いという意味で、おいしいのだ。米原さんはロシア語の専門で、そのためわれわれがちょっとやそっとでは伺い知れぬ彼の国の社会事情や文化のクセを知っている。むろんロシア人のジョークも詳しいし、かれらの笑わせどころも知っている。
 しかし、それだけならロシア関係者やロシア研究者であれば、米原さんのような味の本がある程度は書けるということになるはずなのだが、これが米原さんしかできない味付けなのだ。

 たとえば本書の第2章には「言葉が先か、概念が先か」というイミシンな1章がある。何がイミシンかというと、“編集工学”と同じ課題を扱っている。「意味」に対する重要なアプローチ・ポイントと同じ視点なのである。
 ここに、赤いおいしそうな果物があったとして、それをリンゴというかトマトというかは、それらがトマトあるいはリンゴであるという「記号としての言葉」を知っているとともに、トマトとリンゴを概念としても把握している必要がある。ここで概念といっているのは、それがないと生活や思考が進まないものをいう。それがわからないと、トマトとリンゴならまだいいとしても、たとえば「首都決戦」とか「もののあはれ」とか「ラップ」という意味は説明できない。
 問題はそれがさらに外国語であるばあいで、米原さんがロシア人のVIPを奈良のラブホテルに案内したときの例でいえば、日本人がそこをラブホテルと発音した文字通りの直訳的な説明をしたところで、ロシアにラブホテルにあたる概念がないかぎりは、ちっとも伝わらない。おまけに、そのラブホテルはべらぼうに豪華なもの、ルネッサンス風というか、豪華ヨット風というか、何から何までついている代物だった。こういうときは、ルネッサンスがどーのこーのといった記号的な言葉をつないで説明すればするほど、かえって混乱が拡大するばかり。案の定、同じ人物を次の日に東京の全日空ホテルに案内したときは、「ここは奈良のホテルにくらべて質素ですね」と言われてしまったらしい。

 こういうとき、米原さんは「言葉」と「概念」のあいだを猛烈に移動するわけなのだ。そこに無造作に投げ出された言葉を素材に、その奥にひそむ「意味」を、氏も育ちもちがう2国間の人間の得心をもたらすため、涙ぐましい努力をする。
 そしてここからが肝心な話だが、そういうことをいつもしていると、実はロシア語と日本語のあいだには言葉にならない概念の先触れみたいな気体か液体なようなものが、ふわふわ飛び交うのが見えてくるらしい。これはまさにイミシンで、編集工学的である。編集もこのふわふわを相手に仕事をしているといってよいからだ。
 米原さんはそういう本質的で、かつアクロバティックなことをしている職人である。しかも、その本質的なこととアクロバティックなことを調味の塩梅のごとくに両使いして、エッセイも綴る。それでめちゃくちゃおいしい本になるわけなのだ。はたして一冊目は読売文学賞を、この2冊目は講談社エッセイ賞を受賞した。

 通訳者がふつうはめったに体験できない異文化コミュニケーションの秘密やカラクリや勇気を知っていることは、ぼくも承知してきた。ぼく自身も同時通訳者のグループの“面倒”を見る機会に恵まれたからだ。
 あれは1975年くらいのことだったとおもうが、当時、日本ブリタニカの出版部にいた木幡和枝から、「同時通訳の会社をつくりたいのでリーダーになってくれ」と言われた。リーダーとはおこがましい。通訳のリーダーはとんでもないことだし、マネジメントを引き受けるのは、もっとお門ちがいだ。そこであれこれ理由をつけて断ったのだが、彼女のいうには、「意味の世界」をもっている人のもとでグループをつくりたいと言うのである。それが同時通訳者には、どうしても必要なのだということだった。
 これで折れて、「フォーラム・インターナショナル」という通訳会社がめでたく誕生し、それが7年ほど続くことになった。そのあいだ、ぼくはさまざまな現場を見聞し、異文化コミュニケーションの真骨頂の一端を味わった。
 だから米原さんの苦労がわかるというより、その水際立った鋭さと温かさがわかるのだ。

 本書はロシア人の理解のためにも、ちょっと得難い1冊になっている。ロシアがだんだん好きにもなってくる。
 そこで、おまけにロシア人の好きなジョークを米原さんに倣って紹介しておくことにする。このジョークを読んでいると、彼女がいかついエリツィンたちを前に、かれらに一杯食わせてほくそ笑んでいる姿が見えてくる。ちょっと“編集”しておいた。ぼくだって職人ですからね。
 ゴルバチョフが死んで地獄に落ちた。門番はニヤリと笑って「あなたも罰をうける時がきた」と言う。そこでどんな罰があるのかと地獄をツァーしてみると、なるほどレーニンは針の山でもがき、スターリンは釜ゆでされ、フルシチョフは鉄球を引きずっている。ところがエリツィンはマリリン・モンローと抱き合っている。ゴルバチョフはうれしさを押し隠し、「私もこの罰でいい」と言った。ところが門番は「そりゃダメです」とニベもない。訝かるゴルバチョフに、門番は言った、「あれはエリツィンではなく、マリリン・モンローが受けている罰なんですから」。