父の先見
無対象の世界
中央公論美術出版 バウハウス叢書11 1992
Kasimir Malewitsch
Die Gegenstandslose Welt 1927
[訳]五十嵐利治
そのことを知ったのがいつだったかは、正確に何年何月とは言えなくなっているが、マレーヴィチのシュプレマティズムを知ったときはむちゃくちゃ衝撃をうけた。
シュプレマティズムの作品集を銀座イエナで見たのである。イエナに通っていたのは、父が死んで銀座と虎ノ門のMACに勤めていたころだから、そのころなら25歳前後のことだろう。
まいった。北園克衛の詩を読んでいなかったら、失神していたかもしれない。これは未来派やバウハウスどころではないと思った。その後になって、マレーヴィチの語録にちらちら出会うにおよんでから、今度はものすごく考えさせられた。戸惑いもした。
いずれにしても、マレーヴィチの絵は「世界で最も退屈な絵画」ではなかったのだ。
シュプレマティズム(スプレマチズム)は造形芸術における極めて純粋な感覚の絶対性のことである。
感覚の絶対性だけを描くこと、それがシュプレマティズムの理念だった。そういうシュプレマティズムからすると、自然の諸現象からさまざまな印象をうけとって、これをあれこれ表現することは、まったく無意味にすらなってくる。自然や世界がたんに無意味だというのではなく、そこに適当な意味を付与することが自然を掴まえたことにはならないというのだ。
そこで「何も加えない、何も引かない」という方法をマレーヴィチは考えた。考えたどころではない。まさにこういう言葉は矛盾しているが、激越な無念無想をやってのけたのだ。
こうして、マレーヴィチが芸術を対象的なもののバラストから解き放とうと「死にものぐるいの努力で」(と、本人が書いているの
だが)、正方形に活路を求めようと決意したのは1913年のことである。このとき白い地に黒い正方形だけを描いて出品した。
その後、マレーヴィチはこの芸術哲学を教育に傾注する。1918年にはモスクワの第一自由芸術工房スヴォマスで、1919年にはヴィテプスクの国立自由芸術工房でも、1920年には自由芸術工房ヴフテマスで、その革命的な思想が伝授された。
織物工房もつくった。縦糸と横糸だけでできている織物はシュプレマティズムに近い感度をもっていたからだ。こうしたプロセスのなかで、レーニンのロシア革命が劇的に進行していった。
マレーヴィチのシュプレマティズムの全貌が姿をあらわしたのは1927年の大ベルリン美術展である。
まさに全員が腰を抜かした。
なにしろそこには「白の中の白」「白の中の黒」「黒の中の黒」しか提示されていなかったからだ。これはカンディンスキーの抽象をこえていたし、クレーの自由をはるかにあしらっていた。失神した者はいなかったろうが、言葉を失った者、唸った者、困惑した者、何かを説明しようとして内にこもってしまった者、そして絶賛した者、冷笑した者、罵倒した者、まさに賛否両論というより、震撼たるセンセーションだったのだ。
ぼくはどうだったかというと、むろん美術史の順に美術作品を見ているわけではないから、この時期にマレーヴィチがいたということ、すなわち構成主義や表現主義や未来派や、キュビズム、ピュリスム、シュルレアリスム、ダダが林立するなかでシュプレマティズムが登場していたことが、まず驚きだったのだが、次にはすぐさま惚れ抜いた。
何事であれ、このくらい徹して思考したものには、ぼくはつねに敬意を払ってきた。だいたいぼくはカンディンスキーもクレーも、ジャコメッティもフォンタナも、あのような「徹底」が好きなのである。しかしマレーヴィチの「徹底」はもはやこれ以上の進展がないという際限をめざしたもので、いわば究極というものだった。しかもマレーヴィチは「思考と作品の一致」という難題にさえ突入していた。
ふつうはこういうことはしないものである。それだけに、その心情察するところあまりあるものがあった。
しかし、マレーヴィチを咀嚼するには時間がかかった。本書を読むまではマレーヴィチの言葉が断片でしか紹介されてこなかったせいもある。
だから最初は、たとえば「私はフォルム・ゼロにおいて変貌を遂げ、アカデミックな芸術の掃き溜めから私自身を引き上げた」という、シュプレマティズム宣言の意味がわからなかった。「フォルムが無から出発する」とはどういうことなのか。フォルムをなくすのではなく、フォルムを無によってつくる?
やがて、こういう断片の文章にぶつかった。「ミロのヴィーナスはその堕落を如実に示す一例である。この作品は現実の女性ではなく、パロディなのだ」。うんうん、パロディね。これならなんとなく意味が伝わってくる。ついで、「ミケランジェロのダヴィデ像は醜悪である。その頭部と胴体は、まるで相容れない二つのフォルムを貼りあわせてあるかのようである。幻想的な頭部とリアルな胴体とを」。
ミケランジェロのダビデをこれほどくそみそに言った文章は前代未聞であるが、しだいにマレーヴィチのいうフォルムの意味が見えてきた。何かが読めてきた。
そして、こうである。「絵画を絵画たらしめているものは、色彩とファクトゥーラであり、これこそが絵画の本質である。しかし、この本質はつねにテーマによって損なわれてきた」。
テーマが絵画を壊している。そうか、なるほど、テーマは不要なのである。これがマレーヴィチの旧美術界に贈る決定的な袂別の言葉なのだ。ぼくはこのあたりでやっとマレーヴィチの意図を把んだようだった。
ちなみにフォクトゥーラはマレーヴィチらの当時の前衛美術家たちが好んでつかった用語で、もともとは画肌(テクスチュア)のこ
とだが、絵そのものが発揮しているぎりぎりのメッセージのことをさしている。
さて、本書『無対象の世界』は、これまでのあらゆる美術論・芸術論のなかで最もストイックなものだったろう。
しかし、これほどに自分の美術観念や芸術論思考を洗浄し、浄化してくれた一冊も珍しい。美術の宿便が出る。ただしそのかわり、本書を安易に読んでしまうということは、もはや芸術表現の衝動などおこらなくなってもいいですねということでもある。そこを覚悟させる一冊なのである。
マレーヴィチが「無」の哲学者であることはまちがいがない。それもはなはだ東洋的である。しかしながら、その「無」は動ききったのちに静まりかえっていく無対象の無というもので、無という存在ではなく、存在という無なのである。
このあたりのこと、ジャン・ポール・サルトルの『存在と無』をどう読むかということともに、われわれにぶつけられたままになっている問題であろう。