西平直
世阿弥の稽古哲学
東京大学出版会 2009
ISBN:4130101137
編集:宗司光治 装幀:矢野静明
世阿弥は「型」と「稽古」を重んじた。
二曲三体を指定して、我見と離見を組み合わせ、
「時分の花」と「離見の見」によって
芸能のあれこれを深々と指南した。
そこに無文と有文が区別され、
一調・二機・三声が生じ、
驚くべき「却来」という方法が萌芽した。
これら、ことごとく編集工学のヒントになっている。
今夜は久々に世阿弥の伝書を透かせて
「能は編集されていた」ことを示唆しておきたい。
けだし能というもの、次のようになっている。
型を守って型に就き、型を破って型を出て、
型を離れて型を生む。

 [花伝書]の序に「稽古は強かれ、情識は流れとあれ」とある。「年来稽古条々」には、24、5歳のころの稽古について「一期の芸能のさだまる初めなり。さるほどに稽古のさかひなり」とある。

 稽古とは何か。字義通りには「古(いにしえ)を稽(かんが)える」ということである。「古」に学ぶこと、それが稽古だ。もとより世阿弥が最も重視した。[花伝書]には「年来稽古条々」「物学条々」「問答条々」という条々三篇とよばれる章句があるのだが、稽古条々はその第一にあげられた。

 イシス編集学校(佐々木千佳局長)をつくるとき、そのカリキュラムの実践をしてもらうことを思いきって「編集稽古」と名付けた。この名を思いついたのは工作舎で「遊」を編集していたころだが、実際に公表したのは2000年1月に刊行した『知の編集術』(講談社現代新書)を書いたときだった。
 その一冊中に「編集稽古」の名を冠したエディトリアル・エクササイズを28番ぶん入れておいたことがきっかけになっている。

イシス編集学校の学校パンフレット【ダウンロード(4.7MB)】

 それまでエディトリアル・エクササイズは約10年ほどをかけて、100前後のものを工夫していた。それらはたいていはリアルな場でのグループ・エクササイズで、ゲーム感覚もとりいれていた。
 イシス編集学校はネット上の学校なので、それはしにくい。そこでリテラルなエクササイズとして“お題”が際立つ編集稽古を導入した。編集術の「型」を稽古できるようにしたわけだ。

 編集学校での編集稽古は師範代が対応する。指導でありコーチングだが、これをぼくは「指南」と名付けた。理解、暗示、示唆、誘導、教唆、提示を含めるためだ。
 その師範代になるにはISIS花伝所(田中晶子所長)をネット学習とリアル交流で7週間ほど体験し、これを合格しなければならない。師範代を何期か経験すると、師範になれる。すでに420人の師範代が教えている。
 花伝所の名は世阿弥(118夜)の[花伝書]に肖(あやか)った。もっとも[花伝書]は通称で、もともとは[花傳]あるいは[風姿花傳]といった。

イシス編集学校「ISIS花伝所」ポスター

 今夜は西平直の『世阿弥の稽古哲学』をとりあげて、世阿弥がどのように型と稽古を組み立てたのか、そのことをぼくはどのように解釈して編集の仕事にとりいれたのかということを、ふりかえっておこうと思っている。
 西平は本書において、井筒俊彦が東洋哲学の奥に「共時的構造化」が動いているのをつきとめたことにヒントを得て(井筒『意識と本質』)、世阿弥の伝書をくまなく当たりながら、稽古の背景と本質に迫った。井筒については、そのうち千夜千冊したい。

世阿弥筆『風姿花傳』花伝第六花修

井筒俊彦『意識と本質』岩波書店(左)
井筒俊彦『意識の形而上学』中央公論社(右)

 日本の古典芸能では、稽古は型を学ぶものと決まっている。これを疑う者はいないだろう。ところが実は、能の「曲」には型がない。型があるのは「節」(ふし)なのである。節が型なのだ。ここに世阿弥の稽古哲学のキモがある。
 世阿弥は稽古とともに「物学」(ものまね)を重視した。それはひたすら節をまねて、そのうえで自在に曲をあらわすことだった。節が型で、曲が心なのである。「節は形木、曲は心なり」[音曲口伝]。

 世阿弥は「型」という言葉もつかっていない。もっぱら「形木」(かたぎ・ぎょうぎ)という言い方をした。形木は大工や職人が使う木製のテンプレート(鋳型)のことだ。しかし周知のように、その後の能楽界はそれを「型」と呼んだ。能はつねに型の稽古から始まってきた。

 「古」が「型」なのである。そこには共時的構造がある。[五音曲条々]には「その形木に入りふして習得すべし」とある。稽古の基本はまずは型に入ることなのである。

 型はスタティックなものではない。また、この型とあの型とは截然と分かれてはいない。分かれもしない。昭和の世阿弥こと観世寿夫(1306夜)が説明したように、能を演ずるとは型と型をいかにつなぐかということであり、型から型への変化をどう連続させるかなのである。

ISIS花伝所を放伝して、多くの師範代が育っていった。

花伝所を放伝したものに渡される師範代認定証。

指南を全うした花伝師範に贈られる花伝扇

 世阿弥は習得者たちに型と稽古を意識させるようにした。「稽古は勧急(緩急)なり」[花鏡]で、この緩急をもって進む意識のことを「用心」とみなした。意識するとは用心することなのだ。意識そのもののことについては「智」とも「我見」とも「意」とも称んだ。

 世阿弥にとって、意識とは「意識が向かうところ」「その先」だった。習得者たちは「用心のその先」に注意を向けるべきなのだ。

 編集工学の稽古にとって、これがヒントになった。「用心のその先」とは、心身のどこかにひそむ“注意のカーソル”が外の何かに向かっていくことなのだ。

 稽古は、“注意のカーソル”が心身の中のどこをどのように動くかを徹底して確認するためにある。その緩急の確認には、まさに型が必要だった。その型の前後で用心が動くべきなのである。「智外に非のあらんことを、定心に用心すべし」[遊楽習道風見]。

「未」用心と「無」用心(本書より)

 稽古は「物学」(ものまね)から入る。ミメーシスだ。ミミクリーである。模倣である。これを世阿弥は「似する」とも言った。ガブリエル・タルドの『模倣の法則』(1318夜)を参照してほしい。

 世阿弥自身は、似する(まねる)のは師匠に学んでからにしなさいと言った。「至りたる上手(じょうず)の能をば、師によく習ひては似すべし。習はでは似すべからず」[花鏡]。
 勝手にまねるのは歳に応じて任意でもいいけれど、本気でまねたいのなら必ずや師について稽古をしてからにしなさいというのだ。

 世阿弥が芸のあれこれを指南していることは、ぼくからすると、編集の仕事にかなりあてはまる。編集だって知の芸事であるからだ。

 世阿弥は芸を「有文」(ゆうもん)と「無文」(むもん)に分けた。文(あや・彩・綾)をあらわす「有文」の芸と、アヤのない「無文」の芸である。

 編集工学もアヤをよく知る必要がある。古代ギリシアの表現力、古代ローマの文章や演説のレトリック(修辞法)はむろんのこと(1020夜)、漢詩や万葉などもアヤによって成り立っていた。そうでなければ、漢詩の韻、万葉の枕詞、係り結びなど生まれもしなかった。
 その方法はギリシア・ローマの古典の技法でいえば「アロナロギア・ミメーシス・パロディア」にあたる。畢竟、世界のどんな文芸も芸能も有文を核として発展してきた。

イシス編集学校の卒業イベント「感門之盟」

イシス編集学校10周年記念「感門之盟」での記念撮影(2010)

 文意や文脈はむろんアヤだけでは成り立たない。アヤの奥には多くの言葉と意味のうごめきがあり、多様な状況判断も加わっていく。
 世阿弥よりずっとのちのことになるが、本居宣長(992夜)は、言葉の意味と用法に「ただの詞」と「あやある詞」があって、「ただの詞」は「ことはり」(理)に必要だと言った。世阿弥も芸能には「まことの花」が必要だと言った。
 ちなみに尼ヶ崎彬は『花鳥の使』(1089夜)のなかで、タダとアヤをくっつけているのが型だと見極めた。無文と有文は不即不離なのである。

 能楽では、有文と無文によって稽古の仕方が分かれる。芸の習得者は稽古を積むにあたっては、まずは有文を磨き、そのうえで無文に至るべきでなのある。

 無文には幼い者が演じるときの「訳知らずの無文」やビキナーズ・ラックともいうべき「不覚の無文」がある。また「有文を極めすぎたる無文」[風曲集]もある。
 世阿弥はそれらを超えて、真に「まこと」に達した芸には「さびさびとしたるうちに、何とやらん感心のあるところ」[花鏡]が生まれると見た。これがいわゆる「冷えたる曲」である。世阿弥と同時代の心敬(1219夜)の「冷えさび」に通じる。

「有文」と「無文」の関係(本書より)

 能は言葉だけでできてはいない。体も同時に動く。これはフリというものだ。所作ともいう。古今東西の多くのダンスアートやパフォーミングアートと同様に、このフリや所作には「見る」と「見られる」の関係が生じる。
 世阿弥はこれを「見」(けん)と言った。そして見についてもさまざまな見方があることを説いた。たとえば[花鏡]には、こう書いた。「舞に目前心後(もくぜんしんご)といふことあり。目を前に見て、心を後ろに置けとなり。これは以前申しつる舞智風体の用心なり。見所より見るところの風姿は、わが離見なり。しかれば、わが目の見るところは我見なり。離見の見にてみるところは、すなはち見所同心の見なり」と。

 舞い手はどこを見ればいいのか。どこを感じていればいいのか。どこを見せればいいのか。
 見所(けんじょ)とは観客のいるところだ。我見(がけん)とは舞い手が実際に見ているものやことをいう。これに対して離見(りけん)とは自分から離れていく見方をいう。

 舞い手は、目を前のほうに見すえつつも、心を後ろのほうに置くという「目前心後」を心掛ける。こうしてここに「見所同心」という風体と心境が生まれる。フリや所作もそういう風体になる。
 これこそが「離見の見」なのである。イシス編集学校では、世界読書の奥義を通して「離見の見」を求める「離」(り)というコースをもうけた。

松岡正剛直伝の世界読書奥義伝「離」ポスター

 かつてレヴィ=ストロース(317夜)が「離見の見」というコンセプトに魅せられて“Le Regard Éloirne”という本を書いた。日本では『はるかなる視線』(みすず書房)と訳されたが、これは違訳だった。
 「離見の見」はたんに自分を離れることではなく、「他者のまなざしを、わがものとする」ということであり、さらには「わが心を、われにも隠す」ということなのだ。

 さてところで、能を見る者には「目利き」と「目利かず」がいる。目利きは下手な芸を好まない。目利かずは上手を好まず、下手な芸や粗野な芸をよろこぶ。世阿弥はそういう下手な芸を「非風」と名付けた。
 いまでも芸能界やお笑いタレントたちの下手くそな芸をよろこぶのは、テレビを見ていればすぐわかる。イラスト業界では「へたうま」さえもてはやされた。当初、世阿弥を悩ませたのは、この目利かずがよろこぶ非風をいったいどうするかということだった。

 目利かずを惹きつけてこそ、名手であろう。それなら下手な芸(非風)も稽古する必要があるのだろうか。いや、そうではあるまい。世阿弥は「是風」が非風を抱きこむべきだと考えたのである。それをずばり、「却来」(きゃくらい)といった。

能楽図屏風 六曲一隻(部分)

 却来は禅語である。禅林では「ぎゃらい」と読む。自身が悟りを得るだけでなく、その得たものをもって俗世におりて人々を悟りに誘う覚悟をすること、それが却来(ぎゃらい)だ。仏教的には菩薩道に近い。
 世阿弥は却来(きゃくらい)を禅語よりもかなり柔らかくとらえた。芸を究めた者がすうっと下におりることを意味した。編集工学を究めようとしてきたぼくにとって、却来はすばらしい方法の魂を暗示してくれた。

 かくして万端の準備をあらかた了えた世阿弥は、推挙すべき稽古の順に独自な組み立てをしていった。最初は中くらいの芸の稽古から入って、やがて上位に達し、そのうえで最後に下位の芸を習得するという方法だった。
 これによって是風が非風を包みこめることを示した。また、そのような気持ちになれることを「衆人愛嬌」といった。

 芸そのものに「位」(くらい=芸位)もつけた。仏道のプログラム九品(くほん)に倣って九位に分けた。
 あまりうまいネーミングではないけれど、上三位が妙花風、寵深花風(ちょうしんかふう)、閑花風(かんかふう)。中三位が正花風(しょうかふう)あるいは有主風、広精風(こうしょうふう)、浅文風(せんもんふう)。下三位が強細風(ごうさいふう)、強麁風(ごうそふう)、麁鉛風(そえんふう)、というふうになる。
 このうちの広精風が「三体」に当たり、浅文風が「二曲」に当たる。しばしば二曲三体といわれる。稽古はこの中位の二曲三体から入るのだ。

「九品」における習道の順序(本書より)

「二曲三体」のプロセス(本書より)

 二曲とは「歌」と「舞」である。三体は「老体」「女体」「軍体」をいう。幼き者あるいは未熟な者は、まず二曲を稽古する。「二曲をよくよく学得しぬれば、舞歌一心一風になりて、安久長曲の達人となるべし」[至花道]。

 世阿弥は、二曲は「まねるもの」(似するもの)、三体は「うつすもの」「わたすもの」と言った。まねる、似する、うつす、わたす。このあたりの言いまわしは絶妙だ。
 稽古では二曲で芸の下拵えをして下敷きをつくり、三体によって編集的応用に向かう。この下敷きのことを世阿弥は「下地」とも名付けた。このような下地からの確実な出発がなければ「器」(うつわもの)、すなわち芸の器量の基本はつくれなかった。

 幼き者のことは「児姿」(こし)とも「童形」(どうぎょう)とも言われる。[花伝書]では7歳のころから稽古を始めるといいと書いた。幼い者にはそれなりの幽風がひそんでいるとみなされたのだ。
 [遊楽習道風見]には「さるほどに、幼き芸には物まねの品々をば、さのみには訓(をしふ)べからず。ただ舞歌二曲の風ばかりたしなむべし」とある。

 児姿や童形がおのずからもつ「花」が、いわゆる「時分の花」である。世阿弥は声変わりする前の少年に理想の「時分の花」を見たが、むろんそれはまた舞い手や能楽師が終生にわたってめざすものでもあった。
 こうして年齢とともに獲得された花は、いっときの自分(時分)を超えた「まことの花」とよばれた。[花伝書]年来稽古条々では、44~45歳でも「失せざらん花」があるのなら、これは「まことの花にてはあるべけれ」と認めた。無文の花である。

 花は「はなやか」に通じ、次第を追って幽玄に昇華する。[花伝書]の問答条々にははやくも「何と見るも花やかなるして、これ幽玄なり」とある。

 では、いったい無文や幽玄に近づくには、どうすればいいのか。あらためて芸事の出発点に戻らなければならない。

 [花鏡]第一条に「一調・二機・三声」がある。一調は調子のこと、二機は機会やはずみのこと、三声はむろん発声のことだ。まとめて「息づかい」というものだ。
 この「一調・二機・三声」をいつでも実感できるようになることが、能における「時分の花」を開かせる出発点であって結露点となった。

 機はタイミングやオケージョンを捉える機会であって、その機をいかせるような体や声に用意しておくべき「はずみ」のことでもある。それが「発することを主(つかさ)どる」ということだ。

 ときに機は向こうからもやってくる。ふいに、くる。そのようなセレンディピティ(1304夜)にも存分な勘をはたらかせることについても、世阿弥は見落とさなかった。「迎える機」というものだった。

 こうして「せぬひま」という、すこぶる重要な機会が見えてくる。「せぬ隙」と書く。隙間なのだが、その隙間ですべてが決するわけなのだ。[花鏡]の次の文章にすべての秘訣が暗示されている。

 見所の批判にいはく、「せぬところが面白き」などと云ふことあり。これは為手(シテ)の秘するところの安心なり。まづ、二曲をはじめとして、立ちはたらき、物まねの色々、ことごとく皆、身になす態(わざ)なり。せぬところと申すは、その隙(ひま)なり。

 このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは油断なく心をひつぐ性根なり。舞を舞いやむ隙、音曲を謡ひやむところ、そのほか、言葉、物まね、あるゆる品々(くさぐさ)の隙々に、心を捨てずして、用心をもつ内心なり。この内心の感、外に匂ひて面白きなり。

 かようなれども、この内心ありと、よそに見えては悪かるべし。もし見えば、それは態(わざ)になるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、わが心を我にも隠す安心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし。これすなはち、万能を一心をつなぐ感力なり。

「態」「二重の見」「子供の身体」「無心」(本書より)

観能図屏風 八曲一隻(部分)

 以上、ざっと型と稽古に即してあらかたを案内してみたが、芸の習得者のほうはそのように型と稽古に励むとして、それでは、これを教えるほうの師はどんな心得をもつべきなのか。編集学校でいえば師範や師範代が基本的に心得るべきこととは、何なのか。

 世阿弥は[花鏡]で、こう言っている。
 師の条件は3つある。それは、第1には「下地の叶ふべき器量」をもつこと、第2に「心にすきありて、この道に一行三昧になるべき心」をもてること、第3に「この道を教ふべき師」になろうとする気持ちを強くもつことである、と。「心にすきありて」とは数寄の心をもつという意味である。

 芸の師と芸の習得者は、片方の長所だけでは成り立たない。世阿弥は稽古や修行には陰陽和合の気持ちが重要で、それによって初めて「相応成就」が実っていく。
 能に学び、能をたのしむことは、相思相愛することであって、相互編集の世界をまっとうすることなのである。本書の著者はそれを「二重写し」になることと言っている。

ISIS花伝所「入伝式」では、世阿弥の方法のレクチャの他に、
「編集工学2.0」の90分講義も行われる。

世阿弥直筆『花鏡』

 まさに、そうであろう。能も編集も「キアスム」(交差の配列)であり、「キネステーゼ」(運動と知覚の重合)であり、「インタースコア」(相互記譜)なのである。ぼくはこれらをまとめて、「コンティンジェント・システム」とも「ダブル・コンティンジェンシー」とも言いたい。

 能はドラマであって、身体芸術であり、共同体の訴求であって、記憶の再生である。これまでその性格と特徴がさまざまに論じられてきたが、世阿弥はずばり「万曲のおもしろさは、序破急成就のゆえと知るべし」[拾玉得花]と言った。序破急が成就してこそ能である、という意味だった。

 一日の能は序破急でできていて、一曲の能も序破急でできている。それも通りいっぺんの序破急ではない。たとえば『高砂』では次のように構成されてきた。
  序一段=ワキ次第・詞・道行
  破一段=シテツレ一声・サシ・下歌・上歌
  破二段=シテワキ問答・地初同
  破三段=クリ・サシ・クセ・ロンギ・中入
  急一段=ワキ待謡・後シテ・神舞・キリ

 なぜこんなふうにジグザグに進むのか。世阿弥は一言、それは「却来」のためであり、「堺に移る」ためであるからだと答えた。世阿弥ほど「移る堺」を編集構成できた芸能者はいなかった。

 型を守って型に就き、型を破って型を出て、型を離れて型へ生む。
 ぼくがイシス編集学校を「守・破・離」という3段階のコースプログラムで構成したとき、さまざまな型が動き出してくれた。世阿弥のおかげだった。

ゴートクジISISの学林堂に置かれる「ISISネオン」

⊕ 世阿弥の編集哲学 ⊕

∃ 著者:西平直
∃ 発行者:長谷川寿一
∃ 発行所:東京大学出版会
∃ 編集:宗司光治
∃ 装幀:矢野静明
∃ 印刷所:株式会社 三陽社
∃ 製本所:牧製本印刷株式会社
⊂ 2009年11月20日 第1刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ 1章|伝書はいかなる視点から読まれてきたか―そしていかに読みうるか
∈ 2章|伝書理解のための補助線―理論枠組みの設定、そして作業図
∈ 3章|稽古の教えに秘められた智慧―稽古の「次第梯登」
∈ 4章|稽古開始以前の子ども―「七歳をもて初めとす」が前提にした子どもの身体
∈ 5章|稽古における型の問題(研究ノート)
∈ 6章|伝書における無心の厚み
∈ 7章|伝書における二重の見―「離見の見」と「書く世阿弥」
∈ 8章|有主風と我意分―無心における創造性・主体性とはどういうことか
∈ 9章|息と音楽性―根底に流れる位相を稽古するとはどういうことか
∈ 10章|序破急―成就するとはどういうことか⊗ 著者略歴 ⊗

⊗ 著者略歴 ⊗

西平直(にしひら ただし)
1957年、甲府生まれ。信州大学人文学部、東京都立大学人文科学研究科(哲学)、東京大学教育学研究科(教育哲学)で学んだ後、立教大学文学部助教授、東京大学大学院教育学研究科准教授を経て、現在、京都大学大学院教育学研究科教授。

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