ジョナサン・グリーン
辞書の世界史
朝日新聞社 1999
ISBN:4385353581
Jonathon Green
Chasing the Sun : Dictionary-Makers and Dictionaries They Made 1996
[訳]三川基好

 辞書編集者のことをレキシコグラファーという。この言葉が最初につかわれたのは1658年である。
 なぜこんな新語が登場したかというと、最初の英英辞書であるロバート・コードリーの『アルファベット一覧』が出た1604年を嚆矢に、17世紀のイギリスで辞書編集がラッシュした。この勢いは大きかった。哲学をも政治をもゆさぶった。1651年のホッブスの国家論『リヴァイアサン』では、ついに第一部第四章で「言葉の定義こそが政治哲学である」という告白をせざるをえなくなった
 これは政治哲学者の屈辱であり、当時の神学者にとっても困ったことだった。なにしろ言葉の定義をしないとどこにも進めない。政治にも神学にもならない。これではこんな「言葉の仕事をする連中」を懲らしめる必要がある。そこでこういうことをする輩はだれなのかという噂が広まった。
 どうやら犯人はレキシコグラファーという連中らしい。
 以来、サミュエル・ジョンソンの二折本二巻からなる『英語辞典』が一七五五年に出るまでのあいだ、レキシコグラファーは「最も退屈な仕事を最も熱心にする者」としか思われていなかった。

 レキシコグラファーの歴史は遥か昔のシュメール時代にさかのぼる。しかもその仕事は「最も退屈な仕事」なのではなく、世界を編集するうえでの最も勇気のある仕事だった。
 たとえば盲目の詩人ホメロスは『イーリアス』と『オデュッセイア』を記録したが、その言葉は400年にわたってまったく解読不可能なものになっていた。そこで、その解読のためにギリシア語辞典が出現した。いいかえればその出現がギリシア語という"国語"をつくったのである。
 ジョナサン・グリーンのこの大著は、ことほどさような「レキシコグラファーが国と言葉と文化をつくったのだ」ということを高らかに、かつ執拗に追求した快作である。こんな書物こそが真行草でいうなら「真の書物」というものだろう。

 本書には、いくつかの歴史を画期した達人たちのレキシコンが登場する。
 眼が眩む。知が泳ぐ。
 読むことはおろか、見たこともない辞書がずらりと並んでいるのだから、読みすすむうちに何度も打ちのめされた。ふと大英博物館の一室にずらりと並んだ大辞書の壮列を思い出したが、それはただ目が眩むだけで、何の知もぼくにはもたらさなかった。では、本書ならどうかというと、これまた全貌を紹介することなどまったく不可能なのだ。
 だいたい筋書きがあるというより、一冊ずつの「味」が示されているのだから、流れを適当にダイジェストすらできない。これはジョン・アルジオが名付けた病名でいえば「レキシコグラフィコラトリー」(辞書物神症)というものなのだ。
 そこで、ぼくが気になったレキシコンで、ごく一部だけを紹介しておくことにする。
 ちなみにここでレキシコンというのはこの手の単語や意味の編集物の総称であって、細かくいえばグロッサリー(単語集)、ボキャブラリー(語彙集)、レキシコン(辞書辞典)に分かれるし、その辞書辞典にしても母国語で著される辞書と一言語の説明が別の言語で説明されるもの、言葉単位と事項単位に分かれるもの、新語や俗語の重視などに分かれるもの、あれこれまことに多様なのである。が、ここでは都合でレキシコンにしておく。

 さて、気になったレキシコンであるが、古代の先駆的な試みでは、まずトラキアのディオニソスの『テクネ・グランマティカエ(言葉の技法)』(前100)が注目される。トラキアのディオニソスはビザンチンの図書館をつくってきたアリストファネス、アリスタルコスを継ぐ図書館長で、もっぱら文法から言葉を分類してみせた。
 ついでユリウス・ポルクスが固有名詞を集めた『名前の書』(220)、キケロとウァロの言語術研究、これは超有名だが、セビリアのイシドールによる『事物の起源あるいは語源の書』(600)などが特筆される。イシドールのものはキリスト教に改宗したスペイン人のためのもので、イシドールはその後聖者の列に加えられた。
 中世では、カエサリアの大主教アレタスの『スーダ(砦)』(910)がなんといっても圧巻で、20世紀になって復刊されたときでも2700ページをこえた。ビザンチン最大の業績である。ピサのフーゴーまたの名をウグチオという者の『語源辞典』(1190)、それを拡張したというジョバンニ・バルビの『カトリコン』(1286)も気になる。『カトリコン』はローマ帝国が滅亡したのちの最初のラテン語辞書である。

 ルネサンスに入ると、近代の先駆となったレキシコンが登場してくる。
 隠遁修道士ガルフリドゥスの『プロンプトリウム(言葉の宝庫)』(1440)は、英語に関する最初の本格辞書だった。見出し語、すでに12000語におよぶ。配列はアルファベティカルだ。ぼくは本書を読むまで知らなかったのだが、アルファベット順に単語や事項を並べるという方法はライプニッツ以前にもいくつも試みられていたようだ。ライプニッツは図書館に書籍を並べるにあたってABC順を選んだだけだった。
 ルネサンスには一方で、ジャンル別や職人別のレキシコンも登場する。クセラバルドゥスの建築細部集『建築シレキシコン』(1494)、アンブロシウス・カレピヌスのもので、のちに『カレピン』と通称されて流布した『最良の作品から文例を勤勉に集めた辞書』(1502)といったところだ。この時代は、実用とは学問のことであり。学問とは神秘のことであり、神秘とは細部の複合性のことだったのである。

 後期ルネサンスからバロックにかけてのレキシコンは、ほとんど今日と変わらない。質も量も格段に増し、編集の工夫もかなり凝ってくる。
 なかでぼくの好みでちょっと風変わりなものだけをあげると、シノニマ(同義語)とエクィウォカ(多義語)に関心を寄せたフランスのガーランド一族の『学者の辞典』(1508)がすばらしい。いまでこそこの着想は珍しくないが、これこそ「コノテーション」(内示)という機能への大胆な介入だった。ガーランド一族は日本でいえば菅原道真の一族にあたるような"家学"の一族で、ロジャー・ベーコンも一目おいている。
 一語一語にいちいち見出しをつけたトマス・ブラントの『グロッソグラフィア』(1656)も見逃せない。グロッソはグロッサリーのグロッソだが、これはもともとギリシア語の「難解な」という意味をもっていた。このグロッサリーに一種の意味のレベル(レイヤー)を与えて独得の分類編集をしたのがエドワード・フィリップスの『言葉の新世界』(1706)である。
 このほか、『ウォーカブラ』『ウルガリア』などという、中世に流布していた語彙を近世につなぐためのレキシコンもいくつもあって、著者の強靭な食欲を満たしている。おそらくはこれらこそがニーベルンゲン伝説やファウスト伝説やアーサー王伝説を地方語をこえて今日にはこぶ「言葉の歯車」になったのかとおもわれる。

 イギリスは近世から近代に橋渡しをするためのレキシコン王国としての役割を担った。ここはなんといってもサミュエル・ジョンソンの国であり、OEDの国なのだ。英語を国際語にするためにも徹底した研鑽を世に送り出す必要があった。
 最初の偉大なレキシコグラファーの素養の持ち主はトマス・エリオット卿である。ヘンリー八世時代だから、イギリスが宗教的にも国語的にも初めて「イギリス」を自覚しようとしていた時期だ。エリオットはまず英語で書かれた最初の道徳論ともいうべき『家庭教師』を出版する。これはトマス・モアの『ユートピア』より売れた。
 なぜそんなに売れたのか。新語をちりばめたからだった。このときエリオットがイギリスの道徳(ということはコモンセンスということだが)のためにつくった新語には、のちに世界が需要することになる言葉がわんさとつまっている。たとえばデモクラシー、ロイヤルティ、ソサエティなどは、このとき初めてつくられた造語である。しかしこれらの新語は、当時の知識人や世評のあいだでは「インクホーン・ターム」(インク壷の中から出てきた言葉)と揶揄されて、まったく評判は悪かったという。が、イギリスはそれらを選んだのだ。ちょっと考えさせられることである。
 エリオットのこうした活動は1528年に『騎士サー・トマス・エリオットの辞書』として結実する。

 かくして17世紀のイギリスのレキシコグラファーが一斉にとりくんだのは「ハードワード」(難語)を解明する一方で、「インクホーン・ターム」(新語)を考案することだった。
 これはトマス・エリオットを継いだコヴェントリーの先生のロバート・コードリーあたりが最初の継走者で、ついでジョン・ブローカーの有名な『イングリッシュ・エクスポジター』(国語衍義)、ヘンリー・コッカラムの『英語辞典あるいは難語解説』をへて、さきほど紹介したトマス・ブラントの野心的なレキシコン『グロッソグラフィア』に、さらにはエドワード・フィリップスの『言葉の新世界』に集大成される。フィリップスはジョ・ミルトンの甥で、のちにウィリアム・ゴドウィンが伝記を書いた。
 こういうわけで、イギリスは英語の確立とともに言語世界の普及にとりくむのだが、むろん、そこには異論もあった。そうしたレキシコンが教育に与える影響から議論するばあいに、とくに異論が目立った。たとえばウィリアム・ベイズの『言葉の門』(1611)はジョン・コメニウスによってこっぴどく叩かれて、コメニウス自身による『開かれた言葉の門』(1631)に"再編集"されたのだ。

 18世紀はサミュエル・ジョンソンの『英語辞典』がどのように編集されたかということを見るための世紀である。いわば国学の世紀だ。
 本書もその事情の解明にたくさんのページを費やしている。まあ、日本なら盲目の塙保己一がどのように『群書類従』をつくっていったのか、本居宣長が記紀における「フルコト」をどのように現在的に解釈して解読分類をしようとしたか、あるいは大槻文彦がどのように『言海』や『広日本文典』をつくっていったかといった事情にあたる。
 ジョンソンのばあい、露払いの役を引きうけたのは『一般英語語源辞典』と『英語辞典』のナサニエル・ベイリーで、本書で知ったのだが、これらはジョンソンの辞典より売れ行きでは上回っていたらしい。ベイリーの編集の特色は単語をできるだけ「ファミリー」として捉えようとしたことである。つまり派生語の関連に注目をおいたのだ。これはのちのOEDそのほかに援用された方針だった。
 一方、太刀持ちの役を引きうけたのがイーフレイム・チェンバースの『サイクロペディア』(1728)だった。これは「芸術科学一般辞典」というサブタイトルがついているニュータイプのレキシコンで、ことわざを除外すること、神話伝説のたぐいをくみこんだこと、歴史の事項と地名の事項を分けたことなどの特色をもっていた。
 こうしてジョンソンの網羅ができあがり、OEDが英語世界のワールドモデルとしての翼を広げることになる。

 本書はこのあと、ノア・ウェブスターの事跡に転じて、アメリカ英語の世界がどのようにつくられていったのか、インド・ヨーロッパ語の研究成果が語彙の編集にどのように影響をあたえたのか、文献学の対等がレキシコグラファーにもたらしたもの、さらには国語が確立するとその脇か次々に芽生えるスラングの辞書化がおこっていくのだがそうした事情の案内へとダイナミックに転戦していく。
 が、紹介はこのくらいにしておきたい。
 今後、レキシコンがどのようになっていくか、著者は将来のことにはふれていない。たとえばインターネットによるレキシコンの自動再編集など、考えられてもいいことだが、そういうことにもふれてはいない。ジョナサン・グリーンはあくまでも「国語の苦闘」に照準をあてて、この大著を綴ったからだったろう。ぼくも、その方針をこそ称揚したい。

参考¶著者のジョナサン・グリーン自身がオックスフォード大学出身のレキシコグラファーで、俗語辞典をはじめいろいろの辞書を手がけている。翻訳されたものは本書が初めてだが、こういうレキシコンをレキシコンするレキシコグラファーが日本にはまだいないのが残念。大槻文彦『言海』の誕生の苦闘を生き生きと描いた高田宏の『言葉の海へ』(岩波同時代ライブラリー)あたりで、日本の辞書誕生の黎明を偲んでもらうしかないようだ。
日本語のレキシコグラファーについての最近では紀田順一郎が一挙に『日本語発掘図鑑』『日本語大博物館』『図鑑日本語の近代史』(いずれもジャストシステム)を刊行して目を賑わせてくれている。ちなみに、ぼくはこのようなことを一番よく知っているのは、日本語を考え抜いている井上ひさしさんではないかと思っている。

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