父の先見
コロンビア大学/現代文学・文化批評用語辞典
松柏社 1998
Jooseph Childers & Gary Hentzi
The Columbia Dictionary of Modern Literary and Cultural Criticism 1995
[訳]杉野健太郎・中村裕英・丸山修
ぼくはおもしろそうな辞書や事典のたぐいには、目がない。高価なもの、何十冊にもなるものを別とすれば、ちょっとしたものでもたいてい入手する。
編集工学などという仕事や研究に就いているせいで、編集成果の結晶ともいうべき辞書・事典に関心をもつということもあるし、実際のぼくの思考や執筆の役にもたつ。また、たんに読んでいておもしろいということもある。むろんファクトチェックや調査検索をするときも、辞書や事典は欠かせない。
が、おかしなもので、こんな説明じゃ役にたたないと思えるようなものでも、なんだかいとおしい。
本書は、コロンビア大学の出版部門が出している有名なコロンビア・ディクショナリーの一冊で、その特徴は“Abjection”から始まって“Zeugma”に終わっている現代思想用語の選択と配列のぐあいに、すでに如実に示されている。
“Abjection”はジュリア・クリステヴァの『恐怖の権力』にしきりに出てくる用語で、「おぞましいものを棄却する」という難解な意味をもっている。アブジェクトが「おぞましいもの」という意味をもつ言葉で、何がおぞましいかというと、組織や場所のもつ同一性や秩序が壊されるおぞましさのことをさす。
このおぞましさは、既存の価値を維持しようとするものに反逆するもので、たとえば汚物や廃棄物、体液や死体などがそうであるとともに、法を破ろうとするもの、良心を欺こうとするものも、そこに入ってくる。
しかし、このアブジェクトを内なる伝統としている文学というものも、またありうるわけで、クリステヴァはその系譜としてボードレール、ロートレアモン、アルトー、バタイユ、とりわけフェルディナンド・セリーヌに注目したものだった。
と、いったようなことが「アブジェクシォン」という項目の説明になるのだが、本書はこの項目から始まって、“Zeugma”の「くびき語法」におよぶ。
この“Zeugma”はしばしば“Syllepis”ともいわれる兼用法のことで、たとえば、「おまえはいつも風を孕んで生きているようだが、いつもいろいろなところで子も孕んでいるだろう」といった表現にあらわれる。俳諧や川柳ではしょっちゅうお目にかかる表現法である。
本書は、だいたいこういうことがズラリと手短かに解説されていて、手頃なレファランス・ディクショナリーとして、現代思想や文学批評のキーワードをさぐりたいための初学者を誘っている。
人名索引、参考図書案内もまずまず充実している。むろん本格的に知るには、どの項目も簡便になりすぎていてものたりないし、また項目執筆者にブレがあるところも困る。しかし、ぼくが見るかぎりは他の思想系の辞書や事典にくらべると、比較的よくこなれた編集になっていて、ムダがない。
本書は松柏社の「言語科学の冒険」というシリーズの6冊目にあたっている。ぼくはこのシリーズの愛読者で、辞書・事典としてはジェラルド・プリンスの『物語論辞典』が待ち遠しかったものだった。