面影日本
前口上
いつのことからか、日本人による日本イメージをめぐる表現力が、
とても退屈になってきた。面影が動かなくなっているからだ。
枕草子の数々がない。和泉式部の「はかなさ」がない。
定家の有心がない。連歌のつらなりがない。心敬の「冷え」がない。
面影日本に埋っていた数々のアンカーが見えていないのだ。
だったらせめて、常世を遠望して余情に遊び、ときに稜威に震えなさい。
(前口上・松岡正剛)
「面影」とは、日本人のイマジネーションにはたらきかける日本文化の古層のこと。日本人の表現やコミュニケーションは、はかなくヴァーチャルな面影を動かしつづけることで成立してきた。無常や数寄の感覚がそこから生まれ、幽玄や冷えさびなどの極北の美意識にさえ結晶化していった。「日本という方法」を提唱しつづける松岡の日本語りを堪能できる千夜千冊によって構成。
第1章 面影の原像へ
日本人が理想の世としてきた「常世」の原像はどこにあるのか、中国の稲作民の祭礼文化にその面影を訪ね、日本人の稲作文化が育んだ神と翁の民俗学をたどりながら、「やまとだましい」や「やまとごころ」の奥なる「稜威」をさぐる。谷川健一、萩原秀三郎、大林太良、山折哲雄、山本健吉、丸山眞男が揃いぶみ。
第2章 をかし・はかなし・無常・余情
小気味のよい評価眼で「をかし」の感覚をさばく清少納言をかわきりに、和泉式部・西行・定家・長明・兼好たちの「はかなさ」と「偲び」と「負」の美意識と方法を連打。唐木順三の『中世の文學』と尼ヶ崎彬『花鳥の使』によって、中世日本の無常の文芸の方法に深入りする。
第3章 連鎖する面影
蝉丸、浦島太郎、桃太郎などの日本の異形異体のキャラクターや物語のアーキタイプ(原型)と変遷。和歌や文芸のイメージのリンキングに欠かせなかった「枕詞」と、超絶的な技巧を凝らして類想・類趣を連動させていく「連歌」の世界。その連歌を絶巓に到らしめた心敬の「冷えさび」と遊女たちの「梁塵秘抄」。
第4章 ニッポンを感じる
面影を失ってきた「日本という病気」を切開するために、松岡がもっとも信頼する名うてのジャパノロジストたち――ドナルド・キーン、ウィリアム・イエーツ、アレックス・カー、ロジャー・パルバース、李御寧の眼差しと、「逝きし世」を偲ぶ渡辺京二の眼差しを交差させた。
『面影日本』
第1章 面影の原像へ
- 1322夜 谷川健一 『常世論』
- 1141夜 萩原秀三郎 『稲と鳥と太陽の道』
- 451夜 大林太良 『正月の来た道』
- 1271夜 山折哲雄 『神と翁の民俗学』
- 483夜 山本健吉 『いのちとかたち』
- 564夜 丸山真男 『忠誠と反逆』