才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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「中国模式」の衝撃

チャイニーズ・スタンダードを読み解く

近藤大介

平凡社新書 2012

編集:金澤智之
装幀:菊地信義

いま中国は「中国模式」の発揚に向かっている。
チャイニーズ・スタンダードのグローバル化だ。
これをアメリカン・スタンダードに対抗させたい。
人民元をドル、ユーロに次ぐ基軸通貨とし、
海軍力を強化して太平洋を睨みたい。
一方、アメリカはASEANに加担して
政治的軍事的な中国包囲網をつくり、
TPPによる経済的有利を先行させようとする。
しかし中国は「発財」の国であって、
「国進民退」が平気な性悪説の国なのである。
中米、なかなか勝敗もつかず、安定もないだろう。
となると問題はアイダにいる日本だ。
では日本、どうするか。
本書を読んで対策を練るといい。

 いま中国は「中国模式」の発揚に向かっている。チャイニーズ・スタンダードのグローバル化だ。これをアメリカン・スタンダードに対抗させたいと思っている。人民元をドルやユーロに次ぐ基軸通貨とし、海軍力を強化して太平洋を睨みたい。一方、アメリカはASEANに加担して政治的軍事的な中国包囲網をつくり、TPPによる経済的有利を先行させようとする。
 しかし中国は「発財」の国であって、「国進民退」が平気な性悪説の国なのである。なりふり、かまうはずがない。このままいけば、米中、なかなか勝敗もつかず、国際経済の安定もないだろう。となると問題はアイダにいる日本だ。いまのところは冴えない日本だ。本書を読んで対策を練るといい。

 5年ほど前、13話続いたNHKスペシャル「激流中国」をときどき見ながら、柘植久慶『宴のあとの中国』(PHP研究所)、アレクサンドラ・ハーニー『中国貧困絶望工場』(日経BP社)、青山繁晴『日中の興亡』(PHP研究所)などなどを拾い読み、なるほど最近の中国とはこういう裏側をもっているのかと教えられたつもりになっていたのだが、本書を読んでまたまた事態が劇的に進行していることを知った。
 胡錦濤・温家宝時代の共産党一党支配型資本主義の化け物のような変貌ぶりのもと、中国が「めちゃくちゃな中国」と「恐ろしい中国」と「図抜けた中国」を同時に仕立てているのだ。ダイナミックに、不遜に、勝手に組み上げている。そこをうまく描きあげている。全ページに最新の現場感覚が生きていて、著者の情報取材力と体感温度と軽快な文章力の案配もよくかみあって、読むうちに次々に要訣を衝く。感心した。

 著者は講談社の「現代」「週刊現代」の雑誌副編集長をへて、いまは北京の文化有限公司に出向しているようである。
 筋金入りのジャーナリストやエディターではあるのだろうが、きわめて的確な批評力をもった著述者でもあり、それとともに本書、および『日・中・韓「準同盟」時代』(光文社)や『東アジアノート』(ランダムハウス講談社)などを見ると、その社会的アクティビティにもけっこうな影響力のあることを感じた。
 中国語にもそこそこ堪能なようだ。「微博」とよばれるミニブログや、中国での講演もしているらしい。それよりなにより天安門事件以降、中国という底なし沼にはまりきっていて、そこに愉快と不快が入り交じっているのが、その諦めの境地とともに好ましく、信用に足る。
 そういう著者が本書で断言していることは、ただひとつのこと、ただし大きなひとつのことだ。中国には「中国模式」というチャイニーズ・モデルないしはチャイニーズ・スタンダードが厳然としてあって、その中国模式がながらく世界を律してきたアメリカン・スタンダードといよいよ激突しつつあるということだ。
 中国模式は2009年秋の建国60周年の頃から使われだしたキータームである。次期主席に決まっている習近平の世になれば、もっと大々的に叫ばれることになるだろうという。

 では中身だが、まず著者自身が体感した「でたらめな中国」からかいつまんだほうがいいだろう。中国のホットな現状がよくわかる。
 北京は「東富西貴北賤南貧」に棲み分けられている。著者はその東富の35階建の高層マンションに住んでいるのだが、これが最悪らしい。居間でテレビを見ていたらシャンデリアが突然落ちて、続いてテレビが音を立てて壊れた。ある日、寝室のドアを開けたらドアごと崩れ、朝の日差しを入れたくてカーテンを開けると、カーテン掛けごと落ちてきた。
 帰宅するとフロア一面が水浸しになっていたこともあるし、冷蔵庫から水がどんどん溢れ出してきたこともある。送風工事のときはシンナーが部屋に吹きこんで苦しくなった。2010年の夏には予告もなくシャワーの湯が出なくなり、1週間にわたって3基のエレベーターが止まった。
 高級マンションにしてことほどさようなのである。2010年の北京市内だけでマンションから落ちた死者が年間50人もいる。330メートルの最高層オフィスホテル「国貿三期」はスプリンクラーの不備でオープンが1年近く遅れて問題になり、その隣の中国中央電視台の新社屋は原因不明の出火で全焼した。手抜き工事など、中国ではザラなのだ。だから中国ではオフィスビルにもマンションにも必ずやリフォームが不可欠で、そのため世にも不思議な「内装休暇」がジョーシキになっている。
 これではどこに行っても、日本からの出張社員の安穏はままならない。そこで「明星」とよばれるスターメイドを雇う。北京には数百万人規模のメイド業が成り立っている。著者は週2回数時間ずつで800元(約1万円)の明星を雇ったのだが、あるとき夫と2人の子を捨てて外交官と駆け落ちしてさっさといなくなってしまった。
 現在の中国では「成家立業」と「計画生育」は大前提である。家を持ち業を興し、子供はあまり生まずに(一人っ子政策)、計画的な生活を設計する。これが全国民に課せられた絶必ライフスタイルになっている。
 とくに1998年7月に朱鎔基首相が23号文件「住宅供給の停止」を通達して、「今後は家は自分で見つけなさい」となり、2003年8月に温家宝首相が18号文件「不動産は市場経済にまかせる」を発令してからは、「生きる、家をもつ、仕事する」に全国民が突っ込んでいった。この2つの発令が北京のマンション事情をでたらめにしていった背景の理由でもあった。

 ふりかえれば中国の歴代王朝は、次の3つの原因のいずれかによって滅んでいった。第一には北方異民族の侵入だ。実際には南蛮北狄だから南方もしばしば不安定になっていた。第二は宦官や反乱武将などが跋扈して、宮廷内部のお家騒動あるいは地方の自立が原因になる。こちらは司馬遷の『史記』このかた、どんな中国の歴史書にも、最近の日本の中国小説にもおなじみだ。第三が生活苦にあえぐ農民や庶民の反乱である。黄巾の乱、黄巣の乱、紅巾の乱、太平天国の乱、義和団の変、いずれも全国的な動乱に波及した。これで国が変更されていった。
 いま、共産党政権が惧れているのは、第三のケースだけになっている。しかしこの第三のケースが今日の中国でだんだん広まってきた。早く手を打たないと中東同様のジャスミン革命が爆発しかねない。
 マンション事情の不満拡大もそのひとつだが、全般的に住宅問題の解決が早急の課題になっている。中国の不動産業者では慣例的に「金九銀十」といって、9月に一番売れて10月がその次に売れるという動きがあるのだが、2011年の9月は例年の半分も家やマンションが売れなかった。これで政府は焦った。
 住宅事情もヤバイが、交通事情はもっとヤバイ。クルマ社会が急速に過密化していったので、どこもかしこも渋滞がひどく、「治堵」(渋滞退治)が都市政策の目玉になっているほどだ。だから北京でタクシーに乗るのはよしたほうがいいと著者は言う。めったにつかまらない。乗ったら乗ったで横暴きわまりない。市内は渋滞ばかりしているので、運転手はたいていラジオで「相声」(漫才)を聞いている。結局「黒車」(白タク)をつかまえるほうがいい。
 それなら鉄道や地下鉄でなんとか凌げるかというと、こちらもまたどの駅も「人山人海」(黒山の人だかり)の状態で、加えて「挿隊」(チャートゥイ)という名物のゴロツキのような横入り屋があとをたたないので、始末におえない。
 そこで、全土に中国新幹線をはりめぐらすという高速鉄道計画が大々的にとりくまれたわけである。2011年に開通した北京-上海を結ぶ「和諧号」の総工費は2200億元。三峡ダム建設と並ぶ中国建国以来最大の国家プロジェクトだ。全体では2020年までに南北4ラインの「四縦」(北京→上海、北京→香港、北京→ハルビン・大連、上海→深圳)と、東西4ラインの「四横」(青島→太原、徐州→蘭州、南京→成都、杭州→長沙)を開通させる路線計画が進行している。
 ところが日本でも大きなニュースになったように、その第1号「和諧号」がわずか開通1ヵ月後の2011年7月23日にひどい追突事故をおこした。政府は事故原因を隠し、拙速技術の失敗を認めようとしなかった。「恐ろしい中国」の横顔が世界中に見えた瞬間だった。

 いったい中国人の世界観や社会観はどうなっているのかというと、世界も社会も「天と地と人」から成っている。
 この「人」とは一般的な人間という意味ではなくて、「我」(自分)のことで、その「我」が天と地につながっている。直結している。つまり中国社会は個人主義に発した世の中なのだ。このことが分からないと中国はわからない。
 次に、その「我」個人主義はほとんどカネによって確立される。ありていにいえば、カネと結び付いた自分が一番の「我」なのだ。このことがわからなければ、中国人とは付き合えないと著者は断言する。
 こういう例がある。日本人は、年賀状に「謹賀新年」「あけましておめでとうございます」などと意図なく書くけれど、中国人はそんなことをしない。年賀状には「新年快楽、恭喜発財」と書く。あるいはそういう印刷賀状を配る。「発財」すなわち「カネで喜ぶ」ことが「めでたい」のだ。花屋が用意している贈答用の花にも「金銭樹、発財樹、招財樹、富貴樹」といったネーミングばかりが麗々しくついている。
 こんなふうになったのは鄧小平が「先富論」を唱えて、これをその後の政府が奨励し、「富める者から先に富め」というスローガンがなんの罪悪感もなく広まっていったからだった。これでべらぼうな「暴発戸」(成金)や「新貴族」が誕生した。最近では第一次先富世代の次の80後(80年代生まれ)や90後(90年代生まれ)が「富二代」としてもてはやされている。天津にはここはカリフォルニアの富裕街かと見まがうばかりの、その名も「富人区」という一郭もある。

 目を企業に転じても事態は変わらない。企業社会では「老板」すなわち社長が富しかめざさない。社内の融和などは経営方針にない。「どんな計画も社長の一言にかなわない」と言われるほどである。徹底したトップダウンなのだ。
 社員もそのような社長に懸命についていこうとしているので、日本人は中国企業との商談にはかなりおくれをとることになる。迫力でもかなわないし、そもそも中国社会は「性悪説」で成り立っているので、騙し方でも追いつかない。中国では相手を上手に騙すのも美徳なのである。
 もっとはっきりいえば、中国では「国進民退」がジョーシキなのだ。国が栄えていれば民が衰退しても平気なのである。そのかわり民の一人一人のほうはさきほど述べた「天・地・我」の社会観をもっているわけだから、こちらはこちらで「我」を断固主張する。そういう中国を「一個中国人是龍、三個中国人是虫」などという。中国人は一人でも龍になるが、三人だとたんなる虫になるという意味だ。
 これは日本では通用しない。日本では「三人寄れば文殊の知恵」である。だから年功序列もまだ生きている。中国ではそうではない。逆年功で、ぐずぐずしている中年社員はどんどん切られてしまう。下崗つまりリストラは、立派な社是なのだ。
 おまけに社員は原則が「一人でも龍になる」という気概の持ち主たちでもあるのだから、最近の日本人はたいていがその龍の押し出しに圧倒される。本書はそうした日中の企業事情や社員感覚のことを、いくつもの事例をもって紹介する。
 ともかくも以上のことは、中国では人材補給という点からいえば、半永久的な企業の買い手市場になっているということをあらわしてもいる。「いやならやめろ、お前のかわりはいくらでもいるから」がいつでも成立する企業社会なのである。
 こんなことがまかり通るのは、中国では主要基幹産業はすべて国有企業が占有し、のこりを民営企業が我先にと競争するというふうになっているせいだ。ここに一党独裁資本主義の際立った特色がある。

 中国の国有企業は、国務院の国有資産監督管理委員会がそのすべてを牛耳っている。現在はそのトップの王勇が実権を握る。2010年までの前任者が「国有企業のドン」と言われた李栄融だった。
 2012年現在の中国は、「中国製造」(メイド・イン・チャイナ)から「中国創造」(チャイナ・ブランド)への転換に躍起になっている。すでにGDP(6兆ドル)は日本を追い越したが、アメリカ(14兆ドル)にはまだ水をあけられている。これを「中国模式」の確立によって追いつきたい。そのためには「保八」(GDP年8パーセント成長の保持)をしゃにむに守る。これが国家戦略シナリオなのである。
 戦略の半分は「走出去」の発揚で、海外進出をめざす。それには国務院・国有企業・国有銀行が三位一体で驀進する。かつての日本の親方日の丸や護送船団方式に似ているが、その比ではない。一党独裁による高度資本主義の国家的驀進なのである。
 一方、民営企業は過激な競争をやりぬいていく。どんな会社も一寸先は闇だという覚悟での闘いが進む。たいそう威勢のいい話だが、勝ち残れた企業はともかくも、躓いた企業は目も当てられない。これはこれで中国のみならず市場社会のジョーシキだから当然のことではあるが、本書には北京の大手IT企業の華旗グループの成長ぶりと凋落とが紹介されている。
 大企業ですらこういう失墜がいろいろあるのだから、中小企業はそうとうに追いこまれる。実際にも、さまざまなところで亀裂が生じていった。

 中国の中小企業の故郷は浙江省最大の都市、温州である。日本では温州ミカンの産地として知られるが、中国では温州商人の巣窟だ。
 ところがこの温州で2011年秋に異変がおきた。最大のメガネ工場の信泰グループの社員1000人が目抜き通りでデモ行進をした。創業者の胡福林社長が8億元の負債をかかえたまま「跑路」(夜逃げ)したからだ。一斉に調査の目が注がれた。
 これで、それまでは成長率10パーセントの奇跡だと称賛されていた温州の恐るべき実態が明るみに出た。銀行の貸し渋りが広まっていたこと、「民間借貸」とよばれるサラ金が1100億元もの融資をしていたこと、その年利はときに60パーセントにもなっていたこと、会社のオーナーが「跳楼」(飛び降り自殺)をした事件は2011年4月からのたった半年間で90件にもおよんでいたこと、そうしたことが天下に知られることになった。
 さすがに温家宝首相は緊急の国務院常務会議を開いて、次々に発令措置を指示したようだが、こうした事態が中小企業を次々に襲っているだろうことは、もはや隠しえないところまできている。

 政治のほうのことも一言書いておく。よく知られているように、中国共産党は一党独裁とはいえ長らく「太子党」と「団派」という二大派閥のバランスで動いてきた。
 太子党は鄧小平が江沢民を後継者に選び、その江沢民の参謀役だった曽慶紅が万事を仕切りまわしたことで生まれた一大派閥で、江沢民体制の確立の基盤になった。江沢民は上海閥をバックに君臨した。次の総書記が約束されている習近平は太子党のエースにあたる。
 団派は胡耀邦に始まる派閥で、共青団(中国共産主義青年団)の幹部出身者でかためられてきた。鄧小平の改革開放路線の基盤をつくった。いまトップについている胡錦濤が団派を牛耳っている。胡錦濤は温家宝とともに江沢民の上海閥に競り勝った。配下に李克強と胡春華と孫政才がいる。
 この太子党と団派が「選挙なき支配権争い」をしているのが、中国の一党独裁の内実である。本書には二大派閥が鎬を削りあったうえ、ついに習近平が次期主席になっていった水面下の経緯を刻々と描き出している。興味があれば読まれるといい。

 まとめていえば、中国トップは第一世代が毛沢東の世で、ユン・チアンの大著『マオ』(講談社)にも証されているように、ソ連のことばかりを気にしていた時代だった。第二世代は鄧小平の世で、香港に隣接した人口3万人の深圳を経済特区にしたのを皮切りに、その勢いを広東省の広州・珠海とひろげて「珠江デルタ地帯」を構築し、香港マネーをバックに政治的制覇をなしとげた。
 第三世代が江沢民の世で、古巣の上海の浦東地区を刷新して証券取引所をオープンさせ、アジアの一大金融センターを築き上げるとともに、上海をハブにして蘇州・無錫・南京・杭州・寧波というラインの「長江デルタ地帯」を発展させた。「発財」の正体は金融証券マネーだった。
 第四世代が現在(2012年)の胡錦濤の世になっている。北方にポテンシャルを求めて北京に不動産バブルをもたらし、天津の浜海新区を北方型の金融・新産業センターに変貌させた。瀋陽・大連・長春・ハルビンなどの東北振興と内モンゴル開発に着手して、オルドス・バブルをまきちらした。主たるマネーは胡錦濤一派の政治資金によっている。
 こうしていまや第五世代の習近平の世が「中国模式」の拡張をモットーに生まれようとしているわけである。習近平は福建省で長期にわたって支配力を発揮してきた政治家で、福建省の向かいは台湾なのだから、新たな政権はおそらく台湾との連携を強化した両岸一体の経済圏をつくりあげるだろうことが予想される。

 習近平の「中国模式」には「重慶模式」があるとされる。これは習近平の盟友である薄煕来が重慶を支配してきたことに発するもので、次の9点がメルクマールになるとすでにもくされている。この四字熟語を見ていると、次の中国が見えてくる。

  ①綱挙目張。江沢民の西部大開発をうけて、重慶を経済社会の一大拠点とするシナリオを実現する。
  ②打黒除悪。重慶のヤクザと汚職幹部などのダークな連中を一掃する。すでに2009年に1567人を逮捕した。
  ③唱読講伝。重慶地区の3200万市民に「紅歌」(中国共産党賛歌)を唱わせ、「紅書」(共産党礼讚本)や「紅星書」(共産党英雄礼讚本)を読ませようという赤化運動である。薄煕来自身が編纂した『読点経典』を1000万人に買わせている。
  ④三洋戦略。重慶は内陸都市だが長江を通じて海に面しているとみて、太平洋・インド洋・大西洋を睨もうというものだ。
  ⑤五個重慶。宜居(居住確保)、暢通(インフラ整備)、森林保全、平安維持、健康増進を5つのキーワードにして、大規模な都市改造計画を推進しようというもの。すでに強制移住を進めている。
  ⑥二元方程。都市と農村という二元方程式を解き、全国に先駆けて都市戸籍と農村戸籍の区別を撤廃していく。
  ⑦三駕馬車。公有企業・民営企業・外資企業を三頭立てで牽引していくぞというものだ。ヒューレット・パッカードなどの工場誘致がすでに成功している。
  ⑧民生導向。市民の生活水準をあげるという方針。50万人の低所得者層に住居を提供するなどの公約をつくった。
  ⑨同吃同住。貧困者の生活を理解するために、公務員たちが貧困者同様の食事・暮らし・労働を体験するというもので、30万人の公務員が週末農村住み込みを義務づけられた。

 ざっとこういうものであるが、まるで毛沢東の文化大革命の復活を思わせる。著者は、ここには太子党独特の「旧きよき父親」を懐古するという政治姿勢があらわれていると指摘していた。
 このへんにしておくが、「中国模式」が一方では強引きわまりない自信に満ちて、他方ではさまざまな矛盾をかかえていることは、はっきり見えてくるだろう。
 それならこのあとどうなるかといえば、ここから中国がアメリカン・スタンダードに挑もうというのだが、それが功を奏するかどうかは、まだわからない。それでもこれまでの「光養晦」の路線を脱ぎ捨て、いよいよあからさまな世界戦略の道に向かって舵を切ることはたしかなようだ。

 アメリカとはどうか。2010年から米中は新たな冷戦状態に入っているのだが、この重いカーテンはまだ誰も開けられない。オバマは中国製鉄鋼管に最大250パーセントの関税をかけ、台湾にパトリオット・ミサイルをはじめとする武器輸出をすると発表した。
 温家宝はアメリカがCIA経由でチベットの独立団体に秘密資金を流していることを告発し、返す刀でグーグルや20世紀フォックスなどのアメリカを代表する企業をとことんイジメ倒すことにした。映画《アバター》の上演が打ち切られ、ポスターが《孔子》のポスターに張り替えられたこともあった。
 もっと激突しそうなのは人民元をめぐる「第三の基軸通貨」問題と、中国が最大保有しているアメリカ国債をどのように処理するかという問題、および太平洋西側の海洋をめぐる主導権争いの問題だ。
 これらがどのように揺れ動くのか、まったく予想がつかないが、そういうこととはべつに、実はちょっと困ったことがある。ぼくのこの数年は日本にたいする失望感がみしみししていて、そのぶん中国のドキュメンタリーなどを見ていると、この国土と文化が残してきたものに、日本の母国のような愛着が出てきてしまうのだ。山水思想の原郷を感じすぎるという気分にもなる。そういうことにいささか奇妙な困惑をおぼえているので、このあとも「中国模式」というより、「チャイニーズ・ダイバーシティ」のあれこれを本を通しても感じていきたいというところなのである。


『中国模式』の衝撃
チャイニーズ・スタンダードを読み解く
発行日:2012年1月13日
著者:近藤大介
発行者:石川順一
発行所:株式会社平凡社
装幀:菊池信義

【目次情報】

まえがき
第一章 過渡期の中国社会:生活編
 1 住宅事情
 2 交通事情
第二章 対中交渉の極意:ビジネス編
 1 中国で働くということ
 2 中国企業とどう付き合うか
第三章 「昇龍」のゆくえ:経済編
 1 経済成長はどこまで続くか
 2 富裕層と庶民層
 3 国有企業と民営企業
 4 共産党が描く青写真
 5 人民元国際化
第四章 「中南海」の実相:政治編
 1 独特の政治システム
 2 派閥と権力争い
 3 習近平政権のゆくえ
第五章 アメリカにどう挑むか
 1 暗中模索のG2時代
 2 米中冷戦の勃発
 3 通貨戦争
 4 絶えない火種
あとがき 「中国模式」と「日本様式」

【著者情報】

近藤大介(こんどう・だいすけ)
1965年埼玉県出身。89年、東京大学教育学部卒業後、講談社入社。『現代』『週刊現代』副編集長などを経て現在、講談社(北京)文化有限公司に出向。2008~09年、明治大学講師(東アジア論)。講談社のネットニュース誌『現代ビジネス』に「北京のランダム・ウォーカー」を連載中。

→ 新浪微博:近藤大介ブログ