これは驚異的な随筆だ。何が驚異的だといってね、まるでポエジーのスルメを噛むように、こんなに自在に随筆を書いたのが、あの『あむばるわりあ』『えてるにたす』の西脇順三郎だというところが、とんでもなく驚異なのだ。
ぼくは長らくというよりも、学生時代の一時期にすぎないが、詩人・西脇順三郎をやたらに小むつかしく読んできた。読む前から滝口修造・鮎川信夫・吉岡実というふうにお歴々の名が浮かび、その看板のもとに読んでいたんですね。実際にも横浜山手町の洋館借家2階の本棚に、そういう詩集を麗々しく並べておいた。いや、拝みはしなかった。
思潮社から出ていた真鍋博装幀の『西脇順三郎詩論集』なんてものも、早稲田の2年のころにちゃんと読んでいて、さっき何十年ぶりかにページを繰ってみたら鉛筆の線を引いているところが何カ所もあった。
「詩の中枢は玄の精神である。詩的脳髄とか詩的神経と称するのが玄の精神である」とか、「哲学は統一の形式でみるが、詩はそれらの関係を切断し、転換するのである。即ち切断され、転換された形式でそれらの関係をみるのである」とか、「詩の世界は関係的である。異なった二つのものが一つのものに調和されている関係が詩である。これが玄の神秘である」といったところ。
なかなかいいところに傍線を引いている。これは少しホッと胸を撫でおろしたけれど、西脇順三郎がそういうことを書いていたということは、すっかり忘れていたし、そのことがかんじんの西脇の詩と何ら結び付いてもいなかったんですね。
これからぼくが書くことは、自分でも愕然としてしまって、羞かしいかぎりのお話である。けれどもそれを書いておいたほうが、西脇順三郎をこれから読もうという読者にも、またぼく自身の茗荷色の自戒のためにもいいだろうから、へっへっへ、ちょっとだけ書いておきます。
本書は西脇順三郎の随筆を、飯島耕一・加藤郁乎・飯田善国が選んで編んだもので、まずこの選抜がよかった。なんでも3人がそれぞれ選んだものを17篇に絞ったというのだから、漏斗のような効果がはたらいている。これで数寄屋づくり随筆になった。また、講演などで演壇の脇においておく水差しのことをカラフというのだが、そのカラフにもなっている。喉が渇いたときにすぐ飲める。
まずはこのことが本書の出来をよくしているわけですが、さて読み始めると、あまりに淡々と愉快に本当のことが正直に書いてあるので、ワーッと腰を抜かしたくなってくる。どういうところで腰を抜かすかというと、あまりにその箇所が多いので迷うけれど、たとえば『オーベルジンの偶像』にしてみると――。
いま茄子についての詩をつくることにした。「ああ、なんちゅう紫の瓢箪だ」という思考ができたとする。このとき、この思考をつくることが詩の対象なのだ。むろん茄子そのものは対象ではない。詩人は茄子に関する「なんちゅう紫の瓢箪」という面白い思考をつくる。そこに音が発生し、茄子だか瓢箪だかを超えたものが、そこにごろりとしてくる。ではそれで茄子を離れたかといえば、これが茄子なのだ。
こんな感じである。昭和9年9月の随筆だった。
この調子で走るのだが、それが漢詩や和歌や俳諧に渉猟するとなると、もっと数寄屋づくり随筆が冴えてくる。あれっ、西脇順三郎というのは超現実主義詩人だったと思っていたのにですね、これは何だという驚愕がとっととっとやってくるのだ。
どういうふうに、何がとっととっととやってくるかを示すのは至難であるが、晩年に綴られた『はせをの芸術』ではおおむね、次のような「西脇のなんちゅう色の芭蕉かな」。
では、どうぞ。
まず、まじめな話をすると、芭蕉が杜甫や李白と違っているのは人間の栄達を認めていないところである。こういうところは陶淵明や王維に近い。けれども芭蕉はそこでも人間そのものよりも風雅を詠む。これは一人一人の人間をこえた不易流行である。
ところが風雅は「俳する」ということなので、その不易流行を詠むところで滑ります。「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」は、烏が枯枝にとまったことをさも重大事件のように詠んだところがおもしろい。滑っている。これが「俳」というもの、すなわち「おどけ」です。芭蕉はこうした「俳」を、世の「憂」を忘れさせるために詠んだ。
ただ芭蕉は、ステファヌ・マラルメなどよりはるかに曖昧の文学に挑んでいたので、ふつうに詠むと不明に及ぶ。何がなんだかわからない句が多くなる。そこで「おどけ」だけではまにあわないから、巧妙に「ふざけ」や「とぼけ」を加えた。「名月や月をめぐりて夜もすがら」や「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」などは、私に言わせれば一世一代の相当の「とぼけ」です。
だが、これではまだ大きすぎるのだ。これを一花に注いで朝夕の思いに散らしていくと、「夕(ゆうべ)にも朝にもつかず瓜の花」といった絶妙になる。この「どっちつかず」がたまらない。もっと小さくすれば「水仙や白き障子のとも移り」。ああ、たまらない。けれどもここにはまだしも観察がある。もっと「なんちゅうか」を感じるだけの句にするには、どうするか。
「行く春を近江の人と惜しみける」。これなんですね。
ざっとこんなふうだが、むろんこれは西脇順三郎ではなくて、ぼくの「もじり」だ。それでもなんとか雰囲気は掴めるのではないかとおもう。
で、いよいよ恥の話になるのだが、この『雑談の夜明け』を10年ほど前に読んだとき、最初にも書いたようにびっくりした。かつて抱いていた西脇順三郎ではない西脇順三郎の、なんとも砕けた力のはたらきに驚いたのだ。ここでは紹介しなかったが、いささか自伝的な『脳髄の日記』という随筆が本書にはありまして、そこに西脇の想像力の源泉が「新しい関係の発見」にあることや、ボードレールのコレスポンダンスやロバート・グレイブスに惹かれていることが綴ってあった。詩はイエーツを真似たということも告白されていた。なかでもとくに「詩は新しい関係を発見することである」なんていうのは、ぼくがずっと考え続けたこととまったく同じことであって、なんだなんだそうだったんですね、と思うばかりであったのだ。
ところが、ところが、である。これらの文章、『脳髄の日記』も『オーベルジンの偶像』も、実は早稲田のころに読んだ『西脇順三郎詩論集』に入っていた随筆で、ぼくは御丁寧にもそこに傍線を引いていて、それがまた恐ろしいことに、10年前に本書で感嘆したこととほとんど同じだったのである!
なんちゅうか、本中華。いったい何を読んできたのか、ナマ中華。
もしも、あの早稲田のころのままに西脇順三郎を読まないでいたら、どんなにぼくは西脇を誤解しつづけただろうか、などという話ではない。この話、オチは二つある。
ひとつは、読書というもの、なんともふつつかなものだということですね。これはこれまでもいやというほど体験してきたことだった。もうひとつのオチは、感動は何度も再生してみなければ何にもならないということ、である。西脇順三郎はこの二つ目のオチをしばしば「エピファニー」(顕現)とよんでいた。
芭蕉でいえば、こうなりますか。「よくみれば なづな花さく 垣根かな」。西脇順三郎って芭蕉だったんだ。