才事記

少女時代

フランソワーズ・ドルト

みすず書房 1996

Francoise Dolto
Enfances 1986
[訳]東郷和子

 この本を萩尾望都か大島弓子か岡野玲子か誰かに、きれいなマンガにしてもらいたい。
 そうでないなら、ぼくが好感をもっているすべての女性か、もしくはぼくに多少の好感をもっているすべての女性に、本書を読んでほしい。読めば、この本をなぜきれいなマンガにしたいのか、すぐわかるだろう。

 いったい、われわれ大人はいつ子供であったことから分離してしまったのだろうか
 自分が子供だとおもえた時間はどんなことよりも香ばしかったのに、いつ、われわれは子供であることをやめたのだろうか。自分でやめたのか、それともやめさせられたのか。
 ぼくも大失敗したとおもっている。実のところ、子供のころに、ぼくは大人にならないためのいろいろなことを手をバッチリ打つはずだった。なぜなら、大人たちがおかしくもないのに「そうでっか、うっははっは」と笑ったり、とうてい参ってもいないくせに「いやあ、まいったなあ」と言っているのがバカバカしくて、絶対にああならないぞと心に決めていたからだ。しかも、ぼく自身もいつのまにか大人になるんだから、そうとうにその変化の兆候に気をつけていないといけないぞとさえ、小指に糸を巻つけるかのように、心を緩めないことをしっかり刻印しておいた。
 それがどうしたことか、いつのまにか大人になり、どこで子供と別れを告げたのか、見えなくなっている。

 フランソワーズ・ドルトもやはりうっかり大人になってしまった人だった。
 しかし、彼女はさいわいなことに、その後に長じてすばらしい精神医学者になった。それもフランスに最初にフロイト精神分析学を導入した草分けの一人で、おまけにジャック・ラカンにつながる信念をもっていた。つまり「言語」と「象徴」のはたらきに絶対の信頼をおく人になった。その考え方は著書『子どもの無意識』(青土社)に、さらにはちょっと難しいが、思想界でも話題になった『無意識的身体像』(言叢社)としてまとまっている。この2冊は読んでおいて損がない。
 それだけではない。彼女は1976年からラジオで育児番組の回答者となって、全フランスの相談相手になった。有名人にもなったのだ。それ以来、フランソワーズ・ドルトの名を知らないフランスのお母さんはもぐりだということになったほどである。その全仏の人気をさらった相談番組は『子どもが登場するとき』(全3巻・みすず書房)というユニークな出版物にもなっている。
 そのドルトが自分の少女時代を回顧して、いつ自分が子供から大人になったのかを語ってみようというのだから、これは読まずにはいられない読み物なのである。すべては娘がお母さんのドルトに子供時代のことを聞くというスタイルになっている。だから、まことに優しい本なのである。

 本書の白眉は、ドルトが少女時代に仲良くなったアイルランド系の少女が彼女のそばから離れていったときに、ドルトが病気になった顛末を、ドルトのお母さんのダイヤモンド紛失事件との関連で説明しているところである。
 ここを読むだけでも、ドルトの精神分析が何をもたらすのかが、よくわかる。彼女はこう書いている。
 「子どもは、時間との関連においては親と一緒に重要な出来事を経験していきますが、空間がなにか不安をひきおこす場合は、残っているのは起こった出来事の痕跡だけ、または出来事をおおいかくすような思い出だけです。その空間の鍵は、おとなだけが握っているのです」。
 だから、子供は初めて来た場所でよく迷子になってしまうのだ。この大人の空間認識を子供が手に入れにくいということは、われわれがいつ大人になってしまったかという疑問を解くうえでの一つのヒントになる。われわれがやたらに空間を認識してしまったとき、すでに大人が始まっているということなのだ。
 本書にはこうしたちょっとしたヒントがいろいろ示唆されているのだが、ではなぜフランソワーズ・ドルトがそんなことを気づき、長じて精神分析の道にはいったのかというと、どうも少女期のドルトの家族体験にすべての秘密が隠れていたようなのである。アイルランド少女との別れがあっただけではない。弟とあまり遊べなかったこと、ろくに友達にめぐりあえなかったこと、姉に服葬時期があり、そのうえ死んでしまったこと、母親が娘のフランソワーズに本気で嫉妬していたこと、18歳まで一人で外出することが許されていなかったこと、そのほかいろいろ、あれこれだ。

 これらの家族体験を通して、ドルトは子供とは何かということを自分の痛みを通して知っていき、その痛みを自分がかかった精神分析医を通して自分の少女期が見えてきたようなのである。
 この多重化した屈折を淡々と語っているところが、本書の読みどころなのである。ドルトはこうした屈折をへて精神分析医への道を歩んでいった。つまり、ドルトは自分という少女の秘密を解くために精神分析医学という職業世界を受け入れたのだった。
 このあたりの事情は、そのこと自体が子供と大人の分かれ目を語るものになる。ぼくが説明するのではムリがある。本書を読んでもらうのがいい。そうでなければ、少女期のフランソワーズ・ドルトの表情や態度を絵にしたマンガになってから、読むといい。彼女はとても太った少女だったのである。