才事記

反少女の灰皿

矢川澄子

新潮社 1981

 矢川さんが亡くなった。どうやら自死を選んだらしい。理由はわからないが、矢川さんは別れの好きな人だったから、自分にも別れる気になったのだろう。
 澁澤龍彦と別れ、アリスと別れ、都会と別れ、そして存在するものすべてと別れる。いっさいの想像力とも別れたのである。その逆の見方もできる。つねに自分が愛したものを永遠にしておきたかったのだろう、と。少女としての矢川澄子を見ているころから、そういうことをしかねない人だと見えた。
 しかし、矢川さんはたいへん際立った感覚を、しかもたえず研ぎ澄ましていた人だったから、最初から「反対の一致」を心掛けていたようにも思う。メルヘンは逆メルヘンに、アリスは裏アリスに、音楽は没音楽に、存在は非存在に、そして少女は反少女に。

 矢川さんから『反少女の灰皿』が贈られてきたとき、ぼくはすでにその本を入手していた。ただ有元利夫の装禎があまりに美しい純一無雑の気配を漂わせていたので、土方巽ではないが、この一冊を部屋の隅にある格別の黒棚の上に置いて、ほとんど読まずに措いていた。その前にその黒棚に置いてあったのはイタリアで買ったダンテの『神曲』と岩成達也の詩集だつた。
 その『反少女の灰皿』もいつしか読み終えた。井上鑑君と小池一子さんと矢川さんと、四人で食事をしたあとに、急に読みたくなって読んだのだと憶う。井上・小池・矢川の三人は互いに仲のいい、一人一人がとんでもないクリエイティビティを秘めた親類縁者であった。その夜はなんだか、昭和を惜しむ矢川一族の食卓に招かれたような気分だった。
 読んでみて、反少女とともに灰皿が気になった。矢川さんが指で弄ぶ煙草の細い長さと、その煙草がくゆらせるラピスラズリイな紫煙の流れと、その矢川さんの指先の一挙手を黙って待ち受けている、なぜか白くて焦げ茶のラインが入っている灰皿が目に浮かび、ぼくは正式な標題よりも「灰皿少女」という標題の本を読んでいると勘違いしてしまったものだ。ひょっとしたらどこかでうっかり、「あの灰皿少女、読みましたよ、おもしろかった」などと言って、矢川さんの目をしばしばさせたかもしれない。

 山口小夜子が、「あのね、少女はみだりに笑わないのね、それが本当の少女」と言った。ふうん、そうか、と思いつつも、あるとき手形の裏書でも頼むかのように萩尾望都にそのことを聞いたら、まだそんなことがわからないのかと叱正されるがごとく、「あら、そうよ。当然でしょ」と切って捨てられた。しかし、このことは矢川澄子にも尋ねるべきことだった。
 『反少女の灰皿』に1980年に綴った「こころの小宇宙」という随筆が入っている。「少女の頃、告白ということばに曰くいいようのない嫌悪を覚え、まちがっても口にのぼせぬばかりか、印刷物中に散見するその字面からさえも目をそむけたくなるほどの思いをもてあましたことがあった」と始まる。
 うーん、これだったか。告白なんて、その字面すら嫌いな少女というのか反少女。うーん。

 この反少女は「看君双眼色、不言似無愁」という芥川龍之介の二行が大好きだったという。
 「君看よ、双眼の色。語らざるは愁いなきに似たり」。ただ黙ってこの双つの蒼い眼を覗いてくれさえすれば、そこに言葉にできないほどの深いものが、不合理があるでしょうにという意味で、この「不言」こそが、少女の少女たる真骨頂だというのである。「少女は黙った」。これでいいでしょ、ほかに何か文句あるの、というのだ(もっともこの二行は残念ながら芥川ではなくて、すでに良寛の書に知られる漢詩だが)。
 こうしていくつかの告白否定の少女のことを綴りながら、矢川さんはこんなふうに結んだ。
 「少女はもしかすると呆れるほど身の程知らずなのかもしれない。身を鴻毛の軽きにおくなどという、偉丈夫どもにとってはえてして悲愴感を伴いがちなわざを、だれよりもあっけらかんとやってのけるのがこの手の少女たちであろう」というふうに。
 そして、ついにこう断じるのだ、「現身(うつしみ)はここでははじめから無にひとしい。こうした女性たちをまえにしては、識閾下の抑圧された獣性をいまさら云々してみてもはじまらない。むしろ彼女らがそれぞれの罪のない小宇宙の構築にかけた生得の美意識のしたたかさをこそ評価すべきではないのか」と。

 矢川さん、「不言」なんですね。最後まで「告白」なんてさもしいことをしないで済ましたんですね。
 そういえば、シュペルヴィエルのこんな話を紹介していたことがありましたね。思い出します。「はるかな沖合の波間にうかぶ無人の村。その幻の村で、少女はいまもなお生きている。ひとりぼっちで、おさらいをしたり、手紙を海になげこんでみたり。少女はいつまでも十二歳のまま、老いることも、いまさら死ぬこともできない。なぜならとうに死んでしまっているのだから――」。