林屋辰三郎
歌舞伎以前
岩波新書 1954
ISBN:4004130999

 時代を画した名著だった。
 どういう意味かというと、この本が示した方向によって日本の芸能史の研究が一斉に進むことになった。
 昭和29年に著されたことを驚くべき早期の成果とみるか、そのとき林屋さんは40歳だったから、まあこのくらいのことは研究者として書けるだろうとみるかは、それはこの分野にかかわる者が決めることであって、ぼくの判断にはないことだが、正直にいえば、いま40歳でこれほどの方向を適確に示しうる研究者はいないのではないかという気がする。
 歌舞伎以前の芸能史など、まことに細々としたものだったはずなのに、それを扱って堂々としたパースペクティブを組み上げ、そのどこからでも大きなテーマが引き出せるようにしたこと、しかもそれを新書のような瀟洒なスタイルにおいても、いっさいの撤退をしなかったこと、こういうことはタテ割り研究に安住している昨今の日本では、めったにできるものじゃないのである。

 最初に「歌舞伎以前」を日本の芸能の歴史と捉え、それは民衆の歴史だという立場をとる。ついで、それには地方史研究、部落史研究、女性史研究が絶対に欠かせないと断定する。
 こういう決然とした書き出しもよかった。構成も「信西古楽図」から始めて宗達の舞楽図屏風で締めるというふうに、その後のゆるやかな学風を披露し、多くの後継者を育てた林屋さんからすると、バチバチに決まっていた。
 テキストと事件と制度の関係についても入念だった。最初に藤原明衡の『新猿楽記』がとりあげられるのだが、その内容の点検を律令国家にはあった中務省雅楽寮の散楽戸が廃止されたことに関連づけ、そこから「戸」の問題へ、その背後の良民・賤民の問題へ、さらにはそこから浮かびあがる「散所」(さんじょ)の存在へと視点を移し、そこに、いまはすっかり話題になった神人(じにん)や寄人(よりうど)や供御人(くごにん)の動向をくっきり浮かび上がらせた。
 とくに散所の説明は、これを最初に読んだときは、むろんぼくに知識がなかったせいもあるが、ぶるぶる震えがきたものだ。法師原や説経節の発生がしっかり見えたのもこのときだった。

 ことほどさように、この新書一冊はぼくに驚くべき充実を与えてくれた。中世日本にどのように「座」や「頭」が、「一味」や「寄合」が発生したのか、そのことがどれほど日本の芸能の根底にとって重要なのか、この一冊でとんでもないことがわかってしまったのである。
 林屋さんは「結座性」と書いていたが、いまなお日本人が座をもうけて気持ちを合わせるという習慣をもっていることと、そのように今日に伝わる結座の習慣がそもそも中世のどこかで生まれるにあたっては、どんなに複雑で苛酷な社会システムの変換と変更と工夫が重ねられてきたかということが、たちまちにして結びついたのだった。
 中世は自由狼藉の場所をあえて創発させていったのである。しかも耐えられないほど辛い場所に。しかも想像を絶するほど明るい陽気によって。
 それがなかったら、当時の芸能民の発想や所作や音曲が今日では伝統芸能という看板で守られたものになったかどうか。そこに「合わせ」という方法や連歌による「連ね」という方法が集中して自覚されなかったなら、いったい日本の今日の芸能文化はどうなっていたか。
 それでもきっとわれわれは、一面のフラメンコやシャンソンのような、一様のフラダンスやファドのような、民族としての誇りある伝統芸能をもったであろう。けれども、そのかわり、扇子ひとつの動きで別々の流派になるような踊りや舞の多様を、三味線の糸の太さで浄瑠璃から清元におよぶような語りや音曲の多彩を、面(おもて)をつけるか人形の首(かしら)にするかで舞台も演目も桟敷も変わってくる見所の複雑を、さて、はたしてもてたかどうかはわからない。

 もちろんこのような日本芸能のパースペクティブを跡付けるにあたって、ひとり林屋さんだけが先行したわけではない。喜田貞吉がいたし、高野辰之も岡崎義恵も折口信夫もいた。
 しかし林屋辰三郎にはその先駆性とともに、まるでかつての芸能者が座を組んだような「研究における結座性」があった。林屋さんが立命館に行ったときは、そこにはすぐに"二井"とよばれる村井康彦・赤井達郎が台頭したし、ぼくは同世代なのでいろいろ話しこませてもらってきた守屋毅・熊倉功夫・堀口康生の三羽烏ははやくから精力的な芸能文化研究をおこして、歴史家にも影響を与えていた。その結座的影響力の成果は、森谷尅久を中心に執筆編集された『京都の歴史』と、全7巻におよんでほとんど芸能文化の全貌を極めた『日本芸能史』にも集約されている。

 ぼく自身は林屋さんが京都国立博物館の館長時代に、講談社から頼まれた『日本美術文化全集』(通称「アート・ジャパネスク」)のときに、監修者として全巻にわたってお世話になった。その後も何かというと林屋さんには泣きつかせてもらった。
 このようにわれわれがいま日本の芸能文化を語れるのは林屋さんのおかげであり、また林屋さんによってネットワークされた芸能史研究会などのおかげであるのだが、林屋さんは決して前に出ようとはしなかった人でもあった。権力や権威の一切を嫌っていた。
 それは日本の「歌舞伎以前」の芸能者がつねに散所や河原や公界にいつづけていたことと「無縁」ではないだろう。

参考:林屋辰三郎の学術的な成果としては、なんといっても『中世芸能史の研究』(岩波書店)が圧巻。ほかに『南北朝』『近世伝統文化論』(創元社)、『町衆』(中央公論社)、『中世文化の基調』(東京大学出版会)、『文明開化の研究』(岩波書店)などがあるが、ぼくとしては芸能史研究会が総力をあげた『日本芸能史』全7巻(法政大学出版局)をぜひ推挙したい。ぼくの芸能文化のアーカイブはほぼここを出発点にしている。

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