ヘルマン・ヘッセ
デミアン
新潮文庫 1951
ISBN:4102001026
hermann Hesse
Demian 1919
[訳]高橋健二

 去年の秋のこと、帝塚山学院大学が催した「花のドットコム」というシンポジウムの席上で、田口ランディが「やっぱりデミアン読んでいたら、そういうことになりますよ」と言った。
 そういうことというのは、"others"とか"there"に関心をもつということをいう。その日の「花のドットコム」のテーマは「心とITはどうつながっているか」というような内容で、パソコンでネットの向こう側と交信をしていると、どんな心境になるかというような話題を交わしていたわけである。
 そりゃあデミアンを読んでいた少年少女ならパソコンに夢中になりますよ、そう、田口ランディは断言したのだった。
 満席のシンポジウムの壇上にいながらも、一瞬にしてぼくは『デミアン』を読んだ当時の、いくぶん宗教的で、かなり甘酸っぱい思索の日々を思い出していた。デミアンを思い出すなんて、ずいぶん久しぶりだった。

 もっとも15年ほど前だったか、一度だけデミアンを思い出したことがある。『オーメン』という映画を見たときだ。
 この映画は『エクソシスト』で味をしめたハリウッドのオカルト映画の勝負手のようなものだったろうが、少年の頭頂に「666」の数字があらわれていたというスティグマ(聖痕)をテーマにしていたためか、妙に深刻なエンタテイメントになっていた。
 主人公の少年の名前がダミアンだった。ちょっと太めの、なかなかいい少年俳優だった。
 ダミアンはあきらかにデミアンのヴァージョンである。そしてデミアンは「デーモン」のヴァージョンである。映画館の暗闇でぼくはこの符牒に気がついて、ついでに有島武郎の『カインの末裔』のラストはどうだったっけということをちょっとだけ思い出していたのだが、すぐに映画の筋に戻っていた。映画のほうはまずまずで、1年後だか2年後だかに続篇も製作されたので見てみたが、これはつまらなかった。やはりダミアンもデミアンも大人になってはつまらない。

 ヘッセの『デミアン』を読んだのは、田口ランディがそうだったように、高校生のころである。
 ただし『車輪の下』『郷愁』『春の嵐』『知と愛』を読んだあとに、続けて読んだ。ということはハンス・ギーベンラート、ペーター・カーメンチート、ヘルマン・ハイルナー、ゲルトルート・イムトル、ハインリッコ・ムオトといった、なんともジャーマンな、なんともユーゲントシュティールな名前の洗礼をうけたあとということで、これらの登場人物がアタマのなかの寄宿舎でうじゃうじゃ渦巻くうちに、読んだわけだから、きっと正当な読み方などしなかったのだとおもう。
 もっとも、そんなふうに読んだことが、かえってヘッセの意図がよく見えたことになったのかもしれない。だいたい、われわれ読者というものは勝手なもので、作家が書いた作品を処女作から順番に読むなどということはしないものだが、ことヘッセに関しては、ぼくはおおむね発表順に読んだからである。

 ヘッセが『郷愁』を皮切りに『車輪の下』『春の嵐』などの青春文学から、第一次世界大戦をへた直後の『デミアン』で大きな転回をして、後半は『シッダールタ』『東方巡礼』『ガラス玉演戯』といった禅定思考のような境地に向かったことはよく知られている。
 『デミアン』はあきらかに転換点にある。
 文学史家が跡付けたのではない。あとで説明するように、ヘッセはそのことを充分に自覚して『デミアン』を書いた。アベルの正義と浪漫に対するにカインの悪徳と破壊の意味を下敷きにしたのは、そのせいだった。
 ただしそれをもって、青春文学を書いていたヘッセが「悪」の領域に踏みこんだというのは、当たらない。
 ヘッセという人、たとえば『春の嵐』でも、「聖書は知見にいたるひとつの有効な道だけれど、知見そのものではありません。君はカルマの学説を知っていますか」とローエ先生に言わせて、少年に「接神術とカルマ」をめぐる一冊を貸し与えるような場面をしょっちゅう挿入してきた作家なのである。『車輪の下』においてすら、「聖書を汚しちゃいけないぜ、けれども魂を損なうよりは肉体を十ぺん滅ぼすことだよ」といったセリフを乱発させていた。
 高校生であるぼくは、きっと田口ランディもそうだったとおもうけれど、そのようなセリフを読むたびに息をひそめてこの悪魔的で清浄なような、神秘的で悪徳に満ちたような、ヘッセが繰り出すさまざまなアンビバレンツな精神存在学の断片を、さてどこにしまっておけばいいのか、その引き出しを誰かに見られたらどうするかといった「おののき」にいたものなのである。
 だからヘッセは『デミアン』以前に、すでにデミアンを隠しもっていたというべきだった。では、なぜヘッセは『デミアン』をもってデミアンを顕在させたのか。

 ヘッセは南ドイツのカルプで1877年に生まれている。ここはシュヴァーベン地方といって、シラー、ハウフ、メーリケ、それになによりヘルダーリンの故郷でもあって、ヘッセが詩人であろうとした決意を動機づけている絶好の詩的環境である。
 ここからヘッセはまず育つ。ヘッセはいろいろ海外を旅しているのだが、世界中で一番美しいところはシュヴァーベンの黒森(シュヴァルツヴァルト)のもとの古い町だと、このことについては絶対の自信をもって書いている。実際にもその郷土を描いた散文作品は大小40篇におよんでいて、それだけを集めた『ゲルバースアウ』という2巻本も刊行されている。ゲルバースアウというのは「皮なめし職人の里」といった意味をもつ。
 しかしヘッセを育んだ環境はもうひとつあって、それがインドを筆頭とした東洋なのである。そこは黒い森とはちがった禅定の森でもあって、また異教の森でもあった。

 ヘッセの父親は北方ドイツ系ロシア人で、新教布教師としてバー ゼルで修行ののちインドにわたった。そこでインドに生まれたドイツ人の牧師の娘のマリーと出会い、二人がカルプに戻って生んだのがヘルマン・ヘッセだった。
 加えて母方の祖父がキリスト教とともにヒンドゥ教や仏教に通じていて、『私の幼年時代』や『魔術師の幼年時代』を読むとわかるのだが、ヘッセはこの祖父の強い影響のもとにこそ育った。「少年のころ、ぼくは魔術師になりたかった」と書いているのは、こうした異教への憧れにもとづいている。新島襄がそのころに訪独したときの印象も強いものだったらしく、『デミアン』にもそういう日本人が出てくるが、ヘッセは少年期にしてすでに自分の中の異人(マレビト)に敬意のような畏怖を抱いていた。

 けれども少年ヘッセは、第3の環境、すなわち家庭環境に押し切られてもいた。プロテスタントの牧師になることを宿命づけられたようにマウルブロンの神学校に進むことになり、共同生活を強いられることになる(寄宿舎はヘッセのテーマでもある)。
 ついでチュービンゲン大学で神学を修めることになるのだが、ここでヘッセは家庭の善意が押しつけつづけた道を唾棄することにする。自殺を思いつき、借金のうえピストルまで入手したのは、プロテスタント的キリスト教に対する抵抗でもあった。
 それでも良家の家庭というものは強いもので(これをドイツではビーダーマイヤー感覚という)、周囲の親身の心配でやむなく転校するのだが(転校はヘッセのテーマでもある)、ここでも首尾よく11カ月で挫折、町工場で歯車を磨いたりしながら、本屋の店員を転々としてツルゲーネフやハイネに耽っていく。

 こうして、ともかくもドイツ的なアウトサイダーとしての出発をしたヘッセは"詩を書く書店員"としてなんとか名声を得ていき、やっと『郷愁』(ペーター・カーメチント)で反響を知って自身がたった一人でないことによろこび、『車輪の下』『春の嵐』(ゲルトルート)で作家の地位をつかんで社会に包まれる自分をつかむのだが、もうこれでいいだろうと楽観して結婚し、男児3人をもうけてからが、実は新たな苦悩の日々となった。
 そこで試みたのがインド旅行である。シンガポール、スマトラ、セイロンをまわった。
 これでなんとか魂の原郷ともいうべき彼方の存在を確認するのだが、戻ってみると、離婚、愛児の喪失である。それに加えて未曾有の世界大戦だった。ドイツは想像だにしなかった敗北へ落ちていく。マルクは日に日に下落して、世界一の屈辱にまみれた。
 ここで、一からやりなおしをすべきだと、ヘッセは覚悟する。自身の魂の遍歴の当初に蟠(わだかま)っていた根本矛盾ともいうべきものを描こうと決意する。それが問題小説『デミアン』なのである。
 これで宿便が出たのだろうか、ヘッセは3年後には『シッダールタ』を、さらに『東方巡礼』『ガラス玉演戯』を書いて、晩年は般若経のような心境の記述に徹していった。

 『デミアン』が問題小説だというのは、この作品をエーミール・シンクレールという変名で出版したことでも察しがつく。
 ヘッセほどのアウトサイダーにして、自身の存在の子居にひそむ矛盾を晒すのが躇らわれたのである。ただし、いざ『デミアン』を発表をしてみるとあまりに賛否両論の話題になったので、四版目からはヘルマン・ヘッセ作『デミアン―エーミール・シンクレールの青春の物語』となった。

 この作品は少年シンクレールがデミアンという聖なる背徳を心得た級友に惹かれながらも、なんとかその呪縛を逃れて母なるものに抱かれるというものになっている。
 それだけなら何ということはないのだが、シンクレールはデミアンに出会う前にフランツ・クローマーという「悪」に捕まって、すでにカインの刻印を余儀なくされている。そこに鳶色の髪をもつデミアンが颯爽と登場し、シンクレールを「悪」から守る。シンクレールはカインの印をもつ子供にならずにすんだのだ。ところが、デミアンは神と悪徳をめぐって意外なことを解説してみせる。
 シンクレールは驚いて言う、「じゃ、カインは悪者じゃなかったんだね」。
 このセリフこそ、かつての青春ヘッセがデミアン・ヘッセになった瞬間の言葉なのである。
 カインが気高い者でアベルこそが臆病者だというデミアンの論理は、その後のシンクレールを混乱させていく。どうもデミアンこそがカインの一族の真実を知る者かもしれなかった。父親にこっそり聞いてみると、そのようなカインに対する解釈は原始キリスト教の一部にあったもので、それを克服してきたのがキリスト教であり、プロテスタンティズムというものだったと言う。
 しかし、もしそうだとすると、どうみてもキリスト教はアベルとしての自分たちをごまかしているとしか思えない。シンクレールはデミアンから離れて、自分の知覚と体験を重視してみるためのささやかな冒険をするべきだと決意する。

 そこでシンクレールはデミアンと離れ、まずベアトリーチェと名付けた少女に恋を試みた。
 その形而上的な愛を通して矛盾を昇華することを望むのだが、これはあっけなく失敗する。"there"は手に入らない。
 ついで、別の神を思うことにする。アプラクサスという神で、一般には魔術と結びつけられている神名だが、そこには神と悪魔がまだ未分化のままにあると思えた。そのことを強調してくれるピストーリウスという音楽家をめざす青年にも出会えた。ピストーリウスは、芸術というものは神も悪魔も抱えもつアプラクサスのようなものだと言明をした。
 しかしアプラクサスになるには、シンクレールは芸術家としての自身を完成させなければならない。ヘッセはロマン・ロランに憧れたところもあるので、このようにシンクレールを描くことは、実際のヘッセの努力のひとつに入っていたのだろうとおもわれる。
 けれども、ヘッセもシンクレールも、とうていベートーヴェンになれるとはおもえない。かれらは、どちらかといえばモーツァルトたちなのである。魔笛が聞こえる者たちなのだ。
 案の定、このアプラクサス計画も挫折する。"others"も手に入らなかったのだ。

 こうして、シンクレールは「夢」の共有という奇妙な計画に関心をもつ。これは当時勃興しつつあったフロイト心理学にヘッセが血迷ったことを証しているのだが、むろん他者との夢の共有など、うまくいくはずがない。シンクレールはついに力尽きて、大いなる女性に包まれることを希求するようになる。
 ところが、そうしてやっと出会えた女性というのが、なんということか、デミアンの実母だったのである。シンクレールはデミアンの母に包まれる快感をおぼえてしまったのだった。
 デミアンという神、デミアンという悪魔、デミアンというアプラクサス、デミアンという夢を生んだ母なるもの、それがシンクレールの最後に行き着いた原点だったのだ。それはいっさいの矛盾の分母でもあった。
 しかし、そうだとするなら、デミアンとはもともと母なるものが遣わした「メッセージという生物」だったのである。

 ヘッセは原罪を問うたのではない。神を呪ったのでもない。そんなことではなかった。ヘッセは歴史を問うたのである。
 キリスト教の神の歴史があまりに粗雑でありすぎることを問うたのだ。これはオスヴァルト・シュペングラーがドイツの敗戦のあとに『西洋の没落』を書いてセンセーションをもたらしトーマス・マンが『魔の山』でドイツという個性を問うたことに似て、ヘッセが自身の少年期を賭けて問題にしたかったことだった。
 それを『デミアン』で神と戦争の歴史の矛盾とともに突き出してみたかった。

 このように『デミアン』を見ることは、とくに難しいことではないだろう。
 すでにこれまでの「千夜千冊」のなかで、たとえばアーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』でも、またミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』エレナ・ガーロの『未来の記憶』でも、またアリスター・ハーディの『神の生物学』デズモンド・モリスの『裸のサル』バーナード・マッギンの『アンチキリスト』でも、さらにはアリストテレスの『形而上学』岡倉天心の『茶の本』三木成夫の『胎児の世界』でも、ぼくはこれらに似たことこそが物語の当初にひそんでいることを告知しておいた。

 その物語の当初にあるものとは何かといえば、「胚胎と告示とは何か」ということである。
 何かがそこにあるということは、それ以前にそれが辿ってきたいくつもの流れがあり、その流れはもともとはどこかの母体に宿っていたものだということである。
 しかしながら、たんに母体に何かが宿ったというだけなら、そこから分岐はおこらない。正負も生まれない。
 母体に何かが宿ったということは、その胚胎にすでに「分岐の原型」がひそんでいたということである。

 ぼくはいつのことかは知らないが、いつしかすべての重大なものには、つまりは神やら宇宙やら心やら愛などというものには、あるいはまた、歌や舞踊や大工や文様というものには、最初から矛盾と葛藤の原型こそがひそんでいるのであって、その「マイナスの割れ目」をどのように直観するかということが、何かを考えるということの根本であると了解できていた。
 いいかえれば、そういう「分岐の原型」こそがのちにグノーシスとか、ラプラスの魔とか、地球幼年期とか、そしてときにはデミアンとよばれることになるものなのである。

 そういえば、田口ランディがシンポジウムが終わって、こんなことを言っていた。
 彼女は、自分の心と科学の関係とか、ロマンティックなことと真理の探求が歴史のどこかにつながっているだろうというようなことをしきりに考えていた少女だったようなのだが、そんなことに当時まともに対応してくれる雑誌は「遊」以外になかったので、そのころ「遊」を異様な熱意で読み耽ってくれていたそうなのだ。
 ぼくは「ふうん、そうなの」と言って、過去の熱心な愛読者に感謝した。が、彼女はつづいて、こう言ってのけたのだ。ぼくがかつて「遊」で見せたような世界観の切り口は、「あれはやっぱりデミアンのためのものよね」と。
 はい、そうだったかもしれませんね、ランディ・ゲルトルート・イムトル。

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