ワイルダー・ペンフィールド
脳と心の正体
文化放送 1977 法政大学出版局 1987
Wilder Penfield
The Mystery of the Mind 1975
[訳]塚田裕三・山河宏

 何の分野であれ、その分野に接するにあたって誰の著書によってそこへ入っていったかということが事を左右する。それによってその分野に対するスタンスが長期にわたって自分の中に予告されつづけるということがあるからだ。
 これは街の印象のようなもの、店の印象のようなものに似ていなくもない。店というもの、「ちょっといい店があるんでね」と誰かに誘われ連れて行かれた印象によって決定づけられることが多い。書物にだってそういうことがあるわけなのだ。ぼくを誘い、ぼくをそこに連れていくのは、ときに著者自身でもある。

 この本で、ぼくは脳の冒険に入っていった。
 その前に時実利彦や一般科学書の脳科学をめぐる案内をいくつも読んでいたものの、この本がなかったらもっと違った道を歩んでいただろうとおもう。
 そもそも本書は、脳科学の新たな出発点を準備したことで時代を画期する一書だった。
 現代脳科学の第一弾を放ったのはチャールズ・シェリントンだったろう。そして第二弾がペンフィールドなのである。しかしそれは「脳科学をもって心の本体に迫る」という意味からすれば、本書にこそ最初の「脳から心へ」というロケット発射の軌道があったのだから、本書こそが第一弾だったともいえる。これを受けた第三弾はおそらく20世紀で最も大きな脳科学の構想を展開したジョン・エックルスであったろう。

 脳科学のように日進月歩の分野では、本書に見られるペンフィールドの実験や仮説には、さすがに古くなってしまったものが少なくない。
 しかしながら、ぼくにとってはなんといっても本書こそが燦然としている「脳と心の一書」なのだ。最初の印象に忘れられないものがある。だからペンフィールドはぼくにとってはいまなおペンフィールド先生なのだ。

 ペンフィールド先生がモントリオール神経学研究所を創設したのは1934年である。2年後、ハーヴェイ記念講演を次のような言葉で結んだ。
 「私は"理解の場"がどこにあるかという問題について論じてきた。ここでいう"場"とは、随意運動の開始と、その前提条件である感覚情報の総合に最も密接に関係している神経回路の位置を意味する」。
 1952年、ペンフィールド先生は側頭葉に電気刺激を加えたときに患者が示す自動症の反応を初めて観察した。そして「癲癇の自動症と大脳中心統合系譜」という論文を発表した。自動症というのは、夢遊病患者のように行動が無意識的におこり、のちにその記憶がない状態になることをいう。そこでは間脳が統合作用の中心なのかもしれないという考え方がのべられていた。
 1958年、ペンフィールド先生はシェリントン記念講演で、次のような意見を述べた。「電極から大脳皮質へ電流が流されると、その部分の灰白質の正常なはたらきが完全に妨げられてしまう」。
 1960年、ペンフィールド先生は脳神経外科医の現役を引退した。そして、それまで「記憶領」とみなしてきたものを「解釈領」というふうに捉えはじめた。そして、こう考えた。「解釈領は、言語機能についておこなうことを、言語によらない観念の知覚についておこなっているのではないか」。

 ペンフィールド先生はこのとき海馬にも関心を寄せ、動物実験では海馬が匂いをトリガーとした記憶のしくみに重要な役目をはたしているらしいものの、おそらく人間では別の役目をもっているのではないかと推測した。
 そして、むしろ海馬には意識の流れを記録するための「鍵」があるのではないかと仮説した。
 この仮説はいまなお有効である。まだ、その秘密を誰も解いてはいないけれど、ペンフィールド先生の軌道に沿って実験をし、新たな展望をもとうとしている脳科学者は少なくないはずだ。

 ペンフィールド先生の考え方にある中心のアイディアを象徴しているのは、次の文章である。
 「意識の流れの内容は脳の中に記録される。しかしその記録を見守りながら、かつ同時に命令を出すのは心であって、脳ではない。では、心は独自の記憶をもっているだろうか。その証拠はないという理由で、答えはノーである。そうした記憶があるとすれば、まったくおもいもよらない別種の記憶が存在することになる。そんな別種の記憶がないのだとしたら、心は最高位の脳機構を通じて一瞬のうちに記憶の中の記録ファイルを開くことができると考えたほうがよいだろう」。

 脳を動かしているのは脳でなく、心なのである。
 ペンフィールド先生はそう確信していた。
 ここで心というのは、特定の意味をもつパターンに整えられた神経インパルスをちょっとだけ押してみるトリガーの動きのようなもの。もうすこしペンフィールド先生がつかった比喩でいえば、「脳はコンピュータ」で、「心はプログラマー」なのだ。
 だが、これはペンフィールド先生にしては誤解をうけやすい比喩だった。そこでこれをぼくの言葉でいえば「心は注意のカーソル」だ、ということになる。脳の中のどこに注意のカーソルを動かそうとするかという意図の集計結果が、心なのだ。
 このほうがペンフィールド先生の考え方に近いはずである。ここで重要なのは、心は独自の記憶も記録ももっていないということである。

 というわけで、ペンフィールド先生は「心は脳のどこにも局在しない」と言ったのだった。そして、にもかかわらず「心を脳のしくみだけで説明することはできない」と言ったのだ。
 ぼくが本書を「脳と心の一書」と感じつづけてきた理由は、この二つの言明を同時に提起しているところにある。
 かつてデカルトは心の正体は松果体にあると考えたが、そのように心が体のどこかに局在することはない。また脳の中にも局在していない。先生はそう考えたのだ。
 そう言うと、ずっとのちにカール・プリブラムが提起したホログラフィック・モデルを想定したくなるが、先生はそう考えたのではなかった。プリブラムは脳のホログラフィックな状態を心の動きの現場とみなしたわけだが、先生は心はそのような脳のしくみでは、それがどのようなモデルであれ説明ができないと見たわけだ。

 ともかくもペンフィールド先生が本書でのべたことは、ここまでである。「心の正体がここにあると言うべきではない」という決断までがのべられたのだ。
 しかしペンフィールド先生は最後の最後になって、こんな問題にも言及した。それは、先生の考え方が「心は独立した存在だ」というものとして人々に受け入れられるなら、「その心は死後はどうなるのか」という疑問にも答えるべきなのだろうというものだ。よくぞこんな問題にまで言及したものだと思う。
 これは、心が脳と別なものであるとすると、肉体の活動に所属している脳の活動が生命の灯が消えることによって停止したとしても、心の活動が継続されることがあるだろうという"霊魂不滅説"のような問題だ。そこをどう考えればいいかということだ。
 偉大な脳科学者がそこまで踏みこんでいくというのはあまりにも大胆であるのだが、ペンフィールド先生は平気でその道を通過していった。

 第一の結論は、心は脳のしくみを通してのみ交信状態をつくれるのだから、脳の活動がないところでは心は作動しないというものである。第二の結論は、心が脳の活動停止後も動くとすれば、そこには心の動きのためにどこからかエネルギー源が補給されていなければならないのだから、肉体が死んだのちの補給は外部しかないということになる。
 これは大胆というより無謀な結論である。
 けれどもペンフィールド先生は平然と、こう書いた。「私たちが生きていて脳と心がめざめているあいだに、ときどき他の人の心あるいは神の心とのあいだに直接の交信がなされたとしていたら、どうだろう。この場合には私たちの外部に由来するエネルギーがじかに心に達しうることも不可能とはいえない。心が死後に脳以外のエネルギー源にめざめることを期待するのも、あながち不合理とはいえないのである」!
 これだから、本書は忘れられないわけなのだ。

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