オギュスタン・ベルク
風土の日本
筑摩書房 1988
ISBN:4480080171
Augustin Berque
Le Sauvage et L'artifice (Les Japonais Devant La Nature)
[訳]篠田勝英

 オギュスタン・ベルクとはこれまで2度にわたって話しこんだ。
 そのつど漠然と教えられることが多かった。精緻な言葉ではない。あくまで漠然としていた。しかしながら、「漠然とした暗示」は、「鋭利な指摘」よりずっと効果が高いことがあるものなのだ。ベルクの会話にはつねにそれが満ちていた。
 ベルクが書くものはどうか。そこにも「漠然とした暗示」が溢れている。必ずしも論理や理屈だけでは攻めてはこない。それでいて、全体のことも部分のことも、そして超部分のことも、じっくり伝わってくる。これはベルクが「日本」を相手にしているからだろうか。

 ベルクの『空間としての日本文化』(Vivre l'espace au Japon)を読んだとき、日本語だけにあってフランス語にはめったにないオノマトペイアの特徴をたくみにつかって、これからのべる日本文化論の入口にアプローチしようとしている冒頭に虚をつかれた。
 このぶんではずいぶん意外な論法で押しまくられるなとおもったが、その後の議論の調子はゆっくりとして、はなはだ悠揚迫らない。ひたすら静かに日本語の特質に入っていく。そこで、なんだこれなら一安心とおもっていると、たとえば「おもかげ」などという、日本人でもその説明をちゃんとできない概念について、まことに適確な分析を始める。
 そしてついには「日本人の公は私の中にある」といった、日本人にとっても最も重大で、かつややこしい「公私の感覚」の底辺を深くえぐっていくような議論を、まるで畳職人のように仕上げてしまうのであった。ようするに、すべてはベルクのペースなのである。
 が、これが外(ほか)でもない日本論なのだ。ベルクが見た日本の風土なのだ。われわれに関する問題なのだ。
 そこでついつい、われわれ日本人は日本をこのように議論すべきだったのか、われわれはベルクにならなければならなかったのかとおもわされてしまう。
 そういうベルクが2冊目に発表した日本文化論が『風土の日本』である。さすがにぼくも警戒をして読んだおぼえがある。

 結論から先にいう。
 ぼくは本書を警戒して読んだにもかかわらず、ベルクの術中にはまってしまっていた。
 一茶の「夕立やかみつくやうな鬼瓦」から話が始まっているのが、よくなかった。フランス人が一茶をさらりと出して日本のことを出すなんて、とんでもない。ベルクは日本人の気象感覚をヨーロッパ人と比較するためにこの句を持ち出しているのだが、一茶の感覚がぞっこん好きなぼくは、その手練にやすやすとのってしまったのである。
 これで、もういけない。「花冷え」「晩春」「入梅」「残暑」といった感覚の内奥を、ぼくは存分に知っていながらも、その存分に知っている感覚の裏地のようなものをフランス人から次々に教えられてしまった。
 むろんちょっとは抵抗もする。「風景の共感覚」などという言葉にだまされないぞとおもってもみる。が、その「風景の共感覚」の例として、「石山の石より白し秋の風」なんぞをすっと出されるので、またまた気分がよくなってくる。困ったものである(ちなみに、この句が誰の句かは、「千夜千冊」の読者は御存知ですよね。もし知らないのなら、諸君はベルクからではなく、日本の古典からやりなおすべきである)。
 こういうわけで、なんのことはない、結局のところ、ぼくはベルクとは共同戦線を張ることにした。二人で、近ごろ不毛な日本文化論を驀進しようじゃないかということになったのである。ぼくが『日本流』や『日本数寄』をたてつづけにまとめようとおもったのは、この会話がひとつのきっかけになっている。

 だいたい日本人は、『古今集』で扱いが9番目にすぎなかった「月」が、『新古今集』で最も多い歌題になったからといって、ああ、そんなものかとしか思わないだらしないところがある。
 また、仮にそういう問題に研究者たちが関心をもっても(そういう人はたくさんいるが)、かれらはそこから日本文化の本質を導きだしたりはしない。ところが、オギュスタン・ベルクはそこから“日本のゲシュタルト”まで進み、そこにレヴィ=ストロース、ピアジェ、フーコードゥルーズを通過して、さらには和辻哲郎から唐木順三までを駆使して、われわれの心情の底流を言葉で埋め尽くしてしまうのである。
 それだけではなく、本書ではとくに古田織部の表現性と富士谷御杖の言語論の考え方が強調される。新古今の確立はここまで流れをいたすのだ。
 ときには、日本人の学者がこういう本を読むべき理由が、こういうところにもある。

 もともとベルクが日本研究の出発点にしたのは、和辻哲郎の『風土』である。
 ベルクは「風土」を“milieu”ととらえた。あいだにあるもの、である。その風土の概念を、ベルクは多彩な知識を援用してヨーロッパの哲学や地理学と照らしたうえで、ふたたび独自な概念として上昇させ(たとえば風土性=mediance)、そこに加えてベルク自身の風土観念を仕込ませていった。
 こうしてできあがったのが「通態」(trajet)や「通態性」(trajectivitet)という概念である。
 気象や植物などの空間を構成するものと、そこにいると精神や観念がふと能動的になる場所的なものとが、互いに作用しあい、組み合わさってつくられる風土的な特性のことをいう。なかなか暗示的である。
 ベルクはこの「通態性」をもって、日本人のわれわれが「ふるさと」とよんだり、「おもかげ」とよんだり、あるいは「みやび」「さび」「あはれ」とよぶものを解明しようとしたのであった。

 実のところ、この最後の試みは、まだ成功しているとはいいがたい。
 実際にも「通態」の真価は、その後の環境論をめぐる著作『地球と存在の哲学』(ちくま新書)などで初めて発揮されていて、それがふたたび日本論や日本風土論に適用されてはいないように見える。
 ベルクは、日本論を手がかりにして、もっと普遍的な問題のほうに行ってしまったのだろうか。そういう気もする。
 そうだとすれば、それは一面、寂しいことであるが、一面、日本論とはむしろそういう寂しい方向を本質的にもつべきものだとも、いえるのである。かつてフランスやドイツに学んだ九鬼周造がそうだったように。ぼくが『日本流』に綴ったように。

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