三木のり平
のり平のパーッといきましょう
小学館 1999
ISBN:4093872600
[聞き書き]小田豊二

 この本のおもしろさは、聞き手であって文章のまとめ役である小田豊二の手腕によっている。聞き出し編集術のお手本のような手腕だ。誰にでもできる編集術ではない。
 小田はぼくと同世代で、早稲田の政経から出版社やデザイン事務所をへて、井上ひさしの「こまつ座」立ち上げに参加し、自身で機関誌「the座」を創刊して、聞き書きのプロになっていった。すでに『勘九郎芝居ばなし』(朝日新聞社)、植木屋名人の佐野藤右衛門に喋らせた『櫻よ』(集英社文庫)、太鼓持ち名人の悠玄亭玉介を追った『幇間の遺言』(集英社文庫)といった場数を踏んでいる。芸人に何を聞けばよいのか、何を聞かなければかえって喋り出すのか、そのコツがわかっている。
 この本でもまことに巧みにのり平の言葉を誘導した。その誘導の言葉は本になった活字からはことごとく削除されていて、すべてがのり平自身の語り口になっているが、われわれプロの編集屋から見ると、聞き手の苦労と苦心が見えて、なおおもしろい。少ない質問でも相手が長く答えてくれるときはいい。質問や促しの言葉と相手の応接の言葉の量があまり変わらないときの聞き書きは苦労する。ぼくのばあいは、林家正蔵が彦六になったときの聞き書き原稿で三日をつぶした。
 とはいえ、やはりどういう相手を選ぶかなのである。本書も三木のり平の途方もないおかしみがあるからこそ、そのおかしみを編集することに徹することができたのだったろう。
 
 のり平のおかしみは「かがみ男」にあるようにおもわれる。世の諺に「かがみ女に反り男」という。女は少しかがんで俯向きかげんでなよやかにしている姿がよく、男は反対に少々胸を反らしているほうが男らしいというのだが、のり平はこれを逆手にとって「かがみ男」を芸にした。
 それなら女形の真似になりそうなのだが、そこをのり平はいくつもの、紋切りを探りこんで独得にした。また諺でいうなら、とっさに「知らぬ顔の半兵衛」「泣き面に蜂」「済すときの閻魔顔」「笑う顔に矢立たず」をしてみせるのである。これらが下目から上目づかいに持ち出されて独得の芸になる。
 三木のり平が並じゃないということは、ぼくが高校生のころに父がしきりに言っていたことだった。あれはたいそうな奴やで、とほめていた。舞台を見て感心したらしい。ぼくの父はいつもそうなのだが、自分が見てきた舞台を家族を前に口跡のパンクチュエーションよろしく滔々としゃべる男で、それはぼくが小学生であろうと中学生であろうと、変わらなかった。家族が理解しているかどうか、そんなことはおかまいなしだ。そのとき父が何の舞台を見たのか忘れてしまったが、さっき手元の年譜を見て調べてみたら《金色夜叉》あたりではなかったかとおもう。
 そのうち一九七〇年代の半ばくらいだったろうか、ぼくの周辺でものり平がちょっとした話題になっていた。一部の演出家、たとえば鈴木忠志や木村光一はしきりに「のり平を使いたいねえ」と言っていた。そのころ、アングラ演劇とよばれていた前衛派たちは、なんとか三國連太郎や山崎努や喜劇役者を使いたくなっていた。ただギャラが合わない。これを決行したのはたしか別役実である。のり平の最後の舞台も別役の《山猫理髪店》だったはずだ。この、別役実と三木のり平の結びつきこそ、今日の日本の演劇評論が忘れてしまっていることなのである。
 
 三木のり平を最初に見たのは森繁の《社長太平記》シリーズだった。モリシゲ社長の会社の経理部長や営業部長といった役柄で、なんとか宴会や接待にもちこみたいという芝居に徹していた。この役で、モリシゲ社長に「パーッといきましょう、パーッと」と言って右手の五本指をパッと広げるのが当たった。モリシゲの映画なら何でも好きなぼくとしても、このシリーズで三木のり平がいつ出てくるかがいちばんの楽しみだった。画面が突然に、「泣き面に蜂」や「笑う顔に矢立たず」になってしまうのだ。つまりは烏滸なるベケットになってしまうのだ。
 だいたい三木のり平が桃屋のコマーシャルで「何はなくとも江戸むらさき」と言うだけでメッセージを万事成立させているというのが、尋常ではない。あんなことビートたけしにも明石家さんまにもできないし、市原悦子や桃井かおりにもできない芸当で、あの声の言いっぷりだけで顔が浮かぶ役者となると、ほぼ皆無だ。だからこそ「スターは三船、役者はのり平」とも言われた。いまさら古川緑破や榎本健一の日々に育った往時の役者たちの芸風の凄さが思い出される。
 本書は芸談としてのまとまりは欠いている憾みはあるのだが、のり平が遊びによって何を吸収していったのか、そのあたりの生き方・遊び方・演じ方をめぐる三位一体ぶりが、なんともいえず嬉しく、ついついノセられる。のり平は博打も玄人はだし、女も酒も本格派なのである。
 もうひとつ本書の得がたいところは、戦後芸能史とりわけ喜劇の歴史を飾った連中のエピソードがふんだんにもりこまれているところだろう。そのうち、この千夜千冊ではもっと濃厚な芸人の話も紹介しようと思っている。森光子主演の《放浪記》があんなに続いたのは、菊田一夫の脚本・演出を引き継いだ三木のり平が絞り上げたからだった。古今亭志ん朝が師と仰いだのものり平だった。去年(一九九九)、一月二五日に七五歳で亡くなった。ぼくの誕生日だった。

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