才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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日本の夜の公共圏

スナック研究序説

谷口功一/スナック研究会

白水社 2017

編集:竹園公一朗 協力:サントリー文化財団
装幀:小林剛

 こういう本が出ているとは思わなかった。マイク・モラスキーの『日本の居酒屋文化』(光文社新書)や『呑めば、都』(ちくま文庫)が日本人の居酒屋気分の委曲をついた巧みな読み物だったので(かなり知的な本である)、ついつい赤提灯や縄暖簾の風情に目がいっていたのだが、この本で、ああスナックか、そうだスナックだったよなと、久々に旧友との再会のようなものを感じたのですね。

 こういう本が出ているとは思わなかった。マイク・モラスキーの『日本の居酒屋文化』(光文社新書)や『呑めば、都』(ちくま文庫)が日本人の居酒屋気分の委曲をついた巧みな読み物だったので(かなり知的な本である)、ついつい赤提灯や縄暖簾の風情に目がいっていたのだが、この本で、ああスナックか、そうだスナックだったよなと、久々に旧友との再会のようなものを感じたのですね。
 ぼくはとんでもない下戸なので(奈良漬でも顔が赫くなる)、誰かに誘われないかぎり居酒屋にもバーにもスナックにも行きません。それでも学生の頃に出入りしていた早稲田界隈のスナックの橙色に充ちた陽気な雰囲気、年増のママさんのカウンター越しのゴッドマザーふう接待感、地方の町でときどき立ち寄ると感じる「時間がとまったような店内」の自信ありげな団欒モード、きっとどこかに連載4コママンガのごとくに伝承されてきたのだろう擬似家族感覚‥‥。こうした名状しがたい変ちくりんなものは、下戸のぼくにもじりじりと出入りしていたのです。
 だとしたら、これらにはいまなお今日の日本文化のハビトゥスを議論するに看過できない何かがあるはずだ。それもパチンコやファミレスやゲーセンとは異なる何かが、ね。そうは思ったのだけれど、だが、これって、さあ、はたして何なのか。

 ぼくは「ブルータス」が「スナック好き」(2015・11)という特集を組んでいたときは、スナック復活の動向を見過ごしていたようです(ぼくは以前から「ブルータス」は苦手)。あらためて書店の棚を覗いてみて、なるほど、多少のスナック本があることを知った。
 たとえば2011年に都築響一(1152夜)が『東京スナック飲みある記』(ミリオン出版)を書いた。都築は本書でも谷口功一と苅部直のインタビューに応えて、さすがに独特のスナック・セクシャリティを喋っている。都築によれば、全国津々浦々どんな小さいところへ行っても、スナックとフラダンススタジオがあるらしい(なぜフラダンスが日本の地方に強いのだろう?)。
 その都築はスナック探訪が薨じて、四谷に「アーバン」というスナックを開いてしまったらしい。『天国は水割りの味がする』(廣済堂出版)のときの担当編集者との共同経営(?)のようだ。いいよねえ、このヨコブレの仕方。

 また2012年と2017年に、浅草キッドの玉袋筋太郎クンが『玉ちゃんのスナック案内』(エンターブレイン)と『スナックの歩き方』(イースト新書Q)を書いていた。玉袋は全日本スナック連盟会長で、これは自分で勝手に名のった。嬉しいタテブレです。
 ネットにも平木精龍の「スナッカー」という全国スナック情報サイトがあって、覗いてみたが、こちらも人気上昇中らしい。アラサー女子たちのあいだでスナックに勤めるのが流行っているというニュースもアップされていた。
 こういうところを見ると、そうか、スナックは死んではいないどころか、後退もしていなかったのである。

2015年11月15日号『ブルータス』より

左から都築響一×玉袋筋太郎のスナック対談(『クイック・ジャパン VOL.93』2010年12月14日号より)、『東京スナック飲みある記』、『天国は水割りの味がする』

玉袋筋太郎の『玉ちゃんのスナック案内』、『スナックの歩き方』

ウェブサイト「スナッカー」

 そんなふうに思っていた先だって(2017・9・21)、飲食業者が集うFOODITが六本木で催されていた。飲食店予約台帳サービスの「トレタ」の中村仁が、80年代半ばから日本の飲食業が「失われた30年」をかこってきたと話し(これは意外だった)、次にホリエモンが基調講演に登場して「僕がたどり着いた結論はスナックだ」と熱弁をふるったのである。
 結論がスナックだって? スナックこそはこれからの飲食ビジネスの王道で、他のものはことごとくコンビニにやられていくだろうというのだ。コンビニが大半の飲食業態を次々に吸収していくにちがいないという推測です。ぼくは「ビジネス・フォーマットとしてのスナック」にはいっこうに関心がもてないのだけれど、ふうん、そういうものかと感心した。ホリエモンって、ときどき世の中のネクストファンクションを見抜くので、ね。
 しかしこうなると、いよいよスナックが日本中に生き続けてきた理由や、何が日本人の屈託のないスナッキズムになっていったのか、知りたくなってきた。

 おそらくこう言っていいのだろうが、これまでスナックはいささか馬鹿にされてきた。理由1、おシャレじゃない。理由2、店内がダサい(飾りすぎる)。理由3、やたらに親近感が募って、帰りぎわのきっかけに困る(深夜営業が平気)。理由4、体温と暖色が充満しすぎている(熱くるしい)。理由5、近所付き合いが再燃する、云々。
 ようするに「中途半端な特色」が馬鹿にされてきたのですね。馬鹿にされてこないのだとしたら、スナックごときとは面とは向かわない、紳士淑女が感想を洩すべきものじゃない、適当に付き合うだけというふうになってきた。
 どっこい、それなのにスナックは生きながらえていた。紫煙にも包まれてきた(たいては喫煙可のようだ)。つまりは迷惑がられていたのではなく、慕われてきた。それが証拠に、哀愁があるわけではないだろうに、スナックは日本映画やテレビドラマやアニメのかなりのシーンにちょいちょいに登場して、転落や恋愛や犯罪の筋立てやサブキャラになんともいえない貢献をする。そういうシーンには、ホテルやバーやファストフード屋では出せない人生模様のカケラとコケラがけっこううまく描写されている。
 きっと「好もしいもやもや」があるのです。都築は「ぬるま湯」のよさだと言っているが、むしろ「もやもやの哀愁」こそがあるにちがいない。
 しかし、それならいったい「スナックの正体」とは何か、説明してみなさいと言われれると、その実態はかなり杳然としてきます。べつに神秘的でも謎があるわけでもないだろうに、スナック現象やスナック文化を誰も直視してこなかったからだ。ハビトゥスであるかどうかさえ、はっきりしない。本書で知ったのだが、沢田高士の『誰も教えてくれないスナック商売の始め方・設け方』(ぱる出版)などという本があるのだから、実際にも実情や実態が、そうとうわかりにくいのだ。つまりは、スナックのことなど「誰も教えてくれなかった」のである。

 本書によれば、日本にはざっと10万軒のスナックがあるらしい。これがどの程度の数かというと、美容院23万店、不動産屋12万店、居酒屋8万軒だから、けっこう多い。NTTのタウンページに業種ごとに新規登録している軒数合計からしても、居酒屋8350軒、美容院7800軒、不動産取引7500軒に次いで、スナックは5600軒の堂々第4位。
 けれども業態はまことにもって妙なのである。スナックという部立(ぶだて)がどういうものかも、確定的なことは何もわからない。喫茶店でなく、バーでなく、居酒屋でもない。むろんキャパレーやレストランや飲食チェーン店やクラブではない。ファミレスはスナック代わりになるときもあるけれど、もちろんスナックではありません。
 では何が「スナックなるもの」かといえば、ごくごく典型的には「ママ」が一人いて、カウンター越しに酒と会話を提供する店のことをいう(それだけ?)。3000円くらいのボトルをキープして、一回のお値段も3000円から4000円前後ですむというのが全国一律の標準になっている(それが標準?)。
 店に入ると「あら、いらっしゃい」。おしぼりとママお手製のお通しが出てくるはずだ。キープ・ボトルから酒が水割りだかロックだかになってコップに注がれ、なんとなく会話が始まり、先客たちとの微妙当妙な会釈もある。たいていはカラオケが備わっているので、他人の歌を指先でリズムをとりながら渋々聴いてたり、やおら自分でマイクを握ったりもする。
 これで「もやもやの哀愁」が醸し出されるのかどうかは、とうてい保証のかぎりではないものの、暖色系であれ、ママの人気のせいであれ、以上をもってして、「スナックなるもの」は独特の気取りのないコモンズになってきたわけである。
 ただし、スナックがしてはいけないこともある。何人かのアルバイトの女の子がいたり、カウンターとは別にボックス席があることは少なくないのだが、ママや女の子が客の隣りに座って接客することはできません。そこがキャバクラやガールズバーとは違っている。キャバクラは時間料金制で指名制があり、ガールズバーは時間制のチャージを払ったうえで、接客する女の子のドリンク代を支払う。スナックはもっと阿吽の呼吸と屈託なのである。だからママが勘定をおまけすることもある。

スナックの風景
『HANAKO FOR MEN』特集「スナックおいでよ」p20-21より

大解剖スナック9大情景
『HANAKO FOR MEN』特集「スナックおいでよ」p24-25より

 こんなに変ちくりんで、気楽で、日本人の近隣的体温文化を保存してきたらしいスナックなのに、いっこうに実態が議論されてこなかったのは、さあ、どうしてか。みんながみんなで、ほったらかしにしたとしか思えない。
 実は業界団体も連合会もない。玉袋筋太郎が会長をする全日本スナック連盟は、全国に支部や支所をもって活動しているわけではありません。
 本書は法哲学専門の谷口功一をリーダーとするスナック研究会のメンバーによる共同執筆の本であるが、この研究会も2015年に結成された急造のもので、正式名称は「日本の夜の公共圏――郊外化と人口縮減の社交のゆくえ」という、しごく退屈きわりまないものだ。サントリー文化財団から研究助成を受けているので、こんなおもしろくもなんともない研究会の名になったのだろうが(あるいは学者のつまらぬ矜持のせいだろうが)、とはいえ常時、こういう学会があって調査研究をしているわけではありません。

スナック研究会ウェブサイト
http://snaken.jp

 谷口が本業の法律学の延長でスナックを研究しはじめたのは、2010年くらいからのことらしい。そこにサントリー文化財団の縁があって調査研究が成立したようだ。
 そのうち白水社の編集力によって、こういう一冊になった。「スナック研究序説」と銘打つにはあまりに足りなかったけれど、まあ、そこそこの味を見せました。ああスナックか、そうかスナックだよなと思えたのは、そのせいだ。谷口の取り組み方が柔らかいせいもある。
 法律仲間から始まった研究会なので、いったい「接待」という取り決め(法規制)がどのようなっているのかという視点からスナック議論に入っていったのがよかったのだろう。そうでもしないと、スナックに面と向かう手掛かりがない。
 実際にも、スナックはかなり複雑な法規をまたいで成立している。まずは風適法。「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」という。この規制を受ける。かつての風営法に当たるものだ(それがやっと改正された)。ほかに、食品衛生法、建築基準法、消防法施行令、自治体の騒音条例などなどが加わっていく。深夜営業をする場合は(けっこう多い)、各都道府県の公安委員会に深夜酒類提供飲食店としての届出もする。深夜営業と風俗営業は兼ねてはいけないので、ママも女の子もカウンター越しなのである。これらをきわきわにまたいで、スナックたちが成立延命をしてきたわけなのです。

 歴史をふりかえってみると、スナックが日本列島にふえていったのは1964年(昭和39年)の東京オリンピックのあとのことだった。前身は「スタンドバー」でした。
 オリンピック開催で風俗紊乱と深夜営業を禁止する動きが出てきたとき、アルコールだけを扱うスタンドバーの店主たちは大いに悩み、軽食(スナック)を出すことで規制に対抗することにした。これで「スナックバー」が出現し、ここから「スナック一般」が広まった。
 それゆえ、昭和40年代こそはスナック全盛なのである。東京タワー、皇太子御成婚、新幹線こだま、東京オリンピック、高度成長、テープレコーダー、オート三輪、ダットサン、ブルーバード、カラーテレビとともに、スナックは確立されたのだ。ぼくのような世代にはまことに香ばしい。
 もう少し『情報の歴史』ふうにいえば、小松左京の『日本アパッチ族』、野坂昭如(877夜)の『エロ事師たち』、勅使河原宏の『砂の女』、建築雑誌「SD」創刊、高倉健の『網走番外地』、ウルトラマン、大橋巨泉と藤本義一の11PM、美空ひばりの『悲しい酒』、資生堂の前田美波里ポスター、赤塚不二夫の『天才バカボン』、今村昌平の『人間蒸発』、山口昌男(907夜)の『道化の民族学』、森山大道の『にっぽん劇場写真帖』、寺山修司(413夜)の天井桟敷旗揚げ、全共闘運動、羽仁五郎の『都市の論理』、川久保玲のコム・デ・ギャルソン、新宿西口フォークなどなどとともに、スナックバーはスナック化していったのです。
 1964年といえば、ぼくにもちょっとした思い出がある。父とともに六本木を渉猟していたときで(父は俳優座の裏にアパートの一室を持っていた)、この年に防衛庁横の「George’s」が開店した。その“Snack George’s”の英文字スクリプト・ロゴを懐かしく思い出す。この店に、カメラマンの加納典明やジャズシンガーの笠井紀美子と出入りしていた思い出だ。もっとも、この店はソウルバーだとみんなが言っていた。

Soul Bar George’s
1964年六本木にオープンした日本最古のソウルバー。HPより(http://www.georgesbar.co.jp/home.html)

『情報の歴史』の1964年のページ

 いま、全国に10万軒あるスナックを県別に見ると、東京、北海道、福岡、大阪、神奈川、兵庫、愛知、静岡、広島、新潟という順の、ありきたりベスト10がランキングされる。ところがこれが人口あたりの軒数になると、とたんに興味深い顔ぶれになる。①宮崎、②青森、③沖縄、④長崎、⑤高知、⑥大分、⑦鳥取、⑧秋田、⑨山口、⑩佐賀、である。さあ、この順番は何なのか? 青森、秋田を別格にすると、九州勢が圧倒的に強い。この西高東低にはなんとも郷愁を感じます。
 ここには、おそらく地域日本の「何かのもやもや」があらわれているのですね。トップを飾った宮崎には、全国一の廃仏毀釈を受けた宮崎県民の逆襲力さえ感じるものがある。ちなみにワースト3は千葉、埼玉、奈良でした。荒井知事とともに奈良の仕事をしてきたぼくからすると、この奈良のスナック・ロスはなんとも痛々しい“奈良問題”そのものに思われる。
 もっと興味深いのは、谷口功一も指摘しているように、市区町村ごとの人口当たりの軒数だ。①京都東山区、②名古屋中区、③大阪中央区、④大阪北区、⑤高知奈半利町、⑥広島中区、⑦神戸中央区、⑧沖縄北大東村、⑨福岡博多区、⑩熊本中央区というふうになっているのだが、この⑤の高知奈半利町とは何か。
 なんと奈半利町は室戸岬にあって、人口3000人ほどの漁村なのである。そこが全国第5位だ。まさに奇跡のようなスナック型の村落共同体!
 ⑧の沖縄北大東村のほうも特筆される。沖縄本島から360キロ離れた海上の小島で、2015年の調査では629人しかいない。そこにスナックがあたかも家々をつなぐかのようにあるらしい。「スナックが切れたところに家々がある」とか、「群れなすスナックの中に島がある」と言ったほうがいいだろう。

スナック看板コレクション
『浅草キッド玉ちゃんのスナック案内』p62-63より

 本書は法律の専門家たちとともに、高山大毅や河野有理や苅部直が研究会のメンバーとして書いている。変な連中だ。
 代表の谷口は法哲学の専門で、『ショッピングモールの法哲学』(白水社)や『共生の作法』(ナカニシヤ出版)があって、共同体と公共性との関係をかなりリクツっぽく考えている。リクツっぽいのだが、柔らかい。高山は『近世日本の礼楽と修辞』でサントリー学芸賞をとった近世思想史の研究者で、本書ではスナックには「もののあはれ」の一端があるという、かなり無理のある論稿を寄せている。宣長もけっこうスナックまがいで遊んでいたというのが論拠だ。
 河野は日本政治思想史が専門で、『田口卯吉の夢』(慶応大学出版会)や阪谷素をとりあげた『明六雑誌の政治思想』(東京大学出版会)などを書いていたと思ったら、最近は丸山真男(564夜)の呪縛を脱構築しようとする『偽史の政治学』(白水社)などで、気を吐いた。養子と隠居のこと、権藤成郷(93夜)のことに言及しているところが気にいった。編著の『近代日本政治思想史』(ナカニシヤ出版)には高山も論稿を寄せている。本書では「二次会」に触れているところがおもしろい。二次会がなければ、日本は闇ですからね。
 苅部は和辻(835夜)や丸山を長らく議論してきて、『丸山真男』(岩波新書)でサントリー学芸賞をとった(この研究会のメンバーに丸山つながりやサントリーつながりが多いのが気持ち悪い)。最新著作は『「維新革命」への道』(新潮選書)で、近世思想と明治思想をつなげた。思想史を扱う鮮やかな手際が目立つけれど、たとえばフロシネスの掴まえ方など、けっこう深い。
 まあ、こういうおよそスナック的ではない連中がスナックを議論しようというのだから、谷口も苦労しただろう。なかでは苅部が深作光貞や加藤秀俊を持ち出してスナックとゴーゴースナックの考現学に言及したり、都会的軽食とは何かということ、庄司薫や中上健次(755夜)のスナック描写のことなどを採り上げて、それなりの気を吐いていたけれど、他の議論はスナックのもやもやの解法にはほど遠かった。

 ともかくも、いまはまだスナック研究はこの程度なのである。そのうちマイク・モラスキーのような外人がスナックにぞっこんになると、事態が一気に変わってくるかもしれないが、できればその前に日本スナック文化現象学がもうちょっと進んでおいてほしい。スナッキズムはいまだ未解読なのである。
 かくして思うに、日本のスナックとは、高度成長期に産み落とされていた鬼っ子でありながら、ついに低成長にもグローバリズムにもまったく影響されずに生き延びて、ついに少子高齢化の唯一の界隈装置となりつつあるところの「百太夫」であって「結」(ゆい)なのである。地方創生予算の恩恵に浴さずに、いまなお全国化を果たしつつある「ユイマール」なのである。
 加えて、もうひとつ。これこそは最も陽気なママたちが守っている日本のマトリズムなのである(パトリズムが蝶ネクタイのバーテンがいるバーだろう)。とりあえずのところ、ぼくはそう思ったのでした。

 1968年のパープル・シャドウズにこんな歌があった。1番「僕が初めて君を見たのは、白い扉の小さなスナック」、2番「僕がその次 君を見たのも 薔薇にうもれたいつものスナック」、3番「僕が初めて君と話した 赤いレンガの小さなスナック」。オリコン2位になったグループサウンズの曲だ。
 聴けば少しは懐しいけれど、こんな歌で21世紀のスナッキズムは語れない。浅丘ルリ子や由紀さおりのような濃ゆいママや、歌石衛門の熊のぬいぐるみ尽しの部屋のような店内や、さもなくばカウンターに初音ミクがARするようなスナックが、歌になるべきです。
 いま、ぼくのアシスタントをしている寺平賢司君の父上は、尾久のスナックに働いていたフィリピン女性と結婚して寺平君を授かった。ぼくがお気にいりの寺平君のためにも、異国情緒なスナッキズムも、今後はうんと語られていってほしいものである。では今夜はあの界隈のスナックへ。「あら、めずらしい、いらっしゃい」。

パープルシャドウズ『小さなスナック』(1968)

⊕ 日本の夜の公共圏 ⊕

∈ 編著者:谷口功一/スナック研究会
∈ 発行者:及川直志
∈ 印刷所:株式会社三陽社
∈ 発行所:株式会社白水社

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ 序章 スナック研究事始
∈∈ 座談会 珍日本スナック紀行?都築響一氏に聞く 前篇
∈ 第1章 スナックと「物のあはれを知る」説
∈ 第2章 行政から見たスナック―夜の社交を仕切る規制の多元性
∈ 第3章 夜遊びの「適正化」と平成二七年風営法改正
∈ 第4章 スナック・風適法・憲法
∈∈ 座談会 珍日本スナック紀行?都築響一氏に聞く 後篇
∈ 第5章 カフェーからスナックへ
∈ 第6章 “二次会の思想”を求めて―「会」の時代における社交の模索
∈ 第7章 スナックと「社交」の空間
∈ 第8章 スナックの立地と機能―「夜の公共圏」vs.「昼の公共圏」
∈∈ 補章 なぜスナックを語りたくなるか

∈∈ 編集後記
∈∈ 人名索引
∈∈ 著者略歴

⊕ 著者略歴 ⊕
谷口功一
1973年、大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。現在、首都大学東京・法学系教授、スナック研究会代表。専門は法哲学。著書に『ショッピングモールの法哲学』(白水社)、訳書にシェーン『〈起業〉という幻想』、ドレズナー『ゾンビ襲来』(以上、共訳、白水社)他。