才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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ポピュリズムとは何か

ヤン=ヴェルナー・ミュラー

岩波書店 2017

Jan-Eerner Müller
What is Populism ? 2016
[訳]板橋拓己
編集:小野田耕明

とりわけインターネットとケータイが普及しはじめた20世紀末から21世紀になってみると、ポピュリストたちが選挙で圧勝するのは「人民」というより「人心」を味よく掴まえているのは誰の目にもあきらかだった。ファストフードよろしく、数口で食べられるメディア活用の人心操作が長けているからだということが白日のもとに晒されたのだ。トランプが「140字のヘミングウェイ」気取りでツイッター政治を始めたのは、とてもわかりやすいポピュリストの政治処世術になっている。

 とっくのことに、ポール・ヴァレリー(12夜)は例の「洋服を着た鷹」のような炯眼をもって、「人民(people)という言葉は混合(mixture)という意味でしか理解しえない」と喝破していた。ヴァレリーは「ヨーロッパ精神の危機」をいちはやく体感していた文学的知識人であるが、そこには「表象が人民に代理されることを合理化しよう」としてきたヨーロッパ人の特有の痛哭の自省が裏打ちされていた。
 コミュニケーションに行為の社会学を見出してきたユルゲン・ハーバーマスは、「人民は複数でしか(in the plural)あらわれることができない」と言い、そういう複数の人民を従えた政治家が単一人民の代表者であるかのような相貌をとるのは危険な兆候だとみなした。
 まさにその通りだ。これらのことがどんなに正鵠を射ていた指摘だったか、われわれは21世紀のここに至ってそのことを苦々しく噛みしめざるをえないことになっている。ヴァレリーやハーバーマスの警告は無視され、その後はポピュリズムという化け物のような様相を呈して、世界中を徘徊したのである。

 本書は2016年夏の、トランプがまだ大統領になっていなかった時期の著作だが、ポピュリズムが本来の社会的多元性を蝕む反多元主義(antipluralism)や、政治家がご希望の注文に応じてみせる大衆恩顧主義(mas-clientelsm)にもとづいていることを証してみせた。
 恩顧主義(クライエンテリズム)とは、庇護者(パトロン)になりたがる政治家が業界団体や職能団体や地方コミュニティをクライエント(顧客)として、さまざな政策的サービスを供給することをいう。安倍晋三が加計学園と特区を重ねたやりかたはクライエンテリズムの典型だった。

 これまで幾つものポピュリズム論がものされてきたが、いまひとつ納得できるものにお目にかかれなかったなかでは、本書はそこそこの好著だった。それでもいろいろいわかりにくいところがある。
 わかりにくいのはミュラーの跳び移り気味の論旨と、やや硬すぎる日本語訳のせいもあるが、それよりなにより今日の自由民主主義とポピュリズムとがますます区別がつかなくなってきたせいでもある。

 もともとポピュリズム(populism)という言葉はラテン語の民衆(populus)に由来するもので、最初のうちはエリート主義との対比で用いられていた。だからポピュリズムという用語は、文字通り訳せば「人民主義」とか「民衆主義」とかになる。
 実際にポピュリズムという言葉が歴史上の政治用語として使われることになったのは、アメリカで1892年2月に結成された人民党(Populist Party)が登場してからである。或る一派が「人民の敵」からの攻撃を守るため「人民の党」を名のったのだ。少数のエリートたちに抗する抵抗だった。やがて左派の活動家や政治家がポピュリストと呼ばれ、改革派とポピュリズムが同一視されることもあった。
 けれども、いまやそんな用語が示す内実はとっくにかなぐり捨てられている。かつては「リベラル・デモクラシー」とか「反エスタブリッシュメント主義」とも言われたことがあったかに思えたが、その後は「大衆迎合主義」「衆愚政治」「人気取り政治」の、ときには「大衆操作マキャベリズム」の代名詞にすらなってきた。今日のポピュリズムの特徴を人民主義や民衆主義という訳語をもって試みても、何も語れない。
 とりわけインターネットとケータイが普及しはじめた20世紀末から21世紀になってみると、ポピュリストたちが選挙で圧勝するのは「人民」を代表するというより、新しいポピュラー・エリートが「人心」を味よく掴まえている現象だろうということは、誰の目にもあきらかだった。ファストフードよろしく、数口で食べられるメディア活用の人心操作が長けているからだということが白日のもとに晒されたのだ。トランプが「140字のヘミングウェイ」気取りでツイッター政治を始めたのは、とてもわかりやすいポピュリストの政治処世術になっている。
 さすがにヴァレリーは「人心」もまた混合と混乱の発現体そのものだと見たけれど、当の人民や人心のほうは、それでも自分を巻き込む人気政治家の牛丼弁当やハンバーグ弁当についつい手を出してしまうのだ。

トランプ大統領のツイッター画面
ツイッターを使った巧みな選挙戦略にであった対抗馬であったヒラリー候補を追い込んだ。大統領着任後も相次いで発信される過激ツイートがさまざまな波紋を呼んでいる。

 本書の著者のヤン=ヴェルナー・ミュラーは1970年ドイツ生まれの40代の政治学者だ。オックスフォード大学を出て主としてヨーロッパ政治思想史にとりくみ、いまはプリンストン大学で政治学の教鞭を執っている。かつては民主主義論やカール・シュミット論で気勢を上げていた。
 シュミットについてはいずれ千夜千冊したいと思っているのだが(21世紀政治の今後を占ううえでもかなり重要な政治思想家なので)、それはいまは措くとして、ミュラーは本書を通してポピュリズムが「アイデンティティ・ポリティックスの排他的な形態」だということ、世界がもつべき多元性を壊していくものだということを示したかった。

 2017年4月刊行の本書の日本語版には、アメリカがトランプの大統領就任後に異様の事情に見舞われているのは、予想できたことだったという主旨の序文が付いている。
 トランプが民主主義にとってきわめて危険なポピリュストになっているのは世界的潮流の延長だというのである。さもありなんだ。トランプ現象は、ベネズエラのチャペス大統領、ハンガリーのオルバー首相、トルコのエルドアン大統領といった権威主義まるだしのポピュリズムと区別がつきにくいものになったばかりか、EU離脱の国民投票に無節操に走ったイギリスのキャメロン首相、2016年春に麻薬撲滅を掲げてフィリピンの大統領となったドゥテルテ、冬のオーストリア大統領選で極右ポピリュストのノルベルト・ホーファーを破った緑の党のファン・デア・ペレンらとも区別がつかなくなっている。みんな、ファストフード政治がうまいのだ。味も似ている。

 なぜ、こんなふうになったのか。政治家の誰もが「民主主義の装い」がやたらに巧妙になったからなのはまちがいない。民主主義があまりに普遍的な巨大分母になったので、どんな政治家たちもポピュラーな牛丼分子でいられるようになったのである。
 いいかえれば、どうすれば「民主主義の顔」が装えるのか、ある時期からそのコツが流行していったのだ。過激な左翼政治が退場していったことも関係があるが、グローバル資本主義の浸透、マスメディアの過飽和、ネット社会の蔓延などとも影響している。日本の実例を見れば、いろいろ実感されてくる。

 今夜の千夜千冊は2017年10月12日のリリースの予定だが、降って湧いたような衆議院解散総選挙の渦中に突入した時期に重なった。
 森友・加計学園問題をかかえながらも、ついついノーガードで衆議院解散を口にした安倍晋三の「奢りと緩み」を見逃さなかった小池百合子都知事が、かねて得意のカウンター攻撃によって「希望の党」を結党して代表に就き、これに前原民進党が集団疎開をしたのはわずか2週間前のことだった。
 案の定、民進党は割れて解党寸前となり、枝野幸男のグループが立憲民主党を立ち上げた(蓮舫代表が「センスがない」と言われて辞任して前原になったのもこの一連の出来事の1週間前だった)。これで「希望の党」にいちはやく動いた細野君の立場は消し飛んだ。細野君にはきっと多少のセンスはあったのだろうが、ボタンをいつ外していつ留めるのかのヨミに負けたか、自分でポピュリストになりきる野蛮な度胸がなかったのだろう。
 こうして用意周到ともいえない小池劇場がするするっと国政に及んだわけだが、小池百合子が希代のポピュリストの素養をもってこの挙に臨んだことはあきらかだったのに(牛丼政治というよりスイーツ政治だが)、自民党を抜けて都知事選に単身で挑み、都議会のおやじエスタブリッシュメントに戦いを挑んでいるときは、マスメディアは小池劇場にポピュリズムの烙印なんて捺さなかったのである。メディアはこぞってその手腕に目をまるくしただけだった。

党首討論会

 しかしこんなことは、いまさらのことではなかった。小泉劇場以来の「日本風ポピュリズム」の滑稽至極な縮図はとっくの昔から連打されていた。たとえば以下のような指摘が以前からなされていた。日本の実例のほうがわかりやすい話になるだろうから、ちょっと紹介しておく。

 2003年に大嶽秀夫が書いた『日本型ポピュリズム』(中公新書)という本がある。
 90年代の「失われた10年」で泥沼化していった日本の政治不信状況が、細川護熙、石原慎太郎、田中康夫、田中真紀子、小泉純一郎というふうに代表された日本的ポピュリズムによっていたこと、またマスメディアのワイドショー的な扱いがこのポピュリズムをチープな神輿に乗せるものになったことを強調した。
 大嶽は3年後に『小泉純一郎ポピュリズムの研究』(東洋経済新聞社)も著した。政治過程の分析を専門とする大嶽は、小泉が官邸主導型のリーダーシップを発揮できたことを、道路公団民営化、郵政民営化、イラク戦争での対応、北朝鮮問題の4点に議論を限定して、そこに政治の「感情化・人間化・単純化」がおこせたことが小泉劇場の勝利につながったものだと分析した。
 とはいえ、この程度のマジメな分析では妖怪じみたポピュリズムを抉った一冊とはいえなかった。

 ついでは2011年、東北の津波と原発メルトダウンの動揺が収まらないなか、気鋭の政治学者の吉田徹が『ポピュリズムを考える』(NHKブックス)を書いた。
 すでに世界的な忌まわしいほど派手なトレンドになっていたポピュリズムを、サッチャー・中曽根のネオリベ型ポピュリズムから小泉・サルコジの劇場型ポピュリズムまでを相手にして、ポピュリズムは民主主義政治では避けられないものだと規定したうえで、ポピュリストたちのとる姿を「国民に訴えるレトリックを駆使して変革を迫るカリスマ的政治スタイル」と特徴づけた。しかし、こんな常套句をつないだような見方では、とうてい事態は切迫してこなかった。
 ちなみに吉田は、大嶽があげたポピュリストのほかに田中角栄・小沢一郎・青島幸男・橋下徹などを加えている。もちろん当たっている。ただ、地方議会や企業経営者のなかにも、ポピュリストは登場していたはずなのである。
 吉田には『感情の政治学』(講談社選書メチエ)という本もあって、選挙民が投票先を主体的合理的に選択すれば政治がよくなるなどというのは幻想にすぎず、人間の非合理性に知勇も苦する政治を考えたほうがいいと論じた。こちらはドミニク・モイジの『感情の地政学』(早川書房)とも響いていて。モイジは今日の政治が「恐れ」「希望」「屈辱」をもとにアイデンティティの競い合いになっていることを指摘した。
 オソレ・キボー・クツジョクはポピュリズムのまぜこぜ本質であるだけでなく、社会や宗教や知識の病状にもなっている。

 トランプ登場後の2016年になって、日本のポピュリズム議論はもう少し沸騰していった。朝日新聞GLOBE編集長の国末憲人はいかにもジャーナリストらしい一冊、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)を書いた。
 ポピュリストは「攻撃する目標を定め」「白黒をはっきりさせ」「庶民の味方であることを演出し」「大騒ぎをすることで人を巻き込む」ことが得意であること、ポピュリストはナショナリストや強権主義者やデマゴーグ(ほら吹き)であることが少なくないが、大衆迎合を厭わないため民主的な様相を擬装するのが巧みであることを強調した。わかりやすすぎる。
 同時期に帝塚山学院大学の薬師院仁志は『ポピュリズム』(新潮新書)で、ポピュリズムが「民主主義の自爆」であることを示し、とくに橋下徹のポピュリズムを批判した。本書では冒頭から、大阪市議選に大阪維新の会から出馬した村田卓郎が「選挙突入後、橋下市長が堺東駅前あたりで3回くらい街頭演説すれば、どんなチンパンジー候補を立ててもWスコアで楽勝するでしょう」とツイッターしたことが鬼の首を取ったように採り上げられているが、一冊を通して、残念ながらポピュリズムという魔物の正体には迫れなかった。橋下批判も貫徹できていない。

 こうしたおっとり刀の議論を政治学の本道に戻すべく登場したのが、オランダ政治史やヨーロッパ保守思想史を専門とする水島治郎の『ポピュリズムとは何か』(中公新書)だった。
 水島は『ハンナ・アレントの政治思想』『アレント政治思想の再解釈』(未来社)で名を上げたマーガレット・カノヴァンの「人民の分け方」を援用して、人民といっても、A「普通の人々」(ordinary people)、B「一体となった人民」(united people)、C「われわれ人民」(our people)がさまざまに混在するのだということを前提に、Aでは特権層によって軽視されたサイレント・マジョリティに対するポピュリズムが、Bでは党派や部分利益を超える一体ヴィジョンによるポピュリズムが(だから多元主義とは逆方向になっていく)、Cでは民族集団を「われわれ」と呼ぶため外国人や宗教区別が強調されるポピュリズムになると説明した。
 これは借りもの談義ではあるが、けっこう明快だった。また水島はポピュリズムには、①イデオロギーがやたらに薄いこと(思想的に薄弱)、②カリスマを必要としていること(アイドル性が富む)、③党内手続きやポリティカル・コレクトネスに縛られない大胆な作戦を行使したがること(ファレンダムが好き)、④立憲主義の原則を軽視する傾向をもつこと(直接民主制に走りがち)、⑤多数派主義のため弱者やマイノリティが看過されやすいこと、などが特徴になっていることをあげた。ようやく痒いところに手が届きはじめたのだ。
 このほか、日本でポピュリズムを議論してきた者として、野田昌吾、山本圭、島田幸典、杉田敦、古賀光生、畑山敏夫などがいるのだが(いずれも政治学者たち)、ぼくとしてはこれらの背後で議論の骨格をつくったものとして、ブルガリア出身のツヴェタン・トドロフの『民主主義の内なる敵』(みすず書房)があったことを加えておきたい。
 トドロフは民主主義の敵は外部(ファシズム)からやってくるのではなく、内なる敵としての「メシア願望」「個人の専横」「新自由主義」「ポピュリズム」「外国人嫌い」がもたらすものであると指摘した。トドロフはロラン・バルトの弟子筋にあたる記号論の越境者でもあって、その『幻想文学論序説』(東京創元社)は斯界のバイブルになっている。今後は、この手の政治学者以外の思想者の「手入れ」が入ることを希みたい。

 かくて、ミュラーの本書が岩波から翻訳刊行されたわけである。上にも書いたように必ずしもわかりやすくポピュリズムを説き解(ほぐ)したものではないのだが、肝要を衝くための作業はまずまず果たしている。
 順不同ながら(さっきも書いたように、本書は論旨がとびとびで、ロジカルな展開の順をもっていない)、ぼくなりに10点ほどを要約しておく。

 第1に、ポピュリズムの多くは立憲主義にもとづく制度や機構(mechanisms)に対しておおむね敵対的になりやすい。そのため命令委託(imperative mandate)ができると思い込む。つまり既存の「しくみ」では進捗しないので、命令委託に飛び移りたがるのだ。
 第2に、直接民主制的なレファレンダム(referendum)に走りがちである。レファレンダムとは憲法改正、法律制定、重要案件の議決などの立法機関の議決によるのではなく、有権者のまるごと投票によって最終決定をしたくなることをいう。小泉、キャメロン、橋下がそうであったように、ポピュリストたちは国民投票や住民投票が大好きなのである。これは予定のシナリオが頓挫しそうになってくると、「それじゃあ、みんなの答えを聞いてみようぜ」という作戦だ。
 第3に、ポピュリズムは政治世界を「想像させる方法」なのである。そのため道徳的で排他的な要求を示すことによって、この想像力を強化させることに熱心になる(moralistic imagination of politics)。この「想像させる政治」を持ち出しているところが、つまりはカジュアル・ポピュラーな想像力がポピュリズムにはたらていることに気がついたのが、ミュラーの自慢なのだが、説明はほとんど深めてはいない。
 第4に、ポピュリストはできれば国家を乗っ取りたいと思っている。ようするに「全一者」になりたいのだ。そのため大衆恩顧主義(マス・クラエイタリズム)の手を事前から打っていく。味方を事前にふやしておくわけだ。当然、市民社会を抑圧することを辞さないというふうにもなりかねない。

 第5に、ポピュリズムはリベラリズムや社会民主主義に対しては抑制と均衡(check&balance)をもって当たる。そのためのティーパーティやオキュパイ・ウォールストリートのような「接客」は大好きだ。これは絶対多数が探れないときの予防パーティーなのである。
 第6に、国民・民衆・大衆・人民にひそむであろう「不満」(frustration)と「憤懣」(resentment)の対象をつねに決めつける。なぜ決めつけるのか。ポピュリズムの特質がきわめて論争的であることにあるからだ。小泉純一郎の郵政民営化選挙などがその典型だった。
 第7に、とくに欧米では(なかでもアメリカでは)ポピュリズムは進歩主義(progressive)と草の根主義(grassroots)を取り込みたがる。極端な連中が賛同にまわってくれるほうがポピュリズムには似合うからだ。カリスマ・リーダーのポピュリストも中間的な代表を嫌う。ポピュリストはサブリーダーでは満足しないのだ。一挙に攻め上りたいわけである。
 第8に、ポピュリストは自分たちの出自や立場や評判が劣位(inferiority)にあることにも、反動(reactive)にあることにも頓着しないばかりか、恐れない。それゆえポピュリストたる者はしばしば「権威主義的パーソナリティ」か、あるいは「不愉快なパーソナリティ」に富む(つまりは厚顔無恥を怖れない)。

 第9に、ポピュリズムの本質は「反多元主義」にある。国民みんなにそれぞれの立場がある、多様性がばらついている、流派がたくさんある、では困るのだ。ポピュリストは自分たちが、それも自分たちだけが人民を代表すると盲信する。ナンシー・ローゼンブラムが指摘したように、ポピュリズムは全体論(holism)に憧れ、「残余なき全体」を標榜していると思いがちなのだ。ドナルド・トランプはこう主張した、「ただひとつ重要なことは、人民の統一(the unification of the people)である。なぜなら他の人々(the other people)はどうでもいいからだ」。
 第10に、ポピュリズムを「近代化のプロセスの敗者あるいは鬼っ子」と規定するのは妥当ではない。1950年代では、ポピュリズムが主張するようなことを、ダニエル・ベル(475夜)、エドワード・シルズ、シーモア・マーティン・リプセットらが代弁したものだ。いずれもマックス・ウェーバーの継承者としてのリベラルな知識人だった。
 もうひとつ、おまけ。政権に就いたポピュリストは、当然のことなのだがNGO(非政府組織)に対しては、かなり厳しい態度をとっていく。ロシアのプーチンやハンガリーのオルバーンに顕著なことだった。

 ミュラーはポピュリズムにアプローチしようとする議論が往々にして袋小路に陥るのかについても、言及していた。
 それは、いまのところ、①ポピュラーな大衆(有権者・投票者)の投票感覚の社会心理的な分析ができないからである。②ポピュリストが依拠しているはずの特定の階層や階級に関す社会学的な分析が遅れているからである。③ポピュリズムが提案する政策の定性的な評価軸が確立できていないからである。
 こういうものだ。なるほど、まことに素直な告白だ。しかし、この3つのことが準備できていないということは、政治学や社会学が21世紀政治を前に頓挫したままになっているということにほかならない。
 かくてミュラーはポピュリズムに対抗ないしは対処するために、では一体どうしたらいいのかを自問自答して、次のように示唆をした。ポピュリズムは民主主義の内部が生み出したものなのだから、これからはすべての民主主義的な言語や民主主義的な装いを総点検するしかない。それには「民主主義の終焉」についても議論をしておかなければならない、と。
 そうなのである、ミュラーを筆頭に、知識人たちも呻いているばかりなのである。

⊕ ポピュリズムとは何か ⊕

∈ 訳者:板橋拓己
∈ 発行者:岡本厚
∈ 発行所:株式会社 岩波書店
∈ 印刷:理想社
∈ カバー:半七印刷
∈ 製本:松岳社

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ 序章 誰もがポピュリスト?
∈ 第1章 ポピュリストが語ること
∈ 第2章 ポピュリストがすること、あるいは政権を握ったポピュリズム
∈ 第3章 ポピュリズムへの対処法
∈∈ 結論 ポピュリズムについての七つのテーゼ

∈∈ 謝辞
∈∈ 訳者あとがき
∈∈ 原注
∈∈ 人名索引

⊕ 著者略歴 ⊕
ヤン=ヴェルナー・ミュラー
1970年ドイツ生まれ。オックスフォード大学で博士号取得。現在、プリンストン大学政治学部教授。政治思想史・政治理論、著書多数。邦訳書に『カール・シュミットの「危険な精神」-戦後ヨーロッパ思想への遺産』(ミネルヴァ書房),『憲法パトリオティズム』(仮題、法政大学出版局、近刊予定),『試される民主主義-20世紀ヨーロッパの政治思想』(岩波書店,近刊予定)。