父の先見
貨幣と象徴
経済社会の原型を求めて
ちくま学芸文庫 1999
装幀:神田昇和
三つはとてもよく似ている。
神も言葉も貨幣も作用しているだけなのだ。
だから、貨幣は経済の手段なのではなく、
経済が貨幣を前提にしたのである。
貨幣は人々の思いを吸いこみ、
社会が寄ってたかって祭り上げた集合象徴なのだ。
本書はそのことを「経而上学」をもって告げる。
久々に読んで、その貨幣観に遊ばせてもらったが、
とはいえそれで、なんとも面妖な「マネーの力」が
うまく説明つくわけではない。
ほんとに貨幣って、めんどくさい。
わが家は父が呉服屋(悉皆屋)を営んでいた。折からの糸ヘン不況のあおりを食って、二度にわたる不渡り手形に引っ掛かった。一度目は倒産したのち松岡商店としてちっぽけに復活し、二度目は新たな借財がほとんど返せないうちに父が横浜元町に出店すると言い出してまたまた失敗、それからまもなく父は借金を残して死んだ。母にせがまれてぼくがその借金返済に当たることになったのが、大学4年の卒業間際のことだった(結局、卒業しなかった)。
借金は広告取りをしながらの数年でなんとか返して、そのあと27歳で「遊」の創刊にとりかかるのだが、こういう父の変則的な事情を見ていたので、自分は経営には決して手を出さないと決めた。
父の死をきっかけに綴られた連載「場所と屍体」
工作舎でも編集工学研究所でも松岡正剛事務所でも、ぼくは単なるリーダーにすぎず、実質経営は中上千里夫さんや渋谷恭子さんや太田香保さんに任せてきた。いまも編工研のお金の管理は1年半前まではインプレスの塚本・関本の二代にわたる両社長が、続いては丸善の小城武彦社長と大村厳専務がやってくれている。
では、これでお金の工面から免れることができたかといえば、むろんそんなに世の中、甘くない。いろいろ辛酸を嘗めた。迷惑もかけた。加えて、個人としても凡ミスをした。そのひとつ、これは『世界と日本のまちがい』(春秋社)にも書いたことだけれど、信頼していたK氏の連帯保証人になったことがアトの祭りで、それから5年後に虎の子の3000万円をさくら銀行に持っていかれてしまったのだ。
なんとも情けないことで、臍(ほぞ)を噛むとはこのことだと大いに反省したけれど、すでに如何ともしがたく、もしもこの傷が癒えることがあれば、そのうち資本主義や金融やマネーの問題を振り返ることにしようと決めていた。で、そのうち表面上の傷は多少は癒えたので、そんな事情も手伝って、この「千夜千冊・連環篇」でも、巨大きわまりない資本主義という怪物を相手に、我が身を顧みず、その近現代史にひそむ「リスクとリターンの謎」をじりじり攻めているわけである。
マネーにはさまざまな摩訶不思議なことがおこっている。基軸通貨があること、両替すると為替レートがあること、銀行に預けておくと利子がつくこと、銀行からお金を借りるのに担保が生じること、証券や債券のかたちをとりうること、物価や相場をつくっていること、そのほか、リクツでは割り切れそうもないことがいろいろ孕んでいる。
しかし、実は基本の基本からして不思議なのである。たとえばいわゆる「マネー」のうち、現金と預の合計をマネタリー・ベースあるいはベースマネーというのだが、ところがこのベースマネーがじっとしていない。
たとえば、ぼくが銀行に100万円を預金したとすると、この100万円がベースマネーになる。銀行はそのうちの10万円を手元にとどめ、残り90万円を貸し出す。銀行としては準備率10パーセントという状態をつくるのだ。この90万円をある企業が借りると、その企業は90万円の現金マネーを保有したことになる。
その借入れ企業も現金を金庫に入れておくことはない。そんな余裕があるなら借金などしない。借入れ資金はおそらくはなんらかの支払いにあてられる。それを受け取った企業はどうするかというと、それをまたふたたび銀行預金に入れる。その預金はまたまた一部の準備金を残して、またまたまた貸し出しにあてられる。となると、準備金10パーセントの経済では、100万円の現金から90万円のマネーが生まれ、さらにその9割のマネーが派生し、それが次々に続くということになる。つまり、90+81+72.9+65.61+‥=900、というふうになる。
もともとのベースマネーは100万円なのに、銀行の貸し出し業務によってマネーが“創造”されたわけだ。100万円の現金というベースマネーは銀行を介して900万円の派生的マネーを生んだのである。こうなると、マネーの総量は1000万円となり、ベースマネーの10倍のマネーが“創作”されたことになる。
なんともおかしなことに見えるけれど、これがごくごく一般的なマネーの基本の姿なのである。経済学ではこれを「貨幣乗数が10になっている」といって、ベースマネーをX円とし、準備率をrとすると、マネー総量はX/r、1/rが貨幣乗数となると説明する。しかしこれって、「マネーはベースマネーの貨幣乗数倍になる」ということなのだ。
いったいどうしてお金はお金をふやすのか。紙幣をじゃかすか印刷しているからではない。貨幣を社会が受容してからこのかた、ずっとこんなことが続いてきた。
それでも、著者がカール・ポランニー(151夜)の『大転換』の翻訳者であって、西部邁の影響にも自身で好意をもっているらしいこと、ポランニーの経済人類学の薫陶を受けているわりに、そのころ飛ぶ鳥を落とす勢いだった栗本慎一郎(843夜)とはまったく異なる思索スタイルをもっていること、あるいは経済学者でありながら社会学の素養が深そうなこと、そんな雑駁な印象は伝わってきていた。
しかしなにより魅力なのは『貨幣と象徴』というタイトルで、そこには貨幣を実用とも流通とも捉えずに、あくまで「象徴」(シンボル)とみなしているという視座があることだった。マネーがギトギトしていない。父の借金に戸惑わされたぼくとしては(まだ連帯保証人などになってはいなかったが)、お金を象徴的に議論できているのは、なんともホッとさせた。
貨幣については、そのシンボリズムに分け入らないかぎり、その本質などわかりっこないはずなだというのが、そのころのぼくの負け惜しみだったからでもある。
そもそも言語の発明、神々の発明、貨幣の発明は、どう見たって人類最大の“謎の三大発明”なのである。誰もこの謎を解いたことはないし、また、解けないようにしたのが人類の文明史というものだった。
だから貨幣にひそむシンボル性を安易に崩しては、貨幣も語れないし、神や言語も“説明の起点”を失う。そういうことをしていると、貨幣の正体がわからなくなるだけでなく、貨幣なんてカンケーないと思われてきた神々の正体も、貨幣と無縁だろうとタカをくくっている言語活動の正体もわからなくなるはずなのだ。このあたりのことは、ロバート・グレイヴズの『暗黒の女神』(608夜)にも書いておいた。
この著者もそこのところを弁(わきま)えていて、貨幣を「経而上学」(メタ・エコノミクス)で語るしかないと覚悟している。「経而上学」だなんて、これでは経済学の実用にはなんら寄与できないだろうけれど、貨幣と社会と人間の関係を考えるうえでは、やっぱり必要な観点なのである。貨幣の議論は半分は、「経而上学」でなくちゃいかんのだ。
経済学や産業界や金融機関が貨幣を問題にするときは、必ず「交換」と「保蔵」、あるいは「分配」と「流通」のモデルを出発点にする。
しかし残念ながら、これらは一緒くたには語れない。とくに分配と流通を念頭においたとき、学者による貨幣論もエコノミストによるマネー理論も、またマネタリー・ビジネスにおけるマネーサプライ論も、どこかで必ずや歪んでいく。
貨幣のもつ交換性についても、初期の経済学では語れない。アダム・スミスが市場における商品の自由な交換にいちはやく着目したときも、その交換はそれぞれの経済活動の「分業」がもたらしたという見方を採った。けれども、貨幣を市場力や分業力だけで説明するのはムリがある。このことは、今日のマクロ経済学でも、なかなかうまくない。
今日でこそ、マネーサプライは市場と密接な補完性をもつようになっているけれど、そもそも「史的システムとしての世界資本主義」(ウォーラーステイン)が15世紀あたりに登場したときは、貨幣は市場とも分業とも、重なっていなかった。それよりもポトシ銀山や徳川日本の金山銀山の収穫量こそが、当時の世界市場を動かした。
カール・マルクス(789夜)は交換の本質について深い洞察をした。けれどもマルクスも商品交換には鋭い分析を加えていったものの、資本の移動的本質を貨幣論としてまとめたわけではなかった。
そのように見てくると、貨幣を社会の“隠れた主語”として取り出しえたのは、やはりゲオルグ・ジンメル(1369夜)の『貨幣の哲学』以降のことだということになる。また、マルセル・モースが『贈与論』で貨幣以前の社会の経済行為を互酬的に描写してからのことになる。このあたりのこと、前夜の今村仁司(1370夜)の『貨幣とは何だろうか』にも触れておいたので、詳しくは省くが、わかりにくければ、湯浅赴男の『文明の血液』(新評論)などを読まれたい。
本書は、マックス・ウェーバーが市場の発生を“境界”に求め、「共同体の原理」と「合理性の論理」を比較したことから筆をおこしている。
ウェーバーが、商業や市場の力が共同体の外側との関係によって動きだしていて、共同体の内部の人間関係を必ずしも反映していないだろうと気がついたことをもって、著者の貨幣論の入口とした。
これは、交換というものをどのような社会の相互作用とみなすかを考えるにあたっての適確な入口だった。なぜなら、アダム・スミスは市場で交換がおこるのは「利己心」によるからだと説いたのだが、その利己心が外なる市場の合理性から発するのか、内なる共同体にすでに根ざしていたものなのか、そこは十分に問われてこなかったからだ。
とくに20世紀初頭になって、フロイト(895夜)が人格の内側に利己心を“発見”し、それを自我の論理として組み立てようとしていたことに引き寄せて言うと、「神の見えざる手」に導かれた利己心が、さていったい「内なる社会」と「外なる社会」のどちらの作用から発したものなのか、それともその両方の相互作用をもってあらためて考えるべきことなのか、いっそう予断を許さなくなっていたからでもある。ここは、ウェーバー流に従って“境界”にとどまって考えるべきなのだ。
フロイトが「インセスト・タブー」に言及し、社会的人間一派にひそむであろう「トーテムとタプー」の関係をその奥に見いだしていたことも、交換の本来を考えるうえでは気になる。
その後、レヴィ=ストロース(317夜)が親族構造の分析を通して構造主義的な文化人類学を提唱した。それによって、婚姻や略奪を媒介にして“男女を交換”してきた人類の行為には、モースの贈与論とともに、貨幣に先立つ「交換の社会学」や「市場の社会学」が潜在していただろうことが見えてきた。
しかし本書の著者は、貨幣の幻惑的なルーツの前で、以上のような「内か外か」の問題を二者択一しようとしたわけではなかった。そこに逡巡したわけでもなかった。むしろ、そうした議論を鑑みれば鑑みるほど、貨幣の交換的性格には、社会が貨幣の内外にわたるふるまいを承認したということが重要だとみなしたのである。ここまでは正解だ。
貨幣には、歴史が進むにつれて全社会的なサンクション(承認)が与えられる。そのことが貨幣をして貨幣たらしめた“総体としての貨幣”の特徴だった。
貨幣はあきらかに「象徴としての貨幣」として歴史的なサンクションをもって長きにわたる歴史のなかを君臨してきたわけなのだ。では、なぜそういうサンクションが広まったのか。
20世紀前半、そこを追求する研究はほとんどなかった。そうしたなか、ポランニーの経済人類学は“市場経済以前”を重視した。市場と貨幣が紛れる以前の時代なら、社会がどのように貨幣を必要としたのか、まだしも考察しやすいと思われたからだ。貨幣の機能もまだ未分化だったからだ。
こうしてポランニーは「経済が社会に埋めこまれている社会」をみごとに掴まえた。『人間の経済』(岩波現代選書)や『経済の文明史』(日本経済新聞社)には、そのことがたっぷり述べられている。
このポランニーの炯眼はいくら称揚してもしすぎることはない。とはいえ、けれども、それだけで話がすむはずはなかった。20世紀後半になってブローデル(1363夜)らのアナール派の研究があきらかにしたように、その後の社会は大きく変質し、社会は「経済に埋めこまれている社会」のほうへ向かっていったからである。非市場的な経済社会では、土地も労働も商品としての扱いを受けていなかったのに、15世紀をすぎるとしだいに異様な変質が進んでいったのだ。
とくに近代世界システムとしての資本主義が確立してからは、「土地」も「労働」も、ついには「貨幣」すら商品化されることになった。それだけではなかった。貨幣はさまざまなペルソナ(仮面的個性)を冠って、手形や小切手や保険といった、実に夥しい擬似貨幣商品を派生させていった。
ポランニーはそのことを『大転換』(東洋経済新報社)に書き、土地や労働を商品にしてしまったことを痛烈に詰(なじ)り、さらには市場の欺瞞性に対して怒りも爆発させたけれども、では、いったいなぜ、貨幣すら商品扱いができるようになったのかは説明できなかった。貨幣は昔も今も、商品としての経済学的本質などもっていないはずなのに、ポランニーはその理由までは説明できなかったのである。
あらためて言うまでもなく、貨幣には、①支払い、②保蔵、③尺度基準、④交換力、という4つの力がひそんでいる。
これがマネーパワーの根源的作用というものである。それぞれ、①責務の決済、②富の蓄積、③財の地方性と国際性、④ 財の代替性、に結びついている。
しかし貨幣の歴史は、この4つの特徴的な力をいつも均等に発揮していたわけではない。一種類の貨幣や通貨がこれらの機能を全面開花したわけでもなかった。貨幣は長らく全方位的ではなかった。神通力をもってはいなかったのだ。仮に貨幣が全方位になるにはおそらく「全目的貨幣」(all-purpose money)とでもいうべきものがなければならないはずだが、実際の歴史ではそうとはならず、さまざまな「特定目的貨幣」(special-purpose money)のほうが多様に活動してきた。
なぜ、こんなふうになったのか。どうも納得のいく説明がない。手形や小切手や保険証書が貨幣の代替性をもったのが、その特定目的貨幣の役割にあたっていたのはわかるとしても、そのようになるには、やはり貨幣の象徴的互換性とでもいうべきものが事前に発揮されていなければならないはずなのだ。
今日の貨幣や通貨には、すでに民族の記憶や地域の特性が失われてしまっている。
ホメロス(999夜)の『オデュッセイ』には、オデュッセウスが持ち帰る贈り物の価値が語られ、東ローマ帝国のラテン政庁はキリストの荊冠などの遺品を担保にヴェネチアやジェノヴァの商人から1300ベザンツの金貨を借り受けたけれど、そういう物語は、今日のマネーのどこを透かして見ても、まったく残らなくなってしまった。
今日の貨幣論は、ドルが基軸通貨であって、世界で流通している複数の貨幣はドルの「言い換え」にすぎないことによって、その力を維持していると説明するしかなくなっている。たとえば本書よりずっとのちに書かれた岩井克人の『貨幣論』(筑摩書房)が、そのような説明を展開した。貨幣はいつしか「大きな物語」を失ったのだ。
とはいえそのような貨幣の現在的性格は、15世紀以降、一度も途切れることなく前史から継承されてきたものでもあったわけである。そこからはブレトンウッズ体制から変動相場制へとか、金本位制から不換紙幣の時代へとかといった転換があったにせよ、貨幣の価値論としてはほとんど断絶なく続いてきたわけである。
そうだとすると、ここにはどうしても、「交換」(exchange)と「互酬」(reciprocity)の社会が、またたくまに「交易」(trade)と「市場」(market)の社会に“大転換”していったとき、貨幣が何を社会変質させたかが問われなければならないはずなのだ。そこに作動した2段ロケットや3段ロケットの、2段目、3段目が説明されなければならないのだ。それはモースやレヴィ=ストロースの説明では物足りないものだったのである。
いったい貨幣は、どうして2段、3段のロケットをこっそり用意して、それを社会的な内部と外部の“境界”に噴出させることができたのだろうか。「交換」・互酬」と「交易・市場」をどのようにつなげて、そこにどのように連続性を発揮できるようにしてみせたのだろうか。
しかしながらそこをつないで説明するということが、実はとんでもなく難しいのだ。ぼくはさきほどの岩井克人も前夜の今村仁司も湯浅赴男も、またモーリス・ゴドリエの『贈与の謎』(法政大学出版局)やジェイムズ・バガンの『マネーの意味論』(青土社)なども読んできたけれど、これらとて、このあたりのつなぎをうまく書いているとは思えなかった。
ということで、貨幣を相手に格闘するのは、たとえ象徴を相手にしたとしても、ほんとうに骨が折れることなのである。まして実マネーとかかわるのは、とんでもなく煩わしい。そんなこと、どうでもいいから、よく働きよき恵みに感謝していたほうが、ずっといいと思われる。
3年ほど前のこと、ぼくはジュールス・プレティの『百姓仕事で世界は変わる』(築地書館)を読んで、ああ、こういうふうに土地を相手にすることがなんと納得のいくことなのかとつくづく感じたことがあったけれど、しかしそうは感じたからといって、いまさらわれわれは貨幣の呪縛から逃げ切ることも、不可能である。それは神々や言語をなかったことにすることが不可能であり、その起源に反撃することも不可能であることと同断なのである。
ということで、本書の議論からは少しはみ出るが、それならとりあえずはどうしたらいいかといえば、おそらく次の3つくらいのことを思考のエンジンにしたほうがいいのではないかと思われる。
第1には、いったん、貨幣が内在させていた「呪能としての象徴性」と、貨幣を共同体の内外に流通させてからの「交能としての象徴性」を、ひとまず分けて見たほうがいいということだ。この二つを同日に語るべきではないということだ。
いまやマネーはトーテムにもタブーにもなっていないし、物語も残していない。もしも新たな貨幣制に向けて再出発をしたいなら、電子マネーであれ地域通貨であれ、あらためてモースやポランニーの互酬性に舞い戻るべきで、そのかわりそこでは、かつての呪能力などを決して持ち出さないことなのだ。
第2には、金や銀のコインを前提にして交換性を発揮してきた貨幣力と、紙幣を印刷するようになってからの通貨力とを、やっぱり分けて考えたほうがいいということだ。とくに紙幣が問題である。銀行紙幣が許容されるようになって、それが新たなサンクションになってから、今日の社会に蔓延したようなマネーの擬似商品化の道が着実に用意されてきた。そう見るべきなのである。
第3には、金本位制や変動為替相場などがどうして生まれたかという問題から考える方法にも進むべきである。
よく知られるように、「金本位制」は英語ではゴールド・スタンダード(gold standard)という。スタンダード、すなわち標準化である。しかし、そのゴールド・スタンダードが失われていくと、経済世界はいっせいに新たなグローバル・スタンダードとして、技術から取引まで、穀物から病疫まで、そのほかありとあらゆる流通場面にスタンダードの綱を張りめぐらせようとしてきた。20世紀から21世紀にかけて、われわれはどうもスタンダード志向という病気に罹ったのである。それは実のところは、ゴールド・スタンダードを捨てた報いだったのだ。そこをどう考えるかだ。
というようなことをとりあえずの3つのエンジンにして、貨幣論は新たな組み立てを求めて再考されるべきだとぼくは感じているのだが、さあ、どうか。あまり自信があるわけではない。
というところで、実は以上の議論とは異なるけれど、やや似たような発想にとりくんだ経済学者がいたことを最後に示しておきたい。
それは誰あろう、ジョン・メイナード・ケインズなのである。ケインズがどんな発想で貨幣の未来を考えていたのか、そこをやっぱり検討しておくべきなのだ。いや、今夜はそこまでは立ち入らない。そのことは、ケインズという特異な人物の紹介とともに、次夜で案内してみたいと思う。ジンメルの貨幣論につぐ貨幣論である。貨幣のいまいましいほど難解な性格を誰かの本を借りて描写するのは、そのあとになる。
【参考情報】
(1)吉沢英成は1941年生まれ。東大経済学部から同大学院をへて、1972年に甲南大学経済学部の助教授、教授を務めた。著書に『マルコニ事件――民主主義と金銭』(筑摩書房)、『情報文明学の構想』(以文社)など、訳書にポランニー『大転換』(東洋経済新報社)、フランケルほか『貨幣の哲学』(文真堂)がある。
(2)この数夜のなか、すでに何冊もの貨幣論、マネー史、マネーパワー論の参考書籍を紹介してきたが、今夜は意外かもしれないが、栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』(カッパブックス=光文社)を紹介しておく。この本は実はけっこうおもしろい。中身は『経済人類学』(東洋経済新報社)や『幻想としての経済』(青土社)に通じるもので、ポランニーを下敷きに人間社会の情けない本質を突いていった。
むろん「パンツをはいたサル」とは人間のことで、本書では、法律というパンツ、道徳というパンツ、神経症というパンツに先だって、人間が「おカネというパンツ」をはいた理由が述べられる。そもそもの論点は、ヒトはなぜ生存以外の目的で余分なモノを生産するようになったのかというところから始まる。モノの生産はただちに「労働」に対して対価を払うという習慣とルールをつくりあげた。ところが、その生産されたモノは「分配」されるようにもなった。動物の社会にも分配はあるが、その分配に伴って「貨幣」を媒介させるようなことはしなかった。ヒトはこうして脱げないパンツを大事にするようになった、というお話だ。
ちなみに栗本はこのあと『パンツを捨てるサル』(カッパブックス)を上梓して、本当の「快感」は決しておカネでは身につかないのだから、パンツを脱いじまえと書いた。こちらは経済人類学というよりも生物情報経済学ともいうべきものとなっていて、当時の“脳内物質論”を先取りしていた。
(3)冒頭に少し紹介したベースマネー(マネタリー・ベース)については、多くの参考書があるが、ごく入門的には飯田泰之の『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)を薦めておく。「歴史に学ぶ」の歴史は欧米でなく、日本の徳川社会経済を引いているのが、ちょっとユニークだった。飯田はかつて内閣府の経済社会総合研究所にいた俊英で、『経済学思考の技術』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論 論理思考で見抜く』(筑摩書房)、『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)などを書いている。