ナサニエル・ホーソーン
緋文字
新潮文庫 1957
ISBN:4102040013
Nathaniel Hawthorne
The Scarlet Letter 1850
編集:沼田六平太 装幀:前川直
黒地ニ赤キAノ文字。
不義・密通の者であることを刻印する緋文字。
若き人妻ヘスター・プリンの胸に
深く縫い取られた赤い文字は、
アメリカン・ピューリタニズムがもたらした
癒しがたいほどの深い傷を象徴していた。
ヘスターが密通したのは意外な人物だったが、
ホーソーンはこの二人の関係の奥にひそむ
信仰と恐怖にまつわる暗部の歴史を描き出す。
黒地ニ赤キAノ文字。
これをいまアメリカ自身に問う者が少ない。

 時は17世紀の半ば、舞台はイギリス植民地のひとつの田舎町だったボストン。アメリカにやってきた初期移住者たちは一方ではニューエルサレム建設の夢を見て、他方では信仰の裏で暴虐の斧をふるう恐怖に戦(おのの)いていた。まだ魔女狩りがまかり通っていたし、周囲にはいくつもの部族の原住民(アメリカ・インディアン)が馬と矢をもって暮らしていた。
 話は、ニューイングランドの開放的な気風と厳格なピューリタニズムに包まれていたボストンの夏の午後、監獄の前の芝生に住民たちが集まってこれからおころうとする“見せしめ”を待っているところから始まる。
 いま監獄からは、若そうではあるが人妻らしい女が看守に引かれて連れ出されてきた。見るからにいとおしそうに幼な子を抱いてはいるが、その胸には真紅の布に「A」という金糸で縫い付けた文字が付いていた。この物語のヒロインのヘスター・プリンだ。たいへん美しい。

 彼女は夫より一足先にニューイングランドに越してきて、海岸近くに新居を借りると新生活のための先行の日々をおくっていた。
 その美貌と活動力はすぐに住民たちの羨望と嫉妬を生むのだが、彼女はそうした視線にいっさいこだわることなく、教会に通い、近隣の者たちとの交わりに励むことで、何の落ち度もない日々をおくりつつあった。ただ彼女には、権威にすがりがちなピューリタンの連中とは異なる“独自の信仰力”が宿っているようだった。
 そこへしばらくして夫が船が難破して水死したという知らせが届いた。すでに或る男と甘い恋におちそうなところを必死に貞操を守ってきたヘスターは、ここで心を変じて、その男と激しく交わった。
 ヘスターは妊娠し、腹を膨らませ、男の制止にもかかわらず不義の子を産んだ。噂はたちまち知れわたり、そのため植民地州マサチューセッツの法律では死刑になるところだったのだが、夫が死んでいるともくされたため、裁判官や牧師たちの配慮によって3時間ほど曝(さら)し台に立てばいいということになった。そのかわり、これからずっと上着の胸の真ン中に「A」の緋文字(ひもじ)を付けて暮らさなければならない。

 群衆はヘスター・プリンが密通の相手の名をあかすことを待っていた。老牧師ジョン・ウィルソンが告白をすすめるが、ヘスターは「どうしても言いません」と口を噤(つぐ)んだままである。若い牧師アーサー・ディムズデイルも複雑な表情で告白を促すけれど、ヘスターはさらに頑なに沈黙しつづける。そのとき幼な子が泣き出した。
 それを群衆のなかで静かに見つめていた中老の男がいた。ちょうどこの日、ボストンに到着したばかりのロジャー・チリングワースである。この名は偽名だった。直前までアメリカ・インディアンの集落に捕囚されていたせいか、どこか狂気のような呪術的な力のようなものを漲らせている。実は彼こそはヘスターの夫だった。
 水死の知らせは誤報だったのだ。夫は生きていたのである。ヘスターは胸が張り裂けるほどに驚き、夫のチリングワースは事の一部始終を鋭く察すると、密通の相手を暴いてみせると決意する。しかし二人とも周囲には、かつて二人が夫婦であったことを漏らさない。
 ヘスターは監獄に戻され、やがて釈放された。幼な子はパールという名だった。育てば無邪気に母の胸の緋文字で遊ぶ子であった。しかし、いったい誰がヘスターと交情したのか、住民たちはその疑惑が証されないことに苛立ってもいた。
 そうしたなか、チリングワースはじりじりとヘスターを締め上げていく。それでも密通の相手はわからない。そこに一人の男がうっすらと浮上してくるのだが、謎は後半の展開にまかされる‥‥。

『The Scarlet Letter』洋書のブックデザイン

 ぼくが最初に『緋文字』を新潮文庫で読んだときは、以上のように物語は始まっていた。
 読み始めたとたん「緋文字A」が目に焼き付き、最後の「暗い色の紋地に、赤い文字A」の一行にいたるまで、なんとも落ち着かない気分で不義密通の物語が、アメリカン・ピューリタニズムの異常な高ぶりと覆いきれない亀裂を見せながら、ニューイングランドのプリミティブな町と森とを走っていくのを読んだおぼえがある。

 いまやよく知られていようけれど、緋文字のAとは「密通・姦通・不義」をあらわす“Adultery”のイニシャルAのことである。
 しかし、話がすすむにつれてヘスター・プリンの日々の献身的なふるまいから、このAは「可能な力」をあらわす“Able”や「天使」をあらわす“Angel”のAに変じ、それにもかかわらず最後の最後にはふたたび“Adultery”のイニシャルに戻っていくかのようなのである。
 まさに緋文字になにもかもが振り回されているかのような、まことに不思議な味の小説だった。これはひょっとして“America”のAではないか。そうとも感じられた。
 物語の後半、読者はやっとヘスター・プリンの密通の相手が、ほかならぬ牧師アーサー・ディムズデイルらしいことを知っていくのだが、ホーソーンはそのことを饒舌には語らない。ホーソーンはこの小説の狙いをたんに不義の相手の名をさぐるサスペンスにする気がなかったからである。
 ひとつには、作品をもっと巨きなアメリカ人の宿題にしておきたかっただろうし、もうひとつには自身の先祖がかかわる課題から逃げたくなかったからだ。

 実は新潮文庫の『緋文字』を読んだだけではわからないことがある。この小説にはもともと序章「税関」がついていて、この作品を成り立たせているメタフィクショナルな事情が綴られていた。
 そこには、ホーソーンの先祖がかかわったらしい忌まわしい事件のこと、ホーソーン自身が30代にはボストンの税関に、42歳から数年間をセイレムの税関に勤めていたこと、そのセイレムの税関のめっぽう古びた建物のこと、2階の大広間が蜘蛛の巣だらけになっていてそこにたくさんの書類が散乱していたこと、その中に緋文字に関する書類を発見したことなどが、たっぷり述べられていたのである。
 この序章は、岩波文庫の八木敏雄訳『完訳・緋文字』にはちゃんと“完訳”されている(岩波文庫佐藤清訳には省略されている)。
 この序章から、ホーソーンの先祖にはアメリカ史上有名なおぞましい集団的ヒステリー事件「セイレムの魔女狩り」にかかわった者がいたらしいことが知れる。ホーソーンはこのことをこそ引きずりだし、そのことによって何かが証されていくことを求めるかのように、『緋文字』を書く決断をしたようなのだ。

 「セイレムの魔女狩り」は1692年の事件である。156人が魔女の容疑者となり、そのうち30人が有罪に、44人が自白して19人が無惨に処刑された。
 いまではアメリカン・ピュータリニズムの最初期最大の汚点として知られるが、当時もその後もいったいなぜこんなことがおこったのか、長らく伏せられていた。
 ホーソーンは税関の2階で、この事件にまつわる「緋文字の文書」を偶然発見し、そこに自分の先祖にあたる尋問官がかかわっていて、積極的に魔女裁判を促進していたことを知ったのだった。この先祖は4代前のジョン・ホーソーンである。
 1692年、ジョンは9人の判事とともに、3月にはセイレムの3人の魔女の裁判を、5月には9人の女性を魔女と見放し、さらに10月までには約100人の女たちを拘留することに手を貸していた。
 ホーソーンは戦慄する。ホーソーンはセイレムに生まれ、その祖も大半がセイレムの栄光とともにあったと自身で思ってきたからだ。
 なぜこんなことになったのか。ホーソーンはさらに時代をさかのぼり、1630年代や40年代の初期ピューリタンの信仰の原点を調べあげていった。そこに見いだしたのが、40年代のボストンを舞台にした『緋文字』のヘスター・プリンや牧師アーサー・ディムズデールのモデルとなった人物だったのである。

セイレムの魔女裁判の様子を描いたペン画。

 アメリカン・ピューリタンの最初期の歴史は、日本人にはあまり知られていない。ホーソーンが調べるまではアメリカ人にも見えていなかった。いや、いまなおWASP(White,AngloSaxon, Puritan)の強がりのもと、目くらましにあっているアメリカ人も少なくないにちがいない。フランクリンやジェファーソン以降の、アメリカ人が大好きな「勤勉と富のピューリタニズム」ばかりが喧伝されすぎてきたからだ。
 しかし初期ピューリタニズムには、そもそも栄光と残酷とが、神権と抑圧とが、ユートピアニズムとテロリズムとが表裏一体になっていた。
 そんなふうになった経緯については、その根っこがすでに「巡礼の父祖」ピルグリム・ファーザーズがオランダ・ライデン滞在をへて、1602年にアメリカ東海岸のプリマスの地に渡り、メイフラワー盟約を交わしたときから始まっていたと言わなければならない。そこには早くも5つの信条が採択されていて、それがアメリカン・ピュータリニズムの基礎となり、呪縛となり、魔女狩りを生んだからである。こういうものだ。

 ①Total Depravity(人間は堕落した存在で、原罪から免れえない
 ②Unconditinal Election(神の選択による救済しかありえない)
 ③Limited Atonement(限られた者にしか贖罪は与えられない)
 ④Irresistible Grace(もたらされた恩寵に抵抗してはならない)
 ⑤Perseverance of the Saints(救済と回心を得た者だけが生き抜く)

 これらは今日なお、WASPの子供たちが学校や教会でおぼえさせられる有名な英語イディオムだが、この5つの信条こそはマサチューセッツの初代総督ジョン・ウィンスロップが強く確認して継承したもので、17世紀ボストンを骨の髄まで支配していたものであり、あるいは今日なおアメリカの「マニフェスト・デスティニー」(明日なる運命 Manifest Destiny)の奥に巣食っているものなのである。
 なぜこんなにもこのデスティニーがアメリカを覆っていったのか。きっと起源があるにちがいない。それは、ウィンスロップ総督のボストン在任中の1636年、後世に「反律法主義論争」(Antinomian `Controversy)と知られるピューリタン・イデオロギーによる異分子放逐運動が始まっていたのだが、この出来事こそがあらゆる前兆になったのではないかというのが、ホーソーンの推測だった。
 出来事の発端は、この年、アン・ハチソンという女性が「救済のための信仰」をあまりに重視したため、これを牧師ジョン・コットンが糾弾し、彼女をマサチューセッツからロードアイランドに放逐したことにあった。神学的にはピューリタニズム内部の信仰至上主義と救済重視主義が対立したとも見られるが、ホーソーンはそれだけではないと見た。
 ここには、その後のアメリカ人全員が抱えこむことになった普遍的な問題があるにちがいない。それがアン・ハチソンとジョン・コットンの“近しい対立”にあらわれたのだ。ホーソーンは、そう掴まえた。
 そして、そのことを考え抜くために、アン・ハチソンをモデルにヘスター・プリンをヒロインに仕立て、ジョン・コットンをモデルに牧師アーサー・ディムズデイルをキャラクタライズして、『緋文字』全巻を書き上げたのだった。
 そこに、人妻ヘスターと牧師アーサーの“不義の関係”を加えたのは、ホーソーンの想像力による用意周到だ。そこから緋文字Aを出現させるための仕掛けだった。そのうえでホーソーンは、ヘスターに宿る「救済のための信仰」を描きたかったのである。実際にも作中では、ヘスターのことをこう書いている。
 「もし小さなパールが霊の世界からの贈り物でなかったとするなら、事情はかなり変わっていたかもしれない。ヘスターはアン・ハチソンと手をたずさえて、或る宗派の始祖として歴史に残っていたかもしれない。彼女には、ある面で預言者めいたところがあったので、ピューリタン社会の基礎をくつがえそうとしたかどで、当時の厳格な法廷によって死刑を宣告されていたかもしれなかったのである」。

トゥームストーンにあるジョン・ホーソーンの墓標。
魔女裁判事件について記されている。

 緋文字とは、これほどに深くアメリカ社会の原点に突き刺さっていた大文字だったのである。良くも悪くもアメリカが気になっている諸君には、読書絶必の一冊だろう。
 ところでもうひとつ、急いで付け加えておかなければならないことがある。それは、ホーソーンのもうひとつの傑作『七破風の屋敷』もまたセイレムの古い家系の秘密を扱っていたということだ。この物語は、ピンチョン家の初代の先祖がその土地の最初の持ち主であった者たちを処刑台におくったため、この七破風の家の一族が長らくその呪縛から逃れられなかったという宿命(デスティニー)を追っている。
 なんともホーソーンが残した作品とは、アメリカ人の奥底に眠るゼノフォビア(他者恐怖)を綴ったものであったのか。
 ぼくは「黒地ニ赤キAノ文字」を思い浮かべるたびに、これらのことに思いを馳せるのだが、友人のアメリカ人とこのことについて交わすたび、よほどの柔らかい知性の持ち主でさえ眉をくもらせ、話にあまり乗ってこないことも知った。

 ついでながら付け加えておくと、1995年にデミ・ムーアがヘスター・プリンに扮した『スカーレット・レター』という映画が公開された。ローランド・ジョフィが監督で、ゲイリー・オールドマンが牧師アーサー・ディムズデールを演じた。
 デミ・ムーアが好きなぼくとしてはよくできた映画と言いたいところだが、物語はほとんどホーソーンの主題をずらして、二人の愛の葛藤を強調し、そこにフェミニズムの思想を加えているようだった。なんといってもヘスターとアーサーが連れ立って町を出ていくことでエンディングとしていたことが納得できないものになっていた。
 原作は決してそんなふうにはなってはいない。アーサーは二人が互いに犯した罪に苦しみ、憐れみの神を称えて死んでしまうのだし、元の夫のチリングワースはヘスターを詰り、密通者の牧師アーサーを追いこむものの、衰弱しながらパールに財産を遺すのである。ヘスターはといえば、救済の日々をおくり、悲しみを抱いたままパールを残してやはり死んでいく。
 エンディングもまったく異なっている。ヘスターはアーサーのかたわらに葬られ、そのヘスターとアーサーの両方の墓に「黒地ニ赤キAノ文字」が刻まれているというところで終結なのだ。

1995年に上映された映画版『スカーレット・レター』の一場面。
へスター・プリン役をデミ・ムーアが、
宣教師アーサー役をゲイリー・オールドマンが演じた。

 では、ナサニエル・ホーソーン(1804~1864)とその時代について、ちょっとだけ案内をしておくことにする。
 わかりやすくプロフィールをいえば、ホーソーンはポオ(972夜)より4つ年下、エマソンの1つ年下で、メルヴィル(300夜)の5つ年上、ソローの13歳年上、ホイットマンの15歳年上になる。これで一目瞭然となるように、かれらはいずれも1850年代のアメリカ文学にアメリカン・ルネサンスともいうべき文芸的黄金期をもたらした。
 そのことはこの時期の傑作を年代順に並べればすぐわかる。エマソンの『代表的人間』とホーソーンの『緋文字』が1850年の刊行で、翌年にホーソーン『七破風の屋敷』とメルヴィル『白鯨』が発表されると、そのあと続けさまにメルヴィル『ピエール』、ソロー『ウォールデン(森の生活)』、ホイットマン『草の葉』というふうに連打されたのである。
 そうした時代、ホーソーンがマサチューセッツのセイレムの古い家柄に生まれてきたわけである。それなら静かで順調な生涯をおくれるはずだった。ところが、4歳のときに船長稼業の父親がギアナで黄熱病に罹って死んだため、ナサニエルは母親の里で暮らしはじめ、ここで先祖代々のピューリタニズムの重い空気を感知していくことになる。
 作家になろうと思ったのはメイン州のボードン・カレッジにいるころだったようだが、卒業後にセイレムに戻って執筆に専念しようとしても、うまくはいかなかったようだ。たいていの評伝には「十数年は孤独な日々をおくった」と書いてある。
 それでも1830年頃から書いた短編が新聞や雑誌に載るようになり、カレッジ時代の友人でのちに詩人として名を馳せたヘンリー・ロングフェローの好意ある書評も手伝って、しだいにニューイングランドの歴史や信仰と罪を扱う物語を書くようになっていった。1837年の短編『トワイス・トールド・テイルズ』はポオも褒めた。

 こうして1846年にセイレムの税関に勤めているうち、自身の家系の秘密や「セイレムの魔女狩り」の資料にあたるようになり、ここから一気に『緋文字』や『七破風の屋敷』を書きこむと、ついにかなりの評判をとったのである。
 当時、ホーソーンは「ノヴェル」と「ロマンス」を峻別しようとしたことでも知られる。ノヴェルは記述にリアリズムを必要としロマンスには想像力や象徴力が動く必要があるというものだ。ホーソーンは後者に拠りながら、両者を交ぜた。この信念は18世紀半ばのアメリカン・ルネサンスの俊英たちにも影響をもたらした。
 それがホーソーンの「緋」に対するに、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』やエミリー・ディクソンの『屋根裏の狂女』の「白」となり、またポオの『黄金虫』の「金」やヘンリー・ソローの『ウォールデン(森の生活)』の「緑」となったのである。
 まあ、こうしたアメリカ文学の周辺の話題については、ぼくがもう少しアメリカの文学作品を千夜千冊してから、またぞろ刺し身のツマにしてみたい。今夜はあくまでホーソーンの緋文字にこだわりたかっただけである。
 なお、ぼくより先回りしてあれこれ言いたくなっているのなら、ぜひその前に巽孝之の『アメリカ文学史』(慶応義塾大学出版会)や『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書)を読まれることを薦める。今夜の『緋文字』の紹介にあたってもいろいろ参考にした。

森の奥に佇むホーソーンの墓
(マサチューセッツ州・コンコード)

『緋文字』(ひもんじ)
著者:ナサニエル・ホーソーン
編集:沼田六平太
装幀:前川直
1957年10月15日 発行
発行者:佐藤隆信
発行所:新潮社

【目次情報】

獄舎の入口
広場
認め知る
対面
針仕事をするへスター
パール
植民地総督の広間
子供の小妖精と牧師
医者
医者とその患者
胸のうち
牧師の寝ずの行
へスターの別の考え
へスターと医者
へスターとパール
森の散歩
牧師とその教会員
満ちあふれる日光
小川のほとりに立つ子供
迷っている牧師
ニューイングランドの祝日
行列
緋文字を明示する
結び
あとがき 

【著者情報】

ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)

19世紀アメリカ・ロマン派の文豪。1804年7月4日、マサチューセッツ州のセイラム生まれ。1828年に処女作『ファンショー』を自費出版、以後、短編集『トワイス・トールド・テイルズ』、つづく短編集『旧牧師館の苔』で人気を博す。1850年の名作小説『緋文字』で大作家としての地歩を確立。晩年は、コンコードで文学活動を続けたが、1864年5月19日にニューハンプシャー州のプリマスで客死した。

Seigow - Marking

コメントは受け付けていません。