中勘助
銀の匙
岩波文庫 1941 角川文庫 1989
ISBN:4000071734

 明治がいよいよ終焉にさしかかった夏、野尻湖の湖畔で、27歳の男が一気に少年時代の記憶にもとづいた文章を綴った。
 何もかもに絶望したわけではないものの、世の中の文化や流行や思想のいっさいに頼みの綱とするものがほとんどないことを感じていた男は、ただひたすら自分の幼少年期の日々を綴った。
 それが『銀の匙』の前篇である。
 それまで中勘助は、しきりに詩歌を愛読していたものの、散文にはまったく関心をもってこなかった。一高から東京大学に入ったときは英文科だったのに、すぐ国文科に鞍替えをした。一高・東大ともに夏目漱石に習っていた。その間に、父が死に、兄が発狂した。

 銀の匙とは、少年時代の勘助が本箱の抽出しにガラクタとともに入っていた銀製の小さなスプーンのことである。その銀の匙を大人になった勘助はときおり出しては手でさわっている。
 いったい、なぜそんなふうに銀の匙が懐かしくなっているかというと、これは少年期のある日に、古い茶箪笥の中の抽出しをおそるおそる開けたときに出てきたもので、母にそれがほしいと願い出たところ許しをえて、もらったものだった。
 母も、なぜ銀の匙がそこに入っているのかを話してくれた。それは‥‥という調子で淡々と、少年期、いや幼年期の日々の物語を綴りはじめているのが『銀の匙』である。
 その書きっぷりは、まことに恬淡として清冽、儚くして絶妙、真に迫る心地をさせるとともに、ついに帰らぬ少年の記憶を遠くへ運び去る文意に満ちたものになっている。

 『銀の匙』は中勘助が最初に書いた散文である。
 しかし漱石は、この作品が子供の世界の描写として未曾有のものであることにすぐに気がついた。
 文章が格別にきれいで細かいこと、絶妙の彫琢があるにもかかわらず、不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章に音楽的ともいうべき妙なる響きがあることなどを絶賛し、これを「東京朝日新聞」に連載させた。和辻哲郎など、当時のこれはという連中が驚いた。ようするに玄人がびっくりしてしまったのである。
 たとえば和辻は、この作品にどんな先人の影響も見られないことに大いに驚き、それが大人が見た子供の世界でも、大人によって回想された子供の世界でもないことに驚いた。まるで子供が大人の言葉の最も子供的な部分をつかって描写した織物のようなのである。

 実は、ぼくも今度久々に読み返して(おそらく30年ぶりだったとおもう)、昔に読んだ印象をはるかに越えるものを感じた。
 これはやはりたいへんなものだとおもったのだ。なんというのか、大人でなければ書けない文章なのだが、あきらかに子供がその日々の中で感じている言葉だけをつかっている。
 ぼくもそうだったし、多くの子供がそうだろうとおもうのだが、子供というもの、だいたいのことはわかっているものなのだ。それは、樋口一葉の『たけくらべ』の美登利と信如にして、すでにそうである。が、この日本文学史上の最初の子供の世界を真剣に描いた一葉にしてそうなのであるが、それはやはり大人の描写であった。それはいってみれば、ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』なのである
 ところが、中勘助のはそうではない。まるで子供の心そのまま、子供の心に去来するぎりぎりに結晶化された言葉の綴れ織りなのである。しかしそれは大人がつかっている言葉のうちのぎりぎり子供がつかいたい言葉だけになっている、というふうなのだ。
 こういう芸当が中勘助にできたということは、尋常ではない。ここには書かないが、当然に中勘助の生涯や生き方に関係がある。が、もし、そのような生き方を越えてもこのような散文を書く者がいるとすれば、それは真に「文芸の幼年性」に到達した者であるだろう。

参考¶『銀の匙』の後篇は大正2年に、比叡山に籠もって書かれた。むろん『銀の匙』に収録されている。漱石は前篇以上に絶賛した。中勘助はその後、『提婆達多』『犬』『街路樹』『鳥の物語』『蜜蜂』などを書くが、文壇的にはずっと孤高を保った。ぼくはインドの聖者が女に溺れて犬に堕ちながらも、その女に食われていくという『犬』に驚いた。

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